15.可愛がり
遊撃隊のメンバーは現状ですと「こんな言動のやつがいる」くらいの認識で大丈夫です。
「本当に珍しいですわね~、リエン様がこんなところまでお一人でいらっしゃっているだなんて」
リエンに抱き着くと、彼女は彼女にとって見たままのことを甲高く告げる。
そこに悪意は欠片もないが、しかし善意と呼べるほどのものもなかった。
「レーシス、見て分からないか? 三人だ」
「三人? 相変わらずご冗談がお上手なのですのね、リエン様は。本人ならばいざ知らず、増えた方のメイドを人間扱い……あら?」
と、リエンに言われて初めて。フリエの分体ではないメイドの姿をレーシスは認識した。
少なからずツキノの容姿が目を惹くこともあり、一割ほどの好奇心を彼女へ向ける。
「見ない顔ですわね」
「ここへは宿舎で暮らすことになった彼女の家具を買いに来ただけだ」
「あら、そうでしたの。また人が増えてしまったのですね、ますますあそこに住みたくなくなりましたわ」
レーシスの態度はまるでこの程度では〝今更、婚約が反故にされることはない〟と。
その確信を感じさせるほど、明らかに礼節を欠くものであった。
「以前から言っているはずだ。私は城で暮らすつもりはないと」
「えぇ、理解しておりますわ。ですから今も別居というかたちを取っているのでしょう?」
彼女はリエンから離れ、ツキノの頭や頬などに軽く触れた後で訊ねる。
「あなた、お名前は?」
「お初にお目にかかります、レーシス様。ツキノ、と申します」
「ツキノ? 珍しい名前ですわね。極東の生まれかしら」
「いえ。ですが、母はヒナトの生まれと聞いております」
「そ~、ふぅん(つまらなそうな女)」
面白い話の一つでもして欲しかったのか、レーシスは落胆の感情を隠そうともしない。
しかし同時に、ツキノの一挙手一投足をしたたかに観察してもいた。
「ねぇ、リエン様。彼女を少しの間、貸してくださらない? いいですわ――――……」
「駄目だ」
ツキノの細腕を掴んで告げられた彼女の提案を、リエンは身体と言葉を以て明確に遮る。
途端。レーシスの双眸がわずかに鋭くなったのがツキノにも見て取れた。
「ふぅん……そうですの。せっかく可愛らしいと思いましたのに、残念ですわ」
(心にもないことを。白々しい女だ)
彼とて自身の婚約者がどういう性格の女かを理解はしている。
であれば、彼女の提案を受け入れるわけにはいかなかった。
「なら仕方がありません、戻ると致しましょう。わたくしたちの愛の巣に」
「それは……」
「止める権利はありませんわよね。だってわたくし、リエン様の婚約者なのですもの。同じ屋根の下で暮らすことに何の問題がありましょうか」
「……好きにしろ」
「ありがとうございます。嬉しいですわ、リエン様っ」
豊かな胸を押し付けるように抱き着いた深紅が浮かべる微笑みは、この三年。
ツキノがラズラプラ家で見続けてきたものとよく似ていた。
*
「げぇ、本気かよ隊長。ティミアパダと共同生活とか僕、嫌なんだけど」
「しゃ、シャノンくん。一応、仮にも隊長の婚約者なんだからそんな風に言わない方が良いと思うよ……?」
「いえ、ヒィロさん。不本意ですが、俺もファニス君に同意です。彼女の存在は秩序を崩壊させます」
帰宅後。食堂にて〝レーシスの引っ越し〟を伝えられた遊撃隊の面々からの反応は、リエンが想定していた通り非常に芳しくないものであった。
「まぁ、レスティ。そう言うなって、リエンも別にお前たちに嫌がらせがしたいわけじゃないんだ。それは分かってるだろ? なに、あの人もここでの生活に嫌気が差してすぐに戻っていくさ」
「しかし、ヒスイさん……」
「どうでもいいなァ。つーか誰だよ、そいつ。ウゼぇなら囲って理解らせりゃいいだろが」
「……ゼド、お前。いくら何でも誰だはないだろう、誰だは」
心底どうでもいいというゼドの態度に、母親のような小言を漏らすキアラの傍。
多くを語ろうとしないヴァスクードがリエンへと問いを投げる。
「して。彼女は何故また急にそのような判断をなさった?」
「それについては――――」
返答がなされるその時であった。
開きっぱなしだった大窓から飛び込んできた影が、リエンの腕を慣れたように掴んで止まる。
その影は漆黒の鷹――インファサールだ。
(痛くはないのでしょうか……)
一歩後ろで控えていたツキノがひとり、鋭利な爪先を見て率直な感想を漏らす一方。
彼は空を割くような気高い鳴き声で何かを主張する。
「どうした、インファサール」
「あっ」
だが彼の代わりに反応したのは、耳を澄ませていたヒィロだった。
「隊長、もういらっしゃったみたいです。たくさんの荷物と一緒に」
「相変わらず、こういう時の行動だけは早い」
やがて遠方より「あ~~ら、あらあら~~あら~~」という人を小ばかにするような高笑いが聞こえ始め、程なくティミアパダの時計に似た家紋が入ったいくつもの馬車が宿舎を訪れた。
すぐに彼女の従者たちが次々と家具などを宿舎へ持ち運びだしたため、ツキノもこれを手伝うこととなり、この日以降というもの。
三日を掛けて徐々に適応していたツキノの宿舎での生活は、また少なからず変化を迎えることとなった。
「ツキノ、着替えさせなさい」「ツキノ、背中を流しなさい」
「ツキノ、何か面白い話をなさい」「ツキノ、そこでお座りしなさい」
「ツキノ、ツキノ、ツキノ――――……」
専属の従者を数名連れてきているのにもかかわらず、自身が何度も呼ばれることから良くも悪くも目をつけられているのだろうということは、ツキノもすぐに理解した。
しかし、ラズラプラ家での日々に比べれば両足が正常に機能している分。あまり気にするような仕事量ではない。変わらない働きぶりにパーラからも「やっぱり若いひとは体力あるのね」と言われるほどだ。
(リエン様も「彼女の言うことは無理に聞く必要はない、何かあったらすぐに言え」と言ってくださいましたが……わたしがレーシス様を避ければ避けるほど、あの方はわたしを追いかけてくるのではないのでしょうか)
そんな予感がツキノにはあった。
(であれば。あえてなるべく多く関わることで、レーシス様のわたしに対する興味がなくなるまでの時間を短くする方が皆様のためになる……)
明確な損がない以上。これが合理的かつ最善だと彼女は判断する。
それでも、ただ一つ。気になることがあるとすれば――
(レーシス様がいらしてからフリエ様たちの動きがとても鈍い……)
普段ならばツキノにとって手本となることはあっても、せっかく洗った衣服の大半を丸ごと地面に落としてしまうなどというミスは本来あり得なかった。
これは決して気のせいではなく、小さくもない気掛かりと言えるだろう。
さらに彼女たちの存在は宿舎内における労働力の九割以上を占めるのだから、フリエの不調はそのまま宿舎全体の生活に多大な影響を及ぼしていた。
(リエン様は先日、刻印に頼った国作りはしないと仰っておりましたが……フリエ様に頼り切ったこの状況には何か理由があるのでしょうか)
浴室のタイルをブラシで擦りながら、ツキノはふとそんなことを思う。
矛盾――その言葉を彼女は知らなかったが、晴れない靄のようなものを胸の奥に感じていた。
「ツキノ、ここが終わったら午後の休憩していいからその前に地下の保管庫を見てきてくれない?」
「鍵をかけ忘れてしまったの。鍵はたぶん中に入ってすぐにあると思うから。レーシス様に急ぎの要件を頂いてね、頼まれてもらえる?」
「かしこまりました」
不意に背後から聞こえた侍女二人の声に、変わらず淡々と了承の意を返すツキノ。
宿舎の地下保管庫には、劣化によって交換をする頻度が低いものを主とした備品が多く置かれており、彼女も一度だけ中を見せてもらったが、宿舎全体ほどではないにしてもそれに近い空間を持つ場所だ。
浴室の掃除を終え、ツキノは一階部分から続く緩い坂道を下りていく。
すると確かにまるで施錠されていない扉が視界に入った
(鍵は入ってすぐで御座いましたね)
そうして暗所へと一歩足を踏み入れた、次の瞬間だった。
「…………っ!」
誰かから背中を押され、ツキノは勢いよく短い坂を転げ落ちる。
再び顔を上げた時にはすでに入り口の扉は光を遮り、固く閉ざされていた。
「……いたい」
ぶつけた顔面を軽く押さえながら、ツキノは刺激された痛覚の反応を小さく吐露する。
だが、その言葉が音として彼女の耳に届くことはなかった。