第3章:研究の果て
王宮の外宮の一角に大規模な研究室がリサに与えられた。
既に大量の物資が運び込まれており、様々で奇妙な形の道具や、古代文字で書かれた魔術的な文献が山と積まれており、何も始まっていないのに、雑然とした雰囲気の部屋になっていた。リサは研究者気質だったこともあり、いまだ見ぬ資料の数々に目を輝かせて、資料の読み込みや、資材の確認に没頭し始め、シンジとナミに苦笑いされた。
与えられた資料には秘伝の名のもとに、よく分からなかった魔法体系や呪術体系に関するものに法則や理論が見えてくる。自身の血液操作能力、そして元の世界の科学や医療知識。それらがリサの頭の中で融合し昇華されていく。定期的に街の治療院に戻っては得た知識を臨床に活かし、理論を構築していき医療現場の改善案や研究結果を成果として提出する。
宰相の後ろ盾を得たことで、今まで小娘と侮られ、まともに取り合ってもらえなかった、この世界の医療関係者と真剣に、積極的に情報交換ができるようになり、確かな手応えを感じていた。リサにとって、大変だが、とてもやり甲斐がある仕事だった。
やがて、片手間で良いと言われていた、不老長寿の研究にも着手する。日常の忙しさもあって、かなりの時間を要したが、細胞そのものに血液操作の能力を持たせ、身体を望む年代の、万全な状態に調整するという生命制御システムを理論としてまとめた。リサは現代世界になかった「魔法」というブレイクスルーには驚嘆するしかなった。
「これ応用していけば、病の原因になる細胞の老化を防ぎ、さらに永遠に若さを保つことが可能になるはず……!」
彼女がたどり着いた理論は、既存の医学で言えば再生医療の沿線上であり、現代世界の医療レベルを遥かに超えた生命領域の構築だった。成功すれば多くの人々も病と老いから解放される。リサは現代世界の医学を超える研究に高揚して、一時は現代世界への帰還を忘れるくらい前のめりになって没頭した。
研究は順調に進んでいるように見えた。試験管の中で培養された自身の細胞は、まるで意思を持ったかのように脈動して淡い光を放っていた。ただ時が経っていくにつれて光が弱まり、やがて死滅してしまう。
「また失敗…」
研究の高揚感が、徐々に焦燥感に変わっていく。
細胞に血液操作能力を付与するまでは上手く行くが持続しない。仕事をさせると短い間に大量のエネルギーを失って活力を失う、そうでなくても徐々に操作能力が霧散して細胞は一気に老化、最終的に死滅してしまう。
考えられる問題点は二つ。血液操作能力が細胞で持続しない、通常の細胞では莫大なエネルギーの補充が間に合わない。
解決方法はとっくに思いついている。リサは研究室の端にある試験管を睨む。禍々しい気配を放つそれは宰相の依頼で治療した貴族から得た「呪われた細胞」だ。
あの治療のあと、リサは採取・保管していた「呪われた細胞」を研究目的で調査したところ、癌細胞に、体調不良の「呪い」と、行動を制御する極小の魔法が命令文のように鋳込まれていた。
リサに与えられた資料から、この王国の魔法研究は戦争を意識して、規模と威力を中心に発展させてきた。しかし、「呪われた細胞」は、目的はどうあれ、リサでも驚くような現代的な細胞学と、極小出力を極めた魔法による素晴らしい成果物だった。
そして、リサが今、求めている答えでもあった。
これを利用すれば上手くいく事は確信していたが、素性が不明な技術、”病”を利用する事へ良心の呵責、さらに高校生で、まともな医学研究をしたことがない自分が、癌細胞を扱うという事に強い不安を覚え、手が出せず、リサはその研究を一旦は封印してしまう。
ただ、少しずつ、リサは追い詰められていく。
治療院に戻るたびに、自分が不在の治療院を支えて頑張っている同級生たちが、淡い期待とともに現代世界への帰還を「まだかな?」と尋ねてくる。「まだみたい」と答えるたびに少し、残念そうな顔が心に刺さり、最近は治療院に戻るのが少し辛い。
医師としての先達であり目標の父母の背中を必死に追ってきたが、ここに来て医療現場を経験し、そして医療研究に携わるようになると、研究データの数値一つ一つが、どれだけ多くの命を支え、あるいは見捨てているのかを思うと、その重さに息が詰まった。今まで見ていた快癒する患者の笑顔も、自分の研究や仕事へ期待する重圧に感じてしまい、リサの心をさらに苦しめる。
苦しむリサを近くで助けていたシンジとナミが、一旦は長期の休息をもらおう、と何度も言うが、リサの弱った心ではその言葉を受け止められず、憐れみがさらに心を締め付けた。
ああ、そうだ、わたしはもう、解決策を持っていたんだった。
あの研究を完成させれば、全ての人が病からーーー(わたしは)解放される。
そしたら、お父さん、お母さん、帰って、医師として、胸を張って…。
無邪気に医師になりたい、と願っていた頃の自分は、まだ子どもだったのかもしれない。
期待、罪悪感、焦燥――数多の心の傷はリサの眼を濁らせ、禍々しい気配が、段々と希望の光へと変わっていく。
「これ、しかない…」
リサはそれを手に取って、実験の準備を始める。
ふと窓の外を眺めると、淀む厚い曇に覆われていた空に一条の光が差し込んでいた。
そして、彼女は、間違えた。
「……できた。これなら……!」
「呪われた細胞」を応用し、生み出した新たな細胞は便宜的に「黒い細胞」と名前を付けたそれは培養液の中で驚くほど安定していた。血液操作と関連魔法が常時作用しているため、ほんのりと赤く燐光を放っている。リサの思惑通り、完璧な自動調整システムを構築しているように見えた。
見た目の悪さ玉に瑕…とリサは成果を出せたことによる安心感から、軽い苦笑いを浮かべる。
そして意気揚々と試験計画を練っている時、生み出された「黒い細胞」は培養液の中でも、莫大なエネルギーを消費し続けており確実に飢餓感を募らせていた。
その飢餓感は、ひどく原始的な生存本能でありながら、生き永らえるためなら底知れない狡猾さを秘めていた事にリサは気づいていなかった。
リサが目を離した、ほんの一瞬の隙。
目の前の”御馳走”目掛けて、試験管から「黒い細胞」がまるで意思を持ったかのように飛び出し、リサの腕に触れた。その動きは、あまりにも素早く、リサの反応が追いつかないほどだった。
「え……!?」
リサは驚いて腕を振り払おうとしたが、間に合わなかった。「黒い細胞」は皮膚を透過するように染み込んでいき、あっという間にリサの体内に入り込む。特徴的な黒色もリサの薄い肌色に馴染んでしまい、痕跡は全く見当たらなかった。
「な、何が……!?」
動揺したリサは、自身の血液操作能力で、体内に入り込んだ細胞を排出しようと試みる。急いで全身の血液を巡らせて異物を探す。
しかし「黒い細胞」は彼女自身の細胞を元に作られたものであり、体内で特定することは極めて困難だった。しかし「呪われた細胞」の事もある。入念に確認してみたが、見つけることはできない。
時間をおいてみても体調の変化も感じられない。
「……消滅した、のかな……?」
痕跡がない――リサは、そう思うしかなかった。しかし心の奥底に、一抹の不安が残る。
その不安が、彼女を新たな研究へと駆り立てた。もし、あの細胞が体内で悪影響を及ぼすとしたら?不安が募り、一つ決心するとリサはナミを呼ぶ。
リサは心配をさせたくなかったので空になっている試験管を見せて「黒い細胞」は失敗したと伝え、「呪われた細胞」を使っての研究は一旦止める事を伝えると、ずっと懸念と嫌悪を持っていたナミは露骨にホッとした様子だった。
「やっぱりあの細胞を使うのは怖いから、いざという時のために先に治療薬の研究を進めたいの、あ、あと宰相閣下に願いして、少しお休みも貰おうかな?」
「!うん!その方が良いよ!わたしも頑張るから!」
ナミは、前のめりで協力を約束する。
リサに向ける、ナミの屈託のないその言葉と、無垢な信頼に、自分は嘘を混ぜていることに、じくりと心が痛んだ。




