4.再会
シャルアビム騎士団。独立遊撃小隊の隊長を務めるリエン・オ・ヴァーツラヴは、その性と『オ』の称号が示す通り、エフド王国を治める血族の王子だ。
鮮やかに焼けた小麦肌の肉体と紅茶を沈めたような琥珀色の瞳の奥に、男性的な凛々しさと雄々しさを秘め、しかしどこか女性的な淑やかさや繊細さをも併せ持った、今年で二十四となる男でもある。
嫉妬さえ介在しなければ、老若男女を問わずその美しさに感嘆の吐息を漏らすだろう。
そんな彼は今、自宅と小隊宿舎を兼ねる洋館の私室――その窓際の椅子に腰かけ、読みかけの本に手製の栞を挟みつつ、静かにこめかみを抑えたところだった。
「――スイ。お前、気は確かか?」
「あぁ、何度でも言ってやる。俺は本気だ、リー。俺にはお前が必要なんだ……いや、お前しかいないと言っても過言じゃない。後生だ、どうしても……駄目か?」
囁くように懇願し、女好きのする軽薄そうな顔立ちをした男は、リエンが一つに束ねる黄金の秋を思わせる長髪へと手を伸ばす。
それを慣れたように振り払いながら、リエンは呆れの一切を包み隠さず言い切った。
「駄目も何もない。提案として論外だ。ごく一般的な感性を持ち合わせていれば、通常あり得ないだろう――縁談に付き添ってくれ、などと。私を、お前の母よりも過保護にさせる気か」
「この際、諦めてくれ。なぁ、知ってるだろ、俺が女らしい女が苦手なのも! 俺が好ましいと思うのは、枯れた女と無垢な少女だけだってことも!」
ヒスイ・オルトランド。戦場において【剣乱威風】の異名を持つ素者の騎士。
名は体を表す通り青みがかった緑髪をした長身で、切れ長の紅い眼に丸眼鏡を掛けた彼は、王族のリエンにとって数少ない友と呼べる人間のひとりであった。
「二十年来の付き合いで今更なにを。理解はしている、お前のトラウマもな。だがそれはそれだ。そもそも婚約ではなく縁談だろう? 嫌なら断ればいい。そうできない理由でもあるのか?」
「困ったことにそれがあるのさ。なんとアーチボルト王、御自らのお言葉が実家に届いたそうなもんで」
その一言で、これまで話半分に耳を傾けていたリエンの眉根がほんのわずかに寄せられる。
「……父上からの? 縁談の相手はどこだったか」
「ラズラプラ」
「〝切断〟か……何かあるな」
術式刻印にはいくつか分類があり、それは大きく分けて四つ。
対悪鬼や業魔、対人戦闘に適性が高い一等刻印。
応用次第だが、基本的に戦闘には適さない二等刻印。
全く別系統の能力を複数発揮することが可能の特等刻印。
そして、単体で世界転覆を実現できる可能性が高い反世刻印。
リエンが刻む〝覇蛇天征〟は特等、人の縁すらも容易く切り裂くラズラプラ家の〝切断〟は反世にそれぞれ属している。彼が疑念を抱くのも当然のことだ。
「やっぱりそう思うか? 〝俯瞰〟の刻者がいなけりゃ恐らく存在すら許されない反世の術式刻印を持つ、ラズラプラ。そこに計らわれる、王から便宜」
「あぁ。察するに、何らかの借りをお前の縁談で返せるのならばあまりに安い、とそんなところか」
「この程度は余計だろう! 幼馴染で部下の一大事だぞ、助けてくれたっていいじゃねぇか。それに前から言ってたろう? 三年近く続いてる違和感の正体を探してる、って」
ヒスイが言うようにリエンには、ある日を境に突然訪れた強烈な違和感が長年続いていた。
しかし少ない暇を見つけてはその正体を探り続けてきたものの、手掛かりの一切も得られない八方塞がりの状態にあったのである。
「……〝切断〟と何か関係があると?」
「それは俺が考えることじゃない。けど、それだけ続く違和感。都合のいい捉え方かもしれねぇが、可能性としてはあり得るんじゃねぇか? 運命の赤い糸みたいなものが知らず切られていて、宙に浮いた運命がお前を呼んでんだ」
「…………」
リエンがわずかに苦い表情を浮かべた理由は、彼が運命や予言といった言葉を是とする男ではないからだ。
あらゆる物事は個々の意志決定に基づく行動の結果に過ぎないと、そう信じている。
彼は誰かのせいに、何かのせいにする他責を心から嫌う真っ直ぐな人間だった。
それでも確かに可能性としては、ゼロであると言い切れないのも事実。
いや、どちらか言えば直感的にはすでに〝そうかもしれない〟と感じている己の存在に、むしろリエン自身が信じ難く思っているほどだ。
「……だが、どうする。私は御免被るぞ。部下の伴侶がどんな相手か不安で居ても立っても居られず、付いてきてしまったなどという妄言を吐くのは」
「そうこなくっちゃな、親友。任せてとけって。俺にいい考えがある」
ヒスイが得意げな笑みを浮かべ、肩を叩く。
リエンは知っていた。こういう時の彼の言葉が、如何に質量を伴っていないのかを。
*
(これがいい考え、か……)
期待はしていなかったが、それでもまさかここまでとは、と。
あっさり了承してしまった己を、リエンは今更になって恥じていた。
「くっ、くく」
その証拠に、馬車の中。彼の向かいで腰を下ろすヒスイは愉快そうに喉を鳴らしている。
「お前……不敬罪で一族もろとも路頭に迷わされたいのか」
「嘘です嘘です、冗談。似合っていますって、リエン王子」
「しかし、よく見つけてきたなこんな被り物」
浅いため息をこぼし、改めて赤い髪先をそっと掬い上げる。
ヒスイが用意したもの。それは舞踏会で使うような派手な仮面と、作り物の顔面が一体化した被り物だった。
フォーマルな正装に身を包んでいるとはいえ、およそ見合いの場に相応しくない代物であることは間違いない。
「いやぁ、実は前々からの個人的な特注品」
「ほぅ、ぜひ本来の用途をお聞かせ願いたいものだな」
「今と変わらない」
想像を超えなかった空気よりも軽い返答に、リエンは迷わず術式刻印を起動。
左手の指先から小さな〝蛇〟を現出させ、ヒスイの首に甘く噛みつかせる。
痛みはあまりないだろうが、その代わり一日程度は残る痕跡だけが付けられた。
「ば、こいつっ! 仮にも今からお見合いしようって人間が、首にキスマークみたいなの付けて行っていいわけあるかって話でしょうがっ!? 何っ、俺は貴殿の所有物なのですかっ!?」
「知らん。とりあえず、お前が悪い」
何もしていませんとばかりに、リエンは子供っぽくそっぽを向く。
「こ、この王子…………っ!」
「ふっ、いい気味だな。それ、大人しくお前も婚約してこい」
「ぅげぇ……行きたくねぇ。どうにかして失望されねぇと」
「諦めろ。先日、少々聞いて回ったが、極度の面食いだそうだ」
ヒスイとて容姿に自惚れがあるわけではないが、これまでの人生で一度も悪いと評されたことがないという事実だけが彼の自己評価を形成していた。
がっくりと肩を落とすのと同時、馬車がラズラプラ邸の前で止まる。
「まぁ、気を張って行きますかね」
「頑張ってください、お坊ちゃん」
「ぐ、っ……」
馬車を降り、二人は道なりに進んでいく。
途中、出迎えで列を作る使用人たちが一斉に頭を下げる、統率の取れた動きが視界に入った。
しかし、リエンにとって数十名規模のそれは見慣れた光景。いやむしろ、実家と比べれば圧倒的に劣って然るべきものであり、意識を割かれるような要素は何ひとつ存在しない――はずだった。
「「――――――――」」
だが。リエン・オ・ヴァーツラヴはその日。その瞬間。重なった視線の先に。
一介の侍女であるはずの白銀の少女が宿す、蒼氷の瞳に――己が運命を見た。




