11.独立遊撃隊2
「……正直なことを言わせてもらえれば、にわかには信じ難い」
「いえ、当然のことかと思います。逆の立場でしたら、恐らくわたしも同じことを言うでしょうから」
ツキノは淡々とした態度できっぱりと答えた。
リエンから見て彼女は、およそ嘘をつくような人間に見えてはいない。
だが彼女への信頼とは少し違い、納得と表現する方が的確だと彼は思ってもいる。
「ないことを惜しむ……違うな、不便と感じたことはないのか?」
「御座いません。ですが、わたしが知っているのはラズラプラ家という狭い世界だけ。今後のことについては現状、答えかねます」
「……そうか。そうだろうな」
彼の迷いが見える返答ののち、食堂内はゆっくりと奇妙な静寂に包まれていった。
元より口数の少ないヴァスクード、必要がなければ自分から話題を振る頻度の低いレスティとシャノン。時折食事の手を止めながら考えにふけるリエン。無表情かつ不動のツキノ。
(ぜ、絶対こうなると思ったぁ~! キアラさぁん、早く来てぇ~)
言葉での意思疎通にやや難を抱えるヒィロにとっては、肩身の狭い空間であることに間違いはなく。そんな彼女の願い虚しく、唯一の同性隊員の助けが来ることはなかった。
やがて皆が食事を終えるかという頃。厨房からの視線に気付いたツキノがそちらへ足を向ける。
程なく戻ってきた両手には、人数分より一つ多く切り分けられたデザートと小皿があった。
「厨房をお借りして作ってみました。よろしければどうぞ、お召し上がりください」
淡々とテーブルに置かれたのはアーモンドタルトにカスタードクリームを重ねて、いちごやキウイ、洋梨などを彩り鮮やかに飾ったフルーツタルトだ。
続けて同じように厨房から出てきた料理長――パーラの夫でもあるダリウスが帽子を取り、頭を下げた。
「一時も目を離さず、共同で作りました。顔を合わせて数時間程度の関係で何を言っているのかとお思いになるでしょうが……私には、彼女から邪な気配を一切感じられませんでした。リエン様、遊撃隊の皆様。どうか、お召し上がり下さると幸いです」
そう言ってダリウスは無作為にタルトを一つ選び、口の中へと放り込む。
これが彼の立場で見せることができる最大限の誠意であった。
――前提として〝俯瞰〟の術式刻印の存在は国民へ開示されてはいない。
王族や騎士団の中でもごく一部だけに知らされているだけであり、あくまで〝エフド王国では何故か悪事がすぐにバレてしまう〟というのが共通認識。
であれば同時に。異常現象の原因は大抵、術式刻印だろうという認識もまた然りである。
が、それはそれとして、だ。
一つ疑問に思ったヒィロが、近くの二人にだけ聞こえるようにして小声で投げ掛ける。
「隊長の心眼って感情がない方にもちゃんと作用するんでしょうか?」
「どうでしょう。あとお忘れですか、ヒィロさん。例の体質の話を」
「あっ……」
「まぁ、尖塔の俯瞰から何の連絡もないんだし、入ってないんでしょ。てか最悪、僕がいるし気にしなくていいだろ」
「はい、余計に心配ですね」
当然のように罵り合いが始まる中、ヴァスクードが低い声で静かに告げる。
「気を悪くさせるだろうが、こちらでやらせて貰おう」
「はい、構いません」
ツキノが席を向かいの席へ回り込み、ヴァスクードにタルトと小皿を手渡す。
受け取った彼は、リエンが最後の一つになるように取り分けていった。
その姿を目にしてハッとしたシャノンが席を立ちかける。だが、すぐさま意図に気付いて座り直した。
彼らからすればツキノが毒を盛っている可能性は決してゼロにはならない。
故に万が一〝リエンに毒入りタルトを偶然取り分けてしまった〟場合の責任を、副長自ら負ったかたちであった。
それからリエンとシャノンを除く三人がまず一口だけ食し――
「あっ、全然普通においしいですよ~。あっ、ふ、普通って悪い意味で言ってませんからねっ?」
「はい、喫茶店で出しても遜色がないのではないでしょうか」
「そんなの、ダリウスさんが手伝ってんだから美味くて当たり前だろ」
「問題なかろう」
毒見を終えた後。リエンが丁寧にナイフとフォークでひと口大に切り、洗練された美しい所作で口へと運んでいく。
「あぁ、確かに濃厚かつ爽やかな酸味だ。ラズラプラでも料理をする機会があったのか?」
「お嬢様たちの気まぐれで数えるほどですが。このフルーツタルトも制作までの大部分を、ダリウス様に助力いただいてしまいましたので、何か他のことで恩返しをしていければと思います」
「そうしたいと?」
「? 恩というのものは、返さなければならないものなのではないのでしょうか」
向かいの位置で留まったツキノが、平坦な声色で応じた。
感情がない。彼女の発する文字列は、その信憑性を増すのに相応しい返答だろう。
「……そうだな。いや、それが真っ当な人間としての情緒で間違いはないだろう」
感謝という概念だけは理解している絡繰りのようだと。リエンは内心でそう思いつつも、無垢で真っ直ぐな問いに対して明確に頷いて見せた。
*
(……あちらが道場、というものでしょうか)
宿舎から出てすぐの左手。そこに独立遊撃隊専用の鍛錬の場はある。
十名に満たない隊の規模に対してかなり広々とした造りの道場であり、既に日が沈んだ現在も途絶えることなく乾いた音と鈍い激突音が鳴り響いていた。
ラパーラ夫妻に一声かけたのち、屋外へ出ていたツキノは道場の戸を知り得る限り礼儀正しく開く。
「「――――ッッ!」」
その開閉音を合図として。猛禽類の如き鋭い目つきをした燃えるような赤毛の青年と、青みがかった緑髪の男が真っ向から激しくぶつかり合う。
決着は一瞬だった。
振るっていた二本の得物を鮮やかに弾き飛ばされた青年は、淀みない木剣の切っ先を首元へ突き付けられた後。両肩を軽く落とし、自身への嘆息をこぼす。
「二刀でもかなり様になってきたな、ゼド」
「ハッ、汗の一つくらいかいてから褒めて頂きてェもんだぜ副長殿」
男――ヒスイの落ち着き払った声に、ゼドと呼ばれた青年は己の未熟さを噛み締めるような態度で、ツキノの足元まで飛んだ木剣を取りに向かい、
「あァ?」
見慣れない姿に気が付いた。
彼は木剣を後回しにして、ツキノとの距離をあと半歩未満のところまで距離を詰める。
ツキノには臆する理由がなければ、その心もない。故に彼女はただ真っ直ぐ。いつも通り自身を観察しようとする瞳をジッと見つめ返した。
「引かねェ、逸らさねェ、緊張してねェ――……」
ゼドは許可も取らず白銀の髪をすくい、ややツキノの後ろへ回って頭の匂い嗅ぎ始める。
それから平均と比較すれば貧相で薄い身体を一瞥して、つまらなそうにぼやいた。
「ま、悪かねェ。で? 誰だてめぇ」
「お初にお目にかかります。ツキノ、と申します」
「そうかよ」
言って足元の木剣を拾い、そのまま道場を後にするべくツキノを追い越していく。
「誰だ、じゃないだろうゼド。隊長が連れ帰ったと、話はしたはずだ」
そう彼を呼び止めたのは、ヒスイとは異なる凛とした声。
中性的でありながら男性的な面影もある整った顔立ちをした、艶やかで長い黒髪の女性だ。
「ハッ。任務と関係ねェ、興味もねェヤツの存在に記憶力を割けるほどオレの脳みそはデカくないんでね。つーか、そんなカリカリしてっとまた小じわが増えんぞ」
「……余計なお世話だよ」
「増えてんのは図星かよ。く、くくっ」
今度こそゼドはツキノの横を通り過ぎ、からかう声は次第に遠くなっていった。
残された黒髪の彼女も「まったく」とため息をもらしながら、改めてツキノに視線を向ける。
「すまない、気を悪くしないでやってくれないか。無礼なヤツだが、悪い男ではないんだ。少々……いや、かなり乱暴でいい加減なところがあるのは認めるしかないのだが」
「構いません、気にしておりませんので――――……」
「あぁ、重ねてすまない。あたしはキアラ・ソネル。よろしくするわ、ツキノ」
「はい、よろしくお願い致します、キアラ様」
「いやぁ。元気そうで何より、お嬢ちゃん。リエンに言われて来たのか?」
と、丸眼鏡を掛け直したヒスイが二人の間に割って入る。
存在を放置される可能性を疑っていたためか、その声はわずかに焦りが含まれていた。
「はい、こちらにいらっしゃると伺いましたので。これからお世話になる挨拶を、と」
「そうかそうか。ま、自分の家だと思ってくつろげばいいさ。少なくともここには、お嬢ちゃんをどうこうしようなんて女も男もいないわけだからな」
ぽんぽん、と彼は気軽にツキノの頭を優しく撫でる。
当然。撫でられたことの意味合いは、彼女に察することができるものではない。
「貴方は本当に年頃の若い女には気やすいですね……」
「そうなので御座いますか?」
「ご、誤解を招くようなことを言わないでくれキアラ! 俺はただ、俺に好意を持っている女らしい女が苦手なだけだ!」
「そういうことにしておきましょう。というわけでツキノ、この後少し付き合って貰っても?」
「はい、何なりと」
「ま、待て! 話を聞け! 聞いてくれ! 俺は――――……」
結局。ヒスイの弁明はツキノには理解されず、キアラには軽くあしらわれて夜へと溶けていった。
*
「――キアラ様。こういったことは普通、逆なのではありませんか」
「普通、普通ねぇ」
かすかな虫の音が心地良く響く月明かりの夜。屋内浴場のドアを抜けた先。
一糸まとわぬ艶姿をさらす二人は、露天で一日の汗を流していた。
「何かおかしなことを言ってしまいましたか?」
「おかしくはないわ。ただ、その普通って言葉を貴女がどういう意味で使っているのか少し気になったの」
「一般的な規則や常識といったの意味合いと認識しておりますが」
「そうよね。けど普通って言うのは結局のところ、その人にとっての常識や規則に過ぎないのよ」
ツキノの背中をタオルで擦っていたキアラが、優しく諭すように続ける。
「ラズラプラ家と、他の家の普通が違うからと言ってそれが一般的な普通と一致するとは限らない。そもそもの話、侍女がいない家の方がこの国には多いもの」
「だとすればわたしの知っている大抵の普通は、きっと普通ではないのでしょうね」
「かもしれないわ。だからと言うわけではないけど、ツキノ。今度、お互い時間がある時にでもお出かけしましょう?」
「構いませんが。理由を訊いてもよろしいでしょうか。キアラ様の普通で御座いますか?」
「そうね。あたし、自分より年下の子はどうしても甘やかしちゃうから」
言われ、ひとまずの納得を得たツキノは自身の中にある普通を一旦、汚れや泡と共に洗い流すことにした。
それから二人は並んで湯船に肩まで浸かり、肉体の疲れを取ってゆく。
ゆったりと揺蕩う意識の中。ツキノの脳裏へ不意に浮かんできたのは、とある疑問だった。
「キアラ様」
「何?」
「異性は顔が全てなのでしょうか?」
「――――っ!?」
あまりにも脈絡のない質問の衝撃を受け、座ったまま下半身を滑らせるキアラ。
ざぶん、と。飛沫が舞い上がり、ややあって湯船から顔を出した彼女は呆然とツキノを見つめる。
「キアラ様?」
「え。あぁ、そ、そうね。良いに越したことはないけど、全てということはない……はず」
「つまり、こちらも人それぞれということですね」
応じ、ツキノは何となく湯船で揺れている不確かな自身の影に視線を落とした。
「と、ところで、いきなりどこからそんな疑問がきたの?」
「お嬢様たちがそうおっしゃっておりましたのを、ふと思い出しました」
「あ、あぁ……ということは、恋愛に興味がある? まぁ、そのくらいの歳ならそうよね」
「? わたしはまだ恋愛が何を指す行為なのかを正確に理解しておりませんが、知らないことは少ない方が良いのではないかと考えます」
「あ。そ、そうなの……」
――こ、この子、言動から何まで想像以上に誰かがついてあげてないと危なっかしいなぁ……っ! あたしが見てあげなくちゃいけないのではっ!?
何の起伏も感じられない彼女の言葉に、そんな行き場のない三十一歳の母性を刺激されるキアラであった。