新たな指令
討伐隊――というよりジオの帰還とマリオンの来訪から三日が経った。
三日間、ジオは戦闘訓練や国境地帯のパトロールなどの仕事に従事している。別に討伐から帰ってきたからと言って、兵士であるジオに恩賞や休暇などが与えられることはない。むしろ、である。一度に騎士2人と兵士17人を失って、駐屯地内は一気に人手不足に陥ってしまったのである。
マリオンは駐屯地に留め置かれている。本来よそ者であるマリオンが駐屯地に居続ける必要はないのだが、どういうわけか司令官のラザールの下命で駐屯地から出ることを禁じられているのだ。客人として扱われるわけでもなく、兵士として仕事をさせられるわけでもない。一日2食の差し入れが出されるものの、軍馬の餌となる干草をためているテントに閉じ込められている。
いわゆる軟禁状態である。手足を縛られたり、ということではないので監禁ではない、あくまで軟禁だ。
なぜこんなことになっているのか、当のマリオンにもわからない。
マリオンがジオだった頃、この駐屯地内でマリオンが軟禁されていた事実はなかったはずだ。多少の制限はあったはずだが、少なくともテントに閉じ込められて、見張りまで立てられるようなことはなかったと記憶している。
それなのに、この状況はなんなんだ? 自分がマリオンとして2年前をやり直しているのなら、置かれた境遇や現状も2年前のマリオンと同様でなければおかしいはずなのだが。
そうして言い知れぬ疑問と違和感に悩むこと3日、突然、外へ出ることを許された。正確には見張りがマリオンをある所へ連れ出したのだ。朝も早い時間だ。
見張り役だった男に話しかけても、ろくな返事がない。どうもこの兵士自体、なぜマリオンを見張っていたのかよくわかっていないようで、ただ命令されたから見張り、命令されたからどこかへ案内しているに過ぎないらしい。
「いや、ここだけの話しさ」
とくにお堅い性格ではないらしい。道中話しかければ普通に返事が返ってくる。
「おれもあの指令殿は苦手でよ、なんか怖えだろ?」
ふと3日前に拝んだ鋭い目つきの男の顔を思い出す。
「まぁ少なくとも人好きする顔じゃないですね」
「言わないでくれよ?」
マリオンの容姿が美少女だからか、どうもこの兵士は少し舞い上がっている。駐屯地にいる女性兵士に比べてもやはりマリオンは愛らしく綺麗だ。まるで人間というより、壁画や彫刻に現わされている女神ネスを彷彿とさせる美しさがある。そういう意味でも、辺境生まれで都会を知らない青年には刺激の強い存在だ。美しすぎて手を出すことも躊躇われるほどに。
「あんな庶民を露骨に見下す貴族が司令官だと大変ですね」
それは心底からの同情の言葉だった。この兵士からの話や態度からもよくわかる。ラザールは常に辺境民を下民と見下していて、蔑み、威圧し、委縮させているのだろう。そういう人間の下で働かなくてはならないというのは、なんとも不幸なことだと思う。
兵士は苦笑いを浮かべて、わざとらしくため息をついた。
「ほんとだよ。前任の司令官は柔和な人で、おれ達兵士にも優しかったんだけどな」
「前任者・・・・・・そんなのいたかな?」
「なんだい?」
「あっ、いや、なんでも」
前任という言葉に何かが引っ掛かったが、そのことを考えようとしたとき、目的地――司令官棟に到着してしまう。
兵士が少し身を屈めて、マリオンの耳元に顔を近づける。
「ほんとはもっと話したいんだけど、関わるなって命令されててさ。その、よかったらさ、テントに2人のときとか、こっそりお喋りでもしようぜ?」
「はぁ、まぁいいですけど」
兵士の男としては折角の美少女とお近づきになるチャンスなので口説いているのだが、如何せんその意味と下心はマリオンに届きもしなければ察してもらえもしない。自分がそういう対象として見られている自覚がないのだから、当然と言えば当然だが。
だが兵士はまるでデートの確約でも取り付けたような晴れやかさで、「では自分はここでお待ちしています!」と仕事のできる男の雰囲気を出しながらビシッと姿勢を正す。
随分と明るい兄ちゃんだなぁと呑気に思いながら、次の瞬間には戦士の顔になる。はっきり言ってラザールは嫌いだ、第一印象からして大嫌いだ。兵士の話を聞く限りにおいてますます嫌いになった。そんなやつに3日間軟禁され、いきなり呼びつけられたのだ。少なからず機嫌は悪い。
――よし。
気を引き締めてドアを開けると、そこにはどういうわけかジオがいる。司令官と2人きりでよほど緊張していたのだろう、マリオンが来たと知るや輝かんばかりの笑顔になる。明らかな『助かったぁ!』というその表情は部下として如何なものだが、心情がよくわかるだけマリオンにはたしなめるつもりもない。
役者はジオとマリオンだけらしい。椅子に腰かけたラザールはふんっと明らかな見下しの眼差しを寄こしてくる。それだけでマリオンの背筋が逆立ちそうになる。
ラザールは机の上にある2通の封書を差し出してきた。
「貴様らに仕事をやる」
ピンっと来るものがマリオンにあった。その封書には見覚えがある。
むかし自分がジオだったころ、マリオンと共にこの封書を拠点へ届ける任務があった。
「あの、これはなんでしょう?」
この後の展開が大体わかるマリオンと違い、どういうことなのか話の見えないジオがおずおずと質問する。
「この封書をチェーク砦へと届けてもらう。伝令だ」
「えっ!?」
驚きの声を上げるジオだが、これは大変なことだ。伝令使という仕事は、兵士の中でも確実に届けるだろうと見込まれ信頼された、言わば選ばれた者だけに与えられる役目。この場合、新米兵士でしかないジオの事実的な昇進を意味している。本来ならばあり得ないことだ、新兵が伝令史に選ばれるなど。
兵士の中でも花形的な役目が目の前にぶら下がって、ジオの目が白黒と変わる。軽いパニック状態だ。
そんな様子を見ていると、マリオンもつい懐かしくなってしまう。
――おれもあの時は嬉しかったなぁ
などと思えば、余計に違和感が膨らむ。何かを忘れている、そんな気がしてならない。
しかしそんな懐古に浸りきれるほど、マリオンはもう純粋な性格をしていない。
「おれは兵士ではないんですけど」
旅人という体裁でここにいるマリオンが、機密である封書を届けるというのはおかしな話だ。ジオだったころは舞い上がってそんなこと気にもしていないが、2度目で冷静な今ならこのおかしさがわかる。そういえば、当時はマリオンの分の封書はなかったような気もする。マリオンは進んでジオの護衛を買って出てくれたのだ。
だが今回は、向こうからマリオンの動向を認めている形になる。
「貴様は1人で魔獣を倒せるのだろう? 保険だ。貴様にはそこの下民の護衛をしてもらう。万が一そいつが死んだら、お前がこの封書を砦に届けるんだ」
有無を言わさないほど高圧的に命令されてマリオンの反発心が大きくなる。言っていることは一方的で腹立たしいことこの上ないのだが、マリオンとして行動するなら、願ったり叶ったりだろう。マリオンはジオと共に行動しないといけない。ジオが死んだら世界は【宇宙を貪るもの】に滅ぼされてしまうのだから。
だからここは怒りをぐっと抑え込んで、殴りたい衝動になんとか打ち勝って、封書を受け取るしかない。
「断ってもいいが、そうだな・・・・・・。貴様は見目はいいから、ここの男どもの相手をしてもらうのもいいな。下民といえど慰安も考えてやるのが良い司令官なのでな」
なんとも下衆の発想に吐き気さえしてくる。ダメだ、本気でこの男は嫌いだ。もし剣を持っていたら、使命など忘れて斬りかかっていたかもしれない。ジオも嫌悪を表情に浮かべている。この貴族司令官は、どこまでも貴族主義なのだった。社会的地位が貴族以下の人間は人間でなく、家畜や物と同じとしか考えていない。
ああ、クソ! 反吐を吐き出したいのを、こんなに耐えねばならないなんて!
いっそ殺気だけで人を殺す方法を編み出したくなる。マリオンはさっさとこの場から離れたくて、やや乱暴に封書を掴んだ。
司令棟を出たマリオンは苦虫をかみつぶした顔をしている。外で待っていたらしい見張りの男が、「どうかしたのか?」と心配そうに尋ねてくる。
「なんでもない・・・・・・ただ最悪な気分だけだ」
思わず敬語も忘れてしまうほど、胸の中がムカムカして仕方がない。よほど嫌な思いをしたんだろうと、兵士はすぐに察することができた。
「そ、そりゃあご愁傷様。・・・・・・テントに戻ろうか」
そう言ってマリオンを案内しようとする兵士に、ジオが封書を得意げに掲げて見せる。
「おれたち、伝令史になったんです!」
「・・・・・・へ?」
「これからチェーク砦に行くんですよ、伝令史として!」
「で、で、伝令史!? お前がぁ!? ――ちょっとまて、ま、まさか、マリオンちゃんも?」
恐る恐る兵士がマリオンの顔を見る、マリオンはとりあえず事実なので、こくんと頷いた。
旅立てば、それで終わり。
兵士がフラれた瞬間だった。
「これでいいな――」
椅子に腰かけるラザールが、そういって口角を釣り上げた。鋭く細い目つきと相まって、まるで爬虫類のようだ。
「魔獣1匹に対して兵士17人と騎士2人の損害。あまつさえ旅人の小娘に助けられるなど、こんなことを報告できるわけがあるか」
それはさながら、自身の無能を報告するのと同じことだ。ラザールの評価に関わる。
「封書は持たせた。義務と責任は果たした。封書がどうなろうとも、私はちゃんと仕事をした」
――そう、封書がどうなろうと。1年前、こんな辺境に左遷させられて絶望もしたが、ここはここで悪くないしな。監査など入られては面倒だ。
「あんな小娘が1人で魔獣を倒せるわけがない。ないが、邪魔者には――消えてもらう」