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一話完結の短篇集

私の正義が死んだ日

作者: 雨霧樹

その日は、隣の町で行われる花火大会の日だった。馬子にも衣装なのか、普段はお転婆な妹も着物を着ていて愛らしかったのは、鮮明に覚えている。


けれど電車に押し込められた時、正直に言って行くのを後悔していた。


母はこういう時は露骨に不機嫌になるからだ。


当時の自分はまだ幼かった。正しいことをしたら、優しさが絶対に返ってくるのだ信じていた。だから初めてその不機嫌に対面したときは戸惑った。


なんで怒られているんだ、って。


「電車混んでる…… 苦しい……」

「文句言っても変わらないでしょ!」

電車内だというのにかなり大きな声で母は妹を叱りつける。早速妹もご対面したらしい。

人が変わるという事を、家を出る前に軽く注意していたが、あまり真剣に聞いていなかったようだ。その証拠に、なぜここまで怒られたのかを分かっていないのか、私に向かって首を傾げている。

 出る前に言っただろ、そう周りの迷惑にならないよう、口だけを動かして伝える。

僕は母とは違うのだ。周りに迷惑はかけたくない。


『まもなく△△へ到着します。お出口は左側です。なお次の駅は花火会場の最寄り駅ということで、非常に混雑しております。足元には十分お気を付けください』

 自分が立っているのは左側の扉だ。殆どの乗客が次で降りるだろうが、真っ先に降りることができるのは都合がいい。

 今のうちに僕は妹と母の二人と手を繋ぐ。そうしたらすぐに、窓の景色がはっきりと見えるようになってきた。そして、徐々に速度が落ち、甲高い金属音がしたのち、電車が停止した。


『△△、お出口は――』

「ほら! いくよ!」

 扉が開き、僕と妹はグイっと手を引っ張られる。他の車両からも一気に人が流れ出ていく。母はその流れに逆らわず、手早く階段を降りる。


 そのまま流れに乗って改札を抜けようとした時、僕は見つけてしまった。

「ママ、これ」

「なんなのよ?」

 僕は指を指した先には、床に転がるSuicaがあった。


「あんたのじゃないなら置いてくよ」

 母は興味なさそうに僕の手を引っ張る。


僕はその行動に信じられなかった。


 なんで、正しいことをしないのかって。普段見つけたらなら、母は駅員に届けていた。


それを見捨てるなんて、ヒドイと思った。

「あ、ちょっと!」

「お兄ちゃん!」

 僕は二人の手を振り払い、Suicaを拾いに行った。拾い上げると読むのは難しいが、名前が書いてあった。これならきっと、落としちゃった人に渡すことが出来る。


「××さん~ Suicaおとしてます!」

僕は大きな声を出して、持ち主を探した。

 しかし、花火大会の熱気と人の喧騒によって、僕の声は簡単に掻き消えた。

「ほら、いないみたいだからもう一回同じ場所に置いときなさい」

 母はまたしてもビックリするようなことを言った。僕はおっちょこちょいで、よく物を落としてしまう。

 だからこそ、もう一度地面に落としてしまったら、この人込みも合わさって、二度と見つからなくなるとわかってしまった。

僕は母の言葉を無視して、駅員さんを探した。きっとあの人たちなら受け取ってくれると。


 低い身長ながら周りを見渡すと、紺のズボンに青いYシャツを着た人が立っていた。

「お巡りさんだ」

 僕は警察官に駆け寄りながら、Suicaを差し出した。

「どうしたんだい坊や」

「これ、落ちてた」

「見してくれ…… うん、ありがとう。よく届けてくれたね」

 僕はその言葉が嬉しかった。聞くためにやっているわけではなかったが、褒められることは嬉しかった。


「坊や、悪いんだけどこれに名前を書いてくれないかい」

「どうして?」

「一応ルールで決まっててな」

 そういって警察官は白紙の紙とペンを渡してきた。しかしそれが僕の手にくることはなかった。


「すみません急いでいるので。ほら行くよ」

「ママ――」

 母は警察官から引きはがしながら、無理やり僕の手を引っ張っていく。


「もう! なんであんな面倒なことしたのよ!」

 面倒な事。その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。

 母はその後、妹と僕とを引っ張って、かなり花火を近い位置で見れる特等席に連れてきた。

 どうやら急いでいたのはこれが理由だったらしい。

 でも、僕は母に言われた言葉が、引っ掛かっていた。


 振り返ってみても、その日の花火の記憶は無かった。



 なぜ唐突にこんな10年以上も前の記憶を思い出したのか。

 大学から駅へと向かう帰り道、僕は再び落とし物のSuicaを見つけた。

 交番の位置を調べてみると、五分ほど歩いた場所にあるらしい。昔の自分ならば、間違いなく届けに行っただろうか。


 手を伸ばそうとして、一歩近づく。


 そして、僕はそれを一瞥して、帰路へと向かう。


どうせ、面倒なことになるのだろう、と。

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