380 おじさん童心に返る
華麗なるてへぺろをおじさんに決められた侍女は思った。
てぇてぇと。
ポタポタと床に鼻血が落ちる。
「さて、と……」
そんな侍女を気にすることもなく、おじさんは空いているスペースにペタンと座る。
いつものように女の子座りだ。
「ちょっと作りますか」
おじさんはどうしても作りたいものがあった。
それは輪ゴムを使ったアレである。
素材の中から木材を取りだし、適当な大きさに魔法でカットする。
そこからは手で作っていく。
錬成魔法を使えば一発だろう。
だが、魔法を使いたくはなかったのだ。
しゅっしゅっと手刀を使って木材を削っていく。
おじさんならば指先で木材を加工するくらい造作もない作業だ。
おじさんが作ったのは何本かの小さな棒である。
それに輪ゴムを組み合わせてお目当ての品を作っていく。
そう――。
それはゴム鉄砲であった。
幼少期のおじさんの憧れだった玩具だ。
連発するような高度な物ではない。
単発式のシンプルなゴム鉄砲。
近所の同世代が遊ぶのを横目に見ているだけだった。
輪の中に入りたくても入れない。
なぜなら、おじさんはゴム鉄砲を持っていなかったからだ。
作ろうにも家庭の事情が許さない。
なにせそんな物を作ってしまえば、逆鱗に触れることは目に見えていたのだから。
その実物が今、おじさんの手の中にある。
なんだか胸にこみあげてくるものがあった。
手にしてみればチャチなものだ。
だが、それはおじさんにとっては宝物のように見える。
ずっと憧れていたものだから。
輪ゴムをセットして、引き金にあたる部分を引く。
すると、勢いよく輪ゴムが飛んでいく。
壁に当たって、ずるりと落ちる。
「ふふ……」
おじさんは満足だった。
少し悲しくもあるが、満足だったのだ。
そんなおじさんの様子を見ていた使い魔が声をかける。
『主よ、それは玩具でいいのかな?』
おじさんは顔をあげて、ニッコリと笑う。
いつまでも過去を引きずってはいられない。
「そうですわね」
『主にしては……いや、そうだな。満足のいくものだったのだろう?』
肝心なところでは言葉を選ぶ使い魔であった。
ただならぬ雰囲気を見て察したのだろう。
「ええ。とても満足できましたわ」
『で、あるか。侍女殿よ、そこの新しい靴を御母堂のところに』
トリスメギストスの言葉に侍女が、ハッとして顔をあげる。
まだ鼻血がでている。
その顔を見て、おじさんはくすりと笑った。
「血がでていますわよ」
と、清浄化の魔法を使って侍女の顔をきれいにする。
「ありがとうございます。お嬢様、では私は奥様にこちらの履き物を届けてまいります」
下がろうとする侍女におじさんが声をかける。
「以前にお渡ししたジャージと合わせて履くよう伝えてくださいな。運動用の靴ですから」
「承知しました。では、失礼いたします」
侍女を見送って、おじさんは手の中にあるゴム鉄砲を見た。
再び、輪ゴムをセットする。
そして古ぼけた総革張りの本に狙いをつけた。
『あいたあ!』
弾かれた輪ゴムが総革張りの本に当たる。
「うふふ。どうです、トリちゃん。これがゴム鉄砲ですわ!」
『ぐぬぬ。やりおったな、主。我にも考えがあるぞ!』
おじさんは複数のゴム鉄砲を作っていた。
その内のひとつが中空に浮く。
しっかりと輪ゴムも装填されているところが細かい。
もちろんトリスメギストスの魔法である。
それを見て、おじさんはフッと笑う。
超絶美少女がやると、とにかく様になるのだ。
「トリちゃん、わたくしに当たると思うのですか?」
『やってみなければわからんだろう?』
トリスメギストスに表情があれば、きっと悪い顔をしていただろう。
今は装丁の表紙にある宝石が怪しく光るだけであるが。
トリスメギストスの魔法によって中空に浮いたゴム鉄砲がおじさんに狙いをつける。
輪ゴムが発射されるが、人外の域にあるおじさんだ。
にやりと笑って、身を翻そうとしたときだ。
「あいたー!」
おじさんの口からかわいい声が漏れる。
そちらに気を取られた瞬間、前から発射された輪ゴムがおじさんの額を打ち抜いた。
「あいたー!」
トリスメギストスの真骨頂はマルチタスクにある。
彼が操作をしていたゴム鉄砲は一丁ではなかった。
一方のゴム鉄砲はこれ見よがしにおじさんの前に。
その他のゴム鉄砲は、おじさんから見えない背後に。
そして前方のゴム鉄砲を囮にして、後ろからおじさんを射撃したのである。
前と後ろ、はさみ打ちにされたおじさんだ。
「ぐぬぬ……やってくれましたわね! トリちゃん、一度ならず二度までも!」
『まだだ! まだ終わらんぞ!』
残るゴム鉄砲を全弾、おじさんにむけて放つ。
しかし、そこは絶好調のおじさんだ。
体術ひとつでするりと躱してしまう。
『げええ! 一発も当たらんだと! クッ……銀色の悪魔め!』
回避しながら、既に魔法を使って輪ゴムを装填しているおじさんだ。
「そこですわ!」
アクロバティックな回避運動をとりながら、空中でトリスメギストスに狙いをつける。
『当たらなければどうということもないのだよ!』
トリスメギストスも回避運動に入る。
しかし、おじさんの使い魔の動きを先読みしていた。
『あいたあ!』
「ふっ。誰が銀色の悪魔ですか!」
『ええい、主よ。身体能力の違いが決定的な戦力の差ではないということを教えてやろう』
トリスメギストスが本領を発揮する。
縦横無尽に宙を舞うゴム鉄砲。
それぞれが独立した動きで、おじさんを攪乱する。
全方位から放たれる輪ゴム。
その輪ゴムに対して反応し、輪ゴムをぶつけて相殺するおじさんだ。
『なにぃ!』
「おーほっほほ! これぞ銃型ですわ!」
高笑いしながらも、おじさんの神業回避は続いている。
『あいだあ! ……ぐぬぬ。見せてやろう、主よ。戦いとは二手、三手先を読むものだということをな!』
「ふふ……トリちゃんの言葉をそっくり返しましょう。当たらなければどうということはありませんわ!」
じりじりと対峙する二人である。
一触即発。
『いくぞ、主!』
「受けてたちますわ!」
より激しく動くおじさんである。
部屋の壁や天井まで使って、もはや重力が仕事をしていない状態だ。
そんな動きをしつつ、床に散乱している物は踏まないのだ。
お互いが決め手を欠く膠着状態。
そんな中で、不意に実験室のドアが開いた。
侍女である。
「お嬢様、失礼……あいたああ!」
『げええ!』
おじさんが回避した輪ゴムが当たったのだ。
その瞬間、おじさんはぺたりと床に座っている。
しれっと何事もなかったことにしたのだ。
「ほおん、これは私に対する挑戦状ですか! トリスメギストス殿!」
『ちがう。ちがうのだ! 主、主よ、なんとか言ってやってくれ』
「トリちゃん、わたくしは人に向けてはいけませんって言いましたわ」
『なにぃ! そんなこと言っておらんではないか!』
「お嬢様を巻きこもうとするのは許せません!」
『いや、ちがう! どちらと言えば巻きこまれたのはこち……あばばばば』
なぜか神威の光がトリスメギストスに罰をくだしたのであった。
おじさんを見守る神は過保護なのだ。




