帰り道
「それでは後のことを任せるが」
「大丈夫ですよ。もともとの任務に戻るだけですので」
「私としてもせっかく有能な人材を手放すのは惜しいことだよ。とくに事務仕事の得意な部下というものは得難くてな」
さも残念そうに天を仰ぐそのわざとらしい仕草は、冗談半分ながらに本心も半分である。部下の多くは実に優秀な騎士であるが、その能力をもっぱら武芸に振り分けている連中ばかりで、微に入り細に入り長時間文机に座って耐えられるグイードがどれほど助けになってくれたことか、思い返すとリヒルトは天を仰ぎたくもなってくる。
贈賄の不正を証明する十分な証拠も集め終わり、リヒルト一行はいよいよチェーク砦へと帰還する段階にはいった。魔獣討伐の損害、ラザール一党の排除により基地では非常な人材不足となるため、グイードの他にも数人の騎士と兵士が残留することとなった。兵士はそのまま駐屯地詰めとなり、騎士はしばらくして砦へと帰還する算段となっている。代わりにリヒルトが後見となって兵士の中から有能と見た人材を自身の騎士として郎党を持つことを許した。
グイードにとっては事実上の昇進である。下級の士族騎士にとって郎党を持つことはある種のステータスだ。その中でも貴族を後ろ盾に土地を与えられ財を成す者も現れる。士族騎士にとっては夢への懸け橋となる地位と言えるだろう。
やはり最前線を任せるには有能な者をつけるに限る。その点グイードならばという安心がリヒルトにはある。
新たに(というか再び)駐屯地司令官となったグイードと兵士らに見送られながら、リヒルトとその騎士たちは駐屯地を後にする。兵士らの多くはとてもがっかりした言わんばかりに肩を落として、一行に混ざって馬にまたがるマリオンを見送った。
「マリオンちゃーん、元気でなー!!」
「お、おれのこと忘れないでくれよー!!」
「元気でね、マリオン!」
殆んどは男の兵士ばかりだが、ちらほらと女性兵からも別れの言葉が聞こえてきている。性格は男勝りすぎてやや残念ながら顔だけは良いマリオンは駐屯地でもそれなりに打ち解けていた。
マリオンも大きく腕を振ってそれに応える。マリオンにとっては懐かしい顔ぶれも多くあった。二度と会えないと思っていたかつての仲間たちとの再会は、本人にとってもとても嬉しく楽しい日々であった。それをジオとして迎えられなかったのは心残りであるが。
「――で、マリオンさん」
「なんだ」
「なんでおれもここにいるのかな?」
マリオンと同じ馬に乗りながら、ぼそっとジオが呟く。屈強な騎士たちに紛れて行進する中で、どこかジオの存在だけが浮いている。
「だから悪かったって。しつこいなお前も」
少しだけウンザリしつつも、それなりに後ろめたさもあるマリオンの語調もそこまで強くない。
騎士にならないかと勧誘されたその日の夕食の場で事の顛末をジオに語ったとき、スープから掬い取った肉を口に含んだ状態のままきっかり10秒固まった姿はなんともおかしなものだった。周囲の兵士たちもしんっと静まり返って、まさかここまで言葉を失わせるとはマリオン自身思ってもみなかった。
匙を咥えたままジオはじぃっとマリオンを見つめるが、おそらくまだ意味を理解できていないのだろう。そのうちに肉を飲み込む。
「――え、マリオンさん、いまなんて?」
「だから俺とお前は明日からリヒルト様の騎士になるって言ったんだ」
簡潔に事実だけをもう一度述べる。
「なんで?」
当然の疑問が帰ってくるが、どうしようもない。
「あー・・・・・・その、なんだ、あれだ。俺がお前を推薦したっていうか、まぁそんな感じだ」
これでは到底答えとしては及第点を貰えないことはマリオン自身がなんとなくわかっていたが、こういう以外にどう言えばいいのかわからない。『お前は将来【宇宙を貪るもの】と戦うことになるから』と言ったところでそれこそ理解されないだろうことは明白に過ぎる。
とはいえマリオンもジオから離れるわけにはいかない。ここは無理にでも納得してもらうほかない。
「え、じゃあお前、士族になるの?」
そう言い出したのは兵士たちだった。ざわざわと理解が伝播していき、徐々に騒がしくなっていく。田舎の村から徴兵されてきた新米兵士が、わずか半年で士族にまで昇りつめるなんて話は聞いたこともない。
当人のジオをほったらかしに熱を帯びたのはその周囲の人々で、後輩が大出世することへの驚愕と嫉妬と喜びが交じり合って、一気に場は沸騰した。先輩兵士の1人がジオの背中を思い切り叩いたが、それは妬みからではなかった。
「スゲーじゃねぇか! 士族だぞ士族、おまえ士族になるんだぞ!?」
興奮した先輩兵士はそう叫んで何度も背中を叩き、頭をくしゃくしゃに撫でる。ジオが顔をしかめているが、叩いている本人ももはや感情を抑制できないでいる。
こんなことがあるのか、とまるで夢物語を聞いた子供のように燥ぐ兵士たちは、駐屯地始まって以来のサクセスストーリーに喝さいを上げる。この展開には正直言ってマリオンも戸惑ってしまった。完全に伝えるタイミングを間違ったと、己の迂闊さを呪い、ジオに心の中で謝罪した。ただ何となく言った言葉がこんな事態を招くとは。
後輩に乾杯! ジオに乾杯! そんな号令とともに酒が進んでいく。熱に浮かされて1日3杯の制約を破りそうな勢いだ。
みなは大層喜んでいるが、しかしこの出世は、決してジオが実力でもぎ取ったものではない。あくまでマリオンの都合で出世させられたにすぎないのだが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。田舎生まれの若者でも士族になれる、という事実と可能性だけが重要なことだった。
「マ、マリオンさんッ」
「すまん!」
これはマリオンも素直に謝らざるをえなかった。その夜はいつまでも熱が冷めることはなく、グイードに叱られてようやくお開きになるまで宴は続けられたのだった。
ジオにしてみると自分のあずかり知らぬところで勝手に所属を変えられていたのだ、それも目の前の少女によって。そのことについて幾ばくかの不満がないでもない。
とはいえジオも不満ばかりがあるわけではなく、経緯はどうあれ徴兵されてわずか半年で騎士となるのだ。これは異例というよりもはや異常な出世であり、そのことに対する戸惑いの方が大きい。兵士としてさえ半人前の自分がいきなり騎士となることに、出世に対する喜びよりも不安の方が大きくなるのは仕方がなかった。
簡単に自惚れられるほどジオも能天気ではない。
「そりゃおれだって士族になれるのは嬉しいけど、いきなり騎士だなんて言われても・・・・・・」
「大丈夫だって、お前なら」
「なんでそんなこと言えるのさ。そりゃマリオンさんはいいよ、強いしさ。騎士にだってなれると思うよ。でもビビリだし、おれは違うよ・・・・・・」
自分に騎士は無理だ、と言外にほのめかしている。こんなに弱気だと反って驚きさえする。昔の自分がこんなにネガティブな人間だったとは。
まるで赤子が愚図るようで、どうするべきかマリオンもため息をこぼす。ジオの気持ちを全く考えていなかった自分の余裕のなさを痛感させられる。世界のことを優先しすぎて、ジオに様々なことを押し付けてしまう。それは本当に正しいことなのだろうか。
難しいと思った。ただ押し付けるだけでは駄目なのかもしれない。しかしどうすることが良かったのか、マリオンにはわからない。
大きな不安とわずかな喜びで暗く沈むジオを背中に感じながら、マリオンは、自分がジオだった頃のことを思い出す。
「――おれも似たようなものだったのかもな」
「えっ?」
独り言のような言葉にジオが反応する。
「おれに剣を教えてくれた人も、なんというか、いろいろ勝手に決める人だったよ。おれはいつも引っ張られてな。まぁそのおかげで強くなれたともいえるが」
リヒルトの騎士となった過去、マリオンと馬を並べるジオも本人の意思とは関係なく騎士となった。マリオンの推薦によるものだ。意図したわけではないが、マリオンとなった自分はマリオンと同じことをしている。あのときの自分も、士族になれる喜びと騎士となる不安に苛んだのを思い出して、いまのジオの気持ちにようやく気付くことが出来た。
少しずつ自分の中の【ジオ】が薄くなっていくような、そんな恐怖を感じる。気づけばマリオンと同じ行動をして、マリオンと同じ思考をしているのかもしれない。
だが、それでも。
「いまはまだ詳しいことは言えないけど、ジオ、お前は強くなれる人間だ。それをおれは知っている。それだけはわかってほしい」
「それってどういうこと?」
「あー、あれだ、師匠の直感ってやつだ」
「だからなんでおれが弟子になるのさ・・・・・・」
「強くなれば死なずに済むだろ。お前に死なれると困るんだ」
マリオンの言葉にまだ納得いってないことは雰囲気でわかる。しかし今はそうとしか言いようがない。
「――マリオンさんて、何者なの?」
思い返せばジオはマリオンのことを何も知らない。旅をしているというけど、どこから来て、何を目的として旅をしているのか、何も知らない。だけど森で全裸だった美しい少女は自分を助けてくれた。駐屯地までの護衛も引き受けてくれたし、それからも何だかんだで自分の傍にいてくれている。それは何故なのだろう。
わけのわからない、不思議な少女。なぜかずっと自分のことを気にかけてくれる少女。
知りたい、という感情がジオの中で大きくなっていく。
何者、か――マリオンは静かに考えて、相応しい言葉を探す。
「――運命共同体、かな?」
それはかつてジオがマリオンから言われた言葉だった。




