異人の少女(前)
てっきりすぐにアベルを発つものだとマリオンは思っていたのだが、一夜を明かしてもリヒルト一行には出発しようという気配がない。
裏方の事情など新人のマリオンにはよくわからず、朝から街へと繰り出していく先輩騎士たちを見送ると、どうにも手持ち無沙汰になる。新人だから給金も少ない。何だかんだと昨日はジオとあちこちの露店で買い食いをしすぎて、これ以上の出費は懐に響いてくる。
こんなことならもっと計画的に金を使えばよかった――と後悔したところで後の祭り。同じような事情でジオも街へ出ることが出来ず、騎士の宿舎の中庭で暇つぶしの稽古に汗を流している。
初めてであった頃に比べても、ジオの剣術の腕はだいぶん上がってきた。マリオンだけでなく、他の騎士たちにしごかれたのが大きいのだろう。根が真面目なジオは、基本を疎かにしないでしっかり意識して剣を振るう。それがよかった。
もともと腕力のあるジオが、腰を入れて一撃を繰り出すと、もはやマリオンの細い腕では受け止めることも出来ない。もっともマリオンの場合、攻撃をいなすだけの技術と素早さがあるから、端から受け止める必要もないのだが。
あとは実戦でどれだけ冷静に行動できるか。これだけは経験を積むしかない。
中庭では他にも十数人の騎士たちが訓練をしている。リヒルトの騎士もいれば、アベルの騎士たちもいる。マリオンとしては彼らアベルの騎士にもジオの相手をしてやってほしいところだが、まさかそんなことをいきなり頼めるわけもない。だからマリオンは、彼らの動きをよく観察するようにジオに教えた。
「見るっていうのも、いい訓練になる。剣の振り方、足の捌き方、すべてをしっかり見ておけ」
「そんなことで強くなるの?」
見るだけで強くなれれば苦労はしない。ジオの疑問はもっともだ。
「強くなれるかどうかはお前次第だが、見て覚えて、それを再現する訓練っていうのは、効果がある。おれもそうやって今の剣を学んだようなもんだ」
「ふぅん。マリオンさんが言うなら、そうなのかな」
「まぁ暇な時でいいから、騙されたと思ってやってみろ」
頷いたジオが、じっと騎士たちに視線をやる。上達しているという実感が出てきてから、ジオは以前よりもずっと積極的に強くなろうとしている。
強くなれば生き残れる。それが何よりも大事だ。
焦ってはいけない。そう自分に言い聞かせながら、それでもどこかでマリオンには焦れている感覚が常にある。それは未来を知るが故に、一刻も早くジオの手に神剣を掴ませなければという使命感によるものだ。
だが未来を知っていると言いながら、内心では、今の状況に強い戸惑いも感じている。すでに依然と違う道を歩みかけているのだ。ラザールと言う存在が、マリオンがもつ未来の知識を大きく狂わせている。もしもこの先、もっともっと以前の出来事との乖離が大きくなっていけば――それこそ未来は、どうなってしまうのだろう。
ちゃんと神剣を手に入れられるのか。かつての仲間たちとちゃんと出会えるのか。不安は常にある、考えても仕方のないことだとわかっていても。
「あれ?」
騎士たちの様子を見つめていたはずのジオが声を上げる。
「子供だ」
そういってジオが指さした方向には、たしかに背丈の低い子供が、小走りに駆けていく様子が見えた。騎士の宿舎で、まず見かけることのない姿だ。
「めずらしいね」
「というかあり得ないだろ」
2人が不思議に思っていると、子供は数人の騎士がたむろしている一画へと紛れていく。木陰で休憩して体力の戻ったジオが野次馬をしに近づいていく。その後ろをマリオンもついていく。
どうやら騎士が訓練中にケガをしたらしい。右腕が思い切り赤く黒くななっている。少し歪んで見えるので、骨に異常が起きていることはすぐにわかった。大方、木剣が直撃してしまったのだろう。屈強な騎士が脂汗を流して痛みに耐えている様は、我がことのように寒々しく感じる、
これは早く医者に見せた方がいい。そうマリオンは思ったが、誰も医者を呼びに行く様子はないし、けが人を連れていく気配もない。
子供はかがんで騎士のケガを観察している。大人たちに囲まれながら、その子供はとても落ち着いた様子で、両手でけがの患部を覆うと、大きく息を吸いこんだ。
マリオンとジオは、その光景に言葉を失った。
少女の手がかすかに光を帯びたのだ、それは薄く淡い空の青のように灯っている。手はずっと光つづけて、その間にも騎士の表情からは苦痛の色が薄らいでいく。数分後、子供が手を離すと、赤黒くなっていた患部は跡形もなく綺麗になっており、腕の歪みもなくなっている。
まるで、何事もなかったように、腕が治っていた。
「はい、おわりました」
子供が一息ついてそういうと、周囲から安堵のため息がこぼれた。何が起きたのか、マリオンとジオにはよくわからない。いや、マリオンは薄々とは理解しかけていたが。
「す、すごい、傷が治ったよ!?」
「ああ、驚いたなこりゃ。傷を治す異人は初めて見た」
「異人?」
ジオが聞き返す。マリオンは呆れたように肩をすくめる。
「おい、昨日教えてやったばかりじゃないか。あの炎を操る芸人だよ」
あぁ、とジオが思い出したようだ。広場で虚空に炎を出現させた旅芸人の姿が脳裏に浮かぶ。
「あの芸人は炎を操る能力をもっていて、この子供は傷を治せる能力なんだろう」
だから誰も医者を呼びにいかなかった。つまりこの子供が、この場の『医者』というわけだ。騎士はもうすっかり良くなったのだろう、剣を振るって腕の調子を確かめている。骨折すらわずか数分で完治させる能力――・・・・・・。
一仕事終えた子供は、立ち上がって木陰に張ってあるテントへと歩いていく。どうやらそこが定位置の待機場所なのだろう。マリオンもジオもまったく気にしていなかったから、その存在に気づかなかった。
「傷を治す能力か」
「すごいなぁ・・・・・・マリオンさん、なんか顔が怖いんですけど?」
知らず知らず、マリオンの貌に凶悪な笑みが浮かんでいた。
傷が治る、骨折も直せる。つまり、死なない程度にぼこぼこにしても、それはまったく問題がないということ。
ニマァ――マリオンの口が弧を描く。ジオが身震いする。
「ジオ、訓練再開だぁ」
「ヒッ!?」
血の気が引いた。
「あの、お姉さん・・・・・・?」
顎から汗を流すマリオンの背後から、異人の子供が声をかける。子供は歳が10歳程度、亜麻色の癖毛の少女だった。
「ん、どうした?」
「えっとあの・・・・・・その人・・・・・・」
「ああ、コレか」
コレとは、かつてジオと呼ばれていたもののことだ。文字通りボコボコにされて崩れ落ちた姿は、燃え尽きた灰がうず高く積まれているようですらあった。さすがに骨折などの重傷は見られないが、あちこちに打撲の痕があり、切り傷や擦り傷も数えきれないほどだ。
地面に突っ伏してもはや言葉も話せないのか、背中で呼吸するだけでも精いっぱいの様子だ。
「悪いけど治してやってくれるか?」
「は、はい!」
応えた少女がジオの傍にかがむと、再び掌を光らせる。どうやら治療時間は傷の度合いによるらしく。打撲や擦り傷などはすぐに治されていく。
本当に便利な能力だ。あの冒険の日々に、この少女がいてくれれば、と思わずにいられないほど。
ケガを治し終えても、ジオは立ち上がれない。ずっと荒く呼吸をしている。
「体力とかは回復させられないのか?」
「えっと、できません。ケガとあと、病気は治せるんですけど」
「そうか」
さすがにそこまで都合がよいわけではないか。ジオは立ち上がれそうにない。少女も、少し疲れているようだ。能力を使うと疲れるのは異人の誰もがそうだ。まだ10歳程度の子供には、つらい仕事なのかもしれない。
それならば、余計ないことをさせてしまったかな・・・・・・。マリオンも少しだけ反省する。
「ジオ、休憩だ。そこでしばらく寝ていろ」
慈悲とも無慈悲ともとれる言葉を置き去りにして、マリオンは少女の居場所であるテントの一部を借りる。完全に日差しを遮って、涼しい風が吹いてくる。体力のない少女への、大人たちができるせめてもの気づかいなのだろう。
「お姉さん、新しい騎士様ですか?」
見ない顔のマリオンに少女が尋ねる。
「まぁ、新米と言えばそうだな。おれはリヒルト様の騎士で」
「リヒルト様の!?」
少女が驚いたように大声を上げた。
「あ、じゃあ、もしかして・・・・・・」
少女は何かを考えこんで、マリオンの方を見つめる。
「貴方が、マリオンさん、ですか?」
「え? あ、ああ」
いきなり名を呼ばれ、マリオンは驚いた。名乗った覚えはなったくないのに。
「あの、あの、昨日、アムという商人と、ケンカしましたか?」
「アム・・・・・・?」
聞き覚えのある名前だな。と思った直後に昨日の記憶がよみがえる。露店売りの少年。生意気なクソガキ。たしかグリフがアムと呼んでいたような気がする。
だがなぜここで、その名前が出てくるのかわからないが、とりあえずマリオンは頷いた。
すると少女は「あぁ」と悲しそうな声を上げて、俯いてしまった。
「お、おい、どうした?」
急なことにマリオンが心配すると、少女は頭を振って、申し訳なさそうにマリオンを見上げた。
「あの・・・・・・兄が、ご迷惑をおかけしました」
「・・・・・・は、兄?」
誰が?
「私はミリアと言います。昨日、マリオンさんにご迷惑をかけたアムは・・・・・・私の、お兄ちゃんなんです」
マジかよ。
内心の驚きにマリオンは言葉を失った。あれだけ失礼な少年の妹が、こんなに礼儀正しいなんて、俄かには信じられなかった。




