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序章:日常の終わり

 窓の外は茜色に染まり、グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえる。

 放課後の教室は、まだ生徒たちが残っており、他愛のない雑談に興じており、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。

 その中で教材を開き、黙々と机に向かう女子高生が一人いた。シャーペンを走らせる音だけが、彼女の周囲に静寂の膜を張っているかのようだ。

 日野原リサ、高校三年生。

 両親が開業医と看護師という家庭に生まれ育ったリサは、幼い頃から父親の働く姿を見て、人の命を救い、患者の心情に寄り添う、父親のような医師に強い憧れを抱いていた。


「医師になりたいの」


 同級生みなが知るリサの口癖だった。同級生に何を言われようとも気にせず、友達付き合いより勉学に勤しむ生真面目な生徒だ。


「日野原さん、今日は予備校?」


 そろそろ帰り支度をしようとしていたリサに、明るい声がかけられる。

 リサが横目で確認すると、クラスの中心人物である神崎ユウキが、爽やかな笑顔で覗き込んできていた。文武両道の優等生で長身でカッコいいと、女子生徒からの人気も高い生徒だ。ただ学業面において、リサにとっては目の上のタンコブ、ライバルと言える存在だった。


「いえ、少し調べたいことがあって」


 リサはユウキを気にしないように、閉じかけていた手元の参考書に目を落としながら答えた。彼は、最近何かとリサに話しかけてくる。別に嫌なわけではないが、少し距離感が近いような気がしていた。彼の視線は、今まで感じたことのない感情をくすぐり、リサは慣れない居心地の悪さを感じていた。


「じゃあ図書館かな?日野原さんは本当に勉強熱心だね。俺も見習わないと。……もしよかったら、帰り道、一緒にどうかな?駅前の本屋に行こうと思ってたんだ。途中まで送っていくよ」


 彼はさり気なく、しかし強引に距離を詰めようとしているのが分かった。その声には期待と、仄かな熱が込められている。


「ごめんなさい、神崎くん。お父さんに教えてもらう予定なの。今日はそのまま帰宅するから、また今度ね」


 リサは口早にそう答えて、彼の誘いをかわした。

 勉学を優先するあまり、そうした誘いを断るのはいつものことだ。神崎は少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「そっか。残念。じゃあ、また明日ね!」

「うん、また明日」


 リサも帰ろうと席を立った、その瞬間だった。


「きゃあああああ!」


 教室全体を覆う、まばゆい光。それは、まるで太陽を直視したかのような、網膜を焼き焦がすような強烈な閃光だった。耳鳴りがキーンと脳髄に響き渡り、視界は真っ白に染まる。友人の悲鳴、机が倒れる鈍い音、そして何かが砕けるような甲高い音。体は重力から解放されたかのように、宙を舞う浮遊感に包まれつつ、何が起こったのか理解できないままリサの意識が途切れた。


 次に目を開けた時、そこは見知らぬ場所だった。薄暗く、ひんやりとした空気が肌を撫で、石畳の苔臭い石の匂いが鼻腔をくすぐる。石造りの広大なホールは薄暗く、ところどころに頼りない灯火が灯っていた。

 隣には、先ほどまで話していた神崎ユウキが倒れていて、少し離れた場所には学級委員長の高木サヤカと、見慣れたクラスメイトたちの姿があり、教室に残っていた全員がそこにいた。皆、同じように混乱し、不安げな表情で周囲を見回している。


「ここ、どこ……?」


 誰かが掠れた声で呟く。その声は、恐怖に震えていた。

 ホールの最奥、一段と高い壇上には、豪華な衣装をまとった数人の男女が立っていた。彼らは、リサたちを見下ろすように冷たい視線を送っている。その中心に立つ、威厳に満ちた老人が、ゆっくりと口を開いた。その声は、ホールに響き渡り、クラスメイトたちのざわめきを鎮めた。


「ようこそ、異邦の者たちよ。我らは、我らが王と国に仕え、宰相の地位を預かる者である。そなたたちをこの世界に招いたのは、他でもない、この国の危機を救うためである」


 宰相、と名乗ったその老人は、厳かに話し始めた。

 彼らの王国は、世界征服を企む”邪悪な軍勢”から侵略を受けて、平和が脅かされ、既に多くの損害を受けている。その”邪悪な軍勢”を打倒すべく伝説にある「勇者」を希求し、リサたちクラスメイトを異世界から「召喚」したのだと言う。

 厳かに語られる、その言葉の端々には関係のない若者に頼らざる得ない苦悩と、為政者として、彼らを道具として見ている冷酷さが入り混じっていた。


「そなたらには、この世界で新たな力を得たはずだ。その力で、我々に協力してほしい」


 半信半疑のクラスメイトたちは、言われるがままに手をかざしたり、念じたりしてみる。すると、驚くべき現象が次々と起こり始めた。

 ユウキの指先から眩い雷が迸り、雷光の閃光がホールを照らす。サヤカの掌からは温かい光がが、柔らかく広がり、その光は皆の不安感を和らげ、落ち着かせた。そして、幾人の同級生からはユウキやサヤカに負けないほど強い能力を持つ者も現れる。炎、風、氷など様々な現象を思いのまま操り、身体強化した拳で石壁を砕くもの、また別の者は回りに魔法陣が浮かべ、知らないはずの魔法の詠唱すら可能にしていた。


「すごい……! 魔法かな!?雷が使える!」


 ユウキの興奮した声が響く。

 次々と発現する派手な能力に、クラスメイトたちは興奮し、歓声を上げた。それは、まるでロールプレイングゲームの主人公とその仲間たちになったかのような、高揚感に満ちた光景だった。

 しかし、数人は恐怖や拒絶反応を示し、恐慌状態に陥る者もいたが、心配したサヤカが抱きしめ、暖かい光で包むとスッと気持ちが落ち着くようで、大人しくなった。

 そんな混沌とする同級生の中で、リサはそっと自分の掌を見つめた。医療に関わる能力があれば、と不安と、淡い期待を抱きながら、震える手に力を込める。

 すると指先から、小さな水滴が、心臓の鼓動に合わせて一粒、また一粒と零れ落ちる。石畳を叩いた水滴は、すぐに蒸発して消えた。


「……水?」


 たったそれだけ。

 どれだけ強く念じても、指先から零れるのはわずかな水滴のみだった。

 他の同級生たちが、まるでゲームの主人公のように強力な力を手に入れている中、リサの能力はあまりにも地味で、取るに足らないものに見えた。

 クラスメイトたちの歓声の中、リサの胸には言いようのない寂しさ、そしてこの非日常に取り残されたような焦燥感が広がった。

 宰相は続けて宣言する。


「建国の伝承では、召喚された者は英雄、救世主となろう!さあ、選ばれし者たちよ。この世界を救うべく、我らが王国のために力を貸してほし…」

「帰れるんですか!!?」


 宰相の言葉を食い気味に、そんな叫びが同級生の中から発せられる。


「…ふむ、帰還方法か。この場が我らの世界の入口だとすると、出口は”邪悪な軍勢”の勢力圏にある…それもぜひ取り戻して欲しい」


 若干の不快感を滲ませながら、苦悩するように宰相が答える。

 その言葉を受けて決心したのか、多くの同級生たちが意気揚々と手を上げ、最終的には神崎ユウキがリーダーシップを発揮して全員が協力の意思を示し、手を挙げた。彼らは、自分たちがこの世界の救世主になり、そして元の現代世界に帰還することを信じた。

 同級生の中でユウキを始めとする強い能力が発現した者は、宰相たち貴族による手厚い庇護を受ける。”邪悪な軍勢”に立ち向かう英雄として、貴族たちに厚遇され、様々な歓待を受けた。特に強い能力を持つ神崎ユウキは「勇者」、高木サヤカは「聖女」と称号を受けて特に厚遇された。

 彼らのような選ばれた同級生たちは、この世界の常識と戦い方を手厚く指導された。転移によって与えられた高い戦闘力をより研鑽し、さらなる実力を付け、”邪悪な軍勢”との戦いを前にして自信を深めていった。


 リサを含め、些細な能力しかなかった者たちは、彼らとは別の扱いを受けた。


「お前たちの能力では、戦場では足手まといとなるだろう。しかし、異邦の者であることに変わりはない。衣食住は保証しよう」


 そう告げられたリサたちは、訓練に励むユウキたちと隔離され、城下町の古い屋敷に住まいを移された。衣食住は保証されたものの、協力させにくいよう、幾つかの屋敷にバラバラに配置された上、『生活を助ける』という名目で使用人と護衛をつけられた。彼らは慇懃で、リサたちに忠実であったものの、決して馴れ合おうとせず、外出に関しては安全を理由に制限しようとし、監視の強い思惑が感じられた。明言はされなかったが、戦場に赴くユウキたちに対する人質であることを示唆してた。


 ユウキたちの旅立ちの日、両者は久々に再会し、王都に残る者たちは生き苦しい、この世界か元の現代世界への帰還を願って、ユウキたちを強く激励する。

 それを受けたユウキたちは王国から与えられた希望と正義、そして王都に残る同級生たちの期待を背負って”邪悪な軍勢”に立ち向かうべく、意気揚々と前線へと旅立っていった。

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