その3
魔術士と呼ばれる存在は、全員が魔術士協会に所属し、決して人命を脅かさないという誓約のもとで魔術を行使するようになっている。
誓約を破ろうとすれば、我が身に返るだけなので破滅願望のある者しか破ろうとはしない。
誓約を拒否すれば、協会本部にいる大魔術士によって魔力を封じられる。魔術士を引退したいという場合も同様で、大魔術士によって魔力を封じてもらうことになる。
魔術士見習いたちは、半年間、みっちり魔術の基礎を学んだ上で、大魔術士の立ち会いのもと、この誓約の儀に臨む。
ちなみに誓約しなければ、精霊または幻獣と契約できないので、魔術は使えない。
教官からそのように説明を受けたティットは元気よく挙手して質問した。
「大魔術士って何人いるんですか?」
質問を受けた教官はゆったり微笑んだ。年齢不詳の美女、ナイヤ・ベルソニー教官である。青みがかった灰銀色の髪と目、透き通るように白い肌は北方諸島出身者の特徴だ。
「正確には、わかりません。公表していないのです。しかし、常に十人はいるといわれています」
「なぜ公表しないのですか?」
ふふふとナイヤ教官は笑いをこぼした。その笑顔を見た何人かの見習いが顔を赤くしている。
「大魔術士は、魔術士の監視役を兼ねています。誓約に反しなくとも、悪いことをすることは可能ですからね。そういう魔術士を取り締まるために、協会長以外の大魔術士は身元を明かさないのです。誓約の儀式の際も、全身ローブに身を包み仮面をつけて現れます」
「不審者だ」
ティットの心の声が実際に口からもれたが、ナイヤ教官は怒らなかった。怒るどころか、深く深く頷いた。
「二十年ほど前、誓約の儀に参列すべく移動中の大魔術士が警備隊に通報されて騒動になって以来、協会本部から送迎用に幻獣がつけられることになりました」
妥当な判断だ。魔術学校は大国の都に置かれている。それはつまりそれだけ人目につきやすいということでもある。幻獣を連れていれば、魔術士だということで遠巻きにはされても、通報されることはない。
ティットの隣にいた見習いが、すっと手を挙げた。そのなにげない仕草すら気品があるのはさすが貴族のお嬢様と整えられた指先を眺めつつティットはひそかに感心した。
「なんですか、カーリア」
「大魔術士は誰が監視するのですか?」
「お互いに監視しますが、それ以前に大魔術士になるにあたって、もっと厳しい誓約をするのです。誓約内容については、後々、学ぶことになる人もいるでしょう。古代語の上級教本に載っていますよ」
古代語は精霊言語とも呼ばれ、精霊と契約を結ぶためには必須の言語だ。ちなみに幻獣と契約を結ぶ際は、幻獣記号と呼ぶ図柄を用いる。
そのためティットが古代語を上級まで学ぶことはおそらくないだろう。精霊がこぞって「まずそう!」と、適性検査という名の「味見」を拒否したくらいにはティットの魔力は幻獣向きだから、精霊と契約を結ぶことはない。すでに将来は幻獣術士でほぼ確定だ。
まずそうといわれるのは、なんか悔しいが、そもそも契約するなら幻獣がいいなとティットは思っていたので問題ない。決して負け惜しみではない。
なにせティットは動物好きだ。
故郷の姉から幻獣図鑑を贈られて以来、どの幻獣と契約しようかと頁をめくりながら将来に思いを馳せるのが日課となっているほどだ。ただ、寄宿舎で同室のカーリアからは人前では読まないように忠告された。自覚はないが、にやにやしているらしい。
授業が終わり、カーリアと並んで寄宿舎に向かいながら、ふと思い出してティットは尋ねた。
「大魔術士になるのって、魔力が大きい以外、なにか条件あるのかな?」
「そもそも実態がわからないのだから、条件もわからないわ。わたしも大魔術士と呼ばれる存在がいるとしか知らなかったくらいよ」
魔術士一家に生まれ育ったカーリアがそういうくらいだから、世に出ている情報はかなり少ないのだろう。
「ふうん。ま、どうせ関係ないから、いいか」
確かにこの時は、ティットにとって、大魔術士なんて遠い遠い存在だったのだ。関わり合いになることはまずないだろうと思って当然だった。
一年で最も長い夜が明けた日に、誓約の儀式が行われた。
他の見習いたちとともに儀式に臨みながらティットは小首を傾げた。
大講堂に集まった同期の見習いは二十名足らず。
立ち会うのは校長をはじめとする教官たちと大魔術士、そして彼らと契約している幻獣と精霊たち。精霊はティットの目には見えないが、その存在はなんとなく感じられる。
そして、大魔術士を協会本部から運んできた巨鳥、嵐呼鷲もいる。
大型幻獣に対応した造りであるからこそ大講堂に入れたが、一般的な民家ならば戸口をくぐれるのは頭くらいだろうという大きさである。
ティットの気のせいでなければ、その嵐呼鷲から熱い視線を注がれていた。
何故だろう。鳥の目を引くようなものはなにも身につけていないはずだがとティットが疑問に思う中、滞りなく儀式は進み、誓約の呪輪が見習いたちを囲んで弾けた。
ぱちんと音がして何かが体の中に染み込んだ気がしたが、それだけである。
誓約は無事なされた。
これからは、授業に実技も加わることになる。近々、精霊術士と幻獣術士に分かれていくことだろう。
そんな学長の話が済むと、見習いたちは解散して、ばらばらと講堂の外へと向かった。
ティットもカーリアや他の見習いたちとおしゃべりしながら出入り口へと向かっていたのだが、見習いの正装たるローブを引っ張られて無理矢理歩みを止められた。
犯人は、目をキラキラ輝かせた嵐呼鷲だった。裾を嘴で挟んで止めたのである。破けたらどうしてくれるんだと顔をしかめたティットに向かって嵐呼鷲は告げた。
〝ついばんでもよいか?〟
「おことわりです」
迷う余地もなくティットは返事した。
〝なぜだ!?〟
よほど意外だったのか、普段は後ろ斜めに流れている冠毛が逆立った。
「いや、おとなしくつつかれると思うほうが、むしろなぜだなんですけど」
なにせ嵐呼鷲の全長は馬より大きい。嘴でさえ人の顔よりずっと大きいのだ。
〝つつきはせぬ! ひとついばみするだけだ!〟
「違いがわかりません」
つつこうが、ついばもうが、えぐれる。間違いない。
〝ここにいる連中はみな味見したのだろう!ずるいではないか!〟
風が起きた。
人間なら指差したであろう、翼を広げた先に示されたのは、教官の幻獣たちである。
ニヤニヤ笑う月狼やら、そっぽを向いてパタンパタンと尻尾を動かしている闇猫やら、薄眼を開けてそっと様子を伺う岩石亀やら。せっかちな風馬や炎獅子は立ち去った後だろう。
誓約の儀が行われるより少し前に見習いが幻獣術士と精霊術士のどちらに向くか判断するために、教官たちと契約している幻獣や精霊が魔力の「味見」をする。通常は各二体程度で終わるのだが、この連中は入れ替わり立ち替わりやって来て、こぞってティットの味見をしていった。
「あー、そーゆー意味ですか」
目当ては魔力だったようだ。
どうやらティットの魔力はちょっと変わった味がするらしく、幻獣たちはひとなめした後、「珍味!」と叫びながらもだえていた。精霊たちは味見すら拒否したものの、幻獣たちにとってはまずいというわけではなさそうだ。しかし、珍味ってなんだ、珍味ってとティットはもやもやした気分にさせられたものである。
「嵐呼鷲殿」
冷ややかな声でがカーリアが割って入った。頼りになる友である。ちなみにほかの見習い達は巻き込まれないようにとそそくさ退避した。
「契約者の許可なしに魔術士と取引することは禁じられているはずですが」
薄青色の瞳が氷のように冷え冷えとしている。カーリアは幻獣に対してやや冷たい。すぐつけ上がる連中だからというのが、彼女の見解だ。
カーリアの家族は、父方の祖母、父、叔母は幻獣術士、母方の祖父、母、伯父は精霊術士という魔術士一家であり、生まれてこの方幻獣たちとも触れ合ってきたのだからまるきり偏見というわけではない。
〝あやつらには舐めさせたのであろう?〟
「あれは、教官たちの認可のもと、この魔術学校の授業の一環として行われました。契約範囲内です」
カッと嵐呼鷲が目を見開いた。冠毛もパッと広がった。
〝ずるい、ずるい、ずるい! ずるいではないかぁ〜!〟
駄々っ子のごとく、首をブンブン振って、ジタジタと足踏みまでする。石の床に当たった爪がカッカッカッと硬質な音を立てていた。
床材が木材だったら穴があいたかもしれない。
ティットがなんともいえぬ気分でその姿を眺めていると、音もなく近づいてきた大魔術士が手にした杖で嵐呼鷲の頭をぶん殴った。
カコンといい音がした。中身はあまり詰まってなさそうだ。
「すまない」
大魔術士から発せられた一言は仮面のせいでくぐもっており、男か女かも判断しづらい。
立ち去ってよいと手をふるので、ティットたちは会釈してその場を離れた。嵐呼鷲はふらふら揺れていた。
「すごい音がしたなぁ。かわいそうに」
「契約者抜きで見習いに声をかけるのはだめでしょう」
カーリアがきっぱりと言う。
「そりゃそうなんだけど。どうせなら、目の前で大風起こしてもらった方が楽しかったんだけどなあ」
嵐呼鷲は興奮すると冠毛を逆立て、さらに興奮が高まると冠毛を広げ、それから翼を高々と上げて震わせて大風を起こす、と幻獣事典にあったのだ。
もう一息だったのにと残念そうに呟くティットにカーリアが冷ややかな目を向けていたが、もちろん、ティットは気にしなかった。慣れていたので。
夕方になってティットは呼び出された。
いつもの指導担当教官にではなく、学長直々に。
今度はなにをやったんだと見習い仲間たちにいわれたところで、ティットに心当たりはない。
また知らずに何かをやらかしたのだろうか。
夕食に間に合うよう早く終わらせてもらいたいなと考えながらティットは学長室に向かった。道すがら鼻歌を歌っていたので余裕もいいところだ。
つつかれることは拒否したものの嵐呼鷲を間近に見ることができ、上機嫌だったのである。
「やあ、ようこそ学長室へ」
ティットは彼女に負けず劣らず上機嫌な学長に出迎えられた。
学長は白髪に白髭をたくわえた、いかにも好々爺という雰囲気の持ち主だが、若かりし頃はその苛烈な殲滅ぶりで同じ魔術士たちをも震撼させた精霊術士だったそうだ。
年をとったら丸くなるっていう見本かな。
そんなことをティットは考えていたが、学長をよく知る魔術士たちなら口を揃えてこういっただろう。
隠すのが上手くなっただけ、と。
促されるまま、おとなしくティットは応接用の椅子に腰を下ろした。いい作りだなと滑らかに磨き上げられた肘掛けをなでさすっていたら、お茶まで出てきた。叱られるわけではないようだ。
「君は幻獣術士を希望しているそうだね」
「はい。精霊とは契約結べそうにないですし」
ティットには聞こえないけれども、一部の精霊たちには、まずそうどころか、寄るな、くさいなどとまで言われてるらしい。ひどすぎる。
それに、言語を覚えるよりは図柄を覚える方が得意だ、多分。家業の手伝いで家具の装飾用に伝統的図案をこれまで幾つも彫ってきた。
あ、召喚用の図柄を彫ってみたら覚えるかも?
そんなことをティットが考えていると、ずいと学長が身を乗り出してきた。
「ものは相談なんだが、卒業するまで我が校と専属契約しないかね? 月一回の魔力提供、見返りは卒業後必要となる魔術道具最高級品一式」
術展開の起点となる杖をはじめ、魔力を貯めておくための石、魔力遮断の外衣などなど、魔術士として仕事をするのに必要となる道具一式を庶民出身者は分割払いで揃えるものだ。
悪い話ではなさそう、だが。
「えーと、詳しい条件を一度書面にしていただいてもよろしいでしょうか? 魔力提供の一回の量や、道具一式の具体的内容など。即答しかねますので、ぜひ」
ティットは独立した職人の娘である。契約の大切さはいやというほど知っている。姉に散々どやされる兄の姿を間近に見ていたので。
「おお、話に聞いていたより、しっかりしているではないか。これなら安心だ」
機嫌を損ねるどころか、感心感心と学長は頷いた。
一体誰からどんな話を聞いていたのかと思案をめぐらすティットに、学長はあらかじめ準備していたらしい契約書を手渡し、ゆっくり考えてみてくれと言った。
その後、しばらく学舎での暮らしについて話を聞かれてから、ティットは解放された。
お茶も茶菓子も大変美味かったので、ティットは来た時よりもさらに機嫌良く宿舎へと帰った。
「特におかしな点は見当たらないわね」
早速相談を持ちかけられたカーリアが書面に目を通して告げた。
「幻獣と契約した後でも、支障にならない程度の魔力量だし」
「わたしの魔力量は少ないって話なんだけど、それでも?」
「ええ。そもそも契約に使う魔力量には制限があるのよ。いかなる相手だろうと魔術士の行動、生命に支障をきたすような量での契約は結べないことが基本。それにあなたの場合、量は少なくても回復が早いでしょう? 問題ないわ」
「それじゃ、たとえば、半日ごとにこのくらいというような、分割での契約もできるの?」
「契約内容を理解できるだけの知能があるものとならね」
「うわー、その時点で契約難しそうなんだけど」
「知能高い連中は寿命も長くて退屈してるから、なんとかなるんじゃない?」
生まれながら幻獣が近くをうろついていたカーリアの言葉である。
そんなものかとティットは納得した。
それからしばらくして、ティットは学園と契約を結んだ。カーリアの助言のもと、品質の等級など詳しい規定を盛り込んだものであったが、学長はすんなり受け入れた。
ティットの魔力の味見目的で、魔術学校には多くの幻獣が訪れるようになり、幻獣と契約を予定している見習い達には、大いに参考になった。
ティットは入れ替わり立ち替わりやってくる幻獣たちを快く迎え入れ、存分に触れ合って好奇心を満たした。
魔術士ティットは千の獣と契約したという逸話が後の世に残ったのは、間違いなくこの契約のせいだった。
もしもティット自身が、その逸話を耳にしたら他の幻獣の千倍はかわいくて、かっこよくて、賢くて、優秀な幻獣と契約したからね!など鼻息荒く言ったであろうが、その逸話が生み出されたのはティットの没後であったから、ティットの耳に入ることはなかった。
ストック分はここまでです。今後は数ヶ月単位での更新になるかと。年単位は避けたいところなんですが。ゆる~んと続く予定なので、気が向いたらお付き合いくださいませ~。