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アベル




わずか数日しか乗馬を教えてもらっていないジオにとって、一日中ずっと鞍の上にいるというのはとても大変なことだった。油断したら馬が暴れ出しそうになるし、時折立ち止まったりもする。そのたびにグリフが横合いから手助けしてくれるのだが、もうすっかり神経はすり減ってしまっている。

他の騎士たちはみな平然として馬を巧みに操り、談笑しあう者たちまでいる。どうしてそんなに器用なことが出来るのか不思議でならない。手綱を握る手はじっとりと汗ばんでいる。お尻は痛いし、鐙にかけた足は強張ってパンパンになっている。こんなことなら自分もマリオンと同じように馬車の中がいいとさえ思ってしまう。

それでも一泊を野営して二日目にもなると、次第に身体が力と体重のかけ方を学んでいった。疲労が無駄な力を抜いてくれて、どこに体重をかければよいのか、どこで踏ん張ればよいのか、少しずつだが気づかせてくれるようになっていた。一度要領を飲み込めばあとは楽なものだ。

その様子を見てグリフは少しだけジオのことを見直した。中身がない分、覚えるのも早いのかもしれない。まだ走らせるまではできなくとも、自然と馬を歩かせられるようになっている姿は、それなりに様になっているようにも見える。

なるほど、案外マリオンの目利きも的外れと言うわけではないのかもしれないな。そう考えているころには、一行は遠くアベルの街を目視できるところまで来ていた。

徐々に近づいてくるアベルの城壁。間近に迫るその威容に、ジオは言葉を失いつつあった。駐屯地の策は、板を張っただけの簡単なもの、チェーク砦は丸太の城壁だった。

しかしアベルの城壁はそれら2つがまるで子供の工作で作られたと思えるほど、まったく異質なものだった。黒レンガを何重にも積み上げ築かれた黒く巨大な壁はチェーク砦の丸太壁よりもはるかに高くそびえて、その重厚感に押しつぶされそうな気さえしてしまう。

城門は開け放たれていたが、それをくぐる前からジオはすでに言葉を失っている。生まれて初めて目にする『城』はその外郭からしてすでにジオの想像を遥かに超える存在だった。

呆気に取られているジオの横に並んだグリフがおかしそうに笑う。


「なんだ坊主、そんな見上げて。これだけの城壁を見るのは初めてか?」

「は、はい・・・・・・。なんていうか、その・・・・・・なんていうんだろう、すごく大きくて!」


言葉にもならないが、それでもこの感動をなんとか表現したい! しかし何と言えばいいのかもわからない。人間がこんなものを作れるなんて思ってもいなかった、そう圧倒される感動には言葉などありはしないのだ。


「まぁなぁ」とグリフも城壁を見上げる。


「アベル城って言えばこの地方じゃ一等デカい街だ。そりゃもう国境近くの集落とは比べようもないわな」


グリフもまた小さな集落で生まれた田舎者だ。ジオとそう変わらない身の上で、彼にとってもアベルを超える街をいまだ訪ねたことなどない。

アベルはすべてにおいて村落集落を凌ぎ、村よりも大きい町をさらにはるかに超える大きな規模を誇っている、アネー地方の重要拠点のひとつだ。チェーク砦の広さと活気にさえ目を丸くさせていたジオにとって、この街はさながら夢の国にも等しいものだった。アベルと言う街はずっと名前でしか聞いたことのない場所、一生縁のない場所だと思って疑わなかったのだから。

城壁が大きければ城門もまた巨大で、黒鉄で作られた鉄板の厳かさに思わず息を飲む。剣も槍も弓矢もこの扉を傷つけることなど出来ないことが肌で感じられる。

城門をゆるゆると抜け、いよいよ城内へと入っていく。するとその瞬間から、そこはまったくの別世界のような熱風をジオに吹き付けてきた。

思わず感嘆の声が漏れた。


「どうだ、これがアベルだぜ」


熱気、活気、喝采。

溢れんばかりに人々が往来する大路には、いくつもの商店が並んでいる。どれもこれもレンガ造りの建物で、3階建てのものまである。そこかしこから様々な声が飛び交い、こんなに賑やかな風景を見たことなどかつて一度もない。

道は石畳で舗装され、馬車も通りやすくなっている。騎士たちが通行してもなお道幅には余裕がある。露天商が簡素な小屋を建てて商売をしている。婦人たちが立ち話で談笑し、子供が駆けている。

右に左に首をめぐらせては、頬が紅潮していく。自然と口角が上がって笑顔になる。静かな故郷とはまさに何もかもが対照的だ。人で、物で、気迫で溢れている。


「おれもアベルに来るのはこれで3度目だけど、いつ来てもこの賑わいには目がくらむぜ」

「村の祭りのときアベルから商人が来て、小さい頃はいろんな話を聞いて」

「だよなぁ。おれもそうだったぜ。知ってるか、アネーの王国が滅びるまでは、ここが王国の都だったんだぜ」

「知ってます。村長がよく言っていました」


今は滅びたりと言えどかつては王国の首都。ジオ達アネーの民にとっての都。縁はないとわかっていても、憧れずにはいられない。

一行はやがて大路の先にある広場に出る。商人だけでなく芸人も己の技を披露している。また違った活気がある。

騎士全員で館にいくわけにもいかないので、リヒルトとその側近、ラザールらとその見張りだけで館へ行くこととなった。残りの騎士はそれまでこの広場で休憩することになった。

ジオも厩に馬を預けると、ラザールの乗せられている場所に駆け寄った。この街の賑やかな光景をマリオンにも見せたかった。馬車は幌で覆い隠されているから、きっと外の景色を眺めるなんてできないだろうと思うと、とても残念な気持ちになる。マリオンと一緒にこの街を見たい。

馬車の中に声をかける。すぐにマリオンが顔をのぞかせた。しかし馬車から顔をのぞかせたマリオンは眉間にしわを寄せてかなり渋い顔をしている。


「ど、どうかしたの?」

「どうもこうもッ」


重苦しくマリオンが応える。馬車を降りると座りっぱなしで凝り固まった身体を屈伸して解きほぐす。一通り身体を馴染ませると、キッと馬車を睨みつける。


「あのクソ野郎と四六時中いっしょだったんだぞ!? 斬り殺さなかった自分を褒めてやりたい!」


どうやらラザールと長時間同じ空間にいたことで、かなりの鬱憤がたまっているらしい。馬車の中は常に殺伐としていて、それはマリオンにとってもラザールにとっても苦痛の時間だった。マリオンは純粋に嫌いな人間と一緒にいることに、ラザールは憎悪と恐怖が入り混じって。

それでもあくまで一介の士族騎士でしかないマリオンでは貴族である自分に手が出せないのだと気づいた辺りから、チェーク砦を出てからアベルに到着するまでラザールはねちねち嫌味を繰り返して、そのたびにマリオンは額に青筋を浮かべていた。マリオンも時折シタールの切っ先を向けはしても、理性がそれから先の実行を許さず、ひたすら忍耐を迫られたのだ。それが余計にラザールを調子づかせた。やがて剣を向けられても憎まれ口を止めなくなり、ついにマリオンの方が折れて黙り込んでしまう結果にまでなってしまった。

おかげでマリオンはすっかり不機嫌になって、ため込んだ不満を爆発させている。

一緒にアベルの街を見物したかったのだが、どうもそれどころではなさそうだ。


「あんなやつ、さっさと館でもどこへなりとも連れていけばいいッ!」

「また物騒なことを言うじゃないか」


喧騒の中から姿を現せたリヒルトの顔を見てもマリオンは努めて平静を取り戻そうとするが、上手くいかず表情が強張っている。


「見張りご苦労」

「・・・・・・どうも」


ぶっきらぼうに答える。あまりの不躾な態度にジオもハラハラしているが、マリオンとしてもこれが精いっぱいの礼儀だった。それだけラザールの相手というのは腹に据えかねるものだった。

幸いにもリヒルトは大して気にした様子もなく、むしろ笑ってすらいる。


「三男殿の相手は堪えたようだな」

「出来るなら二度としたくありません」


新参者とは思えないほど物怖じしない態度のマリオンに、だが気分を害した様子もなくリヒルトが頷く。


「はっきり言うじゃないか。まぁ悪く思うな、何しろお前が私の騎士たちの中でもっとも身軽なのだからな、有事の際には何かと都合が良かろう?」

「俺はあの男が大嫌いなんです」

「それはすまなかった。安心しろ、他の者と交代させる。ここから先は叔父御との話し合いになる。連れていけるのは古くからアデイラ家に仕えてくれている古参の騎士だけだ」


さすがに新参者のマリオンを連れていく気はない。むしろその方がマリオンとしてはありがたい。これ以上あの男と一緒にいるのは御免こうむりたいところだ。

「さて」とマリオンが留飲を下げたのを確かめると、リヒルトが馬車の中を覗き込む。こちらも不機嫌さを隠さないラザールと目が合った。


「リヒルトッ!」

「おや、意外と元気だな三男殿」

「いつまで私をこんなところに押し込めているつもりだ!」

「そう喚くな。心配せずとももうじき馬車から降りれるさ。これからアベルの領主である私の叔父御と会ってもらう。よろしいな」


確認するように尋ねるが、無論ラザールに拒否権はない。ふんっと鼻を鳴らして横を向いたそれを肯定と受け止めてリヒルトは側近の一人を馬車に乗せる。壮年の騎士が見張り役を務めるようだ。


「グリフ、宿の場所はわかっているな」

「はい」


丁度近くにいたグリフが返事をする。

リヒルトとその騎士たちは、このアベルに数日逗留することになっている。なにしろこの街から帝都までは結構な距離である。途中何度も野営せねばならず、そのための資材を準備してから出発せねばならない。それにラザールの問題もある。

旅の準備をしつつ、宿泊は貴族御用達の宿舎が用意されている。騎士たちには羽目を外し過ぎない程度の休暇も許されている。

リヒルトを先頭に古参の騎士たちとラザールを乗せた馬車が、城の館へ向けて出発する。騎士の道を開けるのはどこでも暗黙の了解として、雑踏の中でも人々は軽やかに道を譲っている。そうして抜けた跡をすぐさま人が覆い隠して、再び雑踏に埋もれていく。

ああー! とマリオンが言い声をあげて身体を仰け反らせた。


「まったく、ヒドイ初任務だった」


マリオンがぼやく。恐る恐るとジオが口を開いた。


「貴族のリヒルト様相手にあの態度は不味いんじゃない?」

「ん? ああ、まぁ、そうだな」


言いながら頬をかく。たしかに一介の騎士がとっていい態度ではないだろう。主従関係にあるのだから、即刻解雇されてもおかしくはない。

しかしマリオンにはどこか緊張感がない。まるでそんなことは大したことじゃないとでも言っているかのようだ。

実際、マリオンにとっては大したことではなかった。


「あまり礼儀だとかにはこだわらない人だからな」

「そんなのわからないじゃん。おれずっと冷や冷やしてたんだからッ」

「悪かったって、そう心配するなよ」


まさかリヒルトとすでに一度――過去の世界で出会っているとは言えない。リヒルトの器量の大きさを知っているから、ついつい馴れ馴れしく接してしまう。だが確かにそれは決して良いことではないのかもしれないと、マリオンも少しだけ考えを改める。


「次からは気を付けるよ」


出来る範囲で、と断りを入れて。


「ほんとかなぁ」


先ほどの激昂ぶりを見せられるとどうにも信用しきれない。普段は冷静なことの多いマリオンだが、ラザールのような心底毛嫌いする人間に対しては容赦のない一面も見せる。礼儀をわきまえているかと思えば、無礼にもとれる態度をとる。不思議な、よくわからない人。でも頼れる人。

だけどそんなマリオンと言う人物にジオも慣れつつあった。

広場にたむろしていた騎士たちの一部が宿舎へと移動を開始する。疲れたものは宿へ向かうが、せっかくだからと酒場へ乗り込む連中もいるらしい。


「マリオンさんはどうするの?」

 

それぞれが自由に散っていくなかで、ジオとしてはマリオンとアベルの街を見て回りたい気持ちが強くある。気分はすっかり観光客だ。こんな大きな町の賑わいは村の祭りの比ではない。すっかり舞い上がったジオの心はすでに小躍り状態だ。

長時間のストレスで疲労感はあるマリオンだが、部屋に閉じこもってもラザールの憎たらしい顔を思い浮かべてしまいそうで、それならいっそ気分転換でもした方が建設的なような気もする。

まるでご主人様に待てをされており犬のようにジオが目に見えない尻尾を振っている。視線が行こうと誘ってきている。


「しばらくやることもなさそうだし。・・・・・・久しぶりのアベルだ、少し見て周るか」

「やった!」


なにがやったのかよくわからないが、ジオが楽しそうにしているので、まぁ良しとしておこう。

今にもはしゃいで駆け出しそうなジオを宥めながら、マリオンの足は雑踏の中へと紛れていった。






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