最悪な命令
非常に不満気なラザールのぶすくれた顔が目の前にある。全身と言う全身から不愉快だという意思を発散させているが、それはこちらもそうである。ラザールに負けないくらいマリオンもまた不愉快極まりない状況だ。
アベルの居館の一室、ラザールに与えられたその部屋には、いまその部屋の仮の主であるラザールと、なぜか侍女の装いをしているマリオンの2人だけが、互いに顔を歪ませあっている。
さっきから椅子に座っているラザールがわざとらしくチッチッと舌打ちをしている。そのたびにマリオンの眦もピクピクと痙攣する。不快指数は右肩上がりだ。
「・・・・・・なんで貴様なんだッ」
吐き捨てるラザールの不満に、フンッと鼻で返す。
「それはこっちのセリフだ。なんでオレがッ」
思い返されるのは、もはやラザールと同じくらいにぶん殴りたくなっている我が主人、リヒルトの胡散臭そうな笑みだった。
金もないし、今日もジオの相手でもするか――などと考えていた矢先、リヒルトからの召集を受けた。
はっきり言って嫌な予感しかしない。出来ることなら無視したいくらいだったが、主従の関係である以上そういうわけにもいかず、観念してリヒルトが滞在している部屋を訪ねる。
マリオンら騎士たちの殆んどは宿舎で寝泊まりしているが、アベルの領主の甥であるリヒルトとその側近騎士だけは居館に部屋を与えられている。だから呼び出されるということは、わざわざ館まで出向かねばならないということだ。
いったい何の用事だろうか。道すがらあーだこうだと考えが頭をよぎる。この時期、たしか記憶では大した事件など起きていないはずだ。ラザールの存在を除けば、リヒルト騎士団はこのまま何事もなく帝都へと向かう。むしろ面倒ごとが起きるのは帝都についてからだったはず。
だから自分が呼び出される理由がまったくわからない。言っては何だが自分は戦うことしか能がないという自覚はある。諜報活動やら工作任務やら、そういう芸の細かい仕事にはまるっきり向いていない自信がある。そんな自分にいったい何の用だろうか。
ラザールを殺せという命令なら喜んで受けたいところだが――と物騒な考えにいたったところで部屋に到着する。
「マリオン、参上しました」
一応形の上では恭しく口上する。扉の向こうから「入れ」と簡単な一言だけが返ってくる。
入室すると、ふわりと華やいだ香りが鼻腔をくすぐる。どこか気持ちを落ち着かせる嗅ぎなれない匂いだ。部屋には花瓶に活けられた色鮮やかな花が飾られている。それの香りだろうか。
かぐわしい部屋で、リヒルトが呑気にカップを傾けている。見るからに高級そうなカップからは微かに湯気が昇っている。茶でも飲んでいたのだろ、羨ましい限りだ。
カップがソーサーに乗る乾いた音が聞こえる。いつもに比べてラフな格好のリヒルトが、「仕事だ」と言って微笑む。
「仕事、ですか?」
「ああそうだ」
「ラザールを殺しますか?」
「お前は顔の割に考えることが物騒だな。殺すわけないだろう」
なんだ殺さないのか。落胆が表情に現れていたのか、リヒルトが呆れたように息を吐いた。
「お前のラザール嫌いは筋金入りだな」
2人の間にどんな因縁があるのか、リヒルトは露と知らない。余程のことがなければここまで一人の人間を嫌いになることなどないだろう。たしかにラザールは人好きされるような性格をしていない。彼はその風体にどこか醜悪さを宿しているのだから。それが気に入らないと言われればそれまでのことだ。
マリオンは何も答えず、心なしか唇を尖らせて抗議の意思を示している。ラザールに関することで自分が責められるいわれなどないと思っている。そりゃ確かに、さっさと殺してしまおうかと言う考えは短慮に過ぎるかもしれないけれど、それだけ嫌いなのだから仕方がない。
「で、仕事ってなんです? オレにはジオを鍛えるって仕事もあるんですが」
「それな、この前少しだけ見たけど、もう少し手加減してやれよ。・・・・・・いやまぁそれはいいんだが」
ついつい無駄話をしそうになって、リヒルトが咳払いをする。
「お前にとってはつらい仕事になるかもしれんが」
「はぁ」
「他でもないラザールのことだ」
その名が出た瞬間、条件反射的にマリオンの全身が硬直する。聞きたくない名前だ、それが飛び出してきた。チェーク砦からアベルに入場するまで、ほとんど付きっ切りだったのだ。あれだけでも苦痛だったのに、そのうえまだ自分にあの男と関われというのだろうか、この主人は、
もはや殺気すら含みつつあるマリオンの視線から逃れるように、リヒルトがついと目を逸らす。
「文句は私じゃなくて奴に直接いってくれ」
「ちなみに拒否権は」
「すまんがない」
ああそうですか。
「私だって別に好き好んで大事な騎士にこんな馬鹿げた仕事を頼みたいとは思わないよ」
マリオンがギョッとする。
「ちょっと待ってください、馬鹿げた仕事をオレに振ろうってんですか?」
さすがに聞き捨てがならない。
「いったい何を・・・・・・」
「あのお坊ちゃんな、アベルに滞在する間、身の回りの世話をする侍女を寄こせと言ってきた」
「はぁ? なんですそれ」
「ヤツは自分が無罪放免になったと思って、暑苦しい騎士たちに見張られるのは間違っているとごね出してな。騎士を下げて、貴族の世話をするための侍女をつけろと要求してきたんだ」
「それをのんだと?」
「あんなのでも爵位もちの子息だからな。とはいえあれを完全に野放しにするのも考え物だ。叔父御殿も大層迷惑していてな」
ヒシヒシとマリオンの中で嫌な予感が大きく膨れ上がっていく。
「――それで、オレにどうしろと」
「しばらくヤツの侍女をやってくれ」
それきた。
「お断りします」
間髪いれずマリオンははっきりと断固拒否の姿勢で応えた。それだけは絶対に嫌だと脳みそががなり立てている。
マリオンは毒虫よりもラザールが嫌いだが、それは向こうにしても同じはずだ。そうでなければ、馬車の中であれほど剣呑な空気に満たされることなどなかったのだから、それを鑑みてもあの男の侍女役などまったくもって願い下げだ。
それにリヒルトの率いる騎士たちの中で、女性はマリオンだけというわけでもない。数人の女性騎士がいるというのに、なぜわざわざ新米の自分を選ぶというのだ。
「お前はまだ騎士団の中でも歴が浅いからな」
たしかに新入りのマリオンと、先輩騎士たちとが同格ということにはならない。そこのところの階級差のようなものはあまり意識されない部隊ではあるが、それでもある程度の序列のようなものはある。ヒエラルキーの中で、マリオンは確かに下層に位置している。
どうも馬車での見張り役と言い、体よくラザールの『お世話係』にさせられている気がしてならない。
「あとはまぁ、お前をあてがえば嫌がらせにもなるだろう」
むしろこちらが本音のような気もする。ラザールの釈放は予想の範囲内ではあったものの、やはりリヒルトにとっても気持ちのいいものではない。
しかしそれに付き合わされるのはたまったものではない。
「待遇の改善を要求します」
「この仕事が無事終わったら考えよう」
まさに拒否権無し。けんもほろろにマリオンの嘆願は却下されてしまった。
「無体されそうになれば抵抗して構わんが、余程のことがない限りは我慢してくれ。出発の準備が整うまで、そう長いことにはならないさ」
「・・・・・・わかりました。オレも覚悟を決めますよ、ええ、決めますとも」
「すまんな。一応言っておくけど殺すなよ?」
「善処します」
絶対に殺しませんと断言できず、そう言葉を濁す。内心ではくそったれという気持ちでいっぱいだ。あのクソ貴族様のことだ、ここぞとばかりにイジメてくるに違いない。それに対して逆らえないというのだから、まったくもってふざけた話だ。
グリフの話しだと、あと3日ほどで帝都へ出発できると言っていたはず。それまでの我慢と自分に言い聞かせて、リヒルトの部屋を後にする。
足が心底重かった。
「――というわけでな、出発までの間、お前の稽古の相手はしてやれん」
そう言いながらマリオンは、与えられた侍女の着る給仕服を掴んで、ため息を漏らす。ついにこんな服まで着るようになってしまった自分が情けない。いくらマリオンとして生きていこうと決心しても、まさか自分が侍女になろうとは夢にも思っていなかった。
出来ることなら自分がジオだったころに、この服を着たマリオンを見たかった。決して姿見の前に立って見ても、、それはマリオンの姿をした自分でしかないのだから、感動などありはしない。
「ラザール様の侍女って、大丈夫なの?」
心配そうなジオに、もはや苦笑いを浮かべることしかできない。
「仕方ない、仕事と言われればそれまでだ。まぁ変なことされそうになれば、ただじゃおかないさ」
「なんかどっちも心配になるんだけど」
マリオンに身の危険があれば心配になるけど、ある意味ではラザールの身の危険でもあるような気さえする。ジオの脳裏に、無理やり服をはぎ取られて涙を浮かべる乙女なマリオンの姿と、悪鬼のごとき形相でマリオンにボコボコにされているラザール、その両方の光景が浮かび上がってくる。
どちらにしても恐ろしい。
「はぁ、オレがこんな服をねぇ」
足首まで伸びるスカート。なんとも歩きづらそうだ。今のようなホットパンツのままやらせてくれればいいのに。その方が身動きが取れやすい。
マリオンが着ればさぞ似合っていただろうなぁ。自分自身のことを差し置いて、かつての恋人の姿を追想する。
「――おれは、いいと思うけどなぁ」
ぼそりとジオが呟く。マリオンなら何を着ても似合いそうな気がする。




