1000 おじさんは女神と邂逅していたのかい?
お誕生日の深夜である。
おじさんは侍女の膝の上に頭をのせてうつらうつらとしていた。
それは夢か幻か。
あるいは他のなにか、か。
いずれにしてもおじさんは転生前の不思議空間にいた。
目の前にあったのはオリハルコンの神像だ。
あの女神様の。
転生前にさんざん駄々をこねた。
あれは、おじさんの本意であったのは確かだ。
しかし、今にして思えば甘えていたのかもしれない。
だって前世では本音を吐きだす機会がなかったから。
正確には吐きだしてもいいことがなかったのだ。
だから、いつの間にかおじさんは本音を隠すようになった。
大人になったという者もいるだろう。
だが――それはちがう。
おじさんは本音を言うことを許されなかったのだから。
「あら」
おじさんは周囲を見渡す。
なにもない空間だ。
ただ、ただ、真っ白の。
そこにおじさんが作った神像だけがぽつんと置いてある。
「ここは……」
と、呟いて女神像に触れるおじさんだ。
「あのときは申し訳ありませんでした」
素直に頭を下げる。
だって、前世と今生ではまったくちがう人生なのだから。
比べものにならないくらい幸せなのだ。
だから――おじさんは女神に感謝している。
『気にすることはありません』
おじさんの頭の中に、あのとき聞いた声が響いてきた。
『あなたが幸せであれば、それでいいのです』
驚くことをしないおじさんだ。
ただ、聞きたいことがあった。
こんな機会でもないと、聞くことはなかっただろうけど。
「ひとつだけいいですか? なぜ、わたくしだったのでしょう?」
おじさんは疑問だった。
確かに碌でもない前世ではあったと思う。
しかし――おじさんだけが不幸ではないのだ。
例えばの話だけど、生まれたときから難病を患っている子だっている。
あるいは難民として生まれる、被差別の血筋で生まれてしまう。
それこそ挙げだせばキリがない。
不幸な人生を送った者は救済されるのか。
いや、そんなことはないはずだ。
だとすれば、この世界には転生者だらけになってしまう。
それも規格外の力を持った。
『そうですね……人は死んで生まれ変わります。生まれ変わり、またちがう人生を送るのです。前世が不幸であったのなら、今生は幸福な人生を。あるいはまた別の人生を。同じような人生を送ることはありません』
なるほど、と思うおじさんだ。
だとすれば、今生は幸せな人生をもともと送る予定だったのだろうか。
『ですが……あなたはちがいました。何度も同じような不幸な人生を歩んでいたのです。その原因がどこにあるのかはわかりません。恐らくは私よりもさらに高位の存在によるものでしょう』
女神像の声が静かに語る。
『私があなたを見つけたのは偶然に過ぎません。が……あそこまで傷つき、今にも壊れてしまいそうな魂は初めてでした。何度も何度も酷い人生を繰り返してきたせいでしょう』
わからない。
おじさんには前世の記憶しかないのだから。
だけど――自然とおじさんの頬を涙が伝っていた。
『だから――救済したのです。私の持てる力を使って。まぁ色々と手違いになった部分もありますが……』
おじさんが女性になったり、記憶を取り戻したり、ということだろう。
だが、だからこそ良かったと思うのだ。
おじさんは自分の持つ力をある程度は把握できている。
恵まれすぎた才能は手に余ると思うのだ。
そうなれば悪役令嬢一直線だったろう。
いや、聖女の言うように世界の敵になっていたかもしれない。
ラスボスである。
「そこについては気にしていませんので」
『そうでした』
くすりと女神が笑ったような雰囲気を感じるおじさんだ。
『あなたはずっと恵まれなかった。覚えていないかもしれませんが、そうした経験があなたの魂を磨き続けたのです。過去があるから、今があるのですよ。あなたが手にしている力は、すべて本来のあなたが得るものだったのです』
そう言われても、だ。
おじさんにはよく理解できない。
貯まっていた分を一気に引きだしたということだろうか。
『私にできることはそう多くありませんので』
おじさんも似たことを言う。
できることしかできない、と。
少し親近感を覚えて、くすりと笑ってしまう。
「それでも、わたくしは言いますわ。女神様に感謝を」
『ありがとう。あなたは私の愛しい子。初めてもった愛し子なのです。だから――楽しみなさい。今生の人生を』
「ええ。楽しんでいます。ワクワクすることが沢山ありますのよ」
おじさんは語った。
女神像の前でぺたんと座って、語ったのだ。
自分が覚えている限りのことを。
それはすべて見ていた女神だ。
だが、なにも言わずにおじさんの話を聞く。
とても聞き上手だ。
時間を忘れて、おじさんは話した。
話して、話して――最後に言った。
「女神様はわたくしのお母様のようなものですわね」
『そう言ってくれると、すごく嬉しいわ。名残惜しいけれど、そろそろね。また会えるかどうかはわかりません。ですが、私はいつもあなたを見ています。孤独を感じる必要はどこにもないのですよ、リーちゃん』
女神も最後の最後におじさんの名前を呼んだ。
おじさんがふわりと微笑む。
とてもいい笑顔だった。
前世で覚えた作り笑いではない。
本当に心の底からの笑顔であった。
「ありがとう、お母様。わたくし、がんばって生きていきますわ」
その言葉を最後におじさんの姿が消える。
代わりにおじさんの像が出現した。
依り代にでもなっていたのだろうか。
次の瞬間に十柱の神々が姿を見せる。
それぞれが大きな力を持った神たちだ。
「姉上……」
男神の一人が言う。
「ちょっと神気を抑えてくれませんか?」
おじさんが消えた直後のことだ。
女神像から神気がダダ漏れになっていたのである。
それも世界がきしんでしまいそうなほどの。
「ばっか、抑えられると思う? あんなことを愛し子から言われたのよ」
女神が男神の頭を小突く。
「そりゃもう嬉しいってものでしょうよ」
「い、いや。それはわかるんだけどね、ちょっと神気の量が膨大すぎるかな、と」
「だったら動け! いいか、我らの力を合わせて姉上の神気を押さえこむ」
別の男神が声をかけた。
そう――この空間そのものがひとつの世界。
その世界が――悲鳴をあげているのだ。
女神の神気によって。
『きゅんきゅんきたわぁ……リーちゃんがお母様って……お母様って』
女神は像の前にいる十柱の神々の話など聞こえていなかった。
ずっと頭の中で、おじさんの言葉を反芻していたのだ。
「マズいぞ……姉上の神気がさらに桁をあげた!」
最初の男神が警告する。
「ええい。結界だ、結界を張れ。全力でだぞ!」
次の男神が他の神々に指示をだした。
「この世界が壊れてしまえば、姉上は絶対に悲しむ。そうなったら……」
また別の男神が結界を張りながら、ぼそりと呟く。
「考えるだけでも恐ろしいわね」
その男神と似た顔の女神が顔を青ざめさせた。
『リーちゃん! お母さんはずっと見てますからねえ!』
女神の神気が爆発するかのように跳ね上がった。
十柱の神々たちは――それはもうがんばったそうである。
なんだかんだで話数1000話達成です。
これからも「おじさん」を楽しんでいただければ幸いです。