美しいさようならを1
「おい、なにしてるんだ」
声をかけると適当にまとめ上げられた、しかし綺麗な黒髪の少女が振り向いた。その目はとても綺麗なブラウンで、とても暗く絶望を写していた。
「お兄さんだれ?」
警戒心をはらんだ声で質問される
「俺は佐藤和樹だ」
目を覚ました、そこは見慣れた自分の部屋だ。寝巻きを脱ぎ、洗濯機に放り込み顔と髪を洗い乾かしてスーツに着替える。キッチンに向かいシンクの下の収納からカップ麺を取り出し、湯を沸かすために電気ポットに水を入れる。そこで違和感に気づいた、アラームが鳴らない。ベッドに置いていたスマホを拾い上げ画面を点灯させる。ロック画面のリマインダーに検査と表示される。
「そうだ、今日は病院に行くんだった」
時計を見ると6時20分、病院の予約時刻は10時30分でアラームを8時30分に設定していた。
「はぁ・・・」
そんな自分に無意識にため息が出た。
「もう少しだけ寝るか」
誰もいない部屋で呟き、ベッドに横たわった。しかし、習慣からか目を瞑っても眠れずむしろ起きろと言われているかのように目が開いてしまう。
「なんでこうなったんだろう」
これまでのことを思い出す。
「おい!どうなってるんだ、今日までに完成させろといったはずだ!」
スーツをかっちりと着こなした、中肉中背で髪の毛をまばらに生やした男が声を荒げた。
「申し訳ございません、しかし通常業務と並行して二日で資料を作成するのは出来ません」
そう反論した男は痩せこけて目の下に大きな隈を作っていた。
「お前、、、!なに口答えしているんだ、俺が頼んだ仕事なんだから徹夜してでも血反吐を吐いてでも作るのが当たり前だろ!それにそんな態度じゃ今度の評価に響くからな!」
得意げな顔で評価する側であることを振り翳し怒鳴っている。
「まぁいい、今日中に資料を作れよ」
怒鳴っていた男は一転声のトーンを落とし囁くように言う
「お前みたいなのはこの会社以外じゃろくに拾っても貰えないんだから、感謝しろよ、できなければわかるよな?」
脅しているとも取れるそんな言葉に痩せこけた男はただ黙って俯いていた。沈黙を了承と捉えたのでろう怒鳴っていた男は満足そうな顔で自分の席へ戻っていく。
ここはある広告代理店、このように上司が部下をいびる光景は毎日のように続いていた。
和樹は新卒でこの会社に入社し、4年間働いている。
入社1日目で研修を終えデスクワークに向き合い、わからないことだらけでも質問すれば自分で考えろ、それでミスをすればなぜ聞かなかったと怒鳴られる。
残業は当たり前で会社で寝泊まりすることだって両手で数え切れないほどあった。
しかし、残業代は出て給料は良く稼がなければならないため辞めるに辞められなかった。
その理由は親だった、社会人になったら親に楽をさせろ、毎月10万円は渡せ、その他に欲しいものがあればその金も渡せ、そんな家庭であるためにどんな環境だろうが稼げればよかったのだ。
ところが入社してから2年たった頃、両親がドライブ中にカーブを曲がりきれず、そのまま落下し命を落とした。
そのことを知ったときはなにも感じなかったし、涙も出なかった。
会社に葬式のためと有給休暇を申請したが、認められなかったため、唯一の休みである日曜日を使い、葬式を済ませた。
そのことを外面だけはいい両親の友人から薄情者とひどく非難された。
それよりも和樹のなかではこの会社以外じゃ拾ってもらえないという言葉、入社当時から何回もかけられたこの言葉がなによりも怖かったため、親がいない今も辞めるという選択肢は頭にはなかった。
そんな職場に耐えられなかった女性社員が労働監督署に申し出たらしいがとくに対応もなく、その女性社員はトイレで泣き喚いた後に会社を出て帰ってこなかった。そのため外部に相談することも無駄と悟り黙々と自分の仕事を行っていた。
佐藤は19時にその日の業務が終わったが、上司から仕事を押し付けられたために22時まで残業を行った後に会社を出た。帰路につき空を見上げながら歩く、そして途中にあるコンビニに入りカップ麺と酒を買い家に着く。そんな生活をもう4年続けていた。
その日も同じように見もしないテレビをつけスマホで掲示板を見ながらカップ麺を酒でながしこむ、そしてタバコに火をつける。しかし前まではそれで充分だったはずなのに半年程前からおなかが満たされないような、常に喉が渇いているような感覚になっていた。だからと言って毎日のように感じる倦怠感や眩暈が重くなったりすることはなかったため気にしていなかった。
次の日も同じように出勤すると、すぐに昨日怒鳴っていた上司に呼ばれる。
「お前、明日有給を取って病院に行け」
「はい?」
当然のように言われた病院という言葉意味が理解できずに疑問符を投げかける
「だから、一年前くらいに健康診断したろ?そこで異常見つかったから病院行け」
「ですが、提出しなければならないデータがあって、明日作成しなければ間に合うかわからないのですが・・・」
「知るか、仕事が遅いお前が悪い、わかったらさっさと戻れ」
「・・・わかりました」
すぐに首を縦に降らなかったことに苛立ったのか少し強めの口調で命令され、大人しく自分の席に戻った。一年前の健康診断の話を今更言われると思わなかった。おそらく何処かから圧力をかけられたのであろう。
その日の業務が終わり病院の詳細や診断書などを受け取るといつものようにカップ麺と酒を買い家に帰る。
アラームを8時30分にセットし寝床についた。