婚約解消の前に
前世の記憶というのは、時に鬱陶しく、時に便利なものであると私は思う。鬱陶しい理由として1つあげるとすれば、どうしても好きになれんのだ。
貴族様のいう『マナー』という言葉が。
『完璧な淑女を目指すんだ』
『王太子に嫁ぐのなら』
『淑女なら、穏やかに笑っていろ』
上から目線での言葉の数々。
それを父に言われ、姉と兄には同調される。
――なんだ、ここでは昼寝も出来ないのか。
――自分を取り繕うのがマナーというのならば、私は前世の記憶を持つべきではなかったな。
ここは中世なのだろうか。わからないが、異世界というものであると私は踏んでいる。
そして前世――というのも、自分がどうやって死んだのかすら記憶には残っていない。ただ、自分が誰であったのかだけは幼少期より理解している。しがない社長令嬢だ。ともあれ、若いというのもあって社長の座を就くこともなく、自分を取り繕うこともしてこなかった。
目の前にいる王太子はとても好青年のようで、とても穏やかな人間だ。それだけが唯一の救いであり、されど彼に他の想い人がいることを知っている身からすれば、居心地が悪いのも確かである。
「そして、私の名前が……アイ・ラブ・ユーなのが気に食わないわ。何なのよ、この名前……」
王宮の中庭で茶を飲みながら、私は思わず心の声を小さく漏らした。ちなみにラブ・ユーが名字みたいなものだ。つまりはアイ。何とも可愛らしい、私には似合わない名前である。
「とても可愛らしい名前じゃないか。私は好きだよ、君も、君の名前も」
小さな独り言まで拾ってくる地獄耳の王太子。加えてくさい台詞も平然と言ってきた。しかし彼が言えば気持ち悪さもなく、それは上品な口説き文句に変わる。
なにせ彼の見た目は金髪に白い瞳――なんともファンタジーらしいイケメンだ。かくいう私は黒髪ロングに真紅の瞳である。黒髪が他の色であれば素晴らしきファンタジーと言えたのだろうが、何とも中途半端であった。
私はとっさに穏やかな笑みを取り繕う。
「世辞が上手ですこと。その世辞で、いったい何人の女の子を虜にしてきたのでしょう。女泣かせのイースクリル様」
「なんか、君の言葉には色々と棘があるように感じるね。だが、それもこれまでだ――」
そう。私たちは前々から話し合い、婚約を解消する手立てを講じてきた。
◇◆◇
これは数ヶ月前に王宮に呼び出され、王太子から言われた言葉だ。
『君は私に遠慮をしている。遠回しな言葉ばかりを選んでくるんだ。立場を考えればそれが最善であるのかもしれないが、私たちは婚約者。男を立てようとする君を私は望んでいない』
『そして、それをやめろと命じても君は止めてはくれなかった。だから――私は強行手段をとることにしたよ』
『君の姉にも許可はもらっている』
とのことだ。強行手段、即ち私との婚約解消を意味しているのだろう。『円満解消』――後に姉と新しく婚約を結び、私の出自である公爵家との縁を切らずに、私との縁のみを切るつもりだ。
だからもちろん私はそれに前のめりで賛成したのを覚えている。
それから少しが経った頃、私と王太子が婚約解消するのでは――という噂がたった。王太子はなぜか困惑していたのだが、それは良き演技であろう。ゆえに私は穏やかに微笑み、否定も肯定もすることはなかった。
◇◆◇
現在、王太子は言う。
「君も私も待ち望んでいたものだ。だってそうだろう? 君は私を愛していないのだ」
このように、彼は少し頬を赤く染めながらメンヘラみたいな発言をよくしてくる。愛していないと決めつけられるのは癪だが、私はただ穏やかに微笑んだ。
「私はただ、イースクリル様に委ねますわ。私の人生はそこにある」
しかしまぁ、王太子と婚約を解消したとなればマナーも多少なりとも楽になるだろう。そう考えながら、私は席から立ち上がる。
そしてドレスの裾を摘み、華麗な敬礼を見せた。
「今までお世話になりましたわ。……あら、でも良いのです? 私とこんな茶会を2人きりでしているところを誰に見られでもしたら、婚約解消をしないつもりなのだと誤解を招かれ……」
「誤解ではないさ、それは」
私は少しばかり、頭に疑問符を浮かべたまま硬直する羽目になる。その疑問は声にも出てこない。
「どちらかというと、誤解しているのは君の方かな」
「…………」
『ゴカイシテイルノハ、キミノホウ』
私は敬礼したまま、その言葉の意味が何であったのかを深く考えた。いや、いくら考えてもその言葉の意味は前世と変わらずそのままだ。
つまり、誤解しているのは――私?
「……オーマイガー、ですわ」
思わず変なことを言いながら、私は恐る恐る顔を上げて王太子の方を見やった。王太子は私の発言に不思議そうな顔をしていながら、されど物腰柔らかく微笑みを向けてくる。
「私は君との婚約を解消するつもりはない。寧ろ私が前々から言っているのは、本格的に結婚を進めるという話だ。だがまぁ……そうだね、面白かったよ、本当に。誤解しているだろうなと明らかに分かるんだから」
王太子は腹を抱えて笑い出した。
私としては何の笑い話でもないのだが、彼は笑い疲れて机に顔を伏せる。そんな彼には王太子としての姿勢がなく、思わず目を張った。
「……いや、おかしいでしょう。貴方は……イースクリル様は姉様のことが好きだと……だから姉様とよく2人で話を……」
「まさか。彼女には君の好みや、君の私生活、そして君の……いや、これはいいか。つまり君にまつわることを聞いたり取引をしたりするために月に一度会っているだけだからね」
取引の件は後で問い詰めるとして、今はそれよりも理解が追いついていない。呆然として王太子を見つめていると、彼は頬を赤らめたまま顔を上げてきた。その瞳はやたら人を惹きつける。しかしながら、勢いのままに問い詰めた。
「いや、えっ……ですが!! ですが言っていたではないですか!! 君は私を愛していないって、そう言って……」
「ああ。だからこそだよ」
「…………?」
思わず眉を寄せてしまった私に対して、彼は変わらない調子で言葉を紡ぐ。
「君は私を愛していなくても、私は心の底から君を愛している。だからこそ王太子としてとれる『強行手段』を選ばせてもらった」
「………………? これは悪夢ですの?」
そう言いつつも、私は気づかないうちに耳まで顔を赤くしていた。恋心に芽生えた――ということなのだろうか。わからない。前世おおよそ二十三年、今世十八年――初恋すらも経験したことがないのだから。
「フハハハハっ! 悪夢とは、随分と私を毛嫌いしているようだね!!」
王太子は今までにない声量で笑い声を放つ。
「そうだよ、悪夢だ。これから永遠に続く、悪夢の幕開けさ。私としては天国だが」
そして王太子――メリーア・イースクリルは頬を赤らめたまま清々しい顔で言った。
「――君を永遠に独り占めできるんだから」
それもまた、次期王の立場である王太子としての権力を使って行う気なのだろうか。ともあれイースクリルに釣られるように、私の表情からもまた穏やかさが消えた。
そして、悪い顔をしながら欲を放つ。
「1日中ダラダラ出来ますの? それに乗ったら」
「ああ! もちろん約束しよう。そつなく公務をこなしてくれるのなら、他の時間は怠けることこそが君の役目と言えよう!! 私は君の色んな顔がみたいんだ! 君に笑っていてほしい!! 君を愛しているのだから!」
前のめりになって言ってくるイースクリルは頬どころか耳まで赤くしている。彼はこう見えて演技派ではなく、とても素直なのだ。心境がそのまま表情に映し出されしまう人間なのである。
そのため、これは彼なりに勢いで行ったプロポーズにすぎない。ただし、愛情だけは勢いが消えたとしても重いままだろう。なにせ、
「誰かが君を否定するようなら、私はこの国そのものを変えてみせよう」
願ってもない申し出だ。ただダラダラしたい。休みたい。年中無休である王妃教育を投げ飛ばしたい。それが私の願いなのだから。
しかしながら、私とてこの世界のことが大嫌いというわけではない。この世界にだって貴族や王族、平民だって優しい人間は山ほどいる。そういう人たちが笑える世界は、私まで胸が暖かくなるのだから。
「それならば……立派な王妃になってみせますわ、私は。天才と謳われる貴方の傍に並んでも恥じないように」
この日、私はこの世界に生まれて初めて心からの笑顔を浮かべることが出来た。
眠いながらに書いた短編です!
やっぱ短編すらすら書ける人すごいなと改めて実感しました。




