米1tより20俵
米の重さの下りで、トンで出されて量が実感できるのは農家ぐらい。時代劇では俵や小判何枚など、直感的に量がイメージしやすいから、視聴者に違和感はない。ところが何トンでいくらと言われても、実感がわかない。あれは演出ミスだ。数字で出すより、量をイメージさせるべきだった。これは「ハヤブサ」と「VIVANT]の決定的差だ。同じ土地買占めでも「ハヤブサ」は大きさをイメージできるように作っている。ところが、「VIVANT]は地図だけで大きさが実感できない。後だしで画面に出しても、驚きが無い。先に実感させれば、驚きを伴う。この、アハ体験の有無が現在の評価の差になった。
池井戸作品は、いわゆる推理物の王道のように、可能性をつぶして、ルート無くしてから、どんでん返しをする。しかし、「VIVANT」は、可能性を大量に出して、視聴者を迷子にさせて、正解を出す。これでは、驚きが無い。つまり、推理オタクには楽しいが、驚きを期待している者にはつまらない。
子供たちが空腹が満たされないカットがって、米の横流しの話になれば、悪を感じ取れるが、困っている者がいない上での、横領では視聴者はたいして悪人とは認識しないだろう。
良い脚本は、考察の半分を当てさせて半分を外す。視聴者は当たった部分で満足し、はずれた部分で驚きを得る。




