だからあなたが聖女です
ローズは大きなため息を吐いた。
「あぁ……。また、ここから――」
「はい?」
素早く状況を理解したローズは、思わず口から本音がこぼれる。
耳を劈くような大歓声の中、目を開くと学園の入学式前における適性検査の最中だった。
壇上には一人の女生徒。丸い大きな水晶に手を乗せ、手前に置かれた入学許可証のプレートが輝きを放っている。
幸いなことに、ローズの愚痴った声は周囲の歓声により打ち消された。
ローズの傍に立つ、乳兄妹でお付きのジルでさえ聞き返す。だがローズが返事をしたところで、これでは会話など成立しないだろう。
(ん?)
ローズの位置から見える彼女は、結果に驚愕したのかフラッと体を傾け、そばに居た教師に支えられた。若干、顔色が悪いようにも見えるが、興奮した周囲は誰も彼女が険しい表情をしていることに気付いていない。
いや。それよりも、この神々しい出来事の方へ関心が向いていると言うべきか。
なにせ、数十年ぶりに聖女の力を持った生徒が現れたことが原因だから、当然といえば当然なのだ。
(ただ、まあね。こんな光景を見るのは、何度目かしら?)
十六歳の誕生日を迎えると、前世の記憶が甦る。
幾度となく巻き戻る人生。
そして、どの人生も他人の手によって終わらせられるのだ。四年後の今日、二十歳の誕生日に――。
(さんざん書物を読み漁ってきたけれど……)
ループに関する記述がある文献などは、一切見つけられなかった。
そもそも、こんな有り得ない事態。経験者が居たとして、記述を残そうにも、巻き戻ったら消えてしまうのではないだろうか。
繰り返しながら導き出した結論―― 。
(無駄な足掻きはせずに、好きに生きよう。そうよ、私は伯爵家の次女ローズ・プロヴァンスなのだから)
伯爵家といっても、国王に直接叙爵された上級貴族。貿易に有利な領地と、一般的な貴族の中ではかなりの力を持っている方だ。
長女の姉は公爵家に嫁ぎ、家督を継ぐのは長男である兄。ローズの役目は、年齢が近い第二王子に嫁ぐこと。
(記憶が戻る前の私は……甘やかされて育ったせいか、本当に世間知らずなのよね)
だから、数回目には心を入れ替えて、必死に自分の立場を築きあげた。起こる出来事は把握していたから。
前回の最後は、幸せに終わることができた。
(充分満足だったから、必死で終わりにしてほしいと神に祈ったのに……)
仕方ないと頭の中を整理していく。
面倒事は聖女が現れた、この学園時代に起こり始める。みんな聖女である、彼女に惹かれてしまうから。
プライドを捨てられず、利用されても気付こうとしなかった自分が愚かだったのだと、ローズは唇を噛む。
チラリと第二王子を見れば、ただならぬ熱を込めた視線を聖女に送っていた。
(まあ、なんて単……。素直にお気持ちを、顔面で表現していらっしゃること)
毎回……もう少し早く記憶が戻っていたら、婚約なんてしないのにと悔しく思う。
頭の中が幼かったローズには素敵に見えた王子も、覚醒後のローズ・プロヴァンスには、過去に見た軽薄な表情が重なる。
(彼らはまた私を利用するのでしょうね。……さて、どうしたものかしら?)
この国の聖女は生涯純潔を貫き、象徴として国民から崇められる。
けれど、第二王子と聖女は必ず惹かれ合う。
そして、第一王子は不遇の死を遂げ、第二王子が王太子となるのだ。
だからこそ、妃になるには微妙な家柄で、第二王子にゾッコンの婚約者、ローズが必要になる。
初めは、聖女に害をなす悪女として。
聖女を守るために、純潔のままの白い結婚という、新たな法律まで作り――そのうえで、ローズを処刑したのだ。
(まあ、本当に純潔を貫いたかは知らないけれど)
悪女を回避すればしたで……。
ローズを妃に据えて、公務を全て押し付けた。自分は聖女の元へ通い、贅を尽くし民の怒りをかったのだ。
勿論、ローズの浪費が招いたこととして。
それでも、第二王子を信じ続けた。いつかは、振り向いてくれるだろうと。
◇◇◇◇◇
「ローズお嬢様、本当に伯爵邸にお戻りに?」
馬車の準備を言いつけられたジルは、心配そうな顔をした。
明日の入学式を前にして、突然……伯爵邸に帰ると言い出したのだから仕方ない。
「ええ。お父様に急用なの」
とそこまで言って、ピタリと足を止めた。
過去に一度、王太子になった彼と、婚約破棄をしてほしいと訴えてどうなったか。
幽閉されて名ばかりの妃になり、聖女と夫の仲睦まじい姿を見せつけられ、狂いそうになったことを思い出す。
(覚醒したばかりだと、記憶に曖昧なところが多いのよね……。これではダメだわ)
カモフラージュの妃の経験だけは、二度とごめんだった。甦った記憶は、ズキリと嫌な痛みも鮮明に、胸に残していた。
「……お嬢様?」
「ああ。そうね、やはり帰るのはやめるわ」
「顔色が……。このまま寮へお戻りになった方が良いかと」
「そうするわ」
「先程の……」と言いかけたジルは口をつぐむ。
勘の良いジルは、ローズの変化を微妙に感じとっていた。第二王子の男爵令嬢を見る様子に、ローズが傷ついていると思っているのかもしれない。
「ああ、殿下のことは大丈夫。もう何とも思っていないから」
「えっ!? あれ程お慕いしていたのに、ですか?」
「そ。さっきので、目が覚めたの。いっそ……」
怪訝そうにしたジルに、ローズはニッコリ微笑んだ。
「いっそ、私を連れて逃げてくれない?」
ジルは目を見開いた。
◇◇◇◇◇
――あれから一年。
「ねえ、ジル。本当に良かったの?」
「はい? お嬢様が言ったことでしょう?」
今さら何を言っているんだ……そんなジルの表情は、ローズには見なくても分かる。
ローズを前に乗せて、馬の手綱を握るジルの腕をチラリと見た。
(いつの間にか、大きくなっちゃって)
子供の頃は、ジルは小柄で女の子みたいだった。
それが、今ではその腕の間にローズがスッポリおさまってしまう。
「もうすぐ着きますが、この先はどこへ?」
「あの山頂に行きたいの」
「失礼を承知で言いますが……お嬢様は、バカなのですか?」
「ふふふ、そうかもしれないわ」
ジルの言葉が可笑しくて、力が抜けた。
(確かに、バカだわ)
学園生活が始まると直ぐに、仮病を使い自室にこもった。毒を飲まされた時の、過去をまねた名演技で。
なのに、かの男爵令嬢に嫌がらせをしているとの噂は流れ続けていた。全て、予想はしていたこと。
ジルは淡々と報告しながら、ローズに見えないように強く握った拳は、小刻みに震えていた。
――そして、準備が整った頃。
いくつかの手紙を送ると寮を抜け出し、ジルとこの山へとやって来たのだ。
霊峰山。
この頂上付近に生息する、月夜に光るという、青い花を手に入れなければならない。
「あの時。逃げるなんて仰るから、何事かと思えば……ただの花。しかも、一年がかりで準備するなど」
「どうしても、欲しいのだもの。着いたら、私だけ行ってくるから別にいいわよ」
「まったく! そんな、か細い手足で。無茶ばかり言わないでくれますか?」
強い口調のわりに、支えてくれる手は優しい。
ジルが見離さないとわかっていて、ローズは言っただけだ。
背中の温もりは、前回の最後に感じたものと同じだった。
◇◇◇
馬を降り、道なき道を行く。
暫く歩き続けたところで、ガラガラッと足下が崩れた。
足を取られ「あっ」と声をあげる。
魔道具や防寒対策は完璧だったが、体力のないローズにとっては、それでも厳しかった。
体が傾いたかとおもうと、視界が暗くなる。
ズサササッっと擦れる音と、鈍い衝撃があったが。
「……あれ、痛……くない? なっ、ちょっと!?」
急斜面を滑り落ちたと思ったが、それはジルに抱えられた状態でだった。慌てて起き上がる。
「……ご無事ですか?」
「私は無事だけど、あなたがっ!」
ローズの下敷きになり滑り落ちたジルは、ゴツゴツした岩で服は破け、血だらけだった。
「大した事では、ありません」
「でもっ」
横になったままのジルの服を掴んだ手に、自分の涙が落ちた。
「この程度、平気ですよ」
ジルは、上半身を起こそうと一瞬顔を顰めたが……それを隠すように笑みを浮べ、ローズの涙を拭う。
(情けない)
前回の最後――。
唯一の味方だったジルを庇って死んだ。自分のせいで、巻き込まれてしまったジルを守りたくて。
(なのにっ)
また大切な者を危険に晒してしまったことに、感情が抑えられない。
(私は、どうでもいい……ジルさえ生きてくれていたら)
ギュッと目を瞑り、ただただ祈った。
――すると。
ローズの体温が上がり、ジルは金色の光に包まれた。
「「えっ!?」」
ローズとジルは同時に呟く。
そこには信じがたい光景があった。
破けた服からのぞく、深く傷ついた皮膚は再生し、ジルの周囲には――目的の花が、次々に咲き出した。
「ねえ、ジル?」
「……何でしょうか」
「やはり、霊峰山っていうだけあって、血が生贄にでもなるのかしら?」
「何をバカな……いえ。お嬢様は、ずっとそのままでいて下さいね」
(ん?)
◇◇◇
その後の事態は、大きく王室を揺るがした。
第二王子派――つまり、王妃を輩出した侯爵家の手の者が捕まった。
幼少期から毒を飲まされ続けた、亡き前王妃の子である王太子に、致死量の毒を投与しようとして。
蓄積された毒は、王太子の身体を蝕んでいたが、ローズの見つけた花で、無事に解毒ができた。
褒美として、ローズは第二王子との婚約白紙を願いでて、それは叶った。
今回の件に、第二王子と男爵令嬢が関わったのかは、明らかにされなかったが。簡単に婚約破棄できたのは、そういうことなのだろう。
「これで、王太子殿下がちゃんと跡を継げるわ」
「……まるで。本当は違っていたかのような、言い方ですね」
ジルに言われ、ふふっと誤魔化す。
(そう。本当は違っていたもの)
ローズが送った手紙は三通。
一通は公爵家に嫁いだ姉に。
信じるかは賭けだったが、ローズは嘘をつくタイプではないと、姉は知っている。その上、占い好き。
予知夢を見たことにして、王太子の側近である旦那様に伝えてほしいと頼んだ。
侯爵家の動向と、致死量の毒が盛られる日時をしっかり書いて。
二通目は、当の王太子へ。
夫に代わり、公務に明け暮れた日々は、筆跡を完璧に真似られる域に達していた。勿論、サインに至るまで。
だから、第二王子のふりをして、ある食べ物は口にしないよう伝えた。
この手紙の件で、第二王子が救われるかどうかは……当人たち次第だ。
三通目は、ローズの父に。
ローズに甘々な伯爵に、体調には問題ないこと。男爵令嬢の取り巻きに濡れ衣を着せられたが、じきに解決するということを。
そして、婚約を解消したいとも伝えておいた。
「あの男爵令嬢は、本物の聖女なのでしょうか?」
ジルは真面目な顔で言う。
「さあ。私にはわからないわ」
ローズは、自分の生にいっぱいいっぱいで、碌に知らないと思い出す。
ただ、入学前の神々しい光と、聖女が崇められる姿だけは何度も見た。
「まあ、どうでもいいことよ。卒業したら、ゆっくり旅行にでも行こうかしら?」
「それはいいですね。どこまでも……お供します。私はお嬢様を連れて、逃げるために鍛えたのですから」
クスッとジルは笑う。
その笑顔に、ローズの心臓は跳ね上がる。
(そ、そうよ、二十歳越えるまで安心できないわっ。決して、ジルの笑顔が素敵過ぎるからじゃない)
「ええ……そう、よろしくね」
それだけ言うと、ローズは熱った顔を見られたくなくて、その場から走って逃げる。
ジルは、ローズの背に微笑み、小さく呟いた。
「確かに、どうでもいいことです。だから、あなたが聖女です――とは、誰にも教えませんよ」
End
◇おまけ◇
後日の職員室。
「先生、あの測定器って本当に壊れてるのでしょうか?」
「誤作動で、聖女の数値をだしてしまいましたから、取り替え時でしょう」
以前、ただの男爵令嬢を聖女に判定した装置は、後から問題になったのだ。
上からキツく文句を言われ、担当の教師は疲れていた。
「でも、私見たんです。……あの時、見たことのない文字が光って。あれ、神託じゃないですか? それを見た彼女が倒れて」
脇から、興味深そうに他の教師が口を出す。
「ああ、君はあの日の担当だったな。で、なんて文字だったんだ?」
「確か、こんな文字だった様な……」と、教師は紙に書き出した。
『ゲームオーバー』
「なんだそれは? 読めんな……」
「やはり、誤作動ですかね?」
「だな」
そして、数日後には新しい測定器が設置された。
お読み下さり、ありがとうございました!
ご感想でいただきました、分かりにくい部分を少し直しましたm(__)m
そして大量の誤字脱字、申し訳ありません(TT)