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騎士の館

※加筆・修正しました。




チェーク砦の心臓であるリヒルトの館は、彼の騎士団が常に常駐することから兵士たちは畏敬の念を込めて『騎士の館』と呼んでいる。管轄するすべての駐屯地への発令はここから出されている。

騎士の館は砦にある建築物の中でもとりわけ大きく、3つの尖塔で繋がれた柵が館の周囲をぐるりと囲んでいる。小さいながらその威容は城塞のミニチュアと言っても過言ではないだろう。事実として砦の城壁が破られた際、この館は文字通り最後の砦となるのだか、相応の防御能力を持ってしかるべきである。

それほどの建物であれば、部屋数もまたそれなりにある。一室一室の窓にはガラスが貼られ、調度品の整った客室もある。

ラザールが通されたのはそういった来賓用の客室であった。罪を犯したと言えども貴族であるラザールには、相応の対応がなされている。彼の騎士の多くは大部屋に隔離され、接触することは厳に許されていない。出入りの扉には見張りがつけられ、部屋は館の最上階にあるため窓から脱出することも叶わない。客室とはいえベッドと机とクローゼットがあるだけの簡素な部屋で、3日目の朝を迎えようとしている。

気分は鬱屈としたまま、まだ陽の昇りきらない薄ら明るい空を、椅子に座したまま眺め、自らの不遇と不幸を嘆きながら、その立場へ追い落としてくれたリヒルトへの憎悪を燻ぶらせる。

こんなはずではなかった。自分は中央の政界にあって、いずれは要職に就いて帝国を動かしていく人間のはずなのだ。片田舎の司令官で満足しているどこぞの五男を顎でこき使えるはずの地位を得ているはずだったのだ。それなのになぜ、どうして、自分はこんな場所で、こんな田舎臭い場所で、閉じ込められねばならないのだ!

間違っている。

間違っている!

何もかも間違っている!! 失脚したことも、罪人として裁かれることも!

しかしどのように嘆いても現実が変わることはない。陽はいつもと変わらず昇り、そしてラザールの事情など何一つ顧みることなく沈んでいく。

コンコン。そんな軽いノックの音が室内に嫌に響いて聞こえて、ラザールは首は反射的にドアへと向いた。開かれた扉から現れた男に、心底から嫌悪の表情を向ける。


「三男殿、ご機嫌は如何かな」


――リヒルトッ!

腹の底から絞り出すように憎々しいその名に、椅子が倒れるほど勢いよく立ち上がる。部屋を訪ねてきたリヒルトは至極軽装であり、鎧をつけていなければ剣も佩いていない。しかし付き添いの騎士はしっかりと帯剣している。とはいえラザールも丸腰なのだから、どうすることも出来はしないのだが。

リヒルトはいかにも余裕然とした所作で、自らが上位者であると雄弁に物語っている。それがまた鼻持ちならなくて、唾を吐きかけたくなる。


「私へ対するこのような振舞い、万死に値するぞ! 必ず後悔することになるぞッ!」

「おお、それは楽しみだな。 是非とも後悔させてほしいものだ」


恫喝を嫌味で返されたラザールの顔が赤黒くなる。頭の血管が破裂してしまいそうなほどの怒りと羞恥で、剣さえあれば今すぐにでも斬りかかっていただろう。握りこんだ拳がぶるぶる震える。食い込む爪の傷みすら今は感じなかった。


「父上が黙っていない! 我が家の威信に泥を塗った貴様を父は必ず討つだろう!」

「泥を塗ったのは貴公だろう。罪を犯したのだ、裁かれて当然だ。貴公は大事な帝国の財産、言うなれば皇帝陛下の金を私物化したんだ」


それに、とリヒルトはこれでもかと言うほどの凄みある笑みを浮かべる。


「黙っていないならそれで結構。私は武門の名家アデイラ侯爵家が五男、一戦に及ぶならいくらでも受けてたとうではないか。己が正義と信じた道なら振り返る必要はないと、それが父の教えでね。私は私の正義と剣にかけて戦おう」


つまり戦争上等と啖呵を切ったリヒルトには何一つ気負いがない。自分が間違っていないという自信と自負が彼にはある。己のこなした仕事に誇りがあるからこそ、どのようなラザールの言葉も戯言にしか聞こえない。

どれほどの言葉もリヒルトには届かないと悟り、もはや言葉が出てくることはない。ラザールは真の武人から放たれる気迫に怖気てすらいた。すでに一度負けた体験がラザールを負け犬にしていた。


「私は帝都へ引き上げることになっている」


唐突にそのようなことをリヒルトが言い出す。ラザールには意味が分からなかった。なんだと?


「任期の満了に併せて帝都へ引き上げる。中央の政界に戻りたがっていた貴公には残念な話しかもしれんがな」


自分は地方へ左遷させられ、地方にいたリヒルトが中央へ召喚される。その事実を徐々に理解し、今度は拳だけでなく全身が震えだす。

――なぜだ、なぜだ、女神ネスよ。なぜ私だけこのような目に遭わせるのだ、なぜ私だけ見捨てるのだッ!!

呪詛はついに天地創造の女神にすら向けられる。


「貴公の身柄はアベルへと移されることになった。あそこもアデイラ一門の叔父御の領地だ、待遇は今とそう変わらんだろう。それから私と共に、喜べ、貴公も帝都へ帰れるぞ――罪人としてだがな」


それだけを言い残してリヒルトの去っていった部屋に静けさが戻り、力なくベッドに腰が落ちる。リヒルトは帝都で何かしらの任に就くのだろう。翻って自分は裁判にかけられる。そのために帝都へ戻る。決して喜ばしくないその未来を憂い、嘆き、ただただ己の落日に涙を流し憎きリヒルトと無慈悲な女神ネスを恨んだ。




 ◆  ◇  ◆






騎士の館は本館と別館に分けられ、大きな中庭がある。そこは騎士たちの鍛錬場でもあり。そこではいま、木剣同士がぶつかり合う乾いた音が不規則に鳴っていた。

騎士となったジオは砦に就いた翌日から騎士としての訓練に明け暮れている。騎士とは言えまだ見習いのような立場のジオとマリオンは、まず騎士としての心構えを学び、相応の武術を叩きこまされる。人生二度目の騎士であるマリオンにとっては大した問題ではないがジオにはとても大変なことだ。戦闘術もそうであるし、馬術も覚えねばならない。今朝も早々にマリオンに叩き起こされて、中庭へ連れてこられるや木剣を投げてよこされ今に至る。

マリオンの額にはうっすらと汗が滲んでいるが、対するジオは滝のように汗が流れている。顎からは常に雫がこぼれて、肩で呼吸する有様だ。すでに数時間、途中何度か休憩を挟みながらマリオンの特訓は続いている。その様子を他の騎士たちも眺め、ときにはマリオンに代わってジオを可愛がったり、あるいはマリオンと手合わせする者もいた。


「よしジオ、もう一回こい」


軽く息を吐いたマリオンが、後頭部で束ねた長髪を揺らす。騎士となってからマリオンの身なりはかなり変わった。というかようやくまともになったと言うべきか。それまで死んだ騎士からはぎ取った服一枚で過ごしていたのが、しっかり上下揃った衣服に様変わりした。それまで貫頭衣のようにして下半身には何もつけていなかったが、今は動きやすいショートパンツを履いている。腕を出したシャツは夏の気候にぴったりだ。それまで遊ばせていた長髪もひとつに束ねた。いっそ首下で切ってしまおうかとも思ったが、いまは自分自身とはいえ仮にも恋人の綺麗な髪を切り落とすことに躊躇いもあって、邪魔にならないようポニーテールにしている。

マリオンが教えているのは攻めの戦い方だ。戦闘そのものに消極的なジオは、自然と守りの戦い方をする。だから身体に攻めの勢いを教え込まねばならない。自分から攻めに行く姿勢は元からあることは、街道で襲われたときにわかっている。とにかく剣に慣れさせ、戦いに慣れさせる。そのためには場数をこなすしかない。

誘うようにゆらゆらと身体を揺すり、無防備さをアピールする。灯に近寄る蛾のようにジオは木剣をかまえて重い足を前に出す。とにかく攻めろ、それだけでいい。繰り返しそう教えられた。疲労で考える力が薄くなり、ただその教えだけを忠実に行っている。

だが火に近づいた蛾は燃え尽きる定めしかない。何度も攻撃して、何度もあしらわれる。それが数たび繰り返されて、渾身の力で斬りかかった瞬間、足を払われて真正面から地面に突っ込んだ。周囲からは「あ~あ~・・・・・・」とため息が起こった。

倒れたまま中々起き上がってこない様子を見て、さすがに限界かと思い、マリオンも木剣を下げる。ふうっと大きく息を吐き汗をぬぐう。


「今日はここまでにしておくか」


頭上に降りかかってきた言葉にジオは涙が流れそうなほどの喜びがわいてくる!終わった、ようやく――もう全身がこのまま大地に同化してしまうのではと思えるほどに鈍く重い。いくら吸っても酸素が足りない。吹き出す汗がどんどん地面の土に吸われていく。

みず――みず――と枯れた身体に水分を欲していると、頭に冷たい何かが思いっきりかけられる。とてつもなく気持ちいい。

マリオンが井戸から汲んだ水をジオに容赦なくぶっかけたのだ。冷たい井戸水も今は快感になるだろう。ジオが疲れてぶっ倒れるたびに、こうしてマリオンは冷水をかけてやっていた。しごきからやっているのではなく、太陽の暑さにやられないようにだ。マリオンもそこまで鬼ではない。冷水をかけられて暑さの少し抜けた身体が自由を取り戻し、ごろんと仰向けになる。地面に押さえつけられて圧迫されていた肺が思う存分空気を吸い込む。


「マリオンさん・・・・・・もっかい・・・・・・」

「意外にわがままだなお前」


などと呆れられながら、今度は顔面目掛けて冷水をぶっかけられる。鼻に水が入っても、顔の熱が放出される気持ちよさの方が勝って不快ではなかった。生きている実感さえこみ上げてくる。


「あぁぁ~気持ちいいぇ」

「お前なぁ・・・・・・ちゃんと後で水も飲んでおけよ」

「はぁ~い」


気の抜けた返事にマリオンの肩が落ちる。そんな情けない姿を他の騎士たちがいる前で見せないでほしかった。仮にもお前はおれ自身でもあるんだからと、恥ずかしくて仕方がない。どうもジオはこういう体面というものに対しておおらかと言うか無頓着なところがある。それがかつての自分と思えば、たしかに覚えがないでもなく、自分もだいぶ変わってしまったなという思いがないでもない。

長時間の鍛錬に何だかんだマリオンも疲れていた。冷たい水が喉を通って胃に流れていく感覚が心地いい。すぅっと全身の熱が静かに逃げていくようで、ほうっと吐息が漏れる。

濡れた口元を拭って木陰に腰を下ろすと、へらへら笑う男が近づいてきた。


「いやいや、よくやるなお嬢さん」


グリフである。遠慮もなくマリオンの横に腰を下ろす。


「坊主がちょっと気の毒に思えたぜ」

「あいつ自身のためだ。手は抜けない」

「愛されてるねぇ、坊主も」


そうは言っているがこのグリフも、愛の鞭をジオに振るっていた張本人の1人だ。グリフの剣捌きも中々に見事なものだったが、どちらかと言えば力で押し切るタイプの使い手である。勢いよくとにかく剣を振る、しかし闇雲に振り回すのではなく、的確に相手の急所を狙っている。それに剣だけでなく柄尻でジオの鳩尾を殴ったりと、戦場で磨かれたと思える剣技だ。殴られた本人が蹲ってグリフの鍛錬は終わった。

態度こそふざけているが立派に騎士だ。これで軽薄な性格と軽口がなくなれば言うことないのに――などと思っても埒もない。

ジオがのそりと汗だくの身体を起こして水を飲んでいる様を眺めながら、マリオンは鍛錬に付き合ってくれたグリフに、聞きたくはないが尋ねてみることにした。


「それで、どうだった?」

「ん? なにがだい?」

「ジオだよ。手合わせしてみてどう感じた」


水をがぶ飲みしているジオに一瞥をくれる。「どうって言われてもねぇ」と頬を指先で掻きながらグリフは困ったように唸った。


「まるっきり素人とまではいかなくても騎士になれるほどのものとは思えないけどなぁ。とりあえず基本が出来てますってだけで、あとはてんでさっぱりだ」


実際に手合わせした真っ当な感想だった。騎士と呼べるほどの修練をまったく感じさせてくれない。あくまで雑兵止まりの剣、という印象しかない。事実としてグリフは難なくジオを圧倒した。グリフだけでなく他の騎士たちも同様であったし、同じ感想を抱いていることだろう。あいつは使い物にならないと。

間違いなくジオはリヒルトの騎士団に入った騎士の中で、断トツで最弱を誇れる。ほとんどの騎士はその腕を買われて騎士となった者ばかりだ、マリオンのように。そんな中でマリオンのおまけとして騎士になったジオは異質であり、騎士団にとっては足手まといの異物に等しい。騎士の中にはジオの弱さに呆れかえっている者までいる。

そう思われるのも仕方がない、とマリオンも素直にうなずく。


「正直お嬢さんがあの坊主の何に期待しているのか、おれにはさっぱりわからんね」


何に期待、か――。それを問われると、マリオンも言葉がぼんやりと霞掛かっていくような気がしてくる。ジオには剣の才能がある、それは間違いない。大抵の騎士や魔獣を倒せるほどの実力を身に着ける、それは自分自身が実証している。ネスの神殿で神剣を手に入れるころには、強くなっている。強くなっていた。大切な人を失って初めてジオは己の無力を思い知り、心から力を求めたのだから。

そうだ、強くなってもらわないと。ジオには強くなってもらわないと困るのだ。なぜなら倒さなければならない、宇宙を貪るものを。

そして――


「あの裏切り者を殺せるように」


とても小さな声で、しかし万感の憎しみをこめて。あの裏切り者を殺せるようにと、そうマリオンは願うのだ。


「――おい、どうした? 顔が怖いぞ?」


憎悪が面に出ていたのか、訝しそうにグリフがこちらを覗き込んでくる。端正な顔立ちが狂気に歪んでいる様は恐ろしいものであった。

だがそんなマリオンも、水を飲み終えてようやく一息付けたジオには露とも知れぬものである。上着を脱いで絞ると大量の汗と水が混ざり合って流れ出る。


「そんな顔、坊主には見せない方がいいぞ」


少しだけ神妙にグリフが忠告する。普段はマリオンの胸の中で眠っている闇を感じ取ったのかもしれない。

木陰を求めてジオが近づいてくる。ふらふらと覚束ない足取りだが、マリオンを見つけるや笑顔を浮かべる。


「もうへとへとだよぉ」


のんきにそんなことを言うジオの目に映るマリオンは、もういつものマリオンだった。マリオンも薄く微笑んで「そうだな」と応え、ジオを隣に座るよう手招きする。

ジオは強くなる、強くして見せる、なんとしても。その想いが強いからこそマリオンは手を抜かない。自分がマリオンから与えられた技術、冒険の中で培った経験、そのすべてを目の前にいるもう一人のジオに継承させねばならない。

マリオンの隣に座り込んだジオは、その姿勢すら保てないように背中を大地につけて寝そべってしまう。木陰に隠れたことで太陽の熱射から解放され、まるで楽園に逃げ込んだような気分だ。


「お前のお師匠さんは厳しい人だな」


グリフは揶揄い交じりにジオを茶化すが、横になったままジオは苦笑いするしかなかった。疲労が一気に眠気に変ろうとしていた。


「マリオンさん、急に厳しくなるんだもんなぁ」


どことなく不満そうな声音だ。ここまでしごかれるとは駐屯地を出発するころには考えてもいなかったことだ。


「お前を騎士に推薦した責任があるんだよ俺には。簡単に死なれたらたまらないし」

「坊主があっさり死んだりしたら、ここまで引っ張ってきたお嬢さんはいい面の皮だよな」

「そういうことだ」

「それってマリオンさんの都合じゃないのさ」


確かに流浪の旅人でしかなかったマリオンが自分を買わせるために、新米兵士だったジオを騎士にまで抜擢したことの責任はあるかもしれない。しかしそれは結局、どこまで行ってもジオの意思がどこにもない交渉に過ぎないのだ。だからジオにはいまいち騎士としての自覚も芽生えず、モチベーションも上がらない。ただ理不尽にしごかれているようにしか感じられなかった。

そもそもなぜマリオンはこうも自分を引っ張ろうとするのか。


「強くなって損はないって言っただろ?」


それもすでに一度や二度の言葉ではなく、騎士として訓練するようになってから重ね重ね聞かされてきた。それはそうなのかもしれないが、付き合わされる身としてはたまらない。

そもそも、だ。


「強くなれるのかなぁおれ」


そういう疑問だってある。自分で言うのもなんだが腕力はある方だ。徴兵される前は力があるからと木こりもやらされていたし、駐屯地で暇なときは腕相撲に参加して勝ったこともある。しかしそれが戦闘において勝利を約束してくれる全てでないことは、数度の実戦を経て思い知らされている。

自分には戦う才能がないのでは、という疑念がどこかにしつこく存在していて、それを払しょくできる確信がジオにはない。

それなのに――


「なれる」


と、毎回のようにマリオンは断言するのだ。その自信がどこから来るのか、己のどこから見出しているのか、さっぱりわからない。だけどその一言が、嫌々ながらもジオに剣を振るわせている要因になっているのも確かだ。


そうかなぁ、と後ろ向きの言葉が出そうになった時「まぁなってもらわんとこっちとしても困るんだがな」という言葉が仰向けになった顔面に降りてきて、心地い涼しさに閉じていた瞳を開けると、そこにはあろうことか自分の主人の顔があった。

しばらくぼうっと尊顔を見つめていると、隣のマリオンから「起きろ!」と腹を叩かれ、我に返って慌てて居住まいを正した。


「リリ、リヒルト様ッ!? あっ、その、すみません!」


せっかく引いた汗がまた溢れ出す。あろうことか貴族の主人を寝そべったまま見返すという失礼を働いてしまった。これは騎士を解雇されるのだろうか、それとも打ち首? 想像が一気に飛躍してジオを絶望させる。

というようなことになっているのだろうと手に取るようにわかるマリオンはパシッと頭を軽くたたいて「落ち着けよ」と静かに囁いた。だんだん過去の自分の扱いにも慣れてきた。


「ご主人、なにか?」


この場では年長のグリフが尋ねるとリヒルトは爽やかに笑顔を浮かべた。


「ちょっと罪人の三男殿をイジメてきた帰りだ」


などと楽しそうに語る始末である。ラザールのことを陰湿と嘲りながら、この男もたいがい陰湿である。


「どうだ、ここの暮らしは慣れたか?」


まるで世間話をするような軽やかさでリヒルトに尋ねられる。それは主人から自らの僕への詰問と言うより、まるで兄妹家族の弟や息子へ語り掛けるような柔らかさがある。穏やかな問いかけに焦っていたジオも次第に落ち着きを取り戻して、「あ、はい」と大きく頷いた。

「そうか」と短く答えたリヒルトがグリフへと質問を向ける。


「この2人はどうだ、使えるか?」


グリフは新入り2人の顔を交互に見比べる。


「お嬢さん――マリオンはまぁ、問題ないでしょう。随分と戦い慣れた剣捌きですからね、旅をしていただけにそれなりの修羅場も経験したんでしょう。坊主の方は、あー・・・・・・」

「言い淀むなよ」

「いやだって」


マリオンに脇腹を小突かれるが、お世辞にも今のジオからは褒めるべき長所がひとつも見つけられない。むしろマリオンが一緒だったからといって、数度の実戦で生き残れたのが不思議なくらいだ。


「今はまだ騎士に相応しい実力はないですが、鍛えれば必ず光ります」


強い語調ではっきりとマリオンは言い切った。一切の臆面なく、そう信じて疑っていない言葉。だからまだ見捨てないでくれ、と当のジオよりも強い願いを視線に乗せる。ジオは強くなる、必ずなる、と。

一切の揺れもない瞳からどのような想いを読み取ったのか、リヒルトはマリオンではなくジオに問う。


「どうだ、強くなれるか?」


身体が石になったようにジオは身じろぎさえ止めた。なんて答えればいいのかわからない。自身はない。根拠もないし確証だってない。どうしてこんな自分が騎士に相応しい能力を手に入れられるというのだろうか。なぜマリオンは自分を連れてきたのか。鍛えるのか、強くなれると頑なに信じられるのか。

ただ助けを求めるように見たマリオンの表情が、強く、しかしまるでそうあってくれと縋っているようにも見えて、知らずジオは「なれ、ます」と応えていた、無意識のうちに。


「強く、なり、ます」


それは不満い思いながらも、自分を騎士に取り立て、士族にさせてくれたリヒルトへの恩と、そうして導いてくれたマリオンへの複雑な感情からでた返答だった。

それで満足したのかはジオには到底わかることではないが、そうかと頷いたリヒルトはひとまずそれで了解した。


「ならば強くなってくれ。すぐに仕事があるからな」

「と、言いますと?」


グリフが聞き返す。周囲の騎士たちも全員がリヒルトを見つめている。

何重もの視線を受けてなおリヒルトは凛と立っている。


「お前たちもわかっているとは思うが、あと数日のうちに我らのこの地での任期が終了する。それに伴い我々は帝都へと任務の場所を移すことになった」


その宣言は騎士たちに動揺を広げた。帝都での任務、それは彼らにとっても重大な出来事である。騎士たちにも様々な出自の者がいる。もともとリヒルトに従っていた古参もいれば、アベルで騎士となった者、グリフのように砦の兵士から取り立てられたもの、今はいないが駐屯地の司令官だったグイードのような者もいたし、最近では駐屯地の新兵と雇われ兵が騎士になったりもした。

だからある者にとっては懐かしき帝都への帰還となり、またある者にとっては一生縁のないものと思っていた帝都へ行くことができるということにもなる。

中庭はあっという間に沸騰して、騎士たちは興奮に声を上げた。


「ただし」


しかしまだリヒルトの言葉は終わっていなかった。


「帝都へ向かう道すがら、この地での最後の仕事があるというわけだ」


それまで湧き上がっていた場が一気に静かになった。仕事と聞いて全員の顔色が変わる。ここはさすがに駐屯地の兵士たちと違うところだ。


「といっても難しいものではない。問題を起こしてくれたどこぞの三男坊を帝都まで引きずっていくだけの簡単なものだ」


それだけ聞けばたしかに簡単なものだ。なんということはない、ようは罪人を運ぶだけ、ただそれだけ。とはいえ相手は腐っても貴族、決して無用な騒動を起こしてはならないし、最低限の礼節は守らないといけない。そういう意味では面倒くさい任務と言えなくもない。

だが魔獣の群れと戦えと言われるよりは簡単なことに変わりはない。最後の任務と言うには少し物足りない気もするが、それが現実と言うものだろう。


「そういうわけだから、各々も身辺の整理を済ませておくように。もしも女やら男やらを作った奴は別れるか我が元を離れるか選んでおけよ」


そんな冗談に騎士たちが笑い声をあげる。数人は顔を引きつらせていたが。

どうやらラザールの護送が騎士として最初の仕事になるらしい。まだジオの実力を考えると、そういうところから始まってもいいかもしれないとマリオンは思う。いまこの段階で【宇宙を貪るもの】がどこまで世界に影響を与えているのかはわからない。急いで神剣をジオに掴ませて倒しに行きたいところだが、今のまま突っ込んだところであの大量のクリーチャー相手にどうなるというだろう。なぶり殺しにされて終わりだ。

先を急ぎたい気持ちを抑えながら、とにかくジオを強くすることだけをマリオンは改めて胸に誓った。









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