上
「新婦の姉、桐生沙織です」
そんな紹介に応じて軽く頭を下げた女性に、こちらも会釈を返す。
顔を上げた彼女の黒目がちの丸い目が、正面にいた私をじっと見つめて。
その強い眼差しに、懐かしさを覚える。
あれは、もしかして。
本間さん……じゃないかな?
控室での親族紹介を終えて、式の前に……と、息子の航をお手洗いに連れて行く。
その後、チャペルへと移動する間に、
「で、里香さん。さっきのは?」
航を抱き上げた夫に訊かれた。
「さっき、って?」
「親族紹介のとき。美紗さんのお姉さんと、知り合い?」
さすが、孝さん。鋭いなぁ。
今日の主役である二人。
孝さんの弟"夫婦"が先月、結婚の挨拶にと我が家を訪ねてきた時にも、義妹となる美紗さんの面立ちに、なんとなくの既視感を覚えてはいた。
「確信は無いのだけど……あのお姉さんね」
「うん?」
「大学時代のサークルの先輩じゃないかなって。そういえば、先輩と美紗さんの旧姓が同じ"本間"だったし」
「へぇ」
ただねぇ。
「その先輩、卒業前にサークルのOBと婚約してたんだけど」
「ああ、だから息子さんが高校生」
さっき紹介された新婦の甥は、航よりもかなり年上で。
本間さんは、私の二学年上。孝さんと同い年だったはずだから、かなり若くで生まれた息子さんであるわけだけど。
「相手、あんな人だったかなぁ?」
「あんな人?」
首を傾げた孝さんの左の耳たぶを、航が引っ張る。顔をしかめた孝さんが軽く叱って。『いたずらっ子は自分で歩きなさい』と、抱っこから降ろされた航が、楽しそうに跳ねる。
視界が変わって楽しいみたいで、航は赤ちゃんの頃から背の高い孝さんの抱っこが好きだったけど、四歳近くになった最近では、さすがにちょっと飽きてきたらしい。
弾んでいこうとする息子の手を捕まえて。
「なんていうか……押しの強い感じの人だったのよね。謎の自信感っていうか……」
「謎の自信感って」
なんだそれ、と孝さんは笑うけど。
「取り引き先に居なかった? 断られるなんてつゆほども思わずに、無理筋を突っ込んでくる担当って」
『出来ますか?』とか、『どうにかなりませんかね?』とかじゃなくって、『この俺が頼んでいるんだ。やれるよな?』って態度で接してくるのよね。
「ああ……なんとなく、解る」
「まあ、結局は”なんとか”してしまうのだけどね。こっちも」
先週もなぁ……って、急な割り込み仕事のことに、思わず頭が向かってしまいそうになって。『いやいや、今は仕事中とは違うから』と切り替える。
「確かに、あのお義兄さんは、そんな風には見えないね」
「でしょ?」
さっきの顔合わせが初対面で、言葉すら交わしたことのない人物だけど。
脱サラ前のサラリーマン時代には、私と同様に営業職だった孝さんにも同じように感じさせる何かを、美紗さんのお義兄さんは持っているように思う。
チャペルに入場する参列者の長くはない列の後ろについて、航に『ここからは、静かにね』と注意をする。
「それに、これも多分……だけど」
チャペル入り口の数段の階段を上っている美紗さんのお姉さん夫婦を、数人後ろから眺めるようにしながら、孝さんが考え考えって風情で口を開く。
「あのお義兄さん、ジンの先輩じゃないかな」
「先輩?」
『"多分"だから、あとでジンに訊くけどね』の言葉を添えて孝さんが言うには、新郎が高校生だったころの部活動の先輩だとか。
両足でピョンピョンと跳びながら階段を上る航が危なくないように、右手をつないで階段を登っていた私は
「あれ? なんか……変?」
さっきからのやりとりに、引っ掛かりを覚えて。
航の左手を握っている孝さんに
「先輩、って、孝さんより年上?」
詳しく"義弟の先輩"の話を訊く。
「『三年生の先輩』って言っていたから、ジンより二学年上じゃないかな」
「つまり……孝さんより年下、よね?」
在校期間が重ならないほど年の差があるならきっと、『高校の先輩』とは、言わない。
それは、私にとって"サークルの先輩"が、二学年上の本間さんの学年までを指すのと同じことで。
「そうだね。ジンがその先輩のことを話していた頃って、俺は大学生だったように思うし」
「それなら、やっぱり別人かなぁ?」
別人なのは先輩か、旦那さんのほうか。
そんな疑問を抱いたまま、チャペルの新郎側の席に航を間に挟むようにして腰を下ろす。
孝さんの向こう側。通路を挟んだ同じ列に、美紗さんのお姉さん一家も座っている。
程なく、式が始まった。
「お母さん、あのね。お父さん、お歌うたってなかったんだよ?」
式の後、ライスシャワーのために並んだところで、航が告げ口をするけど。
賛美歌は……たぶん、微妙なのよね。孝さんの"斬新アレンジ"では。
その証拠のように、私の隣で彼が苦笑いしている。
神様から天罰がくだるかも……ってくらい、怪しい音程でしか歌えない彼だけど。
さすがにそのまま、息子に言うわけにもいかない。
どう、説明しようか……と、考えていると
「代わりに、このあとで叔父さんが歌ってくれるかもしれねぇぞ?」
頭の上から声がした。
驚いて振り返ると、金髪の男性が目尻にシワを寄せるように笑っている。
SAKUだ。織音籠の。
今日の主役。義弟である新郎は、"JIN"の名前でこのSAKUと一緒にバンド活動をしている。
他の三人のメンバーたちとその家族も、今日の式に参列してくれているけど。なかでもSAKUは、中学生の頃からJINの友人で、孝さんにとっても"元同級生の弟"だと聞いている。
「今日は、おめでとうございます」
少し改まったSAKUの挨拶に、
「ジンだけじゃなくって……原口くんも、おめでとう、だね?」
にこやかに孝さんが返したのは、SAKUの隣にそっと寄り添う女性の服装が、淡いグリーンのマタニティドレスだったから。
「ええ。この夏に、生まれる予定で」
聞いているこちらも嬉しくなるような、喜びの滲んだSAKUの声に促されるようにして
「妻の知美です」
滑舌の良い、はっきりとした声が名乗る。
私たち家族が、SAKUによって知美さんへと引き合わされたあと。
「そうか。夏には"委員長"も、伯母さんか」
しみじみと呟いた孝さんに、SAKUが顔をしかめてみせる。
「それ、うちの姉貴に言ったら、怒りますよ?」
「そう?」
「お兄さん、最近、実家に帰ってますか?」
「うーん……」
喫茶店のマスターって仕事柄、連続した休みがほとんど取れない孝さんだから、滅多に実家へは帰らない。
むしろ。県外出身の私の方が、お盆休みなんかを利用して帰省しているかもしれない。
「姉貴、高校を卒業したころから色々と派手になってて」
「それは……想像つかないなぁ」
金髪のミュージシャンから見ても"派手"って……。
元がどんな人かは知らないけど、たしかに想像もつかない。
「真面目だった中学時代のことは、思い出すのも恥ずかしいみたいで」
昔をネタに揶揄うと、必ずと言っていいほど逆襲されたとか。
「人は……変わるものだね」
「人生は、出会いと変化ですから」
「それは。原口くんも?」
悪戯っぽく訊ねた孝さんを、仄かな笑みでいなしたSAKUは
「そろそろ出てきそうですよ」
と、私たちの意識をチャペルの扉へと誘った。
ライスシャワーの祝福を受けた新郎新婦が、アーチ門へと続く小径を辿って。
二人の姿が建物の陰で見えなくなったところで、スタッフから隣接するレストランへの誘導が行われた。
「わぁ……パーティだぁ。ホンモノの」
披露宴会場に入ったところで、航がため息のように呟いて。
孝さんと顔を見合わせて、互いに笑いが溢れる。
「すごいねぇ」
「叔父ちゃんたちに、おめでとうをするパーティだよ」
「うん。おめでとうだね」
『おめでとう、おめでとう』と嬉しそうに、孝さんの言葉を繰り返していた航の横を、同年代の男の子が二人、通り抜けていく。
「ハルくん、ショウタくん。待ってってば」
二人よりも少しだけお姉さんかなって女の子が、あとから早足で追いかけてきた。
「先に行っちゃダメじゃないの」
全くもう……と、叱って見せた女の子が二人の手を掴む。
捕まえられた二人は、イタズラを見つけられたみたいな顔を見合わせて。
大人しく、女の子に連れられて戸口の方へと戻っていく。
そして、私たち親子とすれ違いかけた時、背の高い方の子がニコッと笑って。航に手を振った。
ガラス越しに花盛りのガーデンを高砂席の背景にした披露宴は、友人と家族だけが招かれた、三十人規模のシッティングビュッフェスタイル。
高砂席に向かって右、新婦側の主賓席にあたる上座のテーブルには、友人グループらしい若い女性が四人。そのテーブルをL字型に囲むような三つのテーブルに分かれた、織音籠のメンバーと家族が新郎側の招待客にあたる。
戸口に近い残り二つのテーブルに、新郎新婦それぞれの親兄弟の席があって。
全体的に若い人の多いアットホームな雰囲気の中で、織音籠のキーボード担当、RYOが乾杯の音頭をとって披露宴が始まった。
主賓席の女性たちがメインテーブルのお料理へ向かうのを見た航が、
「ねえ。僕らもご飯、取りに行こうよ」
隣に座っている孝さんの腕を揺する。
「順番だよ。保育園でも、そうだろ?」
「じゅんばん……」
「そう。叔父ちゃん席に近い人から、順番」
ええー、と、ガッカリした声をあげた航に、私の隣からお義母さんが
「今日の航くんは、お客様かな?」
と、訊ねる。
これは、難しい質問かな? 航の歳では。
それでも航の意識は、食べ物から離れたようで。
身体ごと、お義母さんの方へと向き直る。
「航くんの保育園は、お誕生会はあるの?」
「うん。おめでとうのお歌を、歌うんだよ」
「あら。いいわね。 航くんのお誕生会は、いつだった?」
「四月生まれさん!」
「うん。今度のお誕生会の主役ね?」
お義母さんの言葉に、航が嬉しそうに頷く。『主役、主役』と、節をつけて歌う。
「お誕生会の主役と同じで、今日の主役は花嫁さんと花婿さんなの」
「おめでとうを言ってもらう人!」
『お花もついてるね』と、航は保育園の誕生会になぞらえる。
「そうね。おめでとうを言ってもらう人だから、ご飯を取りに行ってないわね?」
おおー、って顔の航が身体を捻って、高砂席に座る“叔父さん夫妻”を見る。
「叔父ちゃんも叔母ちゃんも、じゅんばん」
「それでね。遠くから来てくれてたり、一番仲の良いお友達だったりする人には、『“おめでとう”を最初に言ってほしいね』って、主役の近くに座ってもらうの。この人たちが、一番のお客様」
「一番えらいお客さま?」
「そうね。一番大事な人ですよ、って主役が思っているお客様ね」
お義母さんが主賓の説明をして。
「だから、一番大事なお客様が、最初にご飯を選ぶのよ?」
分かった? と訊ねられた航が頷いたところに、小さな人影が二つ、近づいてきた。
「ねぇ。ご飯、たべないの?」
声をかけてきたのは、さっき会場の入り口で航に手を振った男の子。
「お前も、ごちそうを取りに行こうぜ?」
もう一人が、航の肩に右の手をかけた。
その手の幼さで、航よりも年下見えるのに。一人前の口ぶりが、なかなかのやんちゃ坊主なのだろう、と思わせる。
「じゅんばん、なんだよ?」
躊躇う航の言葉に
「だから。おチビのじゅんばんが先って、父さんたちが……」
先に声をかけてきた釣り目の子が言い返しながらも、ちょっと不安そうな顔で後ろを振り向く。その視線を追った先では、新郎側の主賓テーブルからこちらを見守っていたらしいRYOがいて。
グラスを持っていないほうの手が、『よくできました』って感じで、親指を立てて見せた
RYOの子供たち、かな? あまり似てないけど。
「里香さん。航と行っておいでよ。せっかくの、お誘いだし」
お義父さんと短く相談した孝さんにも、勧められて。
料理を取り終えた新婦の友人たちも、そろそろテーブルに戻ろうとしているし……。
RYOの子供たちのお誘いに、応えましょうか。
「じゃあ、航。行こうか」
「やったぁー!」
少しだけ控えめな歓声をあげて椅子から降りようとする航に、軽く手を添える。
自分たちのテーブルへと戻ろうとした男の子たちに
「誘ってくれて、ありがとう」
と、声をかけると、二人揃ってこちらに手を振って。
「またね」
そう言って、つり目の子が微笑んだ。