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チェーク砦出発




手紙を書こうと思い立っていざペンをとってみると、書き出しをどのようにして綴ればいいのかが皆目見当もつかない。よくよく考えてみると生まれてからこちら手紙というものを書いたことがなかっと思い至る。文字が書けるというだけでは文章を思繋げることなど出来ないのだと机に座って十数分で思い知らされた。

こんにちはと書けばいいのか、それともお久しぶりか。どれもそうであるように感じるし、的外れのような気もする。

ペン先の黒インクが乾いてもジオはしばらく、どのようにして手紙というものが書かれるのか考えている。考えて、考えて、考えても答えは出ず、諦めて要件をそのまま書くことにする。


――兵士から騎士になりました。兵役がなくなりました。いまは貴族様に仕えています。お給料がもらえます。いつ帰れるかわかりません。お父さん、お母さん、お元気で。


「よしっ」


もうこれでいいやとペンを置く。決して上手と言えない文字は、ミミズの這ったようという表現がまさにピッタリだ。それでも人生初の手紙を書いたという小さな達成感に満足していると、その文面を覗き込んだマリオンが「なんか遺書みたいだな」と身も蓋もないことを言いだす。


「え、そう?」

「『お父さん、お母さん、お元気で』ってまるで今生の別れのように聞こえるけど」

「そうかなぁ・・・・・・元気で暮らしてほしいって意味で書いたんだけど」


そこまで深い意味を持たず書いたのだが、そう言われるとそんな気もしてくる。


「じゃあどう書いたらいいのさ?」


と、手紙初心者のジオはいいことを思いついたとばかりにマリオンに教授を願う。なんとなくマリオンなら手紙も上手く書いてくれそうな気がしたのだ。先ほどのような意見を出せるくらいなのだ、きっと手紙を書くことも簡単なのだろう。わからないことはわかる人に聞けばいいのだ。

そう思ったのだが、少しだけバツの悪そうにマリオンが視線を逸らせる。偉そうなことを言ったマリオンだって手紙を書いた経験など実はほとんどない。


「て、手紙は自分で考えて書くもんだ」


『書けません』というのもなんだか恥ずかしかったマリオンがそう言い逃れる。不満そうな表情をジオが浮かべてくるが、教えてやれることなど何もない。

第一そもそも、ジオの手紙の執筆をわざわざ監督するためにここにいるわけではない。

ジオが手紙を書いている場所は騎士たちが手紙を書くために用いる執筆室だ。長机が置かれ数脚の椅子がある。常に紙とインクが常備され、字句を忘れた時ように書棚には辞書まで用意されている。手紙を書くだけでなく、騎士たちの語らいの場としても利用されることのある部屋だ。

マリオンはたまたまその部屋の前を通りがかり、ペンを握ったまま難しい顔をしているジオを見かけて、暇つぶしにジオの手紙を覗き見ていたに過ぎない。つまりはただの野次馬だ。

なぜジオがいきなり故郷の家族宛に手紙を書こうと思い立ったのか。それは文面にもある通り、兵士から騎士へと立場が大きく変わってしまったからだった。

兵士には兵役期間があり、一度徴兵されれば5年は兵士とならなければならない。それから解放されても十数年たつとまた徴兵され兵役に就く。人生でおよそ3度兵士ならなければならない。

しかし騎士となると事情が変わる。土地持ちの士族となるならまだしも、ジオの場合はリヒルトという主人に仕えることになる。奉公人と同じだ。用済みとして解雇されるか、何かしらの事情によって自らその立場が変わりでもしない限り、ジオは死ぬまでリヒルトの騎士であり続けねばならない。

しかしジオの家族は、よもや自分たちの息子が騎士になっているなどと夢にも思っていない。任期が終われば当然のように故郷へ帰ってくると思っている。それなのにいつまでたっても息子は帰ってこない、死んだという報せも来ない、となれば混乱もするだろう。

だからリヒルトは自らの騎士となった者たちには、家族を無暗に不安にさせないよう手紙を書かせることにしている。

旅人という立場のマリオンには送る相手がいないので手紙を書くことはなにだが、そういえば自分もジオだった頃に手紙を書いたなぁと懐かしみ、ついつい悪戦苦闘するジオの様子を見守っていたのだ。


「いいよねマリオンさんは、手紙書かなくていいんだもん」

「流浪の身だからな」


そう言いながら、ふと『マリオンの家族』はどうなのだろうと考える。一度も会ったことのない人たちだ。まさかマリオンだって草木から生えてきたわけではあるまい、父がいて母がいるはずだ。兄妹だっていたかもしれない。どんな人たちなのだろう、一度でいいから挨拶をしたかった。それは何度も思ったことだった。

だからといってどうすることも出来ないのだが。生前のマリオンは己の過去を何一つ語ってはくれなかった。マリオンになって改めて思い知る、俺は何も知らないと。


「書いてやれればよかったんだけどな」


どこで生まれたのか、それさえ知っていれば、マリオンの死を伝えることだって出来たかもしれない。もしも家族が存命であったのなら、娘の死を知らないまま日々の営みを続けていたはずだ。それは幸いなのかもしれないが、切ないことだとも思う。


「手紙を送れる家族がいるっていうのは幸せなことだからな」


その幸せが当たり前だということに、ついに気づけなかった成れの果てに、同じ寂しい思いを目の前のもう一人の自分にはしてほしくない。そう思いながら、それでもきっと、ジオも自分と同じ運命と辿るのだと思うとやるせない気持ちになる。仕方がないのだが、仕方のないことなのだが。

手紙を折って便箋にしまい込んだジオが集荷箱に投函する。あとは配達を仕事としている兵士が、宛先の村まで届けてくれることだろう。手紙が届く頃、もうジオたちはチェーク砦を出発した後になっている。




交代の騎士がようやく到着した。伯爵家の出身だという新しい司令官は、引きつれた自らの騎士たちと共にチェーク砦へ入砦すると、休む間もなくすぐに引継ぎのためリヒルトと会議の場を設けて話し合いの席に着いた。

リヒルトの騎士たちは自らの荷物をまとめ上げて、数台の馬車に詰め込む作業を行っている。彼らが使っていた部屋はもぬけの殻となり、これから新しい住人を迎え入れることとなる。

中央から派遣されてきただけあって、新しく着任してきた騎士たちはどこか垢ぬけた雰囲気を纏っていて、ジオを筆頭にこの地で騎士となった田舎者たちは少しだけ怯んでいた。来ている服でさえどことなくパリッと折り目正しく見えてしまって、なんだか自分たちが小汚いのではと恥ずかしい気持ちになってしまう。


「グリフさんって、都人を見たことってあるんですか?」

「リヒルト様がそもそも帝都のお生まれだし、先輩騎士の何人かはその頃からお付きの都人だけど、それ以外はそうそうお目にかかれねぇなぁ」


例外と言えば、幌馬車の中に閉じ込められているラザールくらいなものだ。あれも一応は帝都の出身である。

ジオにはとても不思議な気がしていた。新しくやってきた騎士たちは自分たちの馬を厩舎に繋ぐため、馬番の兵士たちといろいろ話し合っている。その様子にはラザールのような高圧的な雰囲気が微塵も感じられない。それどころか実直で真面目そうにさえ見える。リヒルトの騎士たちとどこか同じ空気がしている。


「別に都人って言ったって、一から十までいろいろいるだろ。ラザール卿みたいなクズもいれば、ご主人のような方もいる。そういう意味じゃ新しい指令殿はまっとうな御仁と見るね」


部下を見れば上司の力量も量れる。各駐屯地の指令や土地持ちの士族たちと良好な信頼関係を結ぶことが出来れば、国境線もしばらくは安泰だろう。


「ところで坊主、今日はお嬢さんは一緒じゃないのかよ?」


訓練の時に限らず、マリオンとジオがよく一緒にいる瞬間を何度も目撃している。食事の時は大体隣か向かいに座っているし、談笑している場面もあった。

ところが今日に限ってはジオだけが荷物の積み込みをしていて、マリオンの姿がどこにもない。


「ああ、それは・・・・・・」


わずかに心配そうに、ジオが顔を暗くさせる。


「実は――見張りをやってるみたいなんです」

「見張り?」

「昨日の夜にリヒルト様から、ラザール様の馬車に乗って見張るようにって命令されて」

「はぁ?」


思わずグリフは素っ頓狂な声を上げた。確かに脱走しないよう見張りは必要だろうが、しかしラザールとその騎士たちには武器を持つことを禁じているし、馬車の周囲を数騎で囲む手はずになっている。わざわざ見張りを同乗させる必要などないと思うのだが・・・・・・。

だがたしかに念には念を入れるに越したことはないかもしれない。それだけではなく、もしかしたら密談をさせないため、という理由もあるのかもしれない。


「ってことは、もう乗り込んでんのか?」


ジオは頷いた。


「マリオンさん、ラザール様のこと大っ嫌いって言ってたから心配だなぁ」


ラザールとその騎士たちはすでに幌馬車の中だ。

それは――ご愁傷さまだ、とグリフは天を仰いだ。マリオンにとってもラザールにとっても、長い長い旅になることだろう。

そして当のマリオンはと言うと、まったくイライラした気持ちで腕を組んで、絶賛見張りの仕事中である。狭い空間に、ラザールと生き残った5人の騎士、そしてマリオンの計7人を乗せた馬車は、馬の準備さえ整えばいつでも出発できるようになっている。


――くそ、リヒルトのやつ、こんな早く乗せることもないだろうに!


口をついて出そうな不満を飲み込んでマリオンは律義に任務を遂行する。新任の司令官との引継作業が終わらない限り、一行は砦を出ていくことが出来ない。それだというのにラザールはさっさと馬車に押し込められ、仕方なくマリオンも乗り込まざるをえなくなってしまったのだ。

こんな狭い空間でラザールと二人(正確にはあと5人いる)という状況は精神的に大変よろしくない。もはやマリオンの中でのこの男の好感度はマイナスを大きく振り切って余りある状態だ。

さっきからラザールも憎々し気な視線をマリオンに向けていて、まさに一触即発の空気に耐えられない騎士たちはただ俯いて肩を寄せ合うばかりになっている。


「――貴様が」


重い、実に重い空気を震わせたのは、ラザールだった。視線だけでなく、声も、憎しみに濁っている。


「貴様が私の目の前に現れたせいで」


長い沈黙の末に吐き出した言葉は、ひどく陳腐なものだった。


「父が黙っていない。必ず貴様を殺してやる。いや、殺すだけでは足らない、嬲り、凌辱し、考えうる限りの責め苦を味わわせてから惨たらしく殺してやるッ、リヒルト、あの生意気な五男もだ! 何が侯爵家だ、戦争しか能のない古ぼけた家など、権力と金の前には塵芥も同じだ! 消してやる、必ず消してやるッ!!」


最後には唾を飛ばして叫ぶ。昂った感情は抑制できず、血走った眼には正しい現実が映されない。ラザールはいまだ、自分こそが上位者であると信じている。疑っていない。いまこの状況は間違っている、間違いは正される、そして過ちは消される、消されねばならない、消してやる。その思考だけが暴走している。

金、すべては金。そさだけがラザールの信じるものだ。金があれば力が買える、武力と言う蹂躙するための力、権力と言う支配するための力、世の中は金がすべてなのだ。だからその金によって中央に返り咲き、政治の中枢に入り込み、帝国を動かしていくことは正義なのだ。それを阻んだリヒルトこそが裁かれるべき悪であり、目の前の小娘もまた悪なのだ。

それはたしかにある一面では真理であるが、しかしそのために用いた手段は正当化されないことに、ラザールは気づこうともしない。理屈などすべては金の下にあるものだからだ。

無様に喚き散らす様子をマリオンは冷ややかな、ともすれば絶対零度の瞳で一瞥すると、わざとらしくため息をついて「あのさぁ」と語気を荒げた。


「さっきから好きなことばかり言ってるけど、そんなことはどうでもいいんだよ。お前は罪人、それ以下にはなっても以上にはならないんだよ。わかったら黙れ、二度と喋るな、何ならな息も吸うな」


言い放ってふんっと鼻を鳴らす。これ以上この男の声を聴いていたらいい加減耳が腐りそうだ。

――さっさと出発してくれ。

もはや懇願するようにマリオンは祈った。このままでは腰のシタールを抜いてしまいそうだ。


「貴様などやはりあのとき、下民どもの慰みにしておくべきだった!」


その侮辱に、抜いてしまいそうだったシタールを抜いてしまった。鮮やかに、滑るように鞘から抜かれた刃は、騎士たちが動く間もなくラザールの喉元に切っ先を突きつけていた。

続けて言葉をぶつけようとしていたのだろう、奇妙な音が開いた口から漏れこそするが、何も言えないまま固まってしまっている。


「おれも、あの騒動のときにお前を斬っておくべきだったかもな」


生命に対する思いやりなど微塵もなく低く冷たい声音と、明確な命の危険にラザールの劇場はすっかり鎮火してしまった。情けなくいきり立った両肩が脱力する。

――いっそこのまま斬ってやろうか。本気でそう思いかけた、幌の外から声が聞こえた。出発を知らせる合図だ。

シタールを鞘に納め、椅子にどかりと腰を落とす。次にふざけたことを言うと容赦しないぞ、と態度で表現すると、騎士たちは顔を俯けた。ラザールはまだ放心している。

馬車が馬に曳かれて動き出した。十数日を過ごしたチェーク砦に別れを告げる時が来た。

まったく、さっさとアベルに到着してくれ。これからの長い時間を憂い、マリオンは心の中で舌打ちをした。




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