露天商の少年
押し問答の末にようやく男色の疑いを晴らしたグリフであったが、いまだジオを背後に隠すマリオンに納得のいかない表情を向ける。
「だから何もしねーって・・・・・・」
マリオンの誤解を解くのは大変だった。以外に妄想癖でもあるのか、元々ジオに対して妙な執着をもっているものだから、ここにきて過保護になってしまっていた。いくらグリフが男色趣味を否定しても、それをマリオンは理解しようとしなかった。
意外なところから救いの手が伸びてきたのは、露店の少年の方からだった。あまりに必死なグリフの様子に、嘘ではないと感じたのだ。
「たしかに旦那から手を出されたことはないよな」
と援護射撃して、それからようやくマリオンも矛を収めた。
「本当に手を出さないんだな?」
「疑り深いなぁ、坊主に手を出したりなんかしねぇよ。それだったらお嬢さんを口説いた方がずっといいだろ」
普通に女性が恋愛対象なのだから、男のジオよりも女性のマリオンの方を口説くのは当たり前だ。
何を言われているのか、マリオンは最初わからなかった。口説く。誰を。オレを?
「はああああああ!? 誰が誰を口説くって!?」
理解が及ぶと怒りが一気に爆発する。なんでオレが男から口説かれなきゃならないんだ!!
「そんな怒らなくたっていいだろうに・・・・・・」
流石に少しだけ傷つくグリフ。ここまで強烈に拒絶されたことはかつてなかった。
「ちと若すぎるけど顔はべっぴんだしよ。胸はまぁ・・・・・・あれだ、将来性に期待ってことで」
「オレは男だッ!!」
「いやどっから見ても女だけど」
魂の叫びは呆気なく一蹴される。実際に心は男だとしても身体は女性なのだから、マリオンの言うことが信じられないのは仕方がない。マリオンはまだ自分が女性であるという自覚に乏しかった。
それでも興奮して自分が女性になっていることを忘れているマリオンは、ジオにも確認をとる。もちろんジオはマリオンが女性であるとわかっている。なにしろシミ一つない裸体を目撃しているのだから。
「あのさぁ」
やや大きめの声で露店の少年がマリオンを制止する。
「あんまり騒がないでくれないかな。営業妨害だよ」
ジト目で見上げられ、マリオンも冷静さを取り戻す。「す、すまん」と申し訳なさと恥ずかしさで小さく謝罪する。
「ていうか旦那、こいつら誰?」
グリフの少年愛好趣味疑惑ですっかり忘れていたが、マリオンとジオと露店の少年はまだ挨拶もしていない。当然お互いの自己紹介などもしていない。
少年の瞳はありありと『客じゃないならどっか行け』という意思を映している。そこには初対面の人間に対する遠慮や礼儀というものが欠片ほども感じられない。
「最近おれの後輩になった騎士だよ」
どことなく『後輩』の部分に力を入れて説明されたような気がして少し癪に障ったが、しかし後輩と先輩の関係はその通りでもあるのでマリオンはグッと文句を言いたくなるのを飲み込んだ。ここでそんなことを否定したところで大人気がないだけだ。
マリオンは簡潔に名前だけを名乗り、背中に隠していたジオを隣に立たせる。
「えっと、おれはジオって名前で」
自己紹介をよそに少年は足元から頭のてっぺんまでじろじろとジオを品定めすると――にやっと笑った。
「旦那の同僚なら安くしとくよ?」
どうやらカモになると踏んだらしい。マリオンではなくジオをターゲットにするあたり、客を見る目はあるのかもしれない。少年はさっきからもうマリオンを一顧だにしていない。
商魂たくましいと言えば聞こえはいいが、無視された形のマリオンは少しだけ顔をむっとさせる。
「おい、いつもこんなんか?」
グリフにそっと耳打ちすると、苦笑いが返ってくる。
「ちょいと生意気なところがあってな。まぁ大目に見てやってくれ」
「おれは女神ネスのように広い心を持ってるわけじゃないぞ。商人として客にならないと踏んだのはいいが、こっちはお前の同僚として挨拶したのに、それも無視しやがって。だいたい誰だって聞いてきたのは向こうだぞ?」
たしかに何かを買うつもりはなかったから客として見られないのはいい。しかし挨拶を無視するというのはいただけない。マリオンが少年に抱いた第一印象はあまりにも礼儀を知らない最悪なものとなった。
露店の少年はついに自らなにも名乗らずにジオに品物を次々と売り込んでいる。口は達者な方らしいが、マリオンのような警戒心の強い者は端から無視して、付け入りやすいと狙った小物だけを喰らおうとするやり方は商売上手と言えばいいのか、マリオンにはわからない。
ただ気にくわないことだけは確かだ。
「お前の知り合いにはろくな奴がいないのか」
「そんなこたねーよ。ただあいつはな」
困ったようにグリフが口ごもる。言っていいのかどうなのか迷っている風だ。何か言えないわけでもあるのだろうか。
不服そうにマリオンがため息をつくと、今度はこちらはこちらで困り果てているジオと目が合った。あまりにも少年の勢いが強すぎて尻込みしてしまったのだろう。助けを求めるように目を潤ませている。
断れないこの気の弱さは、商売人からはまさに格好の餌食だ。
「おいジオ、そろそろいくぞ」
「! う、うん!」
流石にかわいそうになりジオに助け船を出してやると、喜ぶ飼い犬が返事するようにジオが頷く。ここへはたまたま通りがかっただけで、まだまだ見て廻りたいところはいくらでもある。
「ちょっと」
踵を返したマリオンの後ろ姿を呼び止める声がした。
「人の商売の邪魔するなよな」
少年がさも迷惑そうにマリオンを睨む。
「どうせ何も買わないんだろ。アンタ『だけ』どっか行けよ」
『だけ』の部分を強調しつつひらひらと手で邪険に払うと、ぱっと笑顔になってジオに再び売り込みを始める。なんとしても捕まえたカモを逃がすつもりはないらしい。商魂逞しいと言えば聞こえはいいけど、あまりのしつこさにマリオンの額に青筋が浮かぶ。
「悪いな、おれ『たち』にはアンタの品物を買うつもりはないんだよ。他をつかまえてくれ」
ゆっくり静かに語りながら、言葉の一つ一つに震えるような怒気が含まれている。ジオの腕をつかんで引っ張ると、負けじと少年もジオの腕をつかんだ。右腕をマリオンに、左腕を少年に掴まれて左右から引っ張られる。
「コイツはおれの連れだぞ、手を放せ」
「おれの客だっての、そっちこそ離せよオバサン」
「オバッ!? 誰がオバサンだ! 大して歳は変わんねぇだろッ!!」
「オバサン、オバン、ババァ!」
こ、このヤロウ――!!
男のはずの自分がそう歳の離れていない少年からオバサン呼ばわりされ、怒り心頭に顔が真っ赤に染まる。思わず手に力がこもり、「いたいいたい!」とジオが悲鳴を上げる。
もはや殴り掛かりかねないほどだが、わずかな理性が剣に手を伸ばすのを防いでいる。その代わりジオへのダメージはどんどん大きくなっていく。
マリオンが腕を引けば、少年もジオを引き寄せようとする。引っ張りあいをされるジオは溜まったものではない。肩が外れてしまいそうだ。
「いい加減にしろッ!」
さすがに見かねたグリフが、いつもの飄々とした雰囲気とは変って2人を叱りつける。そこまで大きな声ではなかったが、重みのある叱責にマリオンと少年が力を弱めた。
「お嬢さん、仮にも騎士になったんだから、住民と諍いを起こすな」
「あ、ああ」
冷静さを取り戻したマリオンが生返事する。
その様子に少年が勝ち誇ったような笑みを浮かべるが、グリフのお叱りは少年へも向いた。
「お前もだ、アム」
「うっ」
叱られてアムと呼ばれた少年も手を放す。引っ張り合いから解放されたジオがすかさずグリフの背中に隠れる。
バツの悪そうにマリオンは頭をかいて「すまん」と小さく謝る。怒りが一気にしぼんで冷静になると、なんてみっともないことをしていたのかと羞恥心が湧いてくる。売り言葉に買い言葉とはこのことだ。
冷静さを取り戻せばマリオンはもう大丈夫だろうとグリフはまだ不貞腐れているアムの方を向いた。
「カタギになったんだろ、だったら阿漕な商売はやめろ」
「だってさぁ」
「リヒルト様に言った言葉は嘘だったのか?」
その言葉にアムが押し黙る。それからぼそぼそと「嘘じゃねぇよ・・・・・・」と弱弱しく呟く。
「だったら押し売りなんてやめて、真っ当に胸張れる商売をしろ」
「わかったよ・・・・・・」
観念したアムが小さく頷く。どうしてここでリヒルトの名前が出てくるのかはわからなかったけど、立場の弱いマリオンはそれについて問うことはできなかった。
反省した2人を見て満足そうに頷くとグリフが兄貴分よろしく「じゃあ仲直りだ」と言い出す。するとマリオンとアムの双方から「は?」と同時に疑問の声が上がる。
「もう会うこともないかもしれないけど、わだかまりは残さない方がいいだろ?」
「いやだからって」
「お嬢さん、先輩の言うことは聞こうな?」
「うぐ・・・・・・」
叱られている身としてはそれ以上強く抵抗できないマリオンは、躊躇いを腸に流し込んで少年に向き直った。
しかし仲直りと言われても、何をどうすればいいのか。そもそもマリオンとしては喧嘩を売られたようなものであり、たしかに大人気はなかったかもしれないけど、このことで自分から折れるのも納得いかないものがる。
だがアムもアムで、意固地になって謝罪しようとはしない。商売を邪魔されたという気持ちもあるのだろう。だがしばし懊悩したように唸って、なにか観念したように項垂れる。
「くそっ、わるかったよ」
と、極めて渋々とした様子で謝意を表してきた。
「リヒルト様の名前だされりゃ、逆らえねぇ」
ぶすくれてグリフを睨むも返ってくる言葉は「自業自得ってやつだよ」という無慈悲なものだった。
謝罪されるとマリオンもそれを無視するわけにはいかない。一言「すまなかった」と謝り、それでお互いに手打ちとした。
「・・・・・・おれへの謝罪は?」
一人取り残された被害者のジオの言葉は、誰の耳にも届かなかった。




