第1章:異世界での生き方
王都の城下町は、戦争中とは言え活気に満ちていたが、リサの心は陰気に沈んでいた。
同級生たちは「勇者」や「聖女」として英雄に祭り上げられ、前線で戦っている。一方、自分はというと、役に立たないと烙印され「保護」されるだけの存在。元の世界に戻るための唯一の希望である"邪悪な軍勢"との戦いを、他人に任せて、何の貢献もできていない。
与えられた古い屋敷で、リサは無駄に時間が過ぎていくことに耐えられなかった。何か、自分にできることはないか。些細な水の作る能力を、どうにかして役立てられないか。彼女は、来る日も来る日も、能力開発に勤しんだ。
指先から零れる水滴を、どうにかして量を増やせないか。しかし、どれだけ試しても、結果は同じで、労力に見合うだけの水量を生み出すことは出来なかった。しかし水中に手を入れると、能力の影響か知覚できる広がりを感じる。生み出すより操作に適性があるのでは?と考え始めていた。
ある日、暖炉の火を用意するという使用人を手伝って木材を運んでいた時、誤って手に軽い切り傷を負った。滲み出る赤い血液。ふと思い立ち、能力で血液に触れてみる。
「……え?」
驚くべきことに、滴る血液はまるで意思を持ったかのように、傷口から流れ出る血を細やかに操作し始めたのだ。血を止め、傷口を閉じる。それは、まるで指先で糸を縫うかのような、精密な動きだった。傷口は瞬く間に塞がり、痛みも引いていく。
「これだ……!」
リサの脳裏に、両親から教わった医療知識と、高校で学んだ「生物」や「化学」の知識が駆け巡った。彼女の能力は、水そのものを生み出し、操るのではなく、液体、特に血液を極めて精密に操作することに特化しているのではないか?
そこから、リサの能力の実験を兼ねた「医者の真似事」が始まった。
最初は、自傷した小さな切り傷を治すことから。次に、使用人の伝手を使って近隣住人のちょっとした怪我や病を治療したり、症状を和らげる。それによって家人たちの信頼を得ると、次は病や怪我に悩む親類縁者を紹介してもらえるようになり、四苦八苦しながら治療を行って、経験を重ねていく。その中で、リサは血液の動きを繊細に感じられるようになると、自身の血液を少量輸血し、体内の異物を直接排除したり、免疫細胞を活性化させたりと、現代医学の知識と、血液操作の精度が融合した、この世界にも、元いた世界にも存在しない新しい「治療」を会得していった。
この頃になると、リサに付いていた家人たちは、紹介した病に悩む親類縁者を親身になって治療した事を深く感謝して、主人として敬愛するようになっていた。監視役を疎かにした訳ではないが、リサの医療行為にできる限り便宜を図り、リサの活動範囲が大きく広がることになった。
この世界の医療水準は、魔法による回復術に縋るか、また神殿でお布施を払って”神殿の秘術”と言われる治療法に縋るのが一般的だった。ただし、どちらも高額で、貧しい人々には手の届かないものだった。
そんな中で、リサの治療はそれらを超える奇跡そのもの。そして、彼女は分け隔てなく治療に当たった。貴族の病気も、貧しい農民の傷も、等しく向き合った。現代社会で医師として働く両親から受けた「命に貴賤なし、命の重さを意識しろ」という薫陶が、そうさせた。重症度、緊急性、そして自身の能力を考慮したトリアージを行って治療していく。快癒を喜ぶ患者たちの裏で、能力不足で救えなかった命、誤診してしまい救えなかった命、多くの苦楽を経験したが、それでも信念は曲げずに訪れる患者たちと真摯な姿勢で向き合い、能力と知識を磨き、確実に実力を伸ばして、少しずつだが確実にその評判が民衆の間に広まっていった。
この頃、下層民の区画で流行り病が拡大していたが、有効な対応策を持たない王国や、治療費が見込めない神殿は、自分たちへの感染拡大を恐れて、区画ごと閉鎖して隔離し、見捨てていた。その隔離された区画から来たという患者から、現地の惨状を聞いたリサは、医療従事者の端くれとして、いても立ってもいられず、閉鎖区画に行くと言い出す。リサの身を案じた家人たちは強く反対したが、それを押し切り、彼女は閉鎖区画へと足を踏み入れた。
そこはリサの想像以上の惨状だった。至る所が汚物にまみれ、ひどい悪臭が立ち込める。人々は痩せ衰えて生きる屍のような状態で、表情は絶望と苦悶に満ちていた。
リサは治療院にきた患者の症状(下痢、脱水、嘔吐など)と聞いた状況から病原はコレラと断定していたが、まだ医師として素人意識が抜けないリサは誤診の不安を抱きつつも、その判断に基づいて知り得る限りの医療知識と、血液操作を能力を活用して恐れずに治療していく。幸いにもリサの血液操作はコレラ治療には極めて有効で、短時間で体内の病原を絶てたが、能力で患者の体力を回復させる事はできず、持ち直せるかは患者の残りの体力に任せるしかなかった。
完治には程遠く体力が戻らずに、治療の甲斐なく病魔に負けてしまう者もいて、悔しさと無力感に苛まれるリサだが、頼ってくれる患者を不安にさせてはならない。治療後は「もう大丈夫!絶対に治るから!」と敢えて自信満々に告げて、その言葉が少しでも本当になるように、予後と予防の指導を丁寧に行った。
それでも放置されていた状況よりかはずっと良く、リサの治療を受けた多くの患者が快癒していく。そうして噂を聞きつけた人々が殺到してしまい、終わらない対応にリサに寝る暇はなく、疲労困憊で倒れかけるが、それを慮ったリサの家人から疫病が改善している、と言う状況報告と、悲鳴のような救援を受けた王国の担当官吏が、協力してくれるようになる。するとリサが指導した適切な防疫対策もあって徐々に、そして確実に罹患者が減っていった。そして、ついに重症者が出なくなる。後に王都疫病事変と呼ばれるようになったこの件がリサの手から放れた。
屋敷に戻ったリサを、家人たちが神妙な面持ちで整列して出迎えた。
「もしかして怒られる…?」と内心ビクビクしていたリサだったが、次の瞬間、全員が足元に跪き、深々と頭を下げた。
家人たちは疫病事変でのリサが示した献身的な治療を称賛し、真心から忠誠を誓った。突然のことに、主従関係に馴染みがないリサを大いに慌てさせたが、しっかりと話し合って家人たちとも良い信頼関係を築く。そして、このことは後々までのリサをからかう定番ネタとなり、微笑ましい笑い話となった。
そして、この王都疫病事変での活躍が、リサの名声を王都中に轟かせることとなった。「神が遣わした医術師」「奇跡の癒やし手」「もう一人の聖女さま」などと呼ばれるきっかけになった。
リサは過大評価だと恥ずかしがって謙遜したが、この事は確かな自信になったし、多くの人々から確固たる尊敬と信頼を勝ち取った。
与えられた古い屋敷も、リサに助けられた人々の善意によって急ピッチで修繕されていき、立派な治療院となって連日、多くの患者で賑わうようになった。
この医者の真似事を始めた頃、同級生の藤原シンジがリサの元を訪れる。
シンジはあまり話したことがない同級生だったが、彼は興奮気味にリサを称賛すると、治療院の手伝いを申し出る。リサよりも監視役の家人たちが強い難色を示したが、シンジはのらりくらりと言いくるめ、リサの返事が有耶無耶なまま治療院に居座ってしまった。
シンジは主に受付と雑務を受け持った。特にトラブル対応で役に立ち、彼の厭世的だが軽妙な言い回しと、気持ちにスッと入り込む口調は異世界の人々にも有効で、治療が上手くいかない患者やその家族の悲憤慷慨や、揉めやすい治療費の請求など対人交渉を一手に引き受けて、リサはより治療に専念できた。
そして、もう一人の同級生、春日井ナミはシンジが連れて来た。彼女は鑑定の能力を持っていたが、戦闘には役に立たないため王都に残されていた。しかし、医療行為には役立つだろう、と言ってシンジが連れてくる。彼女も有耶無耶の内に治療院を手伝っていると、リサの知らぬ間に家人たちが彼女のために一室を用意し、居座っていた。
ナミの鑑定は最初こそ知識不足が影響したのか心許ない鑑定結果だったが、知識と経験が増して実力を付けてくると正確で詳細な鑑定結果になっていく。さらにリサと協力し、鑑定を活かした薬剤師のような仕事を受け持つようになり、継続治療に大きな助けになった。
その日の診察が終わり3人で食事をしながら談笑している時、シンジは興が乗ったのか、胡散臭い笑顔でリサとナミの能力を称賛し、夢物語のような治療院の未来を語り始める。シンジの言葉を、ナミと茶化して笑い合う。ただその言葉はリサの心深くに残り、もし両親に再会したら「自分は医師です」と名乗れるほど、自信を深めていた。
リサは頼ってくれる患者のため、助けてくれる親友のため、前線で戦ってる同級生たちのために、自分のできる事を精一杯に頑張ろう、と改めて決心し、さらに活動の幅を広げていった。
他の同級生たちも無為に時を過ごすより、少しでも困っている人たちを助けたいと、リサの活動に協力してくれるようになった。
病が治って喜ぶ患者の笑顔から、同級生たちも釣られて、朗らかに笑えるようになり、リサは、この世界で確かな存在意義を得ていた。
「お父さんと、お母さんは、褒めてくれるかな…」
リサの心に、秋風のような一抹の寂しさが去来した。
心の奥が、微かに寒さを感じている。見えるはずのない、暖かな季節を、遠く望んでいるようだった。




