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散策




さして多くもない荷物を片付けると、ほとんどの騎士が暇を持て余して街へと繰り出していく。チェーク砦と違いアベルでは歓楽街や色町があり、非常な賑わいをみせている。

マリオンとジオが連れ立って歓楽街へ遊びに出かける。色町で遊ぶには金がないし、そもそも揃って色事に興味がない。それよりは食べ歩きや芸人の大道芸を楽しむ方がずっといい。花より団子である。自然歓楽街の中でも、商人たちが店を広げる市場へと足が向いていく。

アベルの市場は城内を流れる運河にそって港が開かれていて、そこでは買い物客を当て込んで多くの芸人たちが己の技を見せており、老若男女に関わらず人々の往来が激しい一帯だ。

右に左にと視線を彷徨わせるのに忙しいジオとはぐれないように注意しながら、何だかんだと久しぶりのアベルの市場を懐かしんでいる。レンガ造りの商店には、食料から衣類、雑貨や装飾品、ありとあらゆる品物が取引され、売買されている。肉や魚の脂が焼ける匂い、パンの香り、それら多様に美味な匂いが鼻腔を刺激してくる。そうして様々に入り混じる匂いの中に、ふと懐かしい香りがした。

甘く香ばしい匂い――自然とマリオンの鼻がヒクヒクと匂いの元を辿っていく。


「ジオ、ちょっと待て」


先を行こうとするジオの裾を掴む。振り返ってどうしたのと聞かれるが、何も言わずマリオンは手を取ってある一軒の屋台へと向かう。

あれだな、と匂いの元を発見して頬がほころぶ。この匂いを忘れたりしない。どんどん速足になっていき、手を引かれるジオは戸惑いながらもその後についていく。

油染みのついた帆をテントにしている小さな屋台。商品を陳列する台に置かれた大皿には、これでもかと赤黒い串焼きの料理が山盛りに積まれている。

マリオンの頬が紅潮する。懐から布の財布を取り出し、小銅貨を数枚掴んだ。

「いらっしゃい」と店主の親父が言うのと同時に、マリオンは小銅貨を差し出していた。


「2本くれ」


やや食い気味に注文されて親父は目を丸くさせていたが、すぐに「2本ね」と人懐っこい笑顔になって串焼きを2本とると、焚火にかけて炙る。炎から発せられる熱に混ざって甘い匂いがぐっと強くなる。


「なにあれ?」


火にかけられる串焼きが何なのかを知らないジオが訪ねる。


「カメだ」


至極端的に答える。それ以上に言いようがないのだから仕方がない。

ギョッとしたようにジオが硬くなる。


「か、カメェ!? カメってあの、泥やドブの中にいる、あのカメ・・・・・・?」


ジオの言うカメとは、主に沼や泥の中などに生息している『泥カメ』と呼ばれている動物で、割とあちこちの沼やドブの中にいる。一応は可食できるのだが、如何せん泥くさくて臭い消しをして濃い味でしっかり煮込まないととても食べられたものではない。ましてや串で焼くなど言語道断。以前に人生で初めて自分で捕まえたことがあるのだが、嬉しさのあまりすぐに食べたくなってその場で火を起こして焼いて食べた時は、あまりの臭みに吐き出してしまったほどだった。

あの時の記憶がよみがえり顔面を青くさせるジオを尻目に、人のよさそうな親父が「あいよ!」と元気にカメの串焼きをマリオンに手渡した。嬉々として受け取ったマリオンが、そのうちの一本をジオに向ける。


「奢ってやる、お前の分だ」


ジオは固まったまま震えている。焼いただけのカメ。何か赤黒いタレが付いているけれど、さりとてカメはカメ、臭いカメ。


「い、いらない・・・・・・」


小さな声で抵抗する。なんとしても食べたくない。こればっかりは食べたくない。いくらマリオンの奢りと言えど、世の中には食べれるものと食べれないものがある、カメは食べれないものだ。

しかしジオの抵抗など予想の範疇にあったマリオンはいいからと無理やり押し付けてくる。


「食べてみろって、騙されたと思ってさ。美味いぞぉ?」


そう言いながらマリオンが一口目にかぶりつく。その躊躇いのなさにジオが小さく震える。ありえない! いますぐ吐き出して! と叫び出しそうになる。

だが予想に反してマリオンは平然と、というかむしろとても美味しそうにカメの肉を咀嚼している。


「んん、この漬けダレ美味いな。肉もいい」


それどころか感想まで言い出す始末だ。すると店の親父が笑顔で「そうだろう」と話しに混ざってきた。


「おれの爺さんの代から受け継がれてきた秘伝のタレだからな。美味くて当然だ!」


自身満々に親父が嬉しそうに笑う。見た目だけなら美少女と言っていいマリオンに褒められて気を良くしたいらしい。


「ほら、冷めないうちに食べてみろって」

「で、でもぉ・・・・・・」

「ほらほら言ったろ、騙されたと思えばいいんだよ」

「兄ちゃん、まさか食べられないなんて言わないでくれよ?」


マリオンと店の親父、二つのプレッシャーに追い込まれたジオが脂汗を盛大に流す。串を持つ手が震えて仕方がない。口の中にあの日食べた泥カメの味が再現されて吐きそうになる。

救いを求めるようにマリオンを見ると、期待のこもった眼で見つめ返してくる。

店の親父に視線を転じると、こちらは残したらただじゃおかないという意思のこもった瞳が帰ってくる。

進退窮まった。マリオンは裏切りたくない、でも食べたくない。店の親父が怖い、でもやっぱり食べたくない。

助けはどこにもない。道はただ一つ――覚悟を決める。

恐る恐る串の先端にある肉にそおっと歯を立てる。臭みはしない。歯で挟み込んで串から抜く。そこから先へ進めない。


「よしジオ、もうすぐだ! そら行け!」

「兄ちゃんもうちょっとだ! 美味いから心配すんな!」


そんな応援が聞こえてくる。2人が無駄に盛り上がっているうちに、周りの人々もなんだなんだと足を止めて様子を見ている。一部始終を見ていた人が事情を説明すると、なんと周囲からもジオを応援する声が上がってきた。


「お兄さん、もう少しよ!」

「あとちょっと!」

「いけるぞ、いけるいける!」

「頑張って!」


一体何事かと言う謎の盛り上がりを見せる周囲をよそに、涙を流しながらジオはゆっくりと噛み、舌で転がし。

動きを止めた。それに併せて周囲もぴたりと静かになる。


「・・・・・・どうだ?」


マリオンが伺うように尋ねてくる。店の親父がごくりとつばを飲み込む。周囲の人々も固唾をのんで見守るなが、ジオが涙目をゆっくりと開いて。


「・・・・・・お、おいしいッ」


と答えた。その瞬間、場は喝采で湧き上がった。


「よしよく食べた!

「兄ちゃん頑張った!」

「えらいわよ!」


などなど、たかが串焼きを食べたとは思えないほどのエールが飛び交う。ジオはもう一口食べて、その味を再度確認する。


「お、美味しい! え、なんで!?」

「だから言っただろ、美味しいって!」

「俺の串焼きが不味いわけないんだぜ兄ちゃん!」


先ほどまで嫌がっていたのが嘘と言うように、あっとういうまに一本平らげたジオは、今度は自分で金を出してさらに一本追加で買った。

店の親父が調子に乗って3本も焼きだす。そして2本をジオに、1本をマリオンに差し出す。


「特別に俺のおごりだ!」


と、なんと店の親父がサービスしてくれる始末だ。


「あ、ありがとうございます! で、でもなんで泥カメがこんな・・・・・・」

「なんでって、そもそもな兄ちゃん、俺が扱ってんのは泥カメじゃないんだぜ?」

「え?」


訳が分からないというようにジオが首をかしげる。食べたときの食感はたしかにカメだった。それなのに泥臭さはまったくなく、クセのない肉に甘辛いタレがよく染み込んでいてとても美味しかった。

「あのな」と横からマリオンが割って入ってくる。


「沼やドブの中以外にもカメはいるんだぞ」

「えっ、そうなの!?」

「お前は知らないかもしれないけどな、海にも海のカメがいるんだ」

「うみ・・・・・・ってなに?」


初めて聞く単語である。アネーには海がない。そんな地方の辺境で生まれ育ったジオは海という存在も言葉すらしらない。

そのことに思い至ったマリオンが、ああそういえばそうだったと思い出す。


「海ってのは帝国の西側にある、なんていうか・・・・・・巨大な水たまりだ」

「はぁ」


いまいちピンとこない様子で生返事が返ってくる。こんな反応になるよな、とマリオンも苦笑するほかない。


「俺んとこで扱うカメは新鮮なうちにタレに漬け込んで干したものなんだ。海のカメは泥カメなんかと違って臭みなんかないんだぜ」

「へー・・・・・・知らなかった、これ美味しいね!」


そんな話しをしていると、周囲の客も次第に串焼きを求めだした。意図せずマリオンたちが客を呼び込む役割を果たしたようだった。あっという間に店は大賑わいになり、もう店の親父もマリオンたちに構う暇などなくなって大忙しとなった。

マリオンたちはその場を離れて、串焼きを食べ歩きしながら散策を続けた。


「こんな美味しいものがあったなんてなぁ。これってマリオンさんの好物なの?」

「ああ、大好物だ」


と答えた直後に、ふふっと笑みがこぼれる。


「どうしたの?」


頬張ったままジオに尋ねられて、「いや」と返す。


「おれも初めてこれを食べた時な、泥カメだと思って嫌がったんだよ」

「そうなの?」

「これを勧めてくれた人が、いいから食べてみろって言ってさ、それで破れかぶれになって食べて、美味しくて。お前を見てたらその時のこと思い出したんだ」


そうだ、と思い出す。あのとき――自分も、マリオンに勧められて食べたのだ。泥カメだと思ってゴネて、いいからと促されて、そしてあまりのうまさに驚いた。上品さなんて欠片もないけど、それでもすごく美味しかった。あのときマリオンはさも得意そうに「美味しいだろ?」と言ってきたのを覚えている。楽しい時間、楽しい想い出。

ジオを見ているとまるっきりあの時の自分だ。だから思い出してしまったのだ。

――まさか自分自身とこいつを食べることになるなんて。

自分から誘っておいてその不思議におかしみさえ感じてしまう。

2人並んで食べ歩きながら談笑していると、食べ終わったときにジオが横で「あッ!」と大声を上げた。


「どうした?」


タレでベタついた口元を手拭いで吹きながら尋ねてみると、ジオはある一点を指差した。


「い、いま、人の手から火が!」

「は?」


突拍子もないことをいうジオの指差す方向を見ると、そこでは芸人らしい男が、掌から炎を出しているところだった。何もない掌、そこから噴き出しているのは真っ赤な炎だ。炎は絶えず燃え盛っているが、当の芸人が熱がる様子はまったくない。

それはジオにとって驚きの光景なのだが、マリオンはなんだ、という思いしかわかない。


「異人だな」


聞きなれない言葉にジオが聞き返す。


「異人ってなに?」

「ああ、お前は知らないか」


そういえば故郷にも駐屯地にも『異人』はいなかったなと思い出す。それでは知らなくて当たり前か。


「異人っていうのは生まれつき不思議な能力を持った人間のことだ」

「不思議な能力?」

「ああ、あの芸人のように何もないところから炎を出して自在に操るやつもいるし、水や雷なんかをあやつるのもいる。他にも目に見えない力を操ったり、宙に浮いたり、傷や病気を癒したり。その人間によって扱える能力は千差万別、多種多様にある」

「へぇ」


感心するようにジオが声を上げる。


「よくそんなこと知ってるね」

「旅をしていればそういう連中とも出会うんだよ」


そう、かつてジオとして旅をしていたときにも、異人の仲間がいたのだ。あの芸人と同じように、炎を操ったりする者もいたし、他にもいた。

あの炎を見ていると、そうしたかつての仲間たちの顔が浮かんでくる。きっとまた一緒に旅をするんだろう。宇宙を貪るものを倒すために。その未来の事実が少しだけマリオンの心を慰めてくれる。

そういえば――あの森で魔獣と戦った時、まるで未来を体験するようなことがあった。

――あれも異人の能力なのか?

ふととんな考えが頭をよぎった。ジオだった頃は気づかなかったけど、もしかしたらマリオンも異人だったのかもしれない。未来を体験する能力とでも言えばいいのか。

もしかしたらマリオンの強さの一因だったのかもしれない。しかしもし本当にそういう能力があるのだとしても――どうやって発動したらいいのか、本人にはまったくわからない。なぜあの時それが発動したのかもわからない。

しかしそれがマリオンの強さに結び付くのなら、早いうちに使いこなせるようになった方がいいだろう。マリオンはそう決意する。

ジオが見て見たいというので少しだけ見物し、芸が終わったところでまた散策を再開すると、ひょんなところでジオは嬉しい人と――マリオンは極力会いたくない人物とばったり出くわした。

それはとある露店の前であった。


「グリフさん!」


名を呼ばれたグリフが振り向くと笑顔を浮かべた。


「おう坊主とお嬢さんか。なんだデートかい? お前さんたちもすみに置けないねぇ」


などと茶化してくる。お年頃のジオは少しだけ照れる。マリオンは心底嫌そうな顔をする。それこそ虫を噛み潰したような顔だ!


「ち・が・う!」

「お嬢さん、そんな顔を坊主に見せてやるなよ・・・・・・」


グリフが呆れる。年ごろの男女が二人、どう見てもデートをしているようにしか見えない。

強く否定されたジオが肩を落とす。


「なんで残念そうなんだよお前は、否定しろよ!?」

「お嬢さんは強く否定しすぎじゃないかい?」

「そんなことない!」


断言されますますジオの肩が下がる、脱臼してしまいそうだ。


「坊主、そんな落ち込むなよ、照れ隠しだって」

「お前斬るぞ!?」

「怖い怖い」


本気で怯えているんだかお道化ているんだかわからない態度のグリフにイライラが募る。

はやくこの話題から離れたいマリオンは、露店の品物を眺める。工芸品と思われるものがいくつも並んでいる。


「お前こそ似合わないものを買おうとしているんだな」

「ん、ああ、違う違う、別に買うつもりはなくてね」

「はぁ? じゃあ何してんだ、冷やかしか?」

「そうじゃなくてね」


そういうとグリフが露店の主らしき少年に視線を落とす。年齢はジオよりも少しだけ若そうだ。おそらく12歳か13歳といったところか。見覚えのない顔だ。


「この坊主とちょっと知り合いでな」


それはマリオンにとって意外な組み合わせだった。まさかこんな幼い少年の知り合いがいそうには思えない。ジオやマリオンは同僚と言う立場だが、まさかプライベートにまでいるとは。

まさか少年愛好家なのか、と疑い始める。その場会、自分がジオを守らねばならない。どこか世間知らずなジオをこんな男の毒牙にかけるわけにはいかない。頭の中でグリフに手籠めにされるジオの妄想が浮かんで全身が粟だった。


「ジ、ジオに手を出したら許さないからな!」

「はぁ? お嬢さん一体なに言って」


と悶着していると「あのさぁ」と露天商の少年が声を上げる。


「旦那、この姉ちゃん誰?」


旦那と呼ばれたグリフが威嚇する猫のようになっているマリオンを少年に紹介する。


「俺の同僚のお嬢さんだよ、隣の坊主もな」

「ふうん?」


まるで値踏みするような視線をマリオンに向ける。決してじっとりするような脂っこいものではない、あくまで客になりえるだろうかと確認するような眼だ。

とはいえ興奮しているマリオンにはそんな視線は関係ない。それどころか変な妄想はまだ続いている。


「おいお前、この男に何かされそうになったら逃げろよ!?」

「はぁ?」

「ちょぃっとお嬢さん、本当にどうしたんだよ? さっきから何言って」

「お前、少年愛好家だろ!?」

「はっ・・・・・・はぁぁぁ~!?」


予想外の爆弾発言にさすがのグリフも動転する。落ち込んでいたはずのジオも驚いた表情でグリフを見つめる。


「え、グリフさんそうなの!?」


そっとジオが距離をとる。


「旦那マジかよ・・・・・・」


露店の少年も距離をとる。ドン引きである。


「ジオ、おれの後に隠れろ! この男には指一本触れさせないからな!」

「う、うん!」


すかさずジオがマリオンの背中に隠れる。そこには一切の躊躇いがない動きだった。


「ちょっ、そんなことしないから! 話をきけー!!」


混沌とした場に、グリフの情けない叫びが響き渡った。





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