その1
この世には魔術士と呼ばれる者がいる。
己の魔力を糧に、この世界に住まう精霊あるいは異界から召喚した幻獣と契約し、その力を借りて魔術を行使する者たちである。
魔術士足りうる魔力を持つ者は、十四歳になると主要国に置かれた魔術学校に入り、魔術の基礎を学ぶことが定められている。魔術学校を運営するのは国ではなく魔術士協会だ。
魔術学校に入った魔術士見習いたちは魔術について学び、やがては契約相手を選び、精霊術士と幻獣術士に分かれていくのであるが、どちらになるか自由に選べるわけではない。魔力が精霊と幻獣、どちらに好まれるかで、ほぼ決まるのだ。
つまり、魔力の味が決め手ということだ。
つい十日程前、魔術学校に入学したティットはそのように理解した。
「そんな根本的な違いがあったんですね。知りませんでした」
説明を聞いてうんうんティットがうなずいていると、がしっと頭を大きな手でつかまれた。手の持ち主は新入生指導担当のレガス・オットカン教官である。
南方人らしく、彫りが深くてやや険しい顔立ちをもともとしているが、それがますます険しくなっているのは気のせいではないだろう。
今、ティットは彼から特別指導を受けているところだ。それというのも、基礎知識を確かめるという名目で実施された初の試験でティットが惨憺たる結果を出したからだ。
ただ最下位というだけでなく、魔術学校始まって以来の最低点だったらしい。歴代の記録が残っていることにティットはひそかに感嘆したものだ。
「知らなかった、だと?」
低い低い声である。最北の地に住むという氷狂熊の威嚇する唸り声とはこんなものかもしれない。レガス教官にはどことなく野生生物の趣がある。
南方にも大型で凶暴な獣がいただろうか?
「ティットティッティティットン、お前、入学するまで、何をしていた?」
呼びにくい名をきっちり呼んで、レガスは問うた。本人すらも面倒でティットとしか名乗らないのに律儀である。
「工房で祖父と父の手伝いをしてました。神殿付属学校にも行きましたけど」
ティットは辺境の町の木工職人の娘だ。曽祖父の代から続く工房を、祖父と両親と兄で営んでいる。兄はまだまだ見習いの域を出ていないが、いずれは工房を継ぐだろう。
顔と頭のできの良い姉は商家に働きに出ていて、いずれ我が家の製品を王都で売り出すという野望を持つ。その足がかりにすべく、商家の三男坊を下僕、いや、恋人にしているらしいが、真相は不明だ。
残念ながらティットの顔と頭のできは、兄とどっこいどっこい。でも、手先は器用だから助手くらいにはなれるだろうと二つ下の弟とともに工房の手伝いをしつつ、他の職人や商人の子どもたちと同じように無料の神殿付属学校に通っていた。読み書き計算はできるに越したことはない。
「魔術士協会から基礎教本が支給されただろうが」
「あー、魔術学校に入ってからもらったやつですか? まだ読み切れていません」
「入る前に支給されたものだ! 魔力検査受けてすぐに!」
通常、魔力があるとわかった子どもは、魔術士協会から渡される教本を読んで、魔術士としての知識を徐々に深めていく。遅くとも十二歳くらいまでには魔力検査を受けているのが一般的だった。
「教官、わたしが魔力検査受けたの、入学の半月前なんです」
「は?」
レガスの眉が大きく動いた。
どうやら何も聞いていないらしい。連絡不十分というものでないかと考えつつティットは釈明を始めた。
魔力検査を自主的に受けるのは、貴族くらいのものだ。平民には魔術士になるほどの魔力持ちはめったに生まれないため、自ら受けることはない。大抵、魔術士が立ち寄った先で見つけて、魔力検査を受けるよう手配するのである。
片田舎の町に常駐の魔術士はいない。その上、ティット一家が工房を移して町で暮らすようになったのは三年ほど前からである。それまでは山間の小さな集落で暮らしていたため、魔術士と接する機会がさらになかった。
なにより魔術士の才は大抵の場合、血筋で受け継がれるものだから、魔力の有無を調べようなどとティットも両親も思ってもみなかったのだ。
ティットに魔力があるとわかったのは偶然だった。十四歳の誕生月を迎え、祝いになにか買ってくれるというので納品に行く父にくっついて隣町を訪れたところ、町役場の前で幻獣に出会った。
近隣に出没した魔物の退治に派遣された幻獣術士がその結果を町長に報告する間、外で待っていたのだと後に聞いた。
その幻獣は鷹揚な性格らしく、子どもたちが近づくのを厭わず、大人しく撫で回されていた。馬ほどの大きさの銀色の月狼で、ティットも大喜びで撫で回した所、月狼に話しかけられたのである。
〝おまえの魔力、なかなかそそる匂いだ〟
いきなり頭の中に直接語りかけられたことよりも、「微妙な上から目線のモフモフ、なにこれ可愛い!」と興奮したティットは一瞬、反応が遅れた。
「……マリョ、ク……魔力? 初耳なんだけど」
それから、大騒ぎになった――主に魔術士協会が。ティットの魔力はさほど大きくはないが魔術士になるには十分で、それが見逃されていたのは重大事なのだそうだ。こんな取りこぼしがあるなんて、もっと積極的に隅々まで探索の手を広げなくてはとかなんとか、上層部で大騒ぎだったらしい。
ティットの家族は祭りで当たりくじを引いた程度には騒いだ。
生涯食うに困らないぞ、良かったなぁと喜ぶ祖父。
よし、大型家具の運送に役立つ術を身につけて帰ってこいと笑顔ですぐにでも送り出そうとする姉。
ティット姉ちゃん、もらわれっ子だったのと目を見張る弟。
あんたは間違いなくあたしから生まれたんだけど、一体どうしたものかねと首を傾げる母。
おまえ、まさか、いやそんなと母を見ながら呟いて、母からぎゅうぎゅうに脇腹をつねられて涙目になる父。
こんなこともあるんだな、それより今朝届いた木材なんだが、ちょい粗くね?と全く気にしていない兄。
ティット自身は、幻獣を近くで見放題になるので、ちょっと浮かれていた。
あれよあれよという間に、ともかく急げと身の回りの荷物をまとめるや否や故郷からはるか遠くにある魔術学校に送り込まれたティットは当然のことながら魔術士見習いとしてはまっさらな状態だったというわけだ。
「というわけで、これから教本を読みますので問題ありません」
経緯を説明して、ティットは達成感を覚えたのだが、レガスの表情はますます険しくなった。
「問題大ありだ」
レガスはとても熱意のある教官だった。
それからおよそ三ヶ月、毎日毎日、熱意と、時々、物理的に力を込めて、懇切丁寧にティットを指導してくれた。たまにほかの見習いも交ざるが、ほとんど一対一である。がらんとした講堂に二人きり。逃げ場はない。
おかげでティットは授業についていけるようになった。ついていけるどころか、時折、妙な方向で才能を発揮するほどになった。
落ちこぼれにしておいたほうがよかったのではないかとレガス・オットカン教官は後々頭を悩ませることになったらしい。
しかし、後年、ティットの恩師として筆頭に挙げられるのはレガス・オットカンである。本人は大変不本意だったそうだが仕方ない。
ティットが入所した年の新入生指導担当となったのが運の尽きだった。