なぜVIVANTの演出が陳腐といわれるのか
VIVANTには酷評も目立つ。
池井戸潤が描く世界は、アナログ世界だ。機械に頼らず、人間の発想と技で物語が進む。デジタル技術は直接解決にならない。実際に彼の作品の魅力はそこにある。げんに「ハヤブサ」も科学より自然のほうに理想環境を置いている。ところがVIVANTはデジタル世界であった。そして福澤チームにはデジタル世界を正確に描くことはできなかった。
もし、デジタル描画を捨てて、アナログ技術で解決していけば陳腐化を避けられただろう。
数字というのは物語をつまらなくする。視聴者が共感できないのだ。数字は説明には使えるが、解決にはならない。数字に追われる現代人。ドラマまで数字を全面に押し出されたら、げんなりしてしまう。
横領は悪としているが、横領するにいたった背景が描かれてない。池井戸潤は正義であれ悪であれ心情を描く。しかし、VIVANTにはやむなく悪へと走った心情は描かれない。山本にしても快楽のためで、視聴者は同情できない。
失敗は原作者が監督をしたことだ。自己満足になってしまった。作曲家がすぐれた指揮者とは限らない。
謎解き人間には面白くても、演出を期待する人にとっては期待外れなのだろう。




