377 おじさんの居なくなったイトパルサで蠢くものたち
カラセベド公爵家との契約を結んだその日のことである。
イトパルサの商業組合は大きな喜びに包まれていた。
なにせ王国の重鎮との繋がりを得たのだ。
これで喜ばない方がおかしい。
継続的に安定した量の取引が見込めるのもそうだ。
商人にとって嬉しい安定収入である。
さらに二種類の新しい酒に、イトパルサ名産の魚介にあう調味料。
プエチ会頭とモッリーノ会頭の二人は宴席で語った。
いや語り尽くした。
自分たちが感じた超絶美少女のことを。
「いやはや、お二人ほどの方が真に惚れこんでおるのですなぁ」
商業組合重鎮の言葉に、プエチ会頭とモッリーノ会頭は照れもせずに頷く。
「あの御方とお会いすれば、皆様も同じようになりますぞ」
プエチ会頭の言葉に重鎮たちが、お会いしとうございましたなぁと息を漏らす。
「絶対にありえないことですが、もし野にくだられるとしたら万難を排してお迎えしたい御方です」
モッリーノ会頭が熱に浮かされたように言う。
その言葉の重さを重鎮たちは理解していた。
「ふふ……しかしお二人とも、お気をつけなされよ。若く美しい娘さんに惚れこんでおると奥方に知られれば、とんでもない雷が落ちますぞ」
宴席が笑いに包まれる。
その笑いの輪に二人の会頭は入れなかった。
ただ若く、美しいという存在ではないのだから。
言葉にすれば、まちがっていない。
だが、それでは称賛が不足している。
美しい。
それはそうだ。
だが欲を抱けないほどに美しい存在を、組合の重鎮たちは知らない。
それは神聖であり、不可侵なのだ。
あまねく天下を照らす陽のごとく、おじさんの美は誰の手にも届かない。
そう……近づきすぎれば焼かれてしまう。
御伽噺に出てくる英雄のように。
「……ちぃ」
そんな和やかな宴席の隅で、こっそりと舌打ちをする人間がいた。
元組合長のマディである。
ほんの短期間で彼女の人相は激変していた。
十人並みではない容姿をしていたのだ。
だが、今や奇妙な迫力を携えている。
それは良い方向にではなく、悪い方向にだ。
黒い縁取りのようなクマ、こけた頬、らんらんと輝く瞳。
今の彼女の顔はそれこそ絵物語の悪女のようだ。
マディはトンと音を立てるようにしてグラスをテーブルに置いた。
そして何を言うこともなく、宴席の場を後にする。
どうしようもなく苛ついていたのだ。
なぜ、あの小娘を皆が絶賛するのか。
どいつもこいつも自分を見ない。
まるで居なかったように接してくるのだ。
それが許せない。
いつだって自分は世界の中心にいた。
賞賛も名誉も恣にできていたはずだ。
それが……すべて消え失せてしまった。
誰のせい?
決まっている、ぜんぶあの小娘のせいだ。
そう。
マディは完全に拗らせてしまっている。
そのことをやんわり指摘する者もいるのだ。
この町に住んでいる人たちにとってマディは敵ではないのだから。
多くの人は乗り越えてほしいと思っているのだ。
だが、耳に優しくない言葉はマディに届かない。
だって、彼女の望んでいる言葉ではないのだから。
商業組合の施設をでて、マディはイトパルサの町を歩く。
大通り沿いにある飲み屋ではダメだ。
それなりに顔が売れているから。
またマディにとって優しくない言葉をかける者がいる。
だから彼女は裏路地へ裏路地へと進んでいく。
暗く陽の射さない場所へ。
彼女がたどり着いたのは、うらぶれた場末の飲み屋であった。
饐えた臭いがする小さな飲み屋である。
粗末な席に腰かけると、強い言葉で酒を頼む。
こうした場では先払いだ。
だから、マディは小銭の入った袋をカウンターに置く。
「これで飲めるだけ飲ませなさい!」
カウンター奥にいる怪しげな主人は、いかにもといった感じで笑みをうかべる。
「姉さん、こういう場所で金を見せびらかせねえ方がいいぜぇ」
無精ヒゲに浅黒い肌。
いかにも男臭いといった風情の主人である。
「このくらいはした金よ! いいから出すもん出しなさい!」
狂犬のごとき噛みつきっぷりに主人も肩をすくめるだけである。
わかりましたよ、と呟いてマディの座るカウンターの前にドンと杯を置く。
その杯になみなみと注がれているのはラガーだ。
しかも上等な品ではないらしい。
が、躊躇せずにマディは口をつけた。
一気に杯の半ばまで飲み干し、ひと息入れてから残りを飲む。
「もう一杯よ!」
主人がマディの置いた小袋から小銭を抜く。
そして杯を彼女に差しだす。
そんなことが何度繰りかえされただろう。
マディのあまりの雰囲気に近寄る者もいなかった。
いや荒くれ者しかいない場末の酒場だからだろうか。
彼らは知っているのだ。
触らぬ神に祟りなしという言葉の意味を。
こういう女に手をだすと、後で痛い目を見る。
事実、店の外から視線を感じているのだ。
それは恐らくこの女の護衛かなにかだろう。
「ったく! 辛気くさい店ね! そこのあんた! ちょっと立ちなさい!」
マディに声をかけられたのは、右腕の肘から先がない男だった。
この界隈ではちょっとは名が知られている悪党だ。
「あん? 誰に言ってやがんだ!」
「うるさいわね! 文句あるの? 私を誰だと思っているのよ!」
「ああん? 攫っちまうか」
隻腕の男が席を立つ。
それと同時に三人の男が店に乱入してくる。
「あ、あんたらは!」
マディ以外の全員が乱入してきた男たちに注目した。
「悪いな、兄さん。ちょっとこの姐さんには用があってな!」
三人の先頭に立つ壮年の男が声をかけた。
その言葉に狂犬と化したマディが噛みつく。
「ああん? なによ! あんたたちは!」
壮年の男はマディの言葉を鼻で笑う。
その様が恐ろしく似合っていない。
「姐さん、ちょっと外に出ましょうや」
「女だからってなめないでよね! 実戦経験もあるんだから!」
強がっているわけではない。
実際に彼女は実戦経験がある。
伊達に学園を良好な成績で卒業しているわけではないのだ。
ただ場所とタイミング。
さらに言葉の選び方が悪かった。
隻腕の男は声をだして嗤う。
そのことに対してひと睨みしてから、自ら進んで店の外にでるマディであった。
颯爽としたその姿は、まるで三人の乱入者を引き連れているようにも見える。
店の外に出て、しばらく路地裏を歩く。
そこはぽっかりと空いた土地だった。
恐らくは一坪か二坪。
小さな小さな空き地である。
中天に輝くは月。
月下の空き地にて、三人の男と対峙するマディ。
「ふぅ……まぁ久しぶりだけど、あなたたち相手なら問題ないわね!」
腰を落として戦闘態勢に入るマディ。
なかなか構えがサマになっている。
「おっと、姐さん。オレたちゃ戦う気はないんだ」
ニヒルな態度が似合わない壮年の男が声をかけた。
「じゃあ、いったい何の用だって言うのよ!」
再び、フッと笑う壮年の男だが、やっぱり似合っていない。
「姐さんの心の奥に秘めた思い。そいつを解放してやりたくないかい?」
「ど、どういうこと?」
戸惑いつつも、構えは解かないマディだ。
「なに、オレたちなら姐さんの役に立てるって話だよ」
にやり、と下卑た笑いを見せる壮年の男。
「どうだい? 手を組まないか?」
壮年の男の問いに、マディは無言だった。
「今すぐ決めろって話じゃねえ。だが、時は待ってくれねえぜ」
「……名前は? あんたの名前」
「オレはガイーア、後ろの二人はオールテガとマアッシュだ。そう……イトパルサの闇に咲く花、人呼んで暗黒三兄弟とはオレたちのことだ!」
ガイーアがバンザイをすると、オールテガとマアッシュが左右で対になるように膝をついてポーズをとった。
「……なにそれ」
そんな三人に対して冷ややかな目をむけるマディであった。




