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12.寝顔

 寝起きの悪さは、リエン・オ・ヴァーツラヴが持つ数少ない欠点のうちの一つと断言できるものだ。

 それは独立遊撃隊の中で、彼の目覚まし係が当番として存在するほどの重症っぷりである。


 だが、この度。規則正しい起床に自信――とまでいかずとも、少なからず自分が勤めれば負担を減らせるのではないかと考えたツキノはこれに立候補。

 無味無臭という言葉が似合う、最低限の家具だけが配置された部屋で目覚め、身支度を済ませた彼女は三階の廊下を真っ直ぐ進んでドアを静かに叩いた。


「リエン様、ツキノで御座います。お目覚めでしょうか」


 返事はない。二度目のノックの後も、何か物音がする気配は欠片もなかった。


(……二度、扉を叩いて反応がなければ入ってよろしいのですよね)


 事前にパーラから預かっていた鍵を取り出し、中へと入る。

 リエンの私室はとても王族とは思えないほど、ただ一点を除いて庶民的な成人男性の様相をしていた。

 よく整理整頓された室内からは、主の性格を表しているような清廉な匂いがある。


「おはようございます、インファサール様」


 そして、部屋の主よりも先。と目が合い、ツキノは対等に一礼をした。

 直後。止まり木にいる彼は自らの縄張りへの侵入を認めるかの如く、風を切るように鳴く。


 気高さと獰猛さ同居させたような猛禽類。

 その正体はリエンが飼育――というより、日々を共にする美しき鷹であった。

 ツキノはカーテンと窓を開き、陽光を室内へ呼び込む。


「おはようございます、リエン様。朝で御座います、お目覚めください」


 応じる声はただ静かに「すぅすぅ」と浅く胸を上下させる吐息だけ。

 寝相も決して悪くはなく、ただ単純に深い眠りにリエンはついていた。


(皆様は叩いても脱がしても何をしてもいい、どうせ忘れると仰っていましたが……)


 まさか使用人如きが、そのような無礼を働くわけにはいかない。

 ツキノは幼子のように穏やかで美麗な寝顔をジッと見つめ、思案を続けながら肩をゆする。

 するとリエンは小さく唸り始め、最終的にツキノの身体をベッドの方へと抱き寄せた。


 自分のものではない匂いがツキノの鼻腔をくすぐる。

 図らず凛然と整った顔を間近に置くこととなったツキノはしかし、微動だにしていなかった。

 それどころか無表情を崩さないまま、リエンの頬に右の手のひらを添える豪胆さだ。


(お嬢様たちの言葉通り、リエン様の容姿を〝普通〟の基準にしてはいけないのでしょうね……)


 と、今度は視線を、自らを抱きとめる左腕へ移していく。

 袖先からわずかに覗く肌からは〝覇蛇天征〟の術式刻印が存在を主張していた。

 そして、その刻印は以前と違う――というより、数秒前には(・・・・・)なかったはずの(・・・・・・・)異変を引き起こしていたのである。


「刻印が、淡く……」


 琥珀色の光を放っていた。刻者であるリエンが違和感を覚え、目を覚ます気配はない。

 であればこれも、先日のように自身にしか見えていない世界なのかもしれない、と。ツキノは淡々とその輝きを見やり、触れた。


「――――んっ」


 途端、電流に似た刺激――と言っても不快に感じるほどではない、どこか優しい痛みが指先から腕を伝って頭に直接伝わるような感覚がツキノに、自制の利かない声をわずかに漏らさせる。


 それはリエンも同様であった。

 普段とは明らかに異なる爽やかな目覚めを迎え、ふたりは視線を重ねる。


「おはようございます、リエン様」

「あぁ、おはようツキノ」

「「…………」」


 自然に挨拶をし、ベッドの中にひとときの静寂が訪れる。

 それは長いようで短い沈黙だ。


 様子を静観していた鷹のインファサールはどこか呆れたように身を翻し、開かれた窓から外へ飛び去って行く。

 やがて少し困った様子のリエンは、しかし感謝の意は忘れていない声色でゆっくりと告げた。


「……何をどうやったかは知らないが、起こしてくれたことには感謝する。今ほど爽快な目覚めは過去、経験がない……だが、ツキノ」

「はい」

「次からベッドに潜り込むのはやめてくれ」

「承知いたしました。ですが、わたしを引きずり込んだのはリエン様で御座いますよ」


 瞬間。意表をつかれたらしいリエンの目が丸くなる。

 ――感情がない。言い換えれば裏表が存在していないということでもあり、故に彼はツキノを疑うことをしなかった。


「そ、そうか。それは……すまない。寝ぼけた私に何もされなかったか?」

「抱き締められました」

「…………以後、気を付ける。許せ」

「? 許すも何もないのでは御座いませんか? わたしは使用人で、リエン様はわたしの雇い主なので御座いますから」


 平然と言い切る彼女の瞳に無垢さを見たリエンはあらゆることに疎い彼女に対し、改めて本当に何も知らないのだろうな、と。小さなため息を漏らさざるを得なかった。


 *


「?」


 リエンを無事、目覚めさせた後。玄関先の掃き掃除をしていたツキノは、耳に届いた足音を頼りに向き直った。

 忍ぶようにしてそこにいたのは、少女――フリエ・ラパーラ。

 宿舎の管理を任されたラパーラ一家の一人娘であり、綺麗な左手の甲に雪の結晶を思わせる〝増殖〟の術式刻印を刻んだ、ツキノと同じ十五歳の少女だ。


「おはようございます、フリエ様」

「…………っ!」


 お淑やかな学生服を纏う彼女は、それとは正反対に苦虫を噛す潰すように言葉を呑み込み、軽い会釈だけを返すと足早に駆けていく。

 行ってらっしゃいませ。そう告げて頭を下げたツキノにしかし返る声はなく、やがて顔を上げた時にはもうフリエの後姿は見えなくなっていた。


(何故、彼女はわたしを避けたがるのでしょうか)


 昨夜。学院から帰宅したフリエと顔も会わせた時からの疑問を改めて思案する。

 か細い声で短く、名前だけを告げて距離を置かれている現状はツキノにとって不可解極まりなかった。


「――ごめんなさいね、ツキノ。あの子、恥ずかしがり屋というか……基本的に人との距離を置きたがるから」

(パーラ様は、ああ仰っていましたが。だとするとフリエ様自身を元とした彼女たちに変わらず接していただけるのは、一体……)


 ふと、視線を感じてツキノは周囲に意識を割く。

 すると宿舎の上階で窓拭きをしていた彼女や、同じく掃き掃除をしていた彼女など。増殖した彼女たちが目を向けているようだった。

 加えて動きもどこかぎこちなく、本体から何らかの影響が出ているであろうことは、さほど観察せずとも容易に理解できる。


(害意がないのであればわたしとしては別段、構いませんが……)


 これから先も現状のままで良いかと問われた場合。決して頷くことはできないのも事実だ。

 何かきっかけのようなものがあれば、と。そうは思いつつツキノも手は止めず、敷地内の掃き掃除を終えた後。先程のやり取りに一切の気まずさを感じることなく、同じ顔をしたフリエの分体ぶんたいに仕事を教わるべく声を掛けていく。


 基本的にツキノはフリエ分体と共に行動し、1.5人分として主に宿舎全体の清掃をしつつ、宿舎内の物の配置を頭に入れていくのがまず求められることだ。

 彼女の覚えは良く、二日もあれば長年暮らすような迷いのない歩きを見せるだろう。


 そうして時が過ぎていった午前。小隊メンバーの衣類は勿論、メイド服や各部屋のシーツなど大量の洗濯物をツキノたちが屋上で干していると、背後からかかる声があった。

 笑みを浮かべる女性はパーラだ。


「うん、上手上手。調子は良さそうね、ツキノちゃん」

「はい。以前まではきちんと歩くことすらままなりませんでしたから、わたしとしても調子は良い方であると断言できます」

「なら良かったわ」


 堅苦しくやや遠回りな物言いをそういうもの、と。そう理解してパーラは要件について話始める前に彼女は、落ち着いた花柄の財布をツキノへ手渡した。


「こちらは?」

「ずっと前に私が使っていたお財布よ。お金を入れておくの。自分の物を買うまでのつなぎにしたら、気にせず捨てていいから。良ければそれまで使って」

「お金……」


 既にいくらか入っているのは、音と重さですぐに分かる。

 ただそれがどれほどの価値を持つのか。ツキノにはまだ分からないままだ。


「もうお昼になるでしょう? 休憩がてら、王都を見て回って見たらどうかと思ってね。多くはないけど、娘の分体をひとり連れて行けば案内も含めて大丈夫でしょうし」

「…………」


 視線を分体たちへ向ける。彼女たちは既に本体のフリエが近くにいないせいか、今朝のように不自然に取り乱すこともなかった。


「王都ほど治安がいい場所も他にないもの。気楽に街を回ってきていいからね」

「……分かりました。ありがとうございます、パーラ様」


 こうして、ツキノは自らの意志で初めて。外へと足を踏み出すこととなった。

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