中
高砂席から聞こえてくる、新婦の友人たちの陽気なお祝いの声を背に
「航、どれにしようか?」
「ええっとね」
アレがいいなぁ、と指さす息子の意見を聞きながら、少しずつお皿に取っていく。
「坂口さん?」
呼び掛けられた旧姓に、少しだけ驚いて。掴み損ねかけたテリーヌを、どうにかお皿で受け止める。
懐かしい名前で私を呼んだのは、同じ大学の出身で、サークルの後輩でもあった野島くん。そして、その隣で静かに会釈をした奥さんの悦ちゃんも、私にとっては後輩で。
織音籠のドラム担当、"YUKI"である野島くんも、奥さんや二人の子供たちと共に、今日の式に参列していた。
他の人の邪魔にならないよう、メインテーブルから少し離れて。
上の女の子の分らしい取り皿を手にしたYUKIが、
「卒業以来でしたっけ? お久しぶりで」
ちょこん、って感じで頭を下げる。
私の方は、ライブで彼の姿を観ているけど。確かに、こうやって話をするのは二十年ぶり……に近いか。悦ちゃんと会うのも、同じくらい久しぶりで。
YUKIと悦ちゃんのテーブルは、私たち親族席に一番近いから、タイミングを見計らってゆっくり話をしたいなぁ、とは思っていた。
こんな風に立ち話になる可能性も、想定内ではあったけど。
「本当に、久しぶりよね。最近、サークルの飲み会もしてないし」
ちょっと、他人事のように言ってみると、
「いや、それは世話係やった坂口さんの仕事やないですか」
当然のように、つっこまれる。
卒業から数年後の、私が仕事の関係で県外に住んでいた頃。サークルの同窓会として行われた飲み会の席で、YUKIの学年と私の学年との間でトラブルがあったらしくって。
互いの学年の代表同士が、今後は合同のイベントをしないことに決めていた。
学生時代、代表を補佐する"世話係"だった私にも連絡はきていたから、こっちへ戻ってきた数年前の転勤以降、私が企画する飲み会やランチには、同級生の女子しか誘っていない。
それすらも、皆それぞれに忙しいわけで。
最後に集まってランチをしたのは私が独身の頃だから……五年ほど前か。
改めて思うと、年月はあっという間に過ぎている。
「野島くんたちは、学年で集まってる?」
「時々、お誘いはあるんですけど、都合が合わんことが多くて」
それはそうか。会社勤めならある程度、予定を合わせられなくもないだろうけど。
「やっぱり、忙しい?」
一年ほど前に出したアルバムが、彼らにとって過去最高の売り上げを記録していて。
地元以外での仕事がかなり増えたとも聞いている。
そんなことを含ませた問いにYUKIは、
「おかげさんで。去年は久しぶりのツアーもええ感じで、させてもらえました」
垂れ気味の目を笑いに細めて見せたけど。
"久しぶり"の言葉を被せられたツアーを思って、一瞬、相槌が遅れた。
航の育休が明けて少し経ったころ。
織音籠は約二年の活動休止に入った。
原因は、JINの声が出なくなったせい。
歌えなくなったボーカルの復帰を信じて彼らは、二年間の試練の時を過ごした。
遅れた相槌のフォローを求めた……のか。私は。
思わず、悦ちゃんの顔色を伺ってしまったけど。
「あの時は、上の娘が『パパだけ旅行なの?』と寂しがったので、なだめるのが大変でした」
と言いつつ、悦ちゃんがメインテーブルへと慈愛の眼差しを向ける。
さっきYUKIの手からさりげなく、悦ちゃんが取り皿を受け取ったのは、私も見ていた。
だけど、いつの間に上の娘さんは、YUKIの横から離れたのだろう?
悦ちゃんにつられるように見たメインテーブルで、彼女は背の高い女性にお料理を取ってもらっていた。
嬉しそうな笑顔が、こちらからも見えて。耳の上で二つのお団子に纏められた髪型が、少し背伸びをしたオシャレっぽくて可愛らしい。
夜会巻きの悦ちゃんは、藤色の着物が彼女の持つ和風の雰囲気によく合っているし、下の子の片編み込みも……なんて思っていると、
「ねえ、ママ。この人、だぁれ? おともだち?」
悦ちゃんと手を繋いでいる下の女の子が、不思議そうに訊ねる。
「この人はな、JINのお姉ちゃんなんや。それから、ママやパパの友達」
「お姉ちゃんやのに、おともだち?」
YUKIの答えは、どうやら納得がいかなかったらしい。
『変なのー、変なのー』としばらく繰り返していたかと思うと、
「マぁマ、りえもお腹すいたぁ」
突然の空腹アピールが始まった。
「すみません、坂口さん。ちょっと失礼します」
申し訳なさそうに悦ちゃんが断りを入れて、場を離れる。
航と同じくらいの歳だし、大人の会話は飽きるよね?
って……航?
「ああ、航。ごめんね」
つい、話に夢中になって。航の料理を取っている最中だったことを忘れていた。
「坂口さんの息子さん?」
「そう。来月で四歳になるの」
「JINの甥っ子くんやね」
しゃがみ込んで航と視線を合わせたYUKIが、自分の顎先をトントンとリズムをつけて指先で軽く叩く。
何かが、航と通じ合ったらしい。
航が真似をして。拙いリズムで顎を叩いて見せた。
「お。なかなか、やるやん」
『じゃあ、これはどない?』とか言いながら、YUKIが少し不規則な拍子を混ぜて、小さな音で手を叩く。
合っているのか微妙なリズムの航の手拍子に、YUKIは楽しそうに笑って立ち上がると、
「息子くん、坂口さん似やね」
と言って、航の髪の毛をかき混ぜた。
「野島くんの所は、悦ちゃんにも野島くんにも似ているよね?」
さっきまで居た下の娘さんは、YUKIと同じ位置に泣き黒子があって、鼻筋が悦ちゃんにそっくり。
チラリと顔を見ただけの上の娘さんは、悦ちゃんに似た細い目の、垂れ気味具合がYUKIと似ていた。
「子どもら同士は似てへんような気がするんですけどね。家族で写真撮ったりしたら、やっぱり二人とも悦ちゃんと俺の子やなぁって思います」
YUKIの言葉に、『航に弟か妹が居れば、私もそんなことを思うのかなぁ』なんて考えていると、
「ただ……悦ちゃんと違って、二人とも賑やかで」
YUKIが、疲れたような顔で言う。
「ああ、おしゃべりがやっぱり……?」
学生時代の悦ちゃんは、物静かな子だったけど。そこは、似なかったらしい。いや、むしろYUKIに似たんじゃないかな?
「ほんま、女の子って言葉早いですね。MASAの息子と、二ヶ月しか違わんはずやのに……って」
「今、何歳なの?」
「六歳と四歳なんですけど。下が最近、"喋りたい盛り"やから……」
「かわいいでしょ? そうはいっても」
「まあ、それはそうなんですけどね」
学生の頃から悦っちゃんにベタ惚れだった彼らしく、照れもせずに頷かれてしまった。
そのYUKIから聞いた話によると。さっき航を誘いに来てくれた"つり目くん"がMASAの息子で。航とは同学年になる四月生まれらしい。
そして。もう一人の"やんちゃ坊主くん"は、航よりも一歳年下で、こっちがRYOの息子だとか。
「じゃあ、野島くん。悦ちゃんには、またねって」
そろそろ航の我慢も限界らしいので、おしゃべりを切り上げる。ビュッフェ形式だから、この後も話をする機会くらいあるだろう。
「はい。言うときます。坂口さんも楽しんで行ってください」
「それを招待客が言うのは、変じゃない?」
親族である私のセリフじゃないかな?
「この後、シークレットライブが……」
『あ、言うてしもた』と慌てたふりで口を押さえているくせに、目で笑っているYUKIに軽く手を振って。
待たせてしまった航に謝った私は、お料理の取り分けを再開した。
『おかわりもできるからね』と、航に言い聞かせながら、テーブルへと戻る。
「ごめんね、遅くなって」
「いや、いいよ。懐かしい顔と会ったみたいだし」
そう言って微笑んだ孝さんが、立ち上がって。
「じゃあ、俺も行ってくるかな」
自分の左隣に座った航の椅子を、ちょっとテーブルに近づけてやってから、ゆっくりとメインテーブルへと向かう。
お義父さんたちは、私が立ち話をしている間にお料理を取りに行ったらしい。
私の分は孝さんが戻ってから……ということにして、航に食べ始めるように促す。
なんとはなしに眺めた高砂席の近くでは、美紗さんの友人たちが新郎新婦と記念撮影をしている。
そういえば、二年ほど前。
友人の結婚式に招かれた時に、『普通のカメラに白黒フィルムを入れたら、セピア色の写真が撮れる』とか聞いたっけ。あれは、誰が言っていたかなぁ。
そんな事を思い出しながらシャンパングラスに口をつける。
乾杯から少し置いたシャンパンの、柔らかくなった口当たりを楽しんでいると、スタッフのようにさりげなく高砂席の後ろへと回り込んだ孝さんが、両手に持っていたお皿を新郎新婦の前に置くのが見えた。
『お待たせいたしました』
そんな言葉が聞こえたように思えるのは、彼のお店に毎週通っていた頃の名残り……だろうか。
「こうして見ると、様になっているなぁ」
テーブルに戻ってきたお義父さんがしみじみと言うのを聞いて、新郎席に座るJINを改めて眺める
仕事柄、スーツ姿の男性を見慣れた私の目から見ても確かに、新郎の正装が誂えたように似合っている。
孝さん以上の身長に加えて、体格も良いからなぁ。JINって。
「本当に」
『そうですね』と、続けたかった相槌は
「脱サラして喫茶店を始めるって聞いた時には、どうなるかしら……と思いましたけどねぇ」
椅子を引いたお義母さんに遮られた。
ん? あれ?
『様になっている』って、孝さんのこと?
「自分の分の皿を運ぶだけでも、両手で支えて……だよ? 素人の僕たちだったら。それなのに、孝は二人分の皿をヒョイ、だもんなぁ」
『あれはやっぱり、難しいよ』と言って、テーブルにお皿を置いたお義父さんの言葉に
「それが分かっていて、仁も孝に頼んだんでしょうね」
お義母さんが、しみじみと言う。
一般的に新婦という立場は、お料理に手をつけることが難しい。しかも、ビュッフェスタイル。
お義母さんが航に言って聞かせたように、招待客からのお祝いを受けているうちに、料理自体を取り損ねてしまいかねない。
そのあたり、スタッフも気をつけてはくれるはずだけど。
食の細い"奥さん"のことを心配したJINが、前もって、孝さんにお料理の取り分けを頼んでいた……ということらしい。
ただ、さすがに孝さんでも、ビュッフェで二人分のお料理を一度に取るのは無理なわけで。
お料理をよそうのはお義父さんとお義母さん。そして、二人からお皿を受け取った孝さんが、高砂席まで運ぶ。
私が席を離れている間に、そんな風に三人で役割分担を決めたのだとか。
「航くんは見ておくから、里香さんも早く行ってらっしゃいな」
テーブルから取り上げたナプキンを広げながらのお義母さんの言葉と
「お母さん。次はお母さんの、じゅんばんだよ?」
子供用の小ぶりなフォークを握った航の、ニコニコした笑顔に促されて。
「すみません。じゃあ、お願いします」
再び席を立った私は、孝さんがお料理を選んでいるメインテーブルへと向かった。
さっき、一通りのお料理は見ていたので、さほど悩まずに選ぶ。
航がサーモンらしきピンクを選んだテリーヌは、お野菜系っぽい緑を。
キッシュを一片取って。その向こうのパイ包みも美味しそうだったのよね。
それから……。
背後からクスクスと笑う声が聞こえて。
「孝さん、どうしたの?」
「里香さんが、すごく楽しそうに選んでいるなと思って」
『鼻歌でも歌いそうな雰囲気で』と言いながら、鼻歌すら歌わない夫が隣に並んだ。
脳内で歌っていたのが、バレてる。声には出していないはず……だけど。
「パーティメニューって久しぶりだなぁ、って思うと……ね?」
結婚に伴う異動で営業には出なくなったし、航が生まれてからは時短勤務になったしで、ここ数年、接待という場には縁がない。
「それに里香さんは……」
『作り手冥利につきる"食べる人"』と、二人で声が揃って。孝さんがまた笑う。
『胃袋一つで里香さんの一生を掴めるなら、俺は頑張るけど』
プロポーズの時に、孝さんに言われた言葉を思い出す。
家族三人で囲む毎日の食卓は、今、目の前に並んでいるような目にも鮮やかなご馳走ではないし、互いの仕事の具合で孝さんだけが料理を担っているわけでもないけれど。
『美味しいね』と笑い合いながら、食事を共にする時間が幸せで。
そういう意味では、私の胃袋はしっかりと掴まれてしまっている。
気になっていたお料理たちを、いい感じに盛り付けることもできたし、そろそろ……と、テーブルへ戻ろうとしたところで
「やっぱ、でっけえ」
驚きの声が、高砂席の方から聞こえてきた。
声変わりはしたものの、大人にはなりきってない感じの若い声は、新婦の甥である高校生のものだろうけど。
でっかいって、何が? なんて思っていると
「タカ、お前初めて会ったときとおんなじ間抜け面」
と、JINが喉声で笑う。
意識の半分でお料理を盛ったお皿に注意しつつ、声の方へと顔を向けると、立ち上がったJINを織音籠のメンバーが取り囲むようにしていて。
JINと向き合った"タカ"くんが、ポカーンと口を開いて二十センチほども背の高い面々を見上げている。
ああ、なるほど。確かに。
織音籠のメンバーは全員、背が高いもんね。
野島くんはサークル内で一番目か二番目くらいの身長だったし、式の後で少しだけ話をしたSAKUも大きかった。孝さん以上に体格の良いJINは、言わずもがなで。
私が彼らに囲まれても、あんな風に見上げてしまうだろうなぁ。
テーブルへ戻ると航のお皿は、既に半分くらい空になっていた。
「あのね。これと、これ。すっごくおいしかったよ」
小さな手が、私のお皿の上を指差す。
「おかわり、あげようか?」
『やったぁ』と歓声をあげて、ガッツポーズをしている航のお皿に、生ハムの一口サンドとキッシュを移し入れてやっていると、
〈御歓談中、失礼します〉
マイクを通した声が、会場に響いた。