第1006話 おじさん大河の水底にあるダンジョンへ赴く前に……
聖域の温泉に立つのは水の大精霊ミヅハだ。
キッと宙を舞う水精霊を睨んでいる。
「いつもいつもサボりおって」
頭上で両の掌をあわせ、指を組む。
ミヅハの魔力が高まっていく。
「九頭竜咆哮撃!」
ミヅハの背後に九頭竜が顕現する。
そして――水精霊にむけてブレスを放つのだった。
「あぎゃあああああ!」
再び天高く飛ばされていく水精霊。
その姿を見ながら、おじさんは言った。
「ミヅハお姉さま、お邪魔しておりますわ」
「なにを言う! リーならば大歓迎だ。我が家と思えばいい」
ニコニコとするミヅハである。
「まったく、あの子は成長しないわね」
苦笑を漏らすヴァーユ。
コホンと咳払いをしてから、ミヅハが言う。
「話は聞いていたぞ、リー! 大河のダンジョン、私が案内してやろう」
「あら? よろしいのですか?」
「なに、かまわない。私もちょうど用があったからな」
「水底のダンジョンに?」
おじさんの言葉に首を横に振るミヅハだ。
「いや、あの大河周辺を拠点にしている精霊たちがいてな。その者たちに少し用があったんだ」
「……なるほど。そういうことですか」
「と言うか、リーにはオケアノスという使い魔がいるだろう。あんな粗忽者に頼る必要はないぞ」
オケアノス。
マディがおじさんと会わせると約束した大怪獣――もとい、水の精霊獣だ。
現在は元の姿で海に戻っている。
小さくもなれるが負担が大きいそうだ。
ちなみに炎帝龍も今はライグァタムの火口にいる。
火の魔力が豊富な場所の方がいいとのことだ。
「オケアノスは大きすぎますから」
さすがにあの大きさで川を遡上したら大変だ。
魔物ではない精霊獣だと言っても、一般人には見分けはつかないだろう。
恐ろしいほどのパニックが起こるはずだ。
「まぁ……そう言えばそうか。ヴァーユ、留守を頼む」
ちらりと水精霊に目を向けるミヅハ。
それに対して、しっかりと頷くヴァーユであった。
「では、行こうか!」
おじさんと手を繋ぐミヅハだ。
瞬間、おじさんは水の中を移動していた。
暗いトンネルのような場所だ。
ただ、仄かな灯りがキラキラと揺らめいていて、とてもきれいである。
「もう着く!」
ミヅハの声が響いたかと思うと、おじさんは空の下にいた。
水柱の上に立っていたのだ。
見下ろしてみれば、大河のど真ん中である。
川岸も見えるが、かなり距離があった。
川岸の向こうは土手だ。
人の姿は見えない。
「リー、私は少し精霊たちと話してくるから待っていてほしい。なに、さほど時間はかからない」
「承知しました。わたくしも少しこの辺りを見て回っていますわ」
おじさんの言葉に頷いて、姿を消すミヅハであった。
同時に水柱が消えて行く。
ただ、おじさんは空中に立っていた。
飛行魔法を発動したのである。
もう少し高度を上げてみるおじさんだ。
すると、驚いてしまった。
この場所はぐるりと岩壁に囲まれていたのだ。
岩壁を貫くように、大河が流れている。
もちろん人の姿など見えはしない。
なにせここに侵入するなら、岩壁を超えないとダメなのだから。
ちょっとした盆地のようになっている。
大河が流れている以外の場所は草原だ。
中型の鳥の姿が見えた。
あれは魔物だろうか。
それとも動物か。
ほおん、と声をだすおじさんであった。
そんなおじさんの髪がさらりと揺れる。
風も吹いていないのに。
恐らくは風の精霊たちだろう。
姿は見えないが、確かにそこに居るという魔力を感じる。
おじさんはほんの少しだけ魔力を解放してやった。
魔力をほしがっているような気がしたからだ。
なんだかくすぐったさを感じるおじさん。
だが、魔力はいっこうに減った様子もない。
なので、しばらくは景色を見ながら、ニコニコとしていた。
やはり異世界。
ファンタジー世界なのだと思う。
おじさんの眼下では、小型の恐竜みたいなのが走っていた。
先ほどの中型の鳥を追いかけているのだ。
つまり――空を駆けている。
まぁ大した高さはでていないけど。
不思議だなぁと思いながら、自然界の弱肉強食を見るおじさんだ。
ちなみに中型の鳥が勝ったけど。
雷の魔法を使って、小型の恐竜みたいなのを打ち落として。
「すまないな、リー」
水の大精霊ミヅハが帰ってきたようだ。
ただ、おじさんを見て、うおっと声をあげていた。
「どうしたんだ、リー。精霊の子どもたちがまとわりついているぞ」
体中に、というミヅハである。
恐らく巣を壊そうとして、蜂が全身に集っているような感じなのだろう。
「ん? そうなのですか?」
おじさんはまったく気にしていなかった。
と言うか、見ようとしていなかったからわからない。
おじさんの神眼にかかれば、不可視である精霊の姿とて見えるだろう。
だが、そこまでする気はなかったのだ。
「ほら、もう十分に魔力はもらっただろう?」
ミヅハが精霊の子どもたちに声をかける。
それで離れていったようだ。
随分と聞き分けがいい。
「さて、行くか」
再び、ミヅハがおじさんの手を掴んだ。
そこへ水柱が上がってきて、二人の身体を包んでしまう。
その頃、蛮族二号ことケルシーは叫んでいた。
「だから! なんでなのよ!」
ハルムァジンを相手にして、顔を真っ赤にしている。
怒っているのだ。
蛮族らしく。
「いや、だから何度も言っただろう? 聖樹国でも色々とあった、と」
「で? そんなの理由にならないじゃん!」
聖樹国の代表として王国に派遣されているのだ。
それを今になって、別の者も送ってくるという。
なら――自分の取り分が減ると考えたのだ。
だって、おじさんちに居候すると思っていたから。
とんだ早合点である。
次の者が送られてくるとして、その滞在先はおじさんち以外だ。
サムディオ公爵家かラケーリヌ公爵家、あるいは王家ということもある。
ケルシーが学園を卒業するまでは、今のままなのだ。
きちんと話を聞いていれば理解できる。
だが――蛮族二号は蛮族なのだ。
思いこんでしまったのである。
居候がもう一人増える、と。
「んーお嬢様、ちょっといいですか」
そこへ割って入ったのがクロリンダだ。
彼女は今の状況を把握していた。
だから、ハルムァジンの話をわかりやすく整理して伝えたのだ。
「ってことは?」
「御子様のおうちにいるのはお嬢様だけです」
「なーんだ! 最初っからそう言えばいいのに!」
掌を返すように、落ちつくケルシーだ。
もちろんハルムァジンは最初からそう言っていたのだが。
「クロリンダ……うちの娘、大丈夫なのか?」
「ええ……まぁ恐らくはきっと……たぶん……いやダメかも」
どんどん声が小さくなっていくクロリンダである。
「失礼しちゃうわね! なにが大丈夫なのか、よ!」
ケルシーが立ち上がって、その胸をドンと叩いた。
「任せなさいよ! わたしが居れば大丈夫!」
根拠のないことを自信満々に言い切る。
それが蛮族二号なのだ。
「お、おう……」
さすがに心配になるハルムァジンであった。




