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無関心の災厄

無関心の災厄(過去編)  ―― ヤマザクラ

作者: 早村友裕

 これは、「イラスト小説企画『小説風景12選』」において、拓平様のイラストをもとに書いたイラスト小説です。


 拓平様のサイトはこちら→ http://gloria.soragoto.net/

 その光景は、まるで一枚の絵画のように完成していた。

「……ありがと」

 言葉一つを残して目を閉じたアイツは、びっくりするほど安らかな顔をしていたから。

 少しずつ消えていく「銀色」は徐々にサクラ色に蕩けていったけれど。

 オレは、少しだけでもいい、アイツの役に立てたら――なんて、柄にもなく思ったりなんてしてしまったりしたんだ。



 それでも、最期にサクラの色だけが残った場所で、オレはソイツに声をかける。

 オレが『口先道化師』である限り。

夙夜しゅくや

「……マモルさん?」

 殴られ腫れ上がった瞼を半分だけ押し上げて、オレの方を見たソイツに、オレは笑いながら告げる。

「オマエ、ほんとに最低だな」

「よく言われます」

 そういって『無関心の災厄』は笑った。




**********




 例えば――例えばの話、オレの目の前に一つの問題があったとしよう。

 その場合、解決するのがオレの使命なのかとか、そんな事はどうでもいい。

 とりあえず問題は、目の前にいる、動物に例えるとキツネの耳と尻尾を持つ少女に迫られているという事実だ。

「あたしさぁ、見つけちまったんだよ、『異属』を」

 そんなキツネ少女に面と向かって突然そんな事を言われたオレは、一番の得意分野である口八丁も忘れ、その口をぽかりと開けてしまった。

 隣で一個126円の新作コンビニプリンを貪っていた香城夙夜こうじょうしゅくやが、のんびりとこちらに目を向けた。

「『異属』だから排除しなくちゃなんないの。そうじゃなかったら、あたしが排除されちゃうの。だから、マモルたちに守って、つってんのぉ」

 巻き込まれるのがオレの性分なのだ。そこは譲りようがない事実。

 甘えるような、でもどこか荒っぽい口調でオレたちにそんな無茶を告げたのは珪素生命体シリカ、キツネ少女の梨鈴りりん。後ろで緩くみつあみにした髪がトレードマーク、生意気な口調も可愛いオレ達のマスコット。

 仮にもここは郊外とは言え一応都内、私立桜崎さくらざき高校文芸部の部室なのだから、本来なら、いわゆる『人里離れた山奥』で自然と共に暮らしているはずの珪素生命体シリカが出没すること自体がほとんどあり得ない事態だ――ここがいかに3方を山に囲まれた半分盆地であると言っても。

 しかしながら、このキツネ少女の梨鈴りりんは、どこをどう迷ったのかこの街に迷い込み、居着いてしまった。さらには、事あるごとにこの現在部員3名の文芸部部室へとやってきて、オレたちに構いたがる不思議なヤツ。

「なあっ、シュクヤ! 聞いてんのか!」

 人間ならば完全に頭に血が上って赤くなっている頃合いだ。尻尾と耳はぴんと天を指している。

 それなのにオレの隣でのんびりとコンビニプリンを貪る夙夜しゅくや。むぐむぐとプリンを味わいながら、生返事を返しやがった。

「聞いてるよ?」

「聞ぃてんなら返事しろよな、シュクヤ!」

 コイツはいつもそうだ。ヒトの話、聞いてるんだか聞いてないんだかわからねえ。

 声を荒げるキツネ少女の柔らかそうな尻尾の銀毛は逆立っている。ついでに言うと、声を荒げる度に首についた鈴がリン、と鳴る。

「それにマモル! なんでスミレは今日いないんだよ!」

「先輩ならそのうち来るだろ、あのヒトは休まねえよ」

 梨鈴の鋭い水晶の爪を避けながら奮闘するオレの隣で、夙夜はゴチソウサマ、と行儀よく手を合わせて満足そうに笑った。

「これはもう買わない――さて、行こうか」

「どこにだよ、夙夜」

「その『異属』を見たって場所。リリン、案内してくれるよね?」

 ちゃんと話きいてやがったか、このマイペース人間め。



 かくしてオレたちは梨鈴が『異属』を見たという場所に行くために連れて学校を離れていた。

 テストも終了した学校で無駄な時間を潰すよりはまあ意味があるかもしれない。最も、それは人目が多いという事に他ならないのだが。

「まぁたキツネっこと一緒かよ」

 道すがら、いわゆる帰宅部の同級生たちにからかわれながら。

 すでにこの高校では顔馴染みとなってしまっている梨鈴は、校門のところに立っている体育教師にひらひらと尻尾を振り、お愛想して難なく校門を通り過ぎた。

 その姿を見て、オレは常々不思議に思っていた事を口に出してしまう。

「なぁ、梨鈴。いつも疑問に思っていた事を聞いていいか?」

「何だぁ?」

「一応、桜崎高校にも中枢と呼ばれるメインコンピューターが存在するわけで、そいつは学校全体の監視をしているわけだから、セキュリティと呼ばれるものがあるはずなんだ。それでもって学校関係者以外の人間を許可なく校内に侵入させる事はない。もし無理に侵入すれば直接警察に連絡が行くからな」

「……相変わらずマモルの話は回りくどいな」

 うるさい、創りもんの頭脳がついてる珪素生命体シリカに言われたくねえ。

「なぜ部外者どころかオレたちと種族どころか生命体としてのレベルも違うオマエが侵入出来るんだ?」

「セキュリティ? マモル、何言ってんだぁ?」

 キツネがこっちを睨んだ。

 しかしながら、ふわふわのしっぽは楽しそうに左右に揺れている。触ればヤマアラシにちょっかいを出した犬並にトゲまみれになる事は分かっていても、触りたくなるのが人情というものだ。

 しかし、このキツネ少女は尻尾を触られる事をひどく嫌うので、それは我慢する。

「マモルさん、リリンは珪素生命体シリカだよ。有機生命体タンソと同じセキュリティに引っかかるわけないと思うけど?」

 代わりに夙夜が答えた。

「ああ、まあ……そう言われてみればそうか」

 桜坂高校のメインは、珪素生命体シリカを『侵入者』と認識しないのか。空から屋上に侵入する鳩や鳶と同じように。

 その瞬間、ため息をついたオレの背後で、甲高い声が響き渡った。

「あっ、マモルとシュクヤですー! 梨鈴ちゃんも一緒なのですぅ」

 この能天気な声。

 振り向くまでもない。

 と、言うか振り向く前に腰の辺りに衝撃があって、オレは思わず目につんのめった。

「後ろから突然タックルかますのはやめてくださいっ、先輩! そのうちオレの腰が折れます!」

「そんなことないですぅー、マモルちゃんは口ばっかりなのです。だからキミは『口先道化師』なのです」

「うるさい、口ばっかりとか言うな」

 いくら温厚なオレとはいえ、そんな事を突然言われたら、思わず先輩に対する敬語だって忘れてしまうぜ。

 その先輩の姿を見て、梨鈴は嬉しそうに笑う。

「スミレ、今日は遅かったんだなっ」

「えへへ、ちょっと用事があったのですぅ。それより、どこいくんですぅ? ワタシはこれから部活に参加しようと思っていたのですよ?」

 ようやくオレを解放した先輩――枝守えだもりスミレは、男なら多少なりとも好意を持つであろう愛らしい大きな目できょろきょろとオレたちを見渡した。

 しかし、黒のティアードスカートに白ニットのパーカー……どこから見ても完全に私服だが、この格好で部活に参加しようという先輩は完全に学校を勘違いしているとしか思えない。

 それ以前に、この格好で授業を受けていたのか?

 いや、疑問に思っては駄目だ。突っ込んだら負けだ――口先道化師として、オレは平常心を装う。

 文芸部、部員3名プラス一匹。

 まず、山から街に迷い込み、オレたちの元に居ついてしまったマスコット役、キツネ少女梨鈴。

 うち一人はプリン魔人。コンビニでプリンの新作を見つけては買ってきて部室で貪り食い、聞いてもないのに批評する香城夙夜こうじょうしゅくや

 もう一人は紅一点、かつ唯一の先輩である枝守えだもりスミレ。

 そしてオレ、ひいらぎまもる。文芸部唯一の良心にしてツッコミ。そして苦労人(自称だが客観的に見て事実であろう)。

 梨鈴が排除対象の『異属』を見つけた事、梨鈴の手伝いのためその『異属』を見かけた地点に向かっている事を告げると、先輩は大きな目をさらに丸くして口を開けた。

「そんなヒーローみたいなコト、似合わないのですよ、マモルちゃん。だって、マモルちゃん『名前だけ主人公』なのですよ?」

「ちょっと黙ってください、先輩」

 名前だけ、とか言わないでほしい。

 そりゃあ、『マモル』って、一本気で真っ直ぐな、少年漫画の主人公向きの名前だと思うよ? だからって、オレが主人公になれるわけじゃないけどな。

 口先ばっかりで、変なところばっかりに頭が回って、他には何のとりえもないオレが。

 ああやべえ、泣きそう。



 住宅街を抜け、坂を登っていく。坂はだんだん勾配がキツくなり、この先にあるのは、神楽山の登山コースだけだった。

「神楽山のヤマザクラのとこなんだよぉ、なんであんな有機生命体タンソの近くに『異属』がいるんだよぉ……」

「ここでこうしてオレたちの邪魔をしているオマエが堂々と言うな」

 目の前にある銀色の耳をぎゅっと引っ張ってやると、銀色のしっぽで右手の甲を叩かれた。

 もちろん、見た目だけは極上・ふわふわの尻尾に見えてもこいつは珪素生命体シリカ、その硬度はしょせん有機生命体タンソのオレたちの比ではない。

 ふわふわに見えた毛が手の甲に刺さり、悶絶するような痛みに襲われる。

 そして掴んだ耳に温かさはなく、まるでその辺に転がっている石ころを撫でたような感触だった。

「ヤマザクラなら、そろそろ花が咲くかもしれないね。サクラと一緒で、4月1日の誕生花なんだよ。春の代名詞だね」

 夙夜は少しずつ暖かくなってきた外を見て呟く。

 たしかに、朝晩の冷え込みは未だ厳しいが、昼間は日が当たる場所でぽかぽかと昼寝したくなる心地だ。

「夙夜、オマエ、たまに妙に植物に詳しいよな」

「俺、田舎育ちだから」

 いったいそれが何の根拠になっているのか、オレには全く分からない。

 でも、コイツの中では理屈が通っているんだろう。

「それでさ、梨鈴はどうしたいの?」

「何がだよ、シュクヤ」

「『異属』を発見して、逃げたいの? 捕まえたいの? 追い払いたいの? それとも――コワしたいの?」

「それは」

 梨鈴が言葉に詰まる。

 おいおい、その質問は酷ってもんだぜ、夙夜さんよ。

 そう思ったが口にださず、じっとその様子を見つめる。

「リリンがどうしたいか言わないと、俺にだってどうしようもないよ」

 困ったように笑う夙夜に悪気は全くない。

 そうだ、こいつはこんなヤツなのだ。超天然マイペース人間。聞いてないようで、実はきっちりと話を聞いている。考えてないようで、完全に問題の本質をついて来る。プリンをこよなく愛する17歳男、文芸部。

 本当に、ムカつくヤツだ。このぼーっとした男が実は口八丁を誇るオレよりも頭の回転が速いだなんて、ぜったいに認めねえ。

 邪気なく笑うソイツに殺意を覚える。

「決めたら、教えてね」

 これで欠片でも悪意があったら殴ってやるところだぜ?

 先輩が、むっと口を尖らせた梨鈴の頭を撫でる。

「んふふ、梨鈴ちゃん、可愛いのですぅ。がんばってくださいなのです」

 くすぐったそうにした梨鈴の首に着いた鈴が、りん、と音をたてた。

 実は、名も無き珪素生命体シリカのキツネ少女に『梨鈴リリン』という名をつけたのは先輩だ。『キツネちゃんの首の鈴の音なのですぅ』とか言いながら。

 この人は、なぜか皆にあだ名をつけたがる。

 ちなみにオレは『口先道化師』。案に口ばっかりの男というレッテルを貼られてしまったわけだ。

 いや、事実だから悲しくなんかないぜ?

「シュクヤくん、キミがついてるから大丈夫だと思うのですけれど、危なかったら逃げるのですよ?」

「ありがとうございます、スミレ先輩。でも、ちゃんと何とかしますよ」

 無邪気な笑顔で答えた夙夜。

 何とかなる、ではなく『何とかする』と答えたコイツは、その言葉の意味が分からないわけではないはずだ。

 ただ、オレは未だにこの飄々とした同級生を測りかねていた。

 何しろ、『名付け親(ゴッドファーザー)』は去年の春、一目見るなりこのノーテンキ男にあだ名をつけた。

「先輩、オレよりもこのぼーっとしたヤツの方が頼りになるっての?」

「この場合は仕方ないのです。だって敵は珪素生命体シリカなのですから。珪素生命体シリカ相手に、マモルちゃんお得意の口八丁は通用しないのですぅ」

 うう、さらにグサッとくる言葉だが、何とも言い返しようがない。

「それより、神楽山のヤマザクラだよね。あれのこと?」

 夙夜は、唐突に神楽山の一角を指して言う。

 が、オレにはただ緑色の山が春と呼ぶにふさわしい大気をはさんで、それなりの距離でもって、でんと目の前に鎮座しているようにしか見えない。いったいあのでかい山の中のうちのどれがヤマザクラだと言うのだろうか。

 同じ様に梨鈴も首を傾げた。

 それを見た夙夜がひらひらと手を振る。

「あっ、ごめん。えーと、今のナシ」

 今のは、何だ?

 まるで、あの山のどこかにあるヤマザクラが、この場所から見えていたような言い方だった。

 不自然。あまりに不自然……まさか本当に見えていたとでも言うのだろうか。

 いや、まさかな。

 アリエネエだろと結論付けたその瞬間、隣を歩いていた筈の夙夜の姿が消えた。

 消えた?!

 が、振り向けば、いてて、とか言いながら起き上る姿。

 どうやらコイツ、ここで転んだらしい。

「……出来ればオレにも分かるようになぜ転んだか教えてくれ」

 これほど見通しが良く、まっ平らな歩道でコケられるのは、ある意味天才だ。

 すると、ソイツは足元の黄色い粒々を指して言った。そう、アレだ、視覚障害者用に道に取り付けてある高させいぜい1cmほどの粒だ。

「いや、これに躓いて……」

「シュクヤくん、横着しちゃダメなのですよーぅ」

 先輩が楽しそうに笑う。

 それを意に介さず、夙夜は困った顔でオレを見た。

「マモルさん」

「何だ?」

「足ひねったみたいだから、回復するまでちょっと待って欲しいな」

 返す言葉もねえよ、バカ。



「ここ、ここだよ、昨日、ここで見たんだ」

 梨鈴が銀色の尻尾を振りながら駆け寄ったのは、見事な満開を見せる、一本のヤマザクラの樹だった。

「ああ、綺麗だねえ」

「こりゃ……すげえ」

 さしものオレも言葉を失った。

 本物の文学者ならこの光景を素晴らしい表現で文章におこすのだろうけれど、残念ながら口先だけのオレにそんな才能はない。ただ、いくらか視界が開けた野原の真ん中、目の前に佇むヤマザクラが風に花弁を散らすさまを見ていた。

 夙夜と梨鈴は並んでヤマザクラの幹に掌をあて、落ちてくるピンク色の花弁を捕まえながら、嬉しそうにはしゃいでいる。

「ふふ、梨鈴ちゃん、楽しそうなのです」

「先輩も一緒にどうですか?」

「ワタシはいいのです。もうサクラを見てはしゃぎまわるような子供じゃないのですぅ」

「あーそうですか」

 オレの返答に不服そうな顔をした先輩の頬を引っ張りながら(後輩のする事ではないが)、追いかけ合いながら無邪気に草むらを転がりまわる夙夜と梨鈴の姿を目で追う。

 犬が二匹じゃれているようなその姿は、まるで本当に兄弟のようだった。

 夙夜、とてもじゃないが男子高校生の晒す姿じゃないぞ。

 さて、しかし、この場所で特に得る情報もないようなら帰ろうか……と思った時のことだった。

 草の中に転がっていた夙夜が、突然ばっと起き上った。

 いつも温厚なアイツの目が大きく開かれ、オレを睨みつけている。

「夙夜?」

 オレ、何かしたか?

「マモルさん、こっち、来てください。できれば、振り向かないで」

 その尋常ならざる様子に、座り込んでいた梨鈴も首を傾げる。

 アイツは、真剣な顔でオレを、いや、オレの背後の空間を見ている。

 先ほど一本のヤマザクラをあり得ない距離から発見した時のように、見えない何かが見えているとでも言うのだろうか?

「近づいてる。リリン、さっき俺が言った事、覚えてる?」

「え? シュクヤ、何の事だ?」

 首を傾げる梨鈴。

「逃げるなら、今だよ。この距離なら気付かれずにここを立ち去れる」

「――?!」

 梨鈴は大きく目を見開いた。

 やっぱりこいつはやたら目がいいのか?

 それとも、野生動物並みに気配とかそう言うものに敏感なのか?

 オレは言われた通り先輩と共に、振り向く事なく静かに夙夜たちの元へ歩み寄った。今の流れからすると、オレの背後の方向に、梨鈴の言っていた『異属』がいる。

 しかし、なぜコイツにはそれが分かる?

 先輩と梨鈴の表情から見て、その『異属』が視線の届く範囲にいない事は明白だ。

「おい夙夜。お前、何で……」

「いるんです。分かるんです。ごめんなさい、今は緊急事態だから……それに、マモルさんが分からないなら、説明しても無駄だ」

 なんだ、それ?!

 オレは腹を立てかけたが、先輩はくすくすと笑った。

「なるほどですねぇ。見えないヒトに見えるモノを説明するのはひどく難しかったりしますです。でも、シュクヤくんには見えるのですねぇ。さすがなのですっ」

 だから、いったい何が見えて、何が分かるのか、オレのような凡人にも分かるように説明してほしい。

「どうする? リリン」

 無自覚で残酷なオレの同級生は、硬直してしまっているキツネ少女に再び尋ねた。

「あたしは」

 震える声。

 握りしめた小さな手も震えていた。

「逃げたいなら、今すぐ逃げよう。でも、もしコワしたいならここに残らなくちゃいけない。もしリリンがいいなら、俺は破壊を手伝うけど」

 梨鈴は、唇をぐっと噛みしめた。

 そして、隣にいた先輩の手をとった。

「行こう、スミレ。すぐ、山を降りよう」


 一番足の遅い先輩を先頭に、梨鈴は唇を真一文字に引き結び、夙夜は相変わらず何を考えているか分からない表情で、オレはしんがりを務めて山を下って行った。

 下手に慌てて駆け下りたりすれば余計な怪我をしかねない。

 オレは背後からずっと夙夜を観察していた。

 コイツは、おかしい。以前からうすうす感づいてはいたが、どうも変だ。

 今だって、まるで木々の隙間に何かを追い求めるかのように視線を動かしている。何も聞き洩らさないと主張するかのように耳をそばだてる緊張感が素人のオレにも伝わってくる。

 そして、オレは気づいた。

 ソイツが一瞬視線を一点に集中した事に。

「あっ、俺、さっきの場所に携帯忘れてきちゃった」

 何が忘れものだ。携帯なんぞ、持っていたって使いもしねえヤツが何を言う。

 夙夜の視線が微かに動いて梨鈴に何か伝えたのを、オレは見逃さなかった。

「ごめん、先輩、先に行っててくれる?」

 そんなんで誤魔化されるか。

「仕方ないのですぅ。ワタシはこのまま帰りますですから、ちゃんと明日の部活に参加するのですよ?」

 そう言い残して駆けて行く先輩の後姿を見送り、オレたちは山道の真ん中に佇んでいた。

「……マモルさんは行かないの?」

「アホか。ここまで首突っ込んどいて最後は知りませんサヨウナラなんて逃げられるか。もう逃げられない距離まできてんだろ? 『異属』とやらが」

「もう、マモルさんてば、変なとこで鋭いんだから」

「……スミレだけでも、逃げられたらいい」

 梨鈴はそう言うと、振り向いた。

「戻ろう。ここは、戦いにくいからな」



 ソイツは、満開のヤマザクラの下で待っていた。

 梨鈴以外では初めて見る珪素生命体シリカ。よく見れば、梨鈴が持つのと似たような耳と、彼女より細長い尻尾が飛び出ている。梨鈴がキツネなら、あれはネコだ。美しい銀毛のネコ。

 見た目は同じでも、梨鈴はオレたち有機生命体タンソ――珪素生命体シリカが発見されてから便宜上つけられたオレたちの区分だ――と違い、珪素をベースに創られたモノ。オレたちとは根本的に創りが違う。今から100年以上前に初めて発見された彼らは、オレたち有機生命体タンソから離れ、いわゆる人里離れた山奥で暮らしている。

 当時は、世紀の発見と同時に大問題になったらしいが、実は珪素をベースに創られたそれらの生命体が、たった一人の人間の手によるものであったと分かった。

 また、彼らに生殖能力はなく、珪素生命体シリカにもこちら側にちょっかいを出す理由がないことから、オレたち有機生命体タンソからは完全に隔離している。

 もっともこの姿だ、愛玩動物として捕えられたりすることもあるのだが……またそれは別の問題だ。

 まあ、いうなれば希少動物、天然記念物のような扱いになっているのが現状だった。確かそんな法律もあっただろう。

 珪素をベースに創られた彼らの髪は、瞳も、総じて銀に近い色だった。

 そのネコ少年は微笑んだ。

「来たんだね、『異属』」

「『異属』って呼ぶな! あたしには梨鈴りりんって名前があるんだ!」

「リリン、ねえ。僕は『イズミ』だよ。名前を持つ珪素生命体シリカに会ったのは僕以外で初めてだよ。それは、誰かに付けてもらったのかな? その、隣の有機生命体タンソあたりに」

「うるさい黙れ、このネコ!」

 それまで穏やかな表情だった少年は、ネコ、と罵られた事で表情を一変させた。

 緩やかに左右に振っていた尻尾がぴん、と立ち、耳も心なしか立ったような気がする。

「何だ、従順なら見逃してもいいかな、なんて思ってたのに……やっぱりキツネはキツネか」

「キツネって呼ぶなよ、このネコ」

 物騒な空気が周囲を取り巻いた。

 梨鈴は鋭い水晶の爪をあらわにし、尻尾の毛を逆立てて完全に戦闘態勢だ。

 落ちつけようと梨鈴の名を呼ぼうとしたオレは、隣の夙夜に制止された。

「ダメだよ。『異属』と出会った珪素生命体シリカはその本能に逆らえないんだ。どうしても、牙をむき、互いを消す事しか考えられなくなるように出来てる」

「なっ、お前……」

 なぜそんな事を知っている、と聞こうとしたのだが、その瞬間に凄まじい金属音が響き渡った。

 はっとそちらを見ると、梨鈴が腕を押さえて飛び退ったところだった。

 なるほど、今の金属音は珪素生命体シリカが傷つけられた音。

「梨鈴っ!」

 叫んだオレの声なんて届かない。

「何で珪素生命体シリカは『異属』を見つけると排除しようとするんだっ?!」

 その問いに、夙夜はオレの袖をつかんだまま答えた。。

「それは、朽ちる事のない珪素生命体シリカに活動停止をもたらす為、彼らに付属された『唯一の命令』だからだよ」

「あの、ナントカって博士が100年以上前に製造した時にか?」

「そう。珪素生命体シリカの創造主は彼らに何ら行動の規定を付加してない。ただ、ヒトに近い姿でヒトに近い思考を持つ『カタチ』を作っただけなんだ。でも、俺たち有機生命体タンソと違って、珪素生命体シリカは長命なんだ。何しろ、その辺に転がっている石なんかと同じ素材なんだからね」

 100年以上も前に珪素生命体シリカを生み出したのは、たった一人の人間だったのだという――発見された時すでに博士は故人、その目的も意図も不明のまま数万体と言われる珪素生命体シリカだけがこの世に遺された。

「でも、彼らは『マイクロヴァース』と呼ばれる終末プログラムを持つ。その起動条件は、一定以上の損傷を受ける、もしくは自らの意志での発動」

 マイクロヴァース。

 それは、朽ちない珪素生命体シリカを自然に還すため、彼らが持たされた爆弾だ。

 発動すればその体は塵以下にまで分解され、存在は無に帰す。

 信じられないほどに淡々と、無表情に夙夜は語った。

「『異属』を見つけたら排除、その戦いに敗れれば待つのは『無』。その淘汰の先にいったい何がしたいのかは、全く分かんないけどね」

「……同感だ。そんなくだらない命令で梨鈴が危険な目に遭うのもな」

 珪素生命体シリカについて、分かっている事は少ない。おそらくそれは、彼らの人間に似た容姿から、調査と称する実験が虐待を思わせてしまうから。社会的反対は多く、今もなぞに包まれた珪素生命体シリカは山奥に存在し続ける。

 死を迎えた――活動停止を便宜上こう呼ぶ事にしよう――彼らを無に帰すマイクロヴァースについても知られている事は少ないはずなのだ。

 それなのに、夙夜はなぜこんなにも珪素生命体シリカについて知っているんだ?

「なあ、夙夜……オマエ……」

「聞かないで」

 問う前に分断された。

「俺自身にも分かんないからお願い、聞かないで、マモルさん」

 その言葉に抑揚はなかったけれど、ふと見た横顔はどこか寂しげで、オレは不覚にも、同級生の男相手に言葉を失った。

 それを見て気付いてしまった。

 おそらくずっと感じていた違和感は勘違いじゃない。

 コイツは、きっと、とんでもないモノを隠し持っていた。

 梨鈴とイズミの身体能力の差は歴然で、珪素生命体シリカにも性別による体力差があるんだろうかとか、オレはぼんやりと考えていた。

 きっと、このままでは梨鈴は消滅する。

 手を出すか、と思った瞬間、イズミの長い尾が梨鈴の腹を強打した。

 そのまま吹っ飛ばされてヤマザクラの幹に叩きつけられた梨鈴。

「梨鈴っ!」

 それが最後。

 梨鈴から銀色の光が放たれて、彼女の服の裾が微かに崩れ始めた。

――マイクロヴァースの発動

 それは、珪素生命体シリカにとって『死』を意味する。

 胸の辺りがザクリと抉られる。

 梨鈴が、消滅する? そんな……

 照れて尻尾を揺らしたり、つんけんした口調も、膨らませた頬も、すべてが消えてしまう。

「シュクヤ」

 目にいっぱい涙を溜めた梨鈴が振り向いた。

 珪素生命体シリカの傷口から血が流れる事はない。

 しかし、オレの目には全身から血を流す少女の姿に映っていた。

「助けて」

 あの涙は本当にオレたちと同じ成分なんだろうか、と考えてしまったオレは残酷だ。

 それなのに、すべての珪素生命体シリカの存在を無に帰すマイクロヴァースが発動し、足元から消え行くキツネ少女の姿が美しいだなんて、どうして思ってしまったんだろうか。

 何の躊躇もなく制服のネクタイを外した夙夜を見て、オレは思わず止めに入る。

「お前、珪素生命体シリカの喧嘩に手ぇ出すのか? あれだぞ、梨鈴を助けるって事は、イズミを破壊するってことだぞ?! 珪素生命体シリカの破壊は殺戮に等しい行為だぞ?! それに、梨鈴はもう――」

 夙夜は、にこりと笑ってネクタイをオレに手渡した。

「うん。でも、だって、俺がリリンを選んだ時点で答えは出てたんだ。俺がリリンの味方になった時点で、イズミを破壊する事になる未来は決まってた。だって、リリンの望みは叶えてあげたいでしょ?」

 淡々とした口調に、オレは思わず聞き返す。

「オマエ、まさか最初から分かってたのか?」

「んー、何となく、だけどね」

 オレの中に何とも言えない感情が渦を巻く。こんな結末、回避する事はできなかったのだろうか?

 出来たかもしれない。でも、夙夜はそうしなかった。

 梨鈴がこの道を選んだ。そして、山を降りよう、と言った彼女は、決して『逃げる』とは言っていなかったから。

 珪素生命体シリカの破壊は殺戮だと思うか、と聞けば、コイツはきっと『Yes』と答えるだろう。そして、殺戮と認識した上でイズミを破壊するのだ。

 一度言った事は覆さない、その信念は、曲げられないモノなのか?

 コイツの価値観は、理解できたようで、オレにはまだ全くわからない。

「『無関心の災厄』ね……ダテでその名がついてるわけじゃねーってワケか」

 世の中の流れに任せる。自分は動かない。無関心。不干渉。無忠告。

 そんでもって、最後の最後、最終でどうにもならなくなった時だけ『デウス・エクス・マキナ』として登場し、その能力で以てすべてを無に帰す。

 まさに『|無関心の災厄《no interest bringing disaster》』。

「確かにアンタは天才だよ、『名付け親(ゴッド・ファーザー)』」

 無邪気な先輩の笑顔を思い出し、オレは、どうしようもなく、笑った。

 どうやら人間ってのは、訳わかんなくなると笑うように出来てるらしい。

「そういう事なんだな、夙夜」

 お前はずっとそうして生きてきたんだな。オレたちには見えないモノを見て、聞こえない音を聞いて、それをひた隠しにして生きてきたんだな。

 普通の人間ならばこれくらいだろうと、自ら設定した枠を超える事なく、オレたちからは想像もつかないような情報の渦の中で生活しているのだ。人より多くのモノを見て、人より多くのモノを聞いて。そしてそれを、並はずれた頭脳に少しずつ刻んでいく。

 それでいて狂わないアイツの本質を疑った時、オレは初めて――ぞっとした。

 そして、夙夜が梨鈴とイズミの間に立った時、なぜだろう、第六感など特別優れてもいないオレにも、この戦いが終了するような予感がした。


 アイツは笑顔で、梨鈴の頭を撫でた。

「リリンは、ちゃんと決めたから。だから、オレが手伝うよ」

 そして、まるで童話の中の王子が姫にするように、梨鈴の髪を一房手にして、口付けた。

 不自然なほどに自然なその仕草は、アイツの異質さを前面に押し出していた。

「髪、少しくれないかな?」

 そう言うと、梨鈴はこくりと頷いて水晶の爪で自らの髪を一房、切り離した。

 銀の一房を受け取った夙夜は、にっこりと笑ってイズミの方を向いた。

「ごめんね、イズミくん。何の恨みもないんだけど、俺、リリンに協力するって約束しちゃったんだ」

「何? 有機生命体タンソのお兄さん、その『異属』の代わりに僕を破壊しようって言うの?」

 答える代りににこりと笑う夙夜は、オレと同じ制服を着ているというのにまるで別世界の人間のようだった。

 この感覚を、オレはどう説明していいのか分からない。

 ただ、消えていく梨鈴と、梨鈴の代わりにイズミと対峙した夙夜を交互に見つめる事しかできなかった。

 オレみたいな凡人が、こんな所に入り込む余地なんてないのだ。

 梨鈴から受け取った髪の房をまるでナイフのように束に、夙夜は地を蹴った。

 しかし――

「でも、お兄さん馬鹿なの?」

 歯が立つわけがない。

 何しろ相手は珪素生命体シリカ――珪素を元に創られた、超硬度の生命体。オレたちは武器なしに傷一つ付けることだってできはしないのだから。

 もし可能性があるとするなら、それは彼の手に握られた一房の髪。

 イズミと同じ素材で出来た梨鈴の髪ならば何かしら相手を傷つける事は可能かもしれないが、それでもイズミを戦闘不能に追い込む、またはマイクロヴァースが発動するほどの深刻なダメージを与える事は不可能なはずだ。

 案の定、夙夜はあり得ない硬度の拳を受けてその場に崩れ落ちた。

「もろいよね、有機生命体タンソは」

 傷一つつかない珪素のカラダは、簡単に夙夜を傷つける。

「……夙夜」

「止めないでね、マモルさん。マモルさんは、見てて欲しい」

 もう一度銀色の束を手に立ちあがった夙夜は、傍から見ていて痛々しい。

 だが、イズミは立ち上がった夙夜を見て不服そうに頬を膨らませた。

「何だ、もしかして……避けてるの? 僕の攻撃」

「避けきれないけど、勢いは殺してるよ。そんなの、まともに食らったら俺だって無事じゃいられない」

 勢いを殺して受ける。

 あの、野生動物並みの速度で襲ってくるイズミの拳を認識して一瞬で判断し、避けているというのか?

 いや、もしかするとコイツならやるかもしれない。

 夙夜、コイツはおそらく――とんでもなく目がいい。もしかすると、耳もいいかもしれない。あまりに人並み外れているため、オレにはそんな陳腐な言葉しか浮かばないのだが。

 それが本当なのかはオレには果たして確かめるすべがない。

 ただ、何となく直感的にそう思っただけだ。

 そしてヤツはとうとうイズミの動きを捕えた。

 銀色の尻尾が自分に叩きつけられる瞬間、その尾を一瞬で掴み取る。

 骨を切らせて肉を断つ。

 夙夜はにこりと笑う。

「捕まえた」

 捕えた尾に、まるで鞭のようにしならせて尾に叩きつけた。

「!」

 イズミの尾の銀毛がぱっと散った。

 驚いたネコはぱっと獲物から距離をとる。

 硬い毛を持つ尾を握りしめた夙夜の手からは、血がぽたりと零れおちた。

「あーあ、傷つけちゃった」

 切れ込みの入った尻尾を両手で撫でて確認し、イズミはくすくす笑った。

 その姿は、無邪気な子供にしか見えない。大切なおもちゃを壊された子供。

 オレは、動けない。

 夙夜は手にしていた梨鈴の髪をはらはらと地面に落とした。

「治るまでに時間かかるんだからね」

 イズミの怒り、それは、殺気。

 これまでと雰囲気を纏ったイズミは、次の瞬間に一気に間合いを詰めて夙夜の顔面に拳を叩き込んでいた。

 珪素生命体シリカの一撃、殴り飛ばされた夙夜はそのままヤマザクラに叩きつけられた。

「だから無駄だって」

 ぐったりと幹にもたれかかった夙夜に向かって、イズミが呆れたように言い落とす。

珪素生命体シリカ有機生命体タンソに干渉しないって言われてるけど、それは、興味ないだけだよ。僕は、ちょっと興味あるんだ」

 イズミはにこりと笑った。長い尻尾が揺れている。

「だから、お兄さんの事、ここで消しちゃうかも」

 殺気。

 これは自然と野生を忘れた人間が持ちうるものではない。

「さよなら」

 イズミは尾を大きく振り上げた。

 あのまま夙夜を貫く気だ。止めなくては、飛び込んで、オレでも全力で突っ込めばイズミの体勢くらい変えられるかもしれない。

 でも、間に合う? 間に合わない?

 だめだ、オレには何も出来ない――?!


 ところが、振り上げたイズミの銀色の尾から、光が放たれた。

 先ほど梨鈴が発したものと同じ、マイクロヴァースの発動だ。

「なっ、何だこれ?! どうして僕まで……!」

 崩れ、消え始めた自分の両手を見て悲鳴を上げたイズミに、夙夜は淡々と告げる。

「知ってる? マイクロヴァースってね、誘発するんだ。体のどこか一か所で発動すると、その隣も、そのまた次も、って次々に発動する。だから、珪素生命体シリカを破壊するのは簡単。もちろん、有機生命体タンソである俺たちには効かないけど」

 ああ、そうか。

 だから夙夜は自分の体と引き換えにしても、マイクロヴァースの発動した梨鈴の体の一部を使って、ほんの少しだけアイツを傷つけた。

 それを聞いて、イズミは大きく目を開けた。

「何で有機生命体タンソのお兄さんがそんな事を?」

「んー……俺、田舎育ちだから?」

 ああ、夙夜、相変わらずオマエの言う意味はわかんねーよ。

 ほら見ろ、イズミとかいうネコ少年も呆れ返ってんじゃねーか。

 しかし、少年はその言葉を聞いて、最後に笑った。

「意味分かんない」

 マイクロヴァースは、イズミという名だった少年を喰いつくした。


 ああ、なんてこった。アイツ、本気で珪素生命体シリカを破壊しやがった!

 いや、分かってる。見た目はぼーっとしてるアイツが、とんでもないスペックを隠し持っている事には気づいていた。

 それでも、まさかこんな形で破壊するだなんて、オレには予想できなかった。

 記憶力は悪くないくせに、人の名前は絶対に覚えない。目がいいくせに、運動神経もいいくせに、何もないところで躓く。携帯嫌いなくせに、いつだって持ち歩いてる……でも使わない。周囲の事なんててんで気にしないくせに、景色も音も空気もすべて感じている。正真正銘ヒトのくせして、当たり前のようにヒトらしからぬ言動をする。その上超絶マイペース。

 ほんとに、変なヤツだ。

 そして、いったいなぜこいつがこれほど珪素生命体シリカに詳しいのか――それだけは、聞いてはいけない気がした。何より、アイツ自身が分からないって言ってたじゃねえか。

 さすがに力が尽きたのか、ぐったりとサクラの樹にもたれかかったアイツに、梨鈴はそっと寄り添う。

 意地っ張りな彼女がいったい何を囁いたのかは知らないが、アイツはぽつりと呟いた。

「……ありがと」

 眼を閉じたアイツの隣で、銀色が蕩け始めた。

 当たり前だ、イズミだけでなく梨鈴のマイクロヴァースが発動しているのだから。

 ゆるく編んだ銀色のみつあみも、柔らかそうな尻尾も、何もかもが消える。

 最後に尻尾を触らせてくれって言ったら、怒るかな?

 見ていられなくて背を向けたオレの背に、意地っ張りなキツネの声が飛ぶ。

「マモル」

「ん?」

 振り向けない。今見たら、その光景が網膜に焼きついちまう。

「見て。あたしの事、忘れないように。シュクヤとスミレは、絶対あたしの事忘れるから、マモルは忘れないで」

「……お前なぁ、いったいオレを何だと思ってやがんだ」

 仕方ない。

 おそらくもう意識がないであろうアイツの代わりに、オレが見届けてやるよ。

 振り向いたオレの目には、驚くほど鮮やかなサクラ色に染まって、初めて見せる笑顔の梨鈴が佇んでいた。

 すでに足は消失し、袖の辺りもはらはらと崩れていっている。

 しかし、その笑顔だけは何よりも、サクラより蒼いソラより、何より美しかった。

 ああ、最悪。

 オレはいつだってこんな役回りだ。

 とても主役になんてなれやしない。

 オレは、夙夜アイツじゃねーんだ。オレがオマエの事を絶対に忘れない、なんて期待しないでくれよ?





――相談があります。部室に来てくれませんか?


 真夜中のこんなメール、普通の女子高生なら無視だろう。

 しかし、残念ながら先輩は普通ではない。


――先に待ってます、です


 日本語的におかしいがそこには突っ込まないでおこう。

 携帯を手にこっそり侵入した学校の文芸部室の扉を開けたオレの目には、窓から差し込む満月の光を浴びて妖艶に佇む先輩の姿が映った。

「ふふ、どうしたのですぅ、マモルちゃん。こんな夜中に。愛の告白ですかぁ? それならいつでも大歓迎なのですっ」

「冗談やめてくださいよ、先輩」

 オレは肩を竦め、椅子に座った。ぎぃ、と椅子が軋む。

「リリンちゃん、消えちゃったのです。ワタシはとっても悲しいのです」

「すみません、オレには何も……できませんでした」

「分かってるのです。珪素生命体シリカの存続にワタシたちが干渉する事なんで、普通は出来ない事なのです」

「でも、アイツは――」

 言いかけて、オレは口を閉ざした。

 何から話していいか分からなくなったからだ。

 ところが、先輩はくすくすと笑う。

「分かってるのですぅ。今日だってきっと、アノ子のことを聞きたかったのでしょう?」

「ああ、そうです。アイツ、いったい……何者ですか?」

 うすうす感づいてはいた。ただ、この1年間目を向けないようにしていただけで。

 しかし、今回の事で、これから自分に降りかかる『災厄』の片鱗を見た気がするオレにとって、知らない事は命にかかわる大問題だった。

「今回、はっきり分かりました。これまでもずっと思ってたんですが……あいつ、不自然なんです。見えないモノを見えるっていったり、聞こえないはずの音を聞いたり、たまにわけわからない事を口走る」

 他にもヒントはいろいろあった。

 山に入った時だって、実は常に周囲を観察していた。

 まるで何かを警戒する獣のように、じっと草藪を見つめたり、木に手をあてて感触を確かめたりと、おかしな行動をしていた。

「先輩、言いましたよね。アイツにあだ名、つけましたよね。覚えてます。アイツに、似合わない名前だと思ったから」

「ふふふ、でも、気づいてみるとぴったりでしょう?」

「……そうですね」

 そう返答すると、先輩は嬉しそうに笑った。

「アノ子は、『無関心の災厄』」

 それは、アイツに与えられた似合わない名称。

 その本質を言葉にした先輩は、くすくすと笑う。

「『口先道化師』であるキミにも、少しずつ見えてきたのですぅ? アノ子がほんとに何を隠しているのか」

「ああ……口先道化師としては非常に陳腐な答えになりますけど、アイツ……」

 見えないものを見て、聞こえないはずのモノを聞く。

 ほとんどないヒントから答えを導く。

「『人間じゃない』んですか?」

「ふふふ、本当に陳腐な答えですねぇ」

「だってそうでしょう?」

 オレの言葉を聞いて先輩は唇に指をあてた。

「それは、間違いじゃないけど正解じゃないのです」

「どういう事ですか、先輩」

「アノ子は人間です。正真正銘、有機生命体タンソの人間。でも、その中に宿るのは『ケモノ』――獣なのです。野性的なカンと感覚を持っている、野生のケモノなのです」

 ヤセイのケモノ

 先輩の言葉は、もやもやとしていたオレの中身をクリアにした。

「ケモノだから珪素生命体シリカに好かれてしまうのかもしれないのですねぇ。珪素生命体シリカは人間に近い形でも、その本質はケモノに近いのですから」

 珪素生命体シリカ

 はるか昔、人間の手によって創られた彼らについて、オレが知ることは少ない。ただ分かるのは、先輩の言うとおり、ケモノに近い珪素生命体シリカは、確かに夙夜アイツに惹きつけられるだろうって事だけだ。

 おそらく、梨鈴がそうだったように。

「でもアノ子は賢いから、それを悟られるとニンゲンから逸脱する事を知っているのです。アノ子は自分の能力に無頓着でなければ、ココで生きていけないのです。見聞きしたことをそのまま口に出せば、知っている事をそのまま言ってしまえば、ニンゲンから逸脱している事がバレてしまうことを知っているのです」

 オレは闇を睨みつけたまま、先輩の言葉を黙って受け入れた。

「『無関心の災厄』――無関心なのです。本当は何もかもに興味がないのです。キミは知っているでしょう? アノ子が自分自身の能力にさえ無頓着な事を」

「……」

 ああ、知っている。アイツが自分の能力をひけらかすどころか全く使う気がないのだという事をよく知っている。

 それどころか、自分の能力に気付いていないのではないかとさえ思えてくる。

「だから、無関心がバレないように何かに関心があるフリをするのです。それがプリンだったりリリンちゃんだったりするのです。でも、その関心はどこか不自然、でも、アノ子が演じ続ける限り、それは周りのヒトにバレないのです」

「……オレにバレましたけど?」

「アノ子の真実を見出すのは、マモルちゃんが思ってるほど簡単じゃないのですよ? マモルちゃんは気がついたってコトを自慢してもいいのです。それはマモルちゃんの能力です」

 おいおい、『香城夙夜が本当は世界全部に無関心で、野生のケモノ並みの五感を持ってる事を見破った』なんて、いったい誰相手に自慢するんだ。

 ああ、長い文章だ。その上、センスが悪い。そして何の役にも立ちはしない。

 オレは頭の中の言語を全部振り払って、先輩に背を向けた。

「アノ子は全部をひた隠しにして生きてきたのです。可哀想な子なのです」

「……オレにバレても、所詮口だけだから安心ってか?」

 自嘲気味に呟くと、先輩は言った。

「それは違うのですよ?」

 ふっと振り向くと、先輩はぎしぎしと音を鳴らしながら、パイプ椅子に体育座りしていた。

 スカートの中が見えそうになって、オレは思わず視線を闇に戻す。

 満月の光を浴びた先輩の髪色が一瞬、黒じゃない色に見えたのは気のせいだろうか?

「マモルちゃんは純情ですねぇ、そんなところもスキなのですよ?」

「からかわないでくださいよ、先輩」

 それでも背後でくすくす笑いながら、先輩は続けた。

「コトバは魔法です。ニンゲンが使える道具の中で、心に直接触れられるのはコトバしかないのですよ? それは、ニンゲンを相手にする場合、最強の武器なのです。だから、アノ子はマモルちゃん、キミを選んだのです」

 ぎし、と椅子が啼く。

 選んだ? 何に?

 オレは聞かない。それは、オレの悪い癖かもしれない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥なんて言葉は、オレの天敵だ。

 分からない事があっても分かるフリをして煙に巻くのがオレの常套手段なのだから。

 そのまま、部屋の外に続く扉を開けた。

「アイツ、さ……」

 オレは最後に先輩に問う。

「人間……だよな?」

「そうなのです。だから、キミはアノ子の傍にいてあげて欲しいのです」

 ぱたん、と扉が閉じた。




**********




 例えば――例えばの話、オレの目の前に一つの問題があったとしよう。

 その場合、解決するのがオレの使命なのかとか、そんな事はどうでもいい。

「なぜかな」

 オレは問う。

 ダレに? キミに? アナタに? オマエに?

 とんでもない。

 自分自身に、だ。

 増殖する事はなく、ただ淘汰していくだけの珪素生命体シリカの存在。何も残さずに消すマイクロヴァース。

「オレも、死ぬ時は何も残さずに消えたいよ」

 マイクロヴァースに喰われて消える、珪素生命体シリカのように。

 この体も声も意識も思想も、全部分解されて自然に還ればいい。

 そうか、珪素生命体シリカの始祖はきっとそう思ったんだろう。消えるなら自然に還りたい。だから、最初っからマイクロヴァースを埋め込んだ。

「何とも美しい願望じゃねーか」

 オレはいつか死ぬ。そして、この体はマイクロヴァースなんて使わなくても地に還るだろう。

 もしオレが死んでも、アイツの脳内にこの言葉も声も姿も、すべて残るというのなら、アイツが消える時に自然に還るモノはいったいどれほどの量になるのだろう?

「凡人にはわかんねーよ」

 不明、という史上最悪の回答を提出し、口先道化師オレは再びヤマサクラの樹を見上げる。

「なぁ、夙夜……」

 そんな問いにすら興味がないであろうヤツの姿を思い浮かべ、オレは苦笑した。



 大丈夫だ、まだ、ちゃんと覚えている。意地っ張りなあのキツネの最後の姿は、オレの中に残っている。何しろ、オレは『口先道化師』――見守ることしかできないのさ。


 それから梨鈴、オマエは一つだけ間違ってる。

 アイツは、オマエの事を何一つ忘れやしない。

 声も顔も、オマエの行動一つ一つがアイツの中には残るんだ。


 アイツが知らず自身に刻んできた無限大の情報とともに、自然に還るまで。




 最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 こんなに自己満足な話を書いたのは初めてで、本当に申し訳なく思っております(__;)


 では、これからもよろしくお願いします。





 作者は「春・花小説企画」に参加しています。

 今回もそのイメージがあり、ヤマザクラ、花言葉「あなたに微笑む」の要素を取り入れました。

 気になった方は、↓コチラまで。

http://juhee.web.fc2.com/hanasyousetsu.html

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[一言] やっとこさ拝読しました! 光太朗です! イラストありきで読んでいるはずなのに、最初シュクヤくんのことを女の子かと思ったっていう……! なんてこった。プリンあげるから許して。 イラスト一枚から…
[一言] はじめまして。ゆずはらです(^o^)/ 読みました! 面白かったです〜。ちょっと、まとまりきってない感じがして、そこが残念でしたけど。裏設定みたいなの、いっぱいしちゃいましたか? それが消…
[一言] イラスト小説企画からきました、あかさとです。 じっっくり読みふけってしまいました! 翻弄される護くん。先輩もなんだか深いところでナニカアル感じがして! とても面白い作品でした! そうか! 一…
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