美しいさようならを2
「はぁ」
今日何度目かわからないため息をつき時計を見る。8時になっていた。
「まあ早いが準備するか」
気だるい体を起こすと急に体勢を変えたからか眩暈がした。普段着に着替え、冷蔵庫を開けて中を見る。そこからソーセージと鳥肝煮とパックのごはんとをとりだしレンジで適当に温め食べる。その後歯を磨きコンタクトをつける。疲れから動きが遅くなったせいかもう9時30分になっていた。
「そろそろ出るか」
荷物をまとめ家を出る。4階にある自分の部屋からエレベーターに乗り一階まで降り、自動ドアを抜けて最寄駅を目指して歩く。独身で友達もおらず趣味もないため会社から一駅のところの一人で借りるには少し大きいマンションを借りていた。電車に乗り病院に近い駅からタクシーへ乗り継ぐと10分ほどで病院についた。受付で会社から渡されたファイルと保険証を出し待合室のソファに座った。
「お待ちの佐藤和樹様」
10分ほどで名前を呼ばれたのでソファから腰を上げ看護婦についていく。採尿カップを渡されトイレに案内される、尿をとり小窓から提出した。その後採血するとまた待合室で待機するように指示される。一時間ほどスマホで漫画を読みながら待っていると再度名前を呼ばれたので、先ほどとは別の看護婦についていくと白衣を着た初老の男の下に連れていかれる。
「どうぞ」
看護婦は丸いすを指し座るように言った。初老の男は眼鏡をずりあげるとこちらを見る優しい顔つきだが、その目は知性的で鋭かった。
「佐藤和樹さんですね?」
「はい、そうです」
「初めまして、担当させていただく島田敬といいます」
簡潔に自己紹介をすると少し躊躇うように、同情するように一瞬目を伏せる、しかしすぐに先ほどと同じ鋭い目つきでこちらをみた。
「担当直入にいいます、あなたは今糖尿病を患っており、進行がかなり進んでいるため、いつ危険な状態になるかわからない状態です、はっきり申し上げますと死ぬ可能性もあります」
そう言われ、頭の中に死という言葉が張り付く、子供の時は死を考えるだけで恐怖を感じていたが今はそうでなかった、どうでもよかった、ただ家に帰り寝たいとそう願う。そんな考えが伝わったのかはっきりと憐れみを持った目で見られる。
「佐藤さん、あなたかなりお疲れのようですので、会社に診断書を持っていき、休暇をとってください、そしてしっかりとした生活習慣と食事でできる限りリスクを下げましょう、もし全く改善しない場合は入院もあり得ます」
医師はまっすぐなめでこちらを見てそう言った。
「わかり・・・ました」
なんの感情もない声で答えた。そこで実感する、そうかここまで壊れていたんだな。
「とりあえず今日は診断書と栄養指導の書類とあなたの会社への書簡を書いて渡しますので、必ず炭水化物とアルコール、タバコを控えバランスの取れた食事と運動を行い、睡眠をとってください」
そう言われ受付で代金を支払い、書類を受け取り家に帰る。いつもの駅に着いた、時間は15時といつもよりずっと早かった、しかし何をするでもなく、家に帰りベッドに寝転ぶ。目を閉じると今度は自然と意識が遠くなった。
目が覚める。時刻を見ると22時30分、スマートフォンには会社からの電話で通知が埋め尽くされている、おそらく今日中に提出しなければならなかったデータについてのことだろう、今までであればそれを見ただけで焦っていたであろうが、和樹はお腹が空いた、それしか感じていなかった。
いつものコンビニへ行く。医者から健康的な食事をと再三言われたが、今更長生きしてもな、と炭酸ジュースに酒、おつまみからスナック菓子と色々なものを買い帰路についた、いつもの様に空を見上げながら帰ると違和感に気づく、自分のマンションの屋上に誰かがいることにきずく、その人物は屋上から地面を見下げると足を淵にかけ、やめる、という行動を繰り返していた、それを見て何処か安堵のようなものと、今すぐその場に行きたい衝動に駆られる。
そのまま部屋に戻らず屋上に行くと少女が膝を抱え座り込んでいた。その後ろ姿に見覚えがある。ゴミ捨ての時に何度か見かけた女子高校生だった。
「死ぬのか?」
そう言葉をかけると適当にまとめ上げられた、しかし綺麗な黒髪の少女が振り向いた。その目はとても綺麗なブラウンで、とても暗く絶望を写していた。
「だれ?」
警戒心をはらんだ声で質問される、近づくと同じように顔に見覚えがあったのか、そもそもそんな気力がないのか逃げることはしなかった。
「俺は佐藤和樹だ」
「で、なんでここに来たの?」
拒絶する様な声をかけられる。当然、同じマンションの住人とはいえ初めて会話を交わした男が急に近寄ってきたら誰でも警戒するだろう、それが人生の瀬戸際ならば特に。
「まあ、特に理由はない、屋上にいるお前を見つけたからきた」
「野次馬?それとも女だからワンちゃんあると思った?」
自殺の間際の女に男が近づく、その行為の目的はそれくらいだろう、至極当然の疑問であった。
「いや、そうだな強いていうなら安心したんだ」
「安心?」
「ああ、なんか死のうとしているお前を見て安心したんだ、自分でもわからない」
「なにそれ」
呆れた様子でジト目を向けてくる。
「ねえ、止めるなんてことしないよね?」
それは突き放す冷たさを持った言葉だった
「ああ、俺はここから飛び降りるお前を止める気はない」
「そう、ならいいけど」
隣に腰を下ろし袋から酒の缶を取り出すと開けて一口飲んだ
「なんで隣に座ってんの?なにがしたいの?」
そう言われ考えた、ここに来たい衝動に駆られた理由を、それはとても簡単なことだった
「死に・・・たいんだ」
そう声に出し気づいた今までの人生がどれだけ辛かったのか、何度死にたいと思ったか、しかしその思考も縛り付けられ、怒鳴られ、当然の様にこき使われることで麻痺し、その感情は徐々に隠されていったのだ。
「そうだな、俺は死にたかったんだ、そして今俺の目の前で死ぬ覚悟を決めようとしているお前に嫉妬して、憧れたからここにきたんだ」
ブラウンの瞳が少し揺れ、警戒が薄まったのを感じる。
「そっか」
少しの沈黙が二人の間を流れた。
「私の名前は加藤彩綾、お前じゃなく彩綾って呼んで」
「わかった、じゃあさ、死ぬ前にお菓子とか飲み物あるんだから、今世のものを楽しんでから逝こうぜ」
彩綾はあいかわらず死んだ目だったが、少し口角が上がった気がした。気恥ずかしくなり酒を煽ってつまみを開けて摘む。
「遠慮なく貰うね」
袋からコーラとポテトチップスを取り出し食べ始める。
その横顔は夜であってもはっきりわかるほどに端整な顔立ちであった。
「なあ、嫌だったら言わなくてもいいが、なんで死のうと思ったんだ?」
そう疑問を投げかけると、コーラから口を離し空を向いて深呼吸をした。
「ねぇ私、顔可愛いでしょ?」
こちらを見て微笑む
「そうだな」
恥ずかしげもなく肯定する
「いじりがいないなあ」
彩綾はため息をついて少しためらった後に話し始めた。
「私、片親なの、おとうさんが幼稚園の時に目の前で車に撥ねられて死んだ」
そんな苦い思い出を流し込むように一口コーラを飲む。
「それでね、小学校までは特に何もなく普通の人生を過ごしてたと思う、でもね中学に上がる少し前にお母さんが男を家に連れてきて、その男がお母さんの前ではおとなしいんだけど私と二人になった時にベタベタ触ってくる様になった」
当時を思い出したのか少し身震いをして寒さを堪える様に足を抱えた。
「最初はお母さんも幸せそうにしてたから何も言わず耐えてたの、でも中学2年生の時に二人になったんだけど、そこでレイプされた、お母さんが外出したときに」
口調ははっきりとしているが目は潤んでいた。
「それで耐えきれなくてお母さんに言ったの、そしたらあの人がそんなことするわけないって、何でお母さんの幸せを壊そうとするのって怒られた、その時気づいた、お母さんに私は必要ないんだなって、そいつしか目に入っていなかったんだなって・・・それから休日にお母さんが仕事で家を開ける度に迫られた、抵抗したらお腹を殴られたこともあった」」
彩綾は渇いた口を潤すためにコーラを一口飲む、その間に耐えられずタバコを取り出し火をつけた。
「高校に上がると学校で人気の先輩が私に好意があるっていう噂が流れて周りの女子にハブられて、ものを隠されたり足をひっかけられたり、机に虫を入れられたりのいじめが始まった、それも耐えてたんだけど、ある日いじめグループの彼氏がそこに加わってより暴力的な行為に変わった、先生に言ってもまともに取り合ってもらえず、噂の先輩に相談したら生で抱かせてくれるんなら守ってあげるよって」
タバコを持つ自分の手が怒りに震えていることに気づいて、咄嗟に隠した。
「それで限界がきてって感じだね」
自虐的に鼻で笑った後、コーラの最後の一口を飲んで俯く
「そっか、その辛さを理解することはできないけど」
袋から甘い酒を取り出し渡す
「忘れさせることならできるかもな」
「ふふっ悪い大人、未成年にお酒渡すなんて」
彩綾はそれを受け取り開栓すると半分ほどを一気に飲む
「あぁあ、もう世界なんてどうにでもなれ」
体制を崩し寝転んで空を見上げると星に見惚れていた
「空、見るの好きなのか?」
「うん、なんか自分なんてちっぽけだけど自由でなんでも受け入れてくれる、そんな気がするから好き」
「おじさんはなんで死のうと思ったの?」
「おじさんじゃねえ、まだ26だ」
「アラサーはおじさんでしょ」
ぷっと吹き出しからだを起こす
「話してよ」
頭を掻いてため息をついた
「言っとくが俺はお前ほど大層な悩みは抱えていないし、がっかりするかもしれんぞ」
「しないよ、こんなクソな奴らに囲まれて、クソみたいな人生送ってきた私が今更人にがっかりなんてしないでしょ」
「それもそうだ」
鼻で笑いタバコを一口吸って今までの人生をつらつらとはなした。
「ふーん、社会人なりの悩みって感じ、おじさんも結構苦労してんじゃん、やっぱりがっかりなんでしなかった」
そういうとこちらに笑いかけてくる
「なんで彩綾みたいないいやつがそんなことになるんだろうな、間違ってる」
「仕方なかったんだよ、この地球のこの日本のこの場所に生まれたことやその環境を変えられなかった自分を呪い続けるしかない、だから死ぬんだよ」
下から話し声が聞こえる、長い時間話していたため、こちらにきづく人もおり、だんだんと集まってきたようだ。和樹は酒を飲み干し立つと頬を両手で叩き縁に立つ。
「よし、死ぬか」
「急すぎ」
彩綾は愉快そうに笑う
「まあそうだね、お酒とおじさんのおかげで最期は楽しく逝けそう」
「だから26はおじさんじゃねえ」
彩綾も立って縁に移動すると下を見下ろした
「ねえ、手繋いでよ」
和樹は無言で彩綾の手を取った
「ありがと、最後にクソじゃない人の温もりを感じたかったから」
「俺は未成年に酒を飲ませる極悪人だぜ?」
「うっさい、言わなくていいの」
二人は首だけ向かい合い見つめあった
「じゃあ」
和樹はぎゅっと手に力を入れる
「「さようならだ」」
二人の声が合わさった、まるでシンクロの様に全く同じタイミングで身を投げ出す、下に群がる野次馬たちが叫び声を上げたが、それも二人の耳には届かない、見つめあったまま、最期の時を迎えた。
救急車とパトカーの音が聞こえる、二人の体から流れ出した血はやがて重なり合い一つの流れとなった。