街道の襲撃者
駐屯地からチェーク砦までは、馬の脚でも2日はかかる距離である。それを徒歩で行こうとなれば3~4日の行程になる。
本来ならば伝令使は移動の際に軍馬を用いる。伝令使に選ばれた兵士はみな乗馬の訓練を受けることになっていた。
しかし今回、ジオはそのような乗馬の訓練を受けることなく、いきなり伝令使としての任務に就かされてしまう。もちろん元から馬に乗れるような技術を持っているわけでもない。いまのジオでは馬の背に乗ることすら不可能だろう、振り落とされるのが関の山だ。
そのことをマリオンは不審に思っているのだが、思いもよらない昇進に浮かれているジオを見ていると、中々水を差すことも出来ない。
マリオンがジオだったころ、伝令使に選ばれた際、一応だが乗馬のレクチャーはされたのだ。走らせることまでは難しかったが、意外に呑み込みが早かったのか、馬を歩かせるのに1日もかからなかったほどだ。それにマリオンが乗馬できたことも大きい。当時、封書の内容はわからなかったが、人手不足に加えて緊急性の高いものではなかったのだろう、だから乗馬の未熟なジオでもよかったのかもしれない。
駐屯地を出発する際、マリオンは馬を1頭要求したが、あえなく却下されている。その辺りから違和感はますます大きくなっていっている。
違和感の正体――それは、記憶と現実との差異、だという認識がマリオンの中で固まりつつある。
過去があったから未来があり、その未来へ至るためには当然、そうなるべくして過去があった。その絶対不変であるはずの大系を現わすために、世の賢者たちは運命や因果という概念を生み出した。
ならば、マリオンの知る未来へ至る過去の出来事のすべては、不変であるはず。すべては記憶のままにあって、記憶のままに物事が進んでいかなくてはならない、はずなのだ。
――なのにどうして徒歩なんだ。
イレギュラーを前にすると人は不安になる。それは例え冒険の中で精神的な成長を遂げたマリオンであっても例外ではない。
「あっ、行程標だ」
――人が悩んでいる時に、コイツは呑気な。
マリオンが何を悩んでいるのか知りもしないジオが、道すがらに立てられている行程標を指さした。行程標とはその地方の政庁を中心に、各小街道に設けられた距離と位置を示す標識のことで、およそ200メールほどの間隔で設けられてある。旅人はこの行程標と地図を頼りに目的地を目指す。
「アベルまであと1,240メールだって! やっぱ都は遠いよなぁ」
ジオたちの目的地はあくまでチェーク砦だが、その先にはアネー第3の都市カラカサがあり、そのさらに先には政庁都市アベルがある。辺境のアネー民族であるジオたちは、このアベルを都と呼んでいる。事実このアベルこそ、かつて存在したアネー王国の首都だった街だ。
「都かぁ・・・・・・どんなとこなのかな」
田舎育ちのジオにとっては正に憧れの大都市だ。アベルはいつだって、アネー民族の心の拠り所だった。帝国に征服されて200年ほどが経つが、アベルこそアネー民族にとって世界の中心であるのだ。
子供のころから、その景色を伝聞でしか聞いたことのないジオにとっては憧れの大都市。一生に訪れる機会があるかどうかもわからない場所。想像しようにも隣町のバザーくらいの賑やかさしか知らないジオには、輪郭すら思い描くこともできない。
その気持ちはマリオンにもよくわかる。
「そうだな・・・・・・少なくとも、お前の想像を遥かに超えた規模の大きさだろうな」
マリオンが語る。初めてカラカサを訪ねた時の感動は今でも忘れないし、アベルではそのスケールの大きさに圧倒されるばかりだった。
大通りを行き交う人々、行商の数はバザーの比ではない。人に酔い物に酔い活気に酔う、まさにそんな場所だった。
「カラカサもこの辺りでは大きな街だが、アベルはそれ以上だ。なにしろ40万人の人間が生活しているんだからな。だが帝都サーランの100万人に比べれば、それでも見劣りしてしまうな」
「都に行ったことあるの!? 帝都にも!?」
マリオンが不味そうな顔をする。話過ぎたか。食いついてくるジオの瞳は輝いている。
「ま、まぁな」
「スッゲー! 都ってどんなところなの!?」
ジオがますます瞳を輝かせる。
マリオンが記憶にある風景を語ろうとしたとき、後ろから馬の蹄の音が近づいてくる。
振り向くと3騎が疾駆してくる。
往来では騎馬が優先されるのが常である。特に疾走している馬だと端から止まるつもりもないのが多く、徒歩の者が道を譲るのが慣例になっている。
マリオンとジオも引き殺されてはたまらないと、馬をやり過ごそうと道の端に身を寄せる。
――ッ!?
しかしマリオンの見た光景は、とても信じられないものだった。
3騎の内の1人が、馬上で剣を抜いたのだ。
「ジオッ!!」
言うやマリオンは全身でぶつかるようしてジオの身体を押していた。体格的にはジオより小さいものの、力の限り地面を蹴って押し倒す。ジオの驚きの声が耳元で爆ぜ、馬脚が背後を過ぎていく。剣の軌道は二人がいた場所を正確に振りぬいていた。
すぐさま立ち上がったマリオンは背負っている片手剣を引き抜く。ズシリとした鈍い重みはやはり慣れない。
「マ、マリオンさん、なにが」
マリオンは答えない、というか答えることができない。状況を理解できていないのは彼女も同じだからだ。
3騎は途中で馬首を返して、2騎が左右に回り込んでくる。全員が剣を抜いている。フードの付いた外套で顔はよく見えないが、しかし全身から発する害意ははっきりと感じ取ることが出来る。この謎の3人は、間違いなくその標的をジオとマリオンに定めている。
なぜかはわからないが、
「ジオ、剣を構えろ」
「えっ、えっ? なに・・・・・・」
「いいから剣を抜け、死にたいのか!!」
「は、はいぃ!?」
一喝されたジオがあたふたと腰の剣を抜く。一応訓練通りに、剣先を正面に向ける。しかし腰は完全に引けており、その表情にはありありと緊張の色が浮かんでいる。
マズイ、とマリオンは歯噛みする。自分一人だけならまだなんとかなるだろうが、はっきり言って今のジオは足手まとい以外の何物でもない。
敵は馬を降り、マリオンたちから数歩離れた場所で剣を構えている。片手剣ではない、騎士が用いるのと同じ両手剣だ。両手剣の多くは片手剣よりも刃渡りが長くその分では有利と言える武器である。
「お前ら・・・・・・盗賊って感じじゃないな」
返事があるとは思っていないが、一応マリオンは何者かを尋ねる。案の定、外套の3人は何も応えない。無言のまま1人が間合いを詰めてくる。
2対3の構図はどう考えてもマリオンたちが不利。数歩の距離は瞬時に詰められる。1人が動くが他の2人も同時に歩を出していた。
――ジオを殺らせるわけにはいかない、オレが囮になるしか!
振り下ろされる斬撃をマリオンは剣で受け止める。流石に腕力に大きな差があって、まるで岩石で叩きつけられたような衝撃が腕に圧し掛かる。受け止めきれないと即座に判断を下すと、身体をわずか横へそらせる。この身体の身軽さに感謝せずにはいられない。
敵は攻撃はまさに鋭く、そこには確かな技術と修練が感じられる。ならず者がそうするように、ただ力任せに振り回してくれる方がどれほど楽だろうか。
だが技術としては、マリオンに脅威を感じさせるほどではなかった。これ以上の実力を持つ相手を何人も相手にしてきたのだ。一度その剣を受け止め、技を見れば実力の程度は見て取れる。それだけの修羅場をマリオンは潜ってきている。
決して恐ろしい相手ではない。これならまだ魔獣の方がずっと脅威だ。
大きく息を吸い込み、腰をひねる。相手の体勢が整う前に反撃しなくてはならない。剣は腕で振るうのではなく、腰を回すようにして、さながら鞭を振るうように攻撃を繰り出す。かつてジオだったころ、剣の師であるマリオンからそう教わったように忠実に。
吸い込んだ息を鼻から全部吐き出して、腰から背中、そして肩へと力が螺旋のごとく伝達していき、それは最終的に片手剣へと集約される。
横一閃に剣が振るわれる。その軌道は敵の肘を切り裂く。片腕だけだが間違いなく腕の健を断ち切った感触があって、フードの奥から鈍い悲鳴が上がった。
目の前を鮮血が飛んだ。マリオンはすかさず剣を構えなおして、怯んでいる敵の横腹に躊躇うことなく切っ先を押し込んだ。ただ腕の力だけでは貫けないほど腕力がないので、フリッグベアにとどめを刺したとき動揺、全身でぶつかるように全体重を乗せて腹部に剣を根元まで押し込んでいく。悲鳴はさらに大きく、悲痛なものとなる。
「――ッひとり!」
足元で倒れこんだ敵はもう意識の外に追いやり、もっとも心配なジオの姿を探す。マリオンが動いたおかげだろう、残り2人は唖然としたようにマリオンを見つめていた。まさか仲間がこんな簡単に倒されるとは思っていなかったのだろう。マリオン自身も相手の意表を突く狙いで自ら踏み込んでいったのだ。相手が数の優位に油断している間に倒してしまいたかった。
そのかいもあってか誰もジオに注意を払っていない。その隙をついてジオが攻撃してくれれば大助かりなのだが、そのジオも同じように呆然としている。いますぐにでも頭をひっぱたいてやりたい衝動をなんとかかんとか抑え込み、次なる標的を狙い定める。
これで人数差は互角。
「ジオ、1人任せるぞ!」
「うぇぇッ!? ちょっムリムリムリだから!?」
「訓練してんだろ、男の子だろ!」
ジオにとってその言葉は死刑宣告にも等しい無慈悲なものだったが、今のマリオンには二人同時に相手をしながらジオを守れる余裕がない。それならばいっそ、ジオにはなんとか我が身だけでも守り抜いてもらい、その間に自分が敵の片割れを始末する他ない。
仲間をあっという間に倒されたことで、敵の気配――立ち姿や構え方、足の運び方から油断が消え去っていることはわかっている。もう相手の虚を突いた攻撃はできないだろう。
せめて剣がもう少し軽ければな・・・・・・。などと埒もないことを考えてしまう。マリオンには確かな剣技があるし経験もある、だがそれらを活かしきるには、手にする片手剣はやや重すぎる。どうしても動作に制限がかかってしまう。
だがそんな泣き言に付き合ってくれる相手であるはずもなく、早々に意識からジオを弾き出すしかない状況が始まる。
先に動いたのは敵の方だった。まっすぐに真正面から突っ込んでくる。両手に握られた剣は肩位置まで上げられている。マリオンはその場から動かず、じっと動きを見ている。振り下ろされるのか、薙ぎ払われるのか、それはまだ判断できない。しかし先ほど倒した相手の攻撃の重さを思い出し、この敵に対する対処はすでに決めている。
敵の大股で3歩。わずかそれだけの距離しかない。すぐにマリオンは攻撃範囲に入ってしまう。考える時間は数秒となく、動きは一瞬で簡潔に済ませねばならない。
剣が動いたのをマリオンは見逃さなかった。マリオンが見ているのは敵の動き、剣の動き。剣先は横に伸びた。振り下ろされない、薙ぎ払いだ!
視界が一気に下がる。マリオンは膝を折って上半身を出来るだけ地面に近づける。その間も上目に視線は敵を捉えて離さない。身軽に動ける身体というのは、同時に相応の柔らかさも持ち合わせているということだ。ただ空しく両手剣の刃が横に振り抜いていく。
地面に伏すか伏さないかというような体制で、右手の片手剣を今度はマリオンが構える。曲げた膝を屈伸させ、剣を小さな動作で横に薙ぐ。狙ったのは脛だ。角度的にそこを狙いやすかったというのもあるが、なんといっても脛は痛覚の急所と呼んでいい場所だ。さすがに骨まで断ち切れるほどの力がマリオンにはないが、骨に刃が食い込むだけで余人の想像を許さないすさまじい激痛が奔る。
案の定、敵はそのわずか一撃で再起不能になってしまった。聞くに堪えない悲鳴を上げて、足を抱えて地面を転げまわっている。
トドメを――と考えかけたところで、ジオのことを思い出す。もう動けない敵のことなどどうでもいい。ジオは!?
「うわああああッ!?」
雄叫びとも悲鳴ともつかない叫び声のするほうを見ると、ちょうどジオが斬りかかろうとしているところだった。
一応は訓練通りの動きをしているが、モーションが無駄に大きい。とてもでないが洗練されているとは言い難い動きで、なんなら無造作と呼んでもいい。それでも自分から攻めに行く姿勢にマリオンは内心で感心してしまっていた。守りに徹して生き残ってくれればいい、という程度に思っていたのだ。
しかしあれでは到底かなわないだろう。呆気なく剣を弾かれている。
――だがまぁ、よく注意を引き付けてくれた。
とりあえず生きているし、及第点を与えておいてやろう。
無様に尻もちをついたジオが、ササッとそのまま尻をこするように後ろに下がっていく。
「やややっぱりダメだー! ママママリオンさーん、たすけてー!!」
などと今にも泣きだしそうだが、実はマリオンが戦っているわずかな時間、ジオも敵の攻撃を受けてはいた。訓練通りにやれ、というマリオンの言葉に忠実に従い、それこそ教官役の騎士から教わった通りに、防御に徹していた。
2撃まで防ぐことに成功したのは、真面目に訓練を受けていたからだった。だがまだまだ経験の少なさは否めず、そのまま守りに徹していればいいものを、防げたことに中途半端な自信を持ってしまったがために、あろうことか攻めに転じてしまった。
まぁそのおかげで敵は余計マリオンを意識しなくなったので、結果としてはオーライだったのだろう。
後ずさるジオを追撃しようとする敵の背後には、すでにマリオンが立っていた。
「おい」
その声に、外套の敵が振り向こうとする。驚愕の瞳がちらりと見えた。
「そいつを殺されたら困るんだぞ、世界が」
ズッ・・・・・・と生ぬるい音がして、外套に赤が広がっていく。
「あがっ――」とうめき声を残し、外套の男が地に伏した。外套の赤はますます広く、地面には血だまりが出来ていく。
「ジオ、無事だな!? 怪我はないか!?」
「マ、マ、マリオンさ~んッ」
半泣きの顔をくしゃりと歪めている。実に情けない、情けないのだが、すでにマリオンは慣れつつあった。
しょうのないやつだ――そう嘆息して苦笑する。
「情けない声を上げるなよ。男の子だろう?」
「ヒドイじゃないか! オレ死ぬかと思ったよ!?」
「生きてるから大丈夫だ、よかったな。それにしても、こんなこと、前にもあったな?」
そう言ってマリオンがからかうようにククっと笑う。
「うぅ・・・・・・そんな簡単な・・・・・・」
恐怖から解放されたからだろう、いまにも脱力しそうなジオは、涙目を大きくさせて息をのんだ。
マリオンの後に、男が立っている。顔面は蒼白なのに、それでいて紅く染まっている。それは興奮と怒りの紅だ。マリオンが相手していた敵だ。片足を引きずりながら、剣を天高く掲げている。
今にもそれを振り下ろさんとしている。マリオンは気づいていない。油断している。
マリオンさん、後ろ! そう叫びたい。叫ばなければならない。なのに口をついて出たのは「あああああッ!!!」という叫びだけだった。
敵の動きは遅い。
ジオが叫んだことに驚いたマリオンは、そのとき、ジオが立ち上がって自分目掛けて飛び掛かってくるのを見た。ジオの頭がマリオンの胸に埋まり、腕は後ろに回される。それは瞬時のことで、そのまま2人は男を巻き込んで倒れこんだ。
2人の下敷きになった格好の敵は、足の激痛に声にならない悲鳴を上げる。しかし興奮が痛覚を麻痺させているのか、血走った眼がギョロリとマリオンを見ている。
それは引き金だった。まるで無意識に、そうしようとした行動ではなく、男の発する明らかなマリオンへの殺意がジオの身体を突き動かした。
――マリオンさんがコロされる!
マリオンの剣を奪い、ジオは、その切っ先を振り下ろした。男の胸部に剣が突き立つ。ブシュッと鮮血が飛び散った。
男は死んだ。
マリオンは助かった。
ジオは、生まれて初めて、人間を殺した。
はじめて人を殺した。そのときの感触がまだジオの手に残っている。
無我夢中だった。マリオンを助けたい、ただその一心だった。出会って間もない少女だったが、それでも助けるには十分な時間を過ごしている。
それでも殺人の恐怖と罪悪感と気持ち悪さはすさまじい。兵士なのだ、いつかはそういう日もきただろう、人を手にかけることもあるだろう。
だが、それでも、だ。
「気にするなジオ。おかげでオレは助かった」
マリオンはそう慰める。自分もそうだった。初めて人を殺したときの気持ち悪さはすさまじかったが、やがて慣れていった。慣れるしかないほど、人を斬らねばならなかった。
それにしても――まさかジオに助けられるとは。
背後を盗られていたことに気づけなかったことだけでも見悶えるほどの失態なのに、まさかあんな情けないジオに助けられるなんて!
――これじゃ偉そうなこと言えないな。そんな風にマリオンは自嘲しながら、倒した敵を見つめる。
ここでも違和感――記憶との違いがある。
「やはりおかしいんだよ」
記憶の通りなら、この道中に、こんな襲撃はなかった。自分――ジオとマリオンは、何事もなくチョーク砦に到着していたはずだ。
なぜ襲われた? こいつらは誰だ? こんなことは過去にはなかった出来事だ!
ますます大きくなる記憶との乖離。なぜこんなにも違うのか。
悩みながらジオは、敵の正体がわかる手掛かりはないかと、遺体を検分する。
そして、ひとつ、気づいたことがあった。
「これは・・・・・・」
その両手剣は、騎士剣だった。




