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その2

 魔術には、二種類ある。


 精霊術と幻獣術だ。


 この世界にいる精霊を介して魔術を行うものを精霊術、異界から召喚した幻獣を介して魔術を行うものを幻獣術と呼ぶ。


 どちらも魔術士が己の持つ魔力を糧に契約して行使するという点では変わりない。ただ、精霊術と幻獣術、両方行使する者は極めて稀だ。たとえ精霊と幻獣の両方から好まれる魔力を持っているとしても、二つに分け与えることで威力が弱まり、魔術士として使いものにならないからだという。


 そのため、ほとんどの魔術士は、精霊術士、幻獣術士と区別されて呼ばれる。


 しかし、契約をするまでは、ひとくくりに魔術士見習いと呼ばれる。


 魔術士見習いになる者、すなわちある程度の魔力を持って生まれた者はそれなりの数がいる。


 なにせ貴族と呼ばれる存在のほとんどが大小差はあれども魔力を持つ。


 平民にもちらほらとだが、魔力を持つ者はいる。ただし数は少なく、魔術士になるほどの魔力を持つ者はさらに少ない。


 ティットは平民出身の魔術士見習いの一人だ。全部で百名ほどいる魔術学校の魔術士見習いの中でも平民出身者は現在七名。貴族出身者に囲まれて肩身が狭いとまではいかないが、多少なりとも居心地の悪さを感じているようだ。


 とはいえ、ほとんどの貴族出身者は仲間として平民出身者を受け入れている。魔術士同士でないと通じない感覚や話題、悩みといったものはいくらでもあるのだから、魔術士以外の人間よりも親しく感じるのは当然だろう。


 魔術学校に入って三ヶ月余り。ティットは貴族出身者に囲まれて過ごしていたが、特に居心地の悪さは感じていなかった。生来のんき者であることに加え、興味のあるものしか目に入らない性質だからかもしれない。あるいは寮で同室の貴族出身者が気さくに接してくれるからかもしれない。


 しかし、平民と貴族の違いというものにティットはその日、唐突に気づくことになった。




 ティットの前には、今、縦じわを眉間に刻んだ教官がいる。


 そのしわは深く、紙、いや、ペン先ぐらいは挟めるんじゃないだろうか。


 教官の渋い表情を眺めながらティットはそんなことを考えていた。


 レガス・オットカンは老人ではない。老人どころかまだまだ若い。魔術士になって十年だと聞いたことがある。魔術学校に入るのは十四歳からで、学ぶのは六年間だから、せいぜい三十歳くらいだろう。


「ティットティッティティットン」


 レガス教官は、きっちりとティットの名を呼んだ。


 いつも律儀だなとティットは素直に感心した。面倒なので、大概の人は省略してティットと呼ぶし、ティット自身もそう名乗る。


 名付けたのは亡き曽祖母だというが、なぜこんなややこしい名前にしたのかは分からない。両親も祖父母も縁起のいい名前とだけ聞いたそうだ。曽祖母は気難しいところがあったので、詳しくは聞き出せなかったらしい。ティット本人が物心つく前に亡くなったので、ティットも、もちろん名前の由来を聞いたことはない。


「なぜ呼び出されたか、わかるな?」


 問われてゆっくりとティットは瞬きした。


 ティットの目は少し灰色がかった薄緑色だ。人によっては和毛に覆われた新芽を連想するかもしれない。まつ毛は髪と同じ枯れ草色。その色のせいか、目自体が細いせいか知らないが、よく寝ぼけているように見られる。実際、寝ぼけていることも多いが、この時のティットははっきり目覚めていたし、真剣に記憶を探っていた。


 遅刻はしなかった。


 課題は提出した。


 授業だって真面目に受けた。


 掃除当番として、講堂の掃除もちゃんとした。


 そこまで考えてティットの眉間にしわが寄った。レガス教官に比べれば、とても浅くではあったけれども。


 その様子をレガス教官はじっと見ていた。彼の目は、黒に見間違うばかりの深い青色だ。そのことをこの時初めてティットは認識した。


「……わからないんだな?」


 ティットは神妙に頷いた。


「生け垣」


 ぽんと放たれた単語にティットは首を傾げた。


「寄宿舎の周りの生け垣の蕾をむしって回ったそうだな」


 あー、とティットは気の抜けた声を上げた。


 今、寄宿舎の生け垣には赤い蕾がびっしりとついている。もう少ししたら、ふくらみ、色が薄まって、淡紅色の薄い花弁が開くことだろう。


「どこの悪ガキが忍び込んで悪戯しているかと思えば、寄宿生だったと庭師から抗議があった。……おまえは何歳(いくつ)になった、ティットティッティティットン」


「いや、でも、ニノナは蕾のうちに摘まないと、もったいないじゃないですか!」


 真剣に、それはもう真剣にティットは訴えた。


「花が開いたら、香りも効能もあっという間に飛んじゃうんですよ!? せっかくの蕾を摘まないなんてもったいないことできません! 先生だってご存知ですよね!?」


 ニノナは赤いうちに摘み、喉が赤くなる前に飲め。


 子どもでも知っている、ことわざである。何事も時機を逸してはならないという教えだ。


 レガス教官の眉間の縦じわが消えた。どうやら驚いたようだ。


「知らん」


「え?」


「ニノナの花になんの効能があるというんだ?」


 ふざけてるのか。


 そうティットは思っただけで、幸いにも口には出さなかった。


「なんのって、フニニノナですよ! 喉風邪の特効薬の! どこの家でも蕾をフニ二蜜に漬け込んで冬に備えてるじゃないですか」


 ちなみにフニ二蜜はフニの樹液とニニの樹液を合わせて煮詰めて作るもので、比較的安価な甘味料として出回っている。


「聞いたことがない」


 そっけない返答に、ティットは細い目を見開いた。たぶん、この状態でならば人並みの大きさだろう。


「じゃあ、じゃあ、なんでニノナをわざわざ生け垣にして植えてるんですか!?」


「観賞用だろう」


 意味がわからない。


 正直にその思いがティットの顔に出ていたのを確認し、レガス教官はもう一度繰り返した。


「少なくとも都では、ニノナの花は観賞用だ。食用じゃない」


「それじゃあ、風邪ひいたとき、どうするんですか!?」


「医者を呼ぶ」


 意味がわからない。


 ティットはぽかんと口を開けた。


 風邪で、医者を、呼ぶ?


「ただの、風邪で?」


 少しの間、レガス教官は沈黙した。ティットの家族や出身地などの情報を思い出していたのだろう。ティットは職人の家の出で、地方の小さな町に住んでいた。医者は一人しかいないし、診察には金もかかる。


 よって、医者にかかるのは家庭ではどうしようもないほどの病気や怪我の場合のみだ。


 そこまで詳しくは知らないにせよ、なんらかの説明の必要があるとレガスは理解したようだった。


「ただの風邪でも放っておくと評判が下がることもある。あそこの家のお抱えの医者はなにをしているんだ、と。そして、家の人間もどうして放っておくのかと非難される」


 オカカエノイシ。


 ティットには馴染みのない言葉だった。


 おかかえの…お抱えの?


 反芻してようやくティットは理解した。


「お貴族様めっ!」


 突きつけた指を、つかまれてグニっと曲げられた。


 いででっと騒ぐティットにレガス教官は平坦な声で告げた。


「慣習の違いということで、今回は不問とする。庭師にも言っておく。だが、もう、むしるな」


 そういわれて、反論する時間も与えられずにティットは教官の部屋から放り出された。


「あんなにいっぱいあるのに!」


 ティットは諦められなかった。お抱え医師なんてものがいる貴族の存在も腹立たしかったのかもしれない。


 庭師の居場所を聞き出し、しつこく、それはもうしつこく庭師におねだりして、さらには寄宿舎の管理人に交渉し、寄宿舎でも端の方のあまり人が通らない区画の生け垣の蕾を摘む権利を条件付きで獲得した。


 全部の蕾は摘まないこと。そして、生け垣の手入れの手伝いをすること。


 それが条件だった。ティットは喜んで条件をのんだ。


 ティットの在学期間中、寄宿舎を囲む生け垣の一部にだけ、数は少ないものの大きな花が咲くことになり、それに気づいた通行人を不思議がらせたが、気づいた人の数も少なかったからか噂になることはなかった。


 ティットは毎年ニノナのフニニ蜜漬け、フニニノナをつくることができたし、庭師の指導のもとニノナの手入れ技術を身につけることもできた。後年、存分に摘めるよう自分で生け垣をつくりもした。そして、身近な人々にフニニノナを配りまくった。


 結果として、フニニノナが王都でも普及した。王都において庭付きの家に住めるのは少数であるために自家製ではなく、地方から仕入れての商品という形ではあったが。


 店頭に並ぶ瓶入りのそれらを見かけるたびに、ティットが満足気に鼻を鳴らしていたというのは、秘密でもなんでもないものの、当然ながら巷に知られることはなかった。


 ただ、ティットがニノナを好んだという記録はどこかに残ったらしい。特には役に立たない逸話として。


 ティットとしては普及に尽力したことこそ記録に残してもらいたかったかもしれないが、そもそも自分の名が記録に残ることなどティットが知るよしもなかったので問題なかった。


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