拭えない罪の意識
――自分たちを襲ってきた謎の3人組は、騎士だけが持つことを許される騎士剣を手にしていた。
騎士には2種類あり、貴族家出身の騎士と、有力士族出身の士族騎士にわけられる。士族騎士は貴族騎士の下位におかれるのが普通である。
あの3人が貴族なのか士族なのかはわからないが、貴族は自らの持つ騎士剣に装飾を施すことが多いのに対し、実戦に出ることの多い士族騎士にそういう風習はない。襲撃者の騎士剣にも飾りの類はなかったから、士族である可能性が高い。
あるいはどこぞのならず者どもが、騎士を殺して手に入れた、という可能性もあるがそれは低いとマリオンは考えている。
なぜならあの敵の剣技にはたしかな技術を感じたからだ。日々鍛錬している者でないと、あの動きはできない。
そうなると考えられるのは、士族に襲われた、ということになる。
だがなぜ自分たちが士族騎士に襲われたのかというと、それは皆目見当もつかないのである。思い当たる節はまったくない。
しかし彼らの動きからは、明らかな意思が感じられる。明確な殺意と動機があるように感じられて仕方がないのだ。
「――ああっ、ちくしょう」
頭をガリガリと掻きむしる。言い知れないイライラが募っていく。そもそも襲撃自体があり得ないはずなのに、その理由さえわからない。気持ち悪いったらありゃしない。
襲撃者――騎士たちがやってきた方角を考えると、その先にあるのは駐屯地だ。ならば単純に考えて騎士たちは、駐屯地に所属する騎士である可能性が極めて高いということになる。
その目的がまさか追いはぎであるとは考えづらい。士族騎士は実家が裕福なものばかりだ。そんな連中が田舎村出身の貧乏人から何を剥ぐというのだろう。それならまだ荷馬車でも襲ったほうがまだ実入りがいいに決まっている。
――ダメだ、思考するにも情報が足りない、限界だ。
この時間上のマリオンはただの旅人(という設定)でしかない。本来なら駐屯地の内部事情とは無縁の人間である。むしろ内部の人間であるジオの方がまだ何かを知っていてもおかしくはない。
たとえば、知ってはならない何かを知ったり見てしまったり、そのために消されようとしている・・・・・・
バカげた考えだがないとも言い切れない。
「なぁジオ、お前――」
ひとまず確認をとってみるかと思い声をかける。
ジオの瞳は前を向いておらず、ずっと地面に吸い付いて離れない。心ここにあらずといった具合で、曲道ではあやうく道をそれて坂を転がっていきそうになったりもしている。
まだ引きずっている、人を殺めたことを。もちろん帝国の法律でも殺人は罪に問われるが、事情が事情だし、あれは間違いなく正当防衛だったとマリオンは考えている。実際に有無を言わさず斬りかかってきたのは連中のほうなのだ。殺らなければ殺られていたのは疑いようもない。
それにジオは兵士で、身を守るために武器も携行している。伝令使としての任務だってある。あれは殺人ではなく正当防衛であり任務の一環だったはずだ。
理屈としてはそう並び立てることも出来るが、しかし精神的に納得することはまだ出来ないのだろう。
マリオンは嘆息するしかなく、小さな掌で出来る限り、力の限り、ジオの背中をバシンッと叩く。俯いていたジオが背中に広がる痛みに驚いて顔を上げる。
振り向いたジオが見たマリオンの表情は、どこかムスッとしていて、それでいてなんだか仕方がないなと苦笑しているようでもあった。
「下ばかり見ていると猫背になるぞ」
「マリオンさん・・・・・・」
「気にするなと言っても気にするんだろう、お前は。それでも気にするな。気にしていたらこの先やっていけないぞ、兵士なんだから」
「でも、やっぱりおれ・・・・・・」
「悪かったな」
急にマリオンが謝罪する。ジオは首を傾げた。なんでマリオンが謝るのかが本気でわからない。
「オレがもう少し強ければ、お前にあんなことさせずに済んだのに」
その悔恨の言葉は激しく打ち鳴らされる鐘の音のようにジオの頭のなかで大きく響いた。
「ち、違うッ! おれは別にそんなつもりじゃッ!」
あたふたと狼狽えるジオは、何をどう言うべきか言葉を見つけられないでいる。自分が不甲斐ないことはわかっている。マリオンがいなかったら死んでいただろうことも、なんとなく理解している。
そして――自分があの騎士に刃を突き立てたのも、マリオンのせいではない。
そう言いたいのに言葉が出ない。
押し黙ってまたもや俯いてしまったジオの手が、強く々々握りしめられて震えている。それをみたマリオンは、今度こそ本当に仕方がないなと苦笑する。
「言っただろ、お前のおかげでオレは助かったんだ。あそこでお前がオレを助けてくれなかったら、今頃やつらと仲良く死体になって転がってたと思うぞ。オレもお前もな」
事実そうだ。マリオンは完全に油断していた。それは疑いようもなくマリオンのミスだ。戦場で油断したのだ。勝って兜の緒を締めるべきところで、あろうことか緒を解いてしまった。
あのときジオがマリオンに抱き着いてこなければ、振り下ろされた刃がマリオンの身体を縦に切り裂いていただろう。それを思うとぞっとする。
だから見方によってはマリオンの弱さのために、ジオは騎士を手にかけざるをえなかった、ということにもなる。マリオンが原因であるのだ、今回のことは。
「だからさジオ、まぁアレだ」
この先の言葉を言うのは、少し照れ臭い。しかし言わねばジオの心はいつまでも罪の意識に沈んだままだ。
グッとマリオンは喉を鳴らす。言うしかない。
「・・・・・・あー、助けてくれてありがとうな」
ありがとう。この言葉を過去の自分に言うのが、妙に気恥しい。他人ではない他人、あまりに知りすぎる他人。そんな人間に感謝の言葉を伝えるというのは。
――まったく、フォローするのも一苦労だな。
そう言いながら、むず痒くなる自分自身に誤魔化しをかける。
だけどマリオンにも、申し訳ない気持ちがあるのだ。実力で言えば自分が騎士たちに劣っているとは思えなかった。自分の身体がマリオンではなくジオのものであれば、もしくは剣がもう少しだけ軽ければ、1人で全員を倒すことも出来たはずなのだ。
そうでなくとも最後に油断しなければ――!
それが出来なかったのは実力不足というしかない。
だからジオ、お前が気に病む必要はない。
「お前はオレを助けてくれた。お前はお前自身を守り抜いた。いまはそれだけでいいじゃないか、悪いのは連中のほうだ」
「マリオンさんは・・・・・・」
「ん?」
「人を、殺したことがあるの・・・・・・?」
その言葉にマリオンは息をのんだ。思いもよらない質問だ。
だがすぐに返事がするりと腹の底から出てきた。自分でも驚くほど、それはいとも容易く。
「ああ、あるさ。何人もな」
「――ッ」
絶句とまではいかなくとも、ジオが息を飲むのがわかる。聞きたくなかった応えだったのかもしれない。しかし嘘をつく理由がマリオンにはない。淡々と、粛々と、マリオンは語る。
「驚くなよ、剣を扱えるやつには、多かれ少なかれそういう経験があるもんだ。騎士でも兵士でも、旅人でもな」
「そんな・・・・・・嫌じゃなかったの?」
「もちろん嫌だったさ、はじめはな。オレはなんてことをしちまったんだと後悔したよ。でもそうしないと死んでいたのはオレだった。仲間たちだった。だから斬った。そのうち斬る瞬間を躊躇わなくなった。誰かを殺してでも守りたいものが何なのかわかったからな」
――守りたい者たち、かつてともに旅をした仲間たち、恋人だった少女。守るものがあったから戦えたのだ。そうでなければ自分など、どこかの段階で死んでいたに違いない。
「だからオレはもう後悔してない。オレはオレの守りたいもののために剣を振るう。それに今回は――お前もいたしな」
「えっ?」
最後の言葉がジオにはどういう意味なのかよくわからなかった。
今はまだ知らなくてもいい、とマリオンは思う。いずれ嫌でも知ることになるのだ、運命というものを。
だから今は――今はまだ――
「お前に死なれちゃ困るってことだよ」
そう言ってもう一度、ジオの背中を叩く。だが今度のそれは喝をいれるというよりも、兄が弟の背中を押してやるような、幾ばくかの優しさが込められている。
これからジオの歩む運命は過酷なものになっていくのだ。本人が望まなくとも、それは不可避の未来であるのだということを、ジオであったマリオンはすでに知っている。
ジオには支えがいる。それは仲間であり、師であり、世界であり――恋人であるもの。
まぁジオだったマリオンはとても恋人になってやるつもりは毛頭ないのだが、自分にできる方法で支え、導いていかねばならない。
わからないことだらけの2度目の人生、2度目の冒険を、そう受け止めるしかないのだ。
まだジオの表情には陰が差しているが、先ほどと違い、前を向いている。少しは気が晴れたかな、とマリオンは安堵する。
「それでジオ、ちょっと聞きたいんだけど――」
言いかけてマリオンは、遥かかなたの丘の上に建造物が建っているのが、瞳に小さく映った。
それはジオも同様だったようだ。あっと声を上げている。
「マリオンさん、あれ!」
「ああ」
ジオが指さす。
間違いない、チェーク砦だ。