その5
幻獣術士見習いは、手始めに少量の魔力で契約できる小さな幻獣を召喚する。
最初の契約期間は10日。相性が合うかどうかのお試し期間である。それから大体半年ほどかけてお試しを繰り返し、最初の相棒探しをするのだ。その過程で、どの系統の幻獣と相性が合う、または合わないかが分かってくるという。
そのために、まずは召喚するための魔法陣、召喚陣を作成する。様式にそって幻獣記号を書き込むだけなので、よほど不器用でない限り難しくはない。
完成したところで魔力を流し込めば、陣が発動する。
召喚陣は、いわば求人票のようなものである。発動すると、幻獣たちの住まう世界に募集告知が出回ることになる。
応じてもいいかなと思った幻獣がそれに応えて姿を現し、改めて互いに契約内容を確認して、相違なければ契約するという流れだ。
しかし、すぐに応募があるとは限らず、発動期間はおよそ3日ほど。運が悪いと、その間、一度も幻獣に応じてもらえないこともある。
資質や陣に問題があるのではなく、単にたまたま気づかれなかったという理由で。
哀しい。
だが、気づかれた上で無視されるよりマシだろう。
そんなことを思いながら、ティットは宿舎の自室で机に向かっていた。
机の上には、練習用に配布された召喚陣の記された用紙がのっている。練習用であることも表示されているので、発動しても幻獣が応じることはない。
幻獣記号を知らぬ人間が見れば、模様付きの升目が書かれているようにしか見えないだろう。
少し考えてからティットは記号を書き込み始めた。どうせならばと、馬鹿馬鹿しい条件を連ねてみる。
種族は問わず。大きさ問わず。期間は無期限。条件は召喚主への絶対服従。それに対して提供する魔力は一陣分……召喚陣を発動させるのに注ぎ込んだ分だけ。
魔力量は共通単位がなく分かりにくいため、召喚陣に込める魔力をこちらの世界の一日につき、いくつ分などという表現がされるのだ。
ちなみに召喚された幻獣は、召喚主から提供された魔力をもとにこの世界で行動するので、もともとの魔力保有量だけでなく、回復量といったものも考慮して契約する必要がある。そうでなければ存在を維持するのがやっとという事態にもなりかねないのだ。
つまり、無期限で、一陣分というのはそもそも成り立たない。
ついでに言えば、絶対服従という条件に応じた幻獣はこれまで存在しない。
当たり前である。
絶対服従を意味する記号なぞ、一応、一覧表に載ってはいるものの、最後の方に付け足し程度だ。
ティットも一覧表を見ながら今回初めて書いた。線の数も多くなかなかに面倒だったので二度と書くことはないかもしれない。使わない記号など覚えることもないだろう。
こんなものかなと書き上げた陣をしばらく眺めた後、ティットは魔力を流し込んだ。
発動量に達すると光るのでわかりやすい。魔力を制御する訓練にもなる。
可視化された魔力の色は個人によって違うのだが、ティットの魔力はもやっとした煙のような、くすんだ銀色である。
多分、光っているんだよな?という分かりにくさだ。
ティットは立ち上がって、机横の灯りへと手を伸ばした。精霊術によって作られた灯りは、高級品に限るが明るさまで調整可能だ。宿舎にはその高級品が備えられているのである。
刻まれた模様に触れて灯りを暗くしてみれば、召喚陣がぼんやりと光っているのがわかった。
わかりやすい、赤や青の色鮮やかな魔力の持ち主が羨ましい。強く光る魔力も羨ましい。ちなみに色も光具合も魔力の大きさや強さといったものには関係ない。個性だ。
果たして、この光り具合で、幻獣に気づいてもらえるんだろうか。
そうティットが不安になったときだった。
不意に召喚陣が盛り上がったーーように見えた。
ティットは細い目を見開いた。多分、それでも人並み程度の大きさだろうが、最大限に見開いた。
禍々しいまでに黒い、艶のある硬質なものが、陣から突き出していた。
「えー?」
おそらくは、巨大な幻獣の爪先ではあるまいか。
幻獣は契約を結ぶまで、この世界において実体を持たないが、陣と机からメリメリ音がしそうだ。
小さな陣から出てこようとする、無理矢理感が半端ない。
「いやいやいや、無理無理無理! 魔力足りないから!」
そもそも練習用の陣であり、条件的にも召喚が成立することはない。
そう頭ではわかっているのだが、ティットはその何かの説得に取りかかった。
「そのでかい図体をこの世界で維持可能な契約結べる幻獣術士なんて滅多にいないから! 伝説級だから!」
そう、遥かな昔、暗黒竜と呼ばれる超大型幻獣を使い大陸を焼き尽くそうとしたという狂人、あるいは、その狂人を倒したという規格外魔術士レベルだろう。
爪の持ち主は聞こえていないのか、聞く耳を持たないのか、まだ引っ込んでくれない。
それどころか、もっと出て来た。
爪は爪でもどうやら曲線を描くかぎ爪状であるようだと妙に冷静に確認してからティットは気づいた。
「でか過ぎる!」
最初に契約する幻獣は手のひらサイズがいいと思っていた。自分が手のひらに収まるサイズの幻獣なんて論外である。
実際に契約するわけでもないのだから、関係ないことなのだが、それだけティットも動揺していたのだろう。
「うわっ、可愛くないっ!」
言い放つと、びくっと爪が震えたような気がした。
スーッと静かに爪は引っ込み、何事もなかったようにそこには光の消えた召喚陣だけが残った。
ティットは大きく息を吐いた。
……いったい、なんだったのだろう。
ひょっとして、暇を持て余す幻獣にからかわれたのだろうか?
考えたところで、答えは出ない。
とりあえず危機は去った……危機だったのかどうかもわからないけども。
まだ就寝するには早かったが、なんだかどっと疲れたのでティットは寝床に潜り込んだ。
同室のカーリャが家族との面会を終えて部屋に戻ってきたときには、ぐっすり寝入っていたらしく、そのまま朝まで目覚めることはなかった。
翌朝、まだ半分寝ぼけながらティットが朝食を食べているとカーリャから尋ねられた。
「昨夜、作っていた練習用の召喚陣なんだけど。あれ、使用済みになっていたでしょう?」
不審に思ったらしい。カーリャは精霊術士見習いだが、幻獣術士も身近にいる環境で育ったため、ある程度幻獣記号も覚えている。魔力の気配にも敏感なので、召喚陣が作動したことも察知したのだろう。
「あー、うん。手順は間違えてないはずなんだけど」
ティットは昨夜の出来事をカーリャに説明した。それを小首を傾げつつ聞いていたカーリャの見解もティットと一致した。
おそらく暇な幻獣がからかったのだろう、と。
「暇を持て余してる幻獣も多いそうだから」
カーリアがいうに、向こうの世界にいても暇だからこちらに居続けることを要求する幻獣もいるらしい。
「暇なんだ」
「ある程度、力のある幻獣に限るけれどね」
一般の幻獣は縄張り争いや子育てなどそれなりに忙しいらしい。
強力で長命な幻獣ほど争いはせず、そして、子育ても滅多にすることがないので暇らしい。
おまけに力が強いため、召喚されることもそうそうない。
伝説の暗黒竜も暇だったから、少ない魔力での召喚に応じたという説もあるそうだ。
「そうか……暇か……」
昨夜の幻獣も暇だったのだろう。
それにしても、種族はなんだったのか。
気になったティットは、食後から早速調べ始めたが、情報が少な過ぎたため判明しなかった。さすがに爪先一本では難しい。
ただ、この一件から、ティットは召喚陣の改編を考え始めた。
ひとえに自分が遊びたかったからだ。
これだけの魔力を提供するので、まずは体の一部を、部位を変更して数回、見せてほしい。そして最後に全体像(縮小された幻影)を見せて、種族名を教えてほしいと呼びかけるものである。
魔法に長けた大型幻獣なら、そのくらいのことは可能と見込んで、暇つぶしに遊んでもらおうという試みだ。
これまでにも、幻獣に質問するためのものや、幻獣たちの暮らす世界を見せてもらうための魔法陣は存在したが、全くの娯楽目的で作られた陣は存在しなかった。
この新たな陣を完成させるのは見習いに過ぎないティットには難しすぎたものの、結果からいえば、後年、幻獣の相棒の協力を得て無事に完成させた。
そして、その魔法陣は超大型幻獣たちに好評を博した。
さらに、暇だった超大型幻獣たちが交信目的の魔法陣発展に喜んで協力した。いや、むしろ自分たちで積極的に試作した。なにせ暇だから研究に使う時間はたくさんある。
そのため、最終的には、幻獣たちが魔力のない人間とも一緒にカードや遊技盤を使ったゲームを楽しめるほどにもなった。
ゲームを始めたはいいが、幻獣が長考し過ぎたため、人間側は代替わりしていた、なんてことも起きた。
このような実にゆるゆるした交流が行われたことで、人間と幻獣との相互理解は進み、幻獣術士も活動しやすくなった。
その礎を築いた人間として、ティットの名は幻獣間でも語り継がれた。偉大なる魔術師と呼ばれるようになった理由のひとつである。
ちなみに、最初に作られた種族当ての魔法陣は「ティットの小窓」と呼ばれ、幻獣にも術士見習いにも親しまれたという。