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5.読唇

「あの……リリ様、ユユ様。こういったことは家名に傷が付くものと、私は考えるのですが……」

「あら、こういったこととは何を指していらっしゃるのでしょうか、ヒスイ様。ねぇ、ユユ。あなたには分かる?」

「いいえ、リリ。私にも何のことをおっしゃっていられるのか、さっぱり分からないですわ」

「で、ですから――………」


 笑みは絶やさずに白を切る姉妹が、有無を言わさない勢いでさらに文字通りの両脇を固めていく。

 ソファー席で両手に花という、男ならば嫌がる者の方が少数派であろう状況において、ヒスイはその整った色白の顔を薄っすらと青くしていた。


 騎士団に席を置くとは言え、ヒスイ自身は名家出身の素者ではない。

 故に刻者優位が常である縁談や婚姻に際しては、単なる〝若くて女らしい女を苦手とする若者〟に過ぎなかった。


「お顔も素敵ですけれど、衣服の上から触れても分かるこのたくましい肉体……ねぇ、ユユ」

「えぇ、リリ。さすが、当代の【剣乱威風】の名を支えるお身体ですわ……」

「い、いえ。み……未熟者の自分にその名は、まだまだ過ぎたものですから」


 エフド王国において最も剣の腕に優れ、かつ弱気を助け強気を挫く慈愛の心と戦場を駆ける勇敢さを先代より認められた者だけが授かる称号。

 それが【剣乱威風】である。


「謙遜なさることありませんのに。ねぇ、ユユ」

「えぇ、リリ。もう少しくらい堂々としてらしても、誰も文句など言いませんわ。それに」

「「――私たち、少し乱暴なくらいの殿方が一番好きですもの」」

「…………っ!」


 両隣から甘く囁かれ、与えられた名に相応しくない、無力感に溢れた顔を晒す男を目の当たりにして。

 扉の前で控えている仮面の従者――リエンはわずかの笑みを噛み殺し、本来であれば分不相応にも口を挟むこととした。


「御二方も既に噂程度にはご承知と思いますが。ヒスイ様は特定の異性からの肉体や精神的な接触を大層、苦手としております」

「あら。ヒスイ様がそうおっしゃったのかしら、今」


 笑顔で答えるリリの声の奥には、従者風情に咎められた、という事実に対する怒気が多分に含まれている。

 だがこういった突き放すような言動は、ある種リエンにとって新鮮なものであり、不快感を抱くこともなかった。


「少しですが、読唇術に覚えが御座います」

「そう。自分は顔を隠して相手の唇は読もうだなんて、やらしい方。ねぇ、ユユ」

「えぇ、リリ。ひどい火傷だというのですから、隠したいお気持ちは理解できますけれど」


 言いながら二人はヒスイの太ももや脇腹にいじらしく触れ、恍惚を浮かべて続ける。


「そもそも私たち、婚姻を結ぶのはもう決めていますから。だからもう今は、関係を積み重ねていく段階ですのよ」

「他愛のない話で言葉を交わしながら、お互いのことを知っていく段階なのですわ」


 だろうな、とリエンは内心で頷きを返した。

 友であるヒスイ・オルトランドが自ら選ぶことを放棄しようとも、おのずと選ばれてしまう側の人間だと。


 異性から見て、そう在って当然の人間的な魅力を持ち合わせていることは、リエンも理解していることだからだ。


「苦手というのでしたらいっそのこと一対一のありきたりな結婚よりも、私たちと二対一の結婚をした方が色々と慣れると思いますもの」

「……成程。それは一理、御座いますね」

「――――っ!?」


 同意が返った途端。誰が見ても一目で分かるほどの不満と驚きが、青白い顔に乗せられる。

 彼の反応を目にしたのも含めて、姉妹が楽しげな笑みをこぼした。


「ふふ、面白い方」

「けれど殿方には面白さよりも、優先するべきものがあるのですわ」

(ふん。顔か、財力か、丈夫な身体か。いずれにせよ、ヒスイ自身の内面ではないのだろうな。腹立たしい)

「た、他愛ないお話ついでに。か、彼女について、お聞きしたいのですが……よ、よろしいでしょうか」


 ヒスイが声を絞り出すようにして、少しでも自分から離れてくれることを願いながら話題を逸らす。

 それはリエン同様、扉の傍で控える――白銀の彼女についての問いだ。


 事前にいくつか理由を考えてきたリエンとヒスイだったが、想定よりも容易に縁談の場へ同席することを認められたのは、彼女の存在によるところが大きい。


「「……ツキノが何か?」」

「い、いえ。私が言えたことではありませんが、何故立ち会っているのか気になっていまして」


 それに加え、一目見て〝何か〟を感じたリエンはその旨を屋敷への道中でヒスイに伝えていたこともあり、全く突拍子もない無意味な疑問というわけでもなかった。


(見たところ、足を怪我しているようだが……いや、それよりもあの目だ。あの蒼氷の瞳を、私は知っている……ような気がする。だが、ツキノという名は極東寄り。そういう名前の少女は印象に残っていても不思議はないが、記憶を辿ってもまるで覚えがない。この感覚は、一体……)


 奇妙な感覚の答えは一向に出ず、姉妹は変わらず笑みを浮かべる。


「彼女がうちに来てもう三年になるのですけれど私たち」

「ツキノのことを、妹のように可愛がっていますの」

(……三年?)


 違和感が生じてから、現在までとおおよそ同じ期間を示す数字。

 リエンはここでも、信じてはいない運命の存在を疑わずにはいられなかった。


「そんな彼女が、私たちがどんな相手と結婚するのか知りたいと言うものですから」

「えぇ。それにきちんと顔が良い殿方を見る機会も必要でしょうから」

「な、なるほど。しかし、それはそれとして。どうにも足の――……」


 言いかけ、しかし遮るように身体をまさぐるように触れられたヒスイが言葉を失う。

 そのため何を訊こうとしたか理解するリエンは、恐らく敵意が向くことを承知で先を続けた。


「足の具合が悪いようですが、働くのに支障があるのではありませんか」


 ツキノと呼ばれた少女が小さく首を横に振る。


「いやしかし両足というのは、同じく仕える主を持つ者としてどうかと思いますが」

「…………」


 まるで精巧な人形のように佇ずむツキノは、今度は何も答えない。


「あぁ、ツキノは口が利けませんのよ」

「えぇ、文字もあまり読めないのですわ」

「! そうでしたか。それは大変、失礼致しました。ツキノ様」


 リエンは従者の立場であることを良いことに片膝をついてツキノの手を取り、普段は決してやらない騎士が姫へ忠誠を誓うような優しい口づけを手の甲に交わしてみせた。


 途端、リエンに姉妹の明確な敵意と激しい怒りが矢のように飛ぶ。

 ――が、すぐにクスクスと嘲笑する声へと塗り替わり、室内に重なって響いた。


(やはり、どことなく〝妹のように可愛い〟以外の執着を感じるな……)


 第二王子という立場上、周囲から彼へ荒波のように向けられる〝感情〟は多種多様である。

 当然、それらの感情は決して良いものばかりではない。だが二十数年に及ぶ経験の蓄積が、リエンの感情に対する感度を異様なほど鋭敏にさせていることは確かだった。


「ふふ。いい顔ですのよ、ツキノ」

「えぇ。本当に素敵な顔ですわ、ツキノ」


 それだけ言うと、姉妹は関心を失ったのか。再びヒスイの身体に絡み始める。

 助けを懇願するような情けない瞳と目が合ったものの、リエンはひとまず無視をした。


(まぁ、いい。今は彼女だ。こうまでされて(・・・・・・・)何の感情も私に(・・・・・・・)向けてこない彼女だ(・・・・・・・・・)。こちらの言葉は通じているようだから、あとは唇さえ読めば……――――っ!)


 そして、姉妹の意識が逸れた瞬間。どうやら同じ考えに至る聡明さを持ち合わせていたらしい、と。

 感嘆する以上に今、彼女がゆっくりと明瞭に見せた意思表示にリエンは驚きを隠せなかった。


 ――助けてください、蛇の方。三年ぶりで御座いますね。


 ツキノと呼ばれた見知らぬはずの少女は、確かにそう言ったのである。

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