10.独立遊撃隊1
シャルアビム騎士団が日々の中で取り組む任務は、基本的に軍事活動へ比重を置いたものではない。
他国の工作員や犯罪組織への対処こそするが、主に未開拓地の調査や希少資源の採取、要人警護、有事に備えた訓練、自然発生する悪鬼の討伐などを始めとした国内の治安維持が平時の主な活動内容だ。
第二王子のリエンが指揮する独立遊撃隊と言えども、当然ながらそこに例外はない。
この日は、鉱山内で発生した悪鬼討伐の任を受けてそれを難なく掃討。日没と共に宿舎へ帰還したところであった。
「あー、腹減ったぁ。今日、なんだろ晩メシ。風呂より先に食堂行ってメシにしません、隊長?」
「……私は構わないが、どうだ?」
十四歳という、隊で最も若い少年の提案に、リエンは他の隊員――三人へ視線を向ける。
可能な限り食事は隊の皆で囲む。それが隊内で設けられた一つのルールなのだ。
「お好きになさればよろしい」
「はい、俺もどちらでも構いませんよ」
最年長――齢五十六でありながら色気の中に確かな己を持つ男と、今年二十一になる若者が落ち着いた声色で即答する。
一方でのんびりとした顔立ちの頬を赤らませる女は、自身のにおいを嗅ぎながら不安げに応じた。
「わたし今、臭くありませんか? ち、違うなら別にいいんですけど……」
「鼻、詰まってんじゃねぇの?」
「つ、詰まってないよっ。あの鉱山、硫黄の臭いがきついから。き、気になって……」
言われ、すんすんっ、と。少年が小さく鼻を鳴らし、八つ歳上の彼女のにおいを確かめる。
「いや、いつもこんなもんでしょ」
「そ、そう? ならいい、かな」
「決まりだな」
リエンが庭先で掃き掃除をしていた一番近くのメイドに視線を向けた。
受けて彼女は、かしこまりました、と深く頭を下げた後。空いている手を耳に当て、わずかに目を伏せる。
術式刻印によって増殖した娘たちは、ある程度の距離ならば意思の疎通が可能だった。
先回りして伝達した先は言うまでもなく食堂。
独立遊撃隊宿舎はリエンの私邸でもあるが、食事の形式だけは他の宿舎と同様。朝は取り放題、それ以外は用意された食事を受け取る形式を取るようにしていた。
もし仮に王族が率いる隊だからと騎士団の規則から逸脱し続ければ、隊全体がどういう視線を向けられるかは火を見るよりも明らかなためである。
「――ん、あれは……そうか、目を覚ましたか」
程なく五人は一階の食堂に到着し、リエンが見慣れない白銀の背中にいち早く気付く。
厨房の方から姿を見せ、五人と対面したツキノは深く頭を下げて言った。
「リエン様から既にお聞きかもしれませんが、ここに置いていただくこととなりました。ツキノと申します。皆様、これからよろしくお願い致します」
「あぁ。ではシャノン、私たち全員の紹介を」
「え。な、なんでそんなこと僕が……」
急に話を振られ、顔をしかめる小柄な少年。
そんな様子に対して、リエンは普段通りの口調で理由を述べていく。
「一番、彼女と歳が近いからな。お前にも普段から同じ年頃な相手との対話が必要だろう?」
「いやだからって……自己紹介くらい、皆自分でできるでしょ。大人なんだから」
「シャノン」
「……分かりましたよ、やればいいんでしょやれば!」
はぁ、と。シャノンと呼ばれた少年はため息混じりでツキノへと向き直り、各々を指先で視線誘導させながら不満げに続ける。
「当然、知ってるとは思うけど。こちらリエン・オ・ヴァーツラヴ様。我らが隊長殿で御座いますよ」
「はい、存じ上げております」
「で、そっちの笑って女殴ってそうな優男がレスティ・ルラウガン。史上最低の参謀殿でいやがります」
「はい、笑って女殴ってそうな優男のレスティと申します。これからよろしくお願いしますね、ツキノさん」
罵倒と変わらない紹介をされたにもかかわらず、紫がかった黒髪で物腰が柔らかそうな彼――レスティは何でもないような態度でツキノの名を優しく呼んだ。
「こっちのデカチチ女がヒィロ・クレアム。目と耳が良くて感度(?)が高い」
「シャ、シャノンくん? その言い方だと変な誤解が生まれちゃうんじゃないかな……? あっ。よ、よろしくね。ツキノちゃん」
襟首辺りで揃えられた淡い群青髪の彼女が、やや自信なさげにぎこちなく微笑む。
そんなヒィロの指摘など意に介さず、少年は一つ咳払いをしてから背筋を伸ばして告げた。
「最後にあちらがヴァスクード・ヴァンキッシュ卿。副長だ。舐めた口利くなよ、マジで」
「…………」
「よろしくお願い致します、ヴァスクード様」
「よしなに、ツキノ」
薬指以外に指輪が嵌め込まれた左手で丸眼鏡を押し上げつつ、短く応じるヴァスクード。
口数が少ない方なのだろう、と。そう理解したツキノは一礼をし、改めてシャノンに目を向ける。
だが、当の彼は何見てんだとでも言いたげな表情であり、彼女は自ら訊ねることとした。
「あなた様は?」
「は? あぁ、僕は――――」
忘れていたことに対するわずかな照れか、彼は右目を覆い隠す灰髪を軽くかきながらも素直に名乗りかけ、
「はい、見ての通り生意気なクソガキ。シャノン・ファニス君です。独立遊撃隊の癒し担当ですよ」
しかしすぐさま、笑顔で遮られた。
当然、シャノンも感情的になってレスティに反論をぶつける。
「なッ……レスティ、ふざけんなお前! ガキって言う方がガキなんだ!」
「はい、一理ありますね。まぁ、見た目も中身も幼稚な君には残念ながら惜しくも負けてしまいますが」
「陰険たらし野郎がッ、燃やすぞッ!?」
「おや、刻印をもう起動させたのですか? 顔がとても赤いですよ」
「お、落ち着いてください、二人とも。ほ、ほら折角のご飯がさ、冷めちゃいますよっ」
彼らの罵り合いは食事を受け取って席についてもなお、継続された。
とはいえ日常的な光景のため、ヒィロ以外の二人が夕食以上に関心を向ける様子もない。
今晩の献立は仔牛肉の揚げ焼きに目玉焼きとベーコンを乗せ、芋や野菜を添えたもの。エビやイカなどの魚介類を煮込んだトマトスープ、柔らかいパンや野うさぎのシチュー等々。
中でもラビットシチューはリエンが幼少期より好んでいるから、というのも理由の一つではあった。
以後、皆が食事を摂り終えるまでの間。一歩下がったところでツキノは慎ましく控える。
本来であれば別の仕事に向かうべきだが、ラズラプラ家での食事の際はここが定位置だったこともあり、彼女の行動に迷いは感じられなかった。
まるで微動だにしない彼女に背を向けたまま、リエンは声を掛ける。
「ツキノ。ヒスイは覚えているな? あいつを除いて我が隊にはまだ二人いるが、しばらく戻らないだろう。あとで外の道場に顔を出すといい」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
細長い銀糸を肩先で揺らしながら、ツキノは淡々とした態度で礼を尽くす。
「時にツキノ。体調はどうだ」
「おかげ様で良好に御座います」
「ならいい」
応じつつラビットシチューに手を付け、いつもながらの繊細かつ大胆な味付けに小さく頷くリエン。
剣の扱いを教わり始めたばかりの頃。彼が初めて自分の力だけで狩り、身体の弱い姉のために調理したのが野うさぎであり、恐らく兎肉に関してはこの場の誰よりも深い思い入れを持っていた。
「リエン様、わたしからもお一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
「お嬢様たちはどうなさっておりますか」
「心配か?」
出て当然の問いに対し、リエンは一拍置いてから疑問符を返す。
「……どうでしょう。ただ、わたしはあの場所から逃れたかっただけで、お二人を傷つけたかったわけではありませんでしたから」
ツキノにとってこれも偽らざる本心だった。
彼女は別段、姉妹へ仕返しをしたかったわけでも同じ目に遭わせたかったわけでもない。純粋にここではない〝外〟へ行きたいと願っただけなのだから。
「そうか。まぁ、お前に危害が及ぶようなことはまずないだろう。姉妹と話した限り、お互いのことすら覚えていない様子だった。性格という一点にだけ目を向ければ、以前より遥かに穏やかになっていると言ってもいい」
「……でしたら。わたしは、今からでもお二人と友人というものになれるのでしょうか」
「――――くっ、く」
途端。リエンが目を丸くし、堪えるような笑いをこぼし始める。
彼がこう笑って見せるのが珍しかったこともあり、それは他の隊員たちもつい視線を向けるほどの光景だった。
「面白い女だなツキノ、お前は。本気で思っているのか? 約三年もの間、自分を虐げてきた者たちと友人になりたいなどと」
「はい、わたしには友人がいません。それに悲しみ以外の感情は概念として知ってはいても、これまで他者へ怒りや憎しみを向けた経験が御座いませんので」
「……それはどういう意味だ?」
淡々と自らを聖人君子と評する彼女に返る言葉は、真剣そのもの。
普段ならば〝そんな人間がいるはずはない〟と内心で一蹴しているところだが、先日のミランダの言葉と何の感情も向けてこなかった彼女が、リエンの興味を強く引いていた。
「わたしには喜怒哀楽を感じ、表現する心。つまり感情が残っておりません。デゼルネルピスが信ずる御神、クォセヴィトニアを降ろすための儀式の代償だそうです」
(感情が、ない……? そうか、ミス・ミランダが言っていたのはこのことか……つまり、視ていて彼女自身が〝多少困っているだけで何とも思っていないように見える〟から虐待を放置した、というのか)
他の誰かに悪意が向けられていた場合、また話は違ったのだろう。
さらに言えば、姉妹が彼女に熱中している間は〝切断〟という術式刻印の存在に対する警戒度を下げられる。それこそが、ツキノという個人が蔑ろにされてきた最たる理由だとリエンは確信した。
「先に伝えておきますが、儀式やその他の詳細を訊ねられても話せることは御座いません。わたしは祭壇にいただけの贄。ただのそこで生きていただけの、単なるモノにすぎませんから」
その無機質な声は確かに、感情の機微を肌で感じ取ることができるリエンとっては、生まれて初めて体感する異質さを孕むものだった。