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騎士となる




帝国の東部ドッピオ地方の都市ウラックスで起こった反乱は、次第に南へ西へと延焼していき、それは徐々にアネー地方の平穏をも焼いていった。久しく争いのなかったアネーで悲劇が起きたのは、そのような折のことだった。

およそ1千人もの住民が暮らす城壁都市マハル。周辺を肥沃な土壌に支えられた穀倉地帯で、この地から方々へと麦や野菜などが送られる、まさに帝国の台所のひとつだ。

反乱軍はマハルに鉄と血の洗礼を浴びせ、住民は悉くが殺された。そのときジオとマリオンはまさにマハルに滞在していた。

戦いは城壁の内側で始まった。反乱軍たちはすでにマハルの内部に侵入していた。彼らは内側から混乱を起こして、外にいる仲間たちを呼び込む算段を立てていた。単純だがそれゆえに効果的な作戦であったことだろう。唯一の誤算はそれをたまたまジオが知ってしまい、マハルの領主の耳に入ったことだろう。

騎士たちは反乱軍を炙り出しを行ったが、それが決起を促し市中での戦端が開かれる。準備不足の反乱軍であったが抵抗は頑強で、市中はたちまち混乱の坩堝と化した。ジオたちは必死に戦ったが、やがて反乱軍の増援が城内に押し寄せてきた。数で押し切られつつある帝国軍の目の前で、反乱軍は信仰する炎を持ってマハルの人々を建物に押し込め、油をかけ、そして生きたままの彼らを焼き殺していった。

チェーク砦にいたリヒルトは報告を受けるとすぐに騎士たちを向かわせた。しかし彼らが到着したとき、マハルはすでに陥落寸前の状態とまでなっていた。

リヒルトの来援によって勢いを盛り返し、反乱軍は駆逐されていった。

市中には住民と反乱軍、騎士や兵士たちの亡骸が無数に散らばっていて、戦闘の激しさを物語っていた。

だが何よりリヒルトたちを震撼させたのは、彼らが用いた『処刑方法』だった。人々を建物に押し込めてまとめて焼き殺す。兵士でも騎士でもない、他でもない無辜の住民たちをだ。それは戦闘に巻き込まれて死んだというものではない。反乱軍は明確に『住民を狙って行動していた』ということを示している。数十の建物で焼かれた人の数は800人以上にも上った。血と臓物の生臭さより、生き物の焼ける臭いの方が強く感じるほどだった。


「これが【神徒】どもの嘯く浄化というのか」


黒く焦げ付いた石の壁を見上げるリヒルトの声は小さかった。人の肌と肉が燃え上がり、蒸散した脂が壁にこびりついて壁を焼く。そうした痕跡に焼かれた人々の恐怖や悲鳴がまとわりついているようにさえ感じる。

マリオンは膝をついてただただ嘆いていた。鬼気迫るほどのマリオンの戦いぶりは敵を慄かせ味方を鼓舞した。それでも大勢というものを覆せるほどのものではなく、住民を建物に押し込もうとする反乱者たちに何度も「やめろ!」と叫んでいた。

戦いの後、膝を抱えて蹲るマリオンにどう声をかけたらいいのか、ジオにはまったくわからなかった。ここまで嘆き悲しむマリオンの姿を見たことがない。いつだって彼女はいくつも年上の兄貴分のような頼もしさで持って自分の前を歩いていたのに、いま程こんなにも彼女の存在を小さく感じたことはなかった。


「知っていたはずなんだ・・・・・・奴らがどうするかなんて、おれは」


その言葉がどのような意味と想いで呟かれたものか、察することがジオには出来なかった。

酷く恐ろしい戦いだった。人間の狂気を浮き彫りにした地獄がそこに現れていた。

結局、生き残った住民は100人とおらず、騎士も多くが命を落とした。それでも領主は迅速に行動したリヒルトに感謝の言葉を惜しまなかった。

贈られる賛辞を笑顔で受けるリヒルトの目は、まったく笑っていなかった。




  ◆  ◇  ◆




リヒルトという男のことをマリオンは頼もしく思うと同時に恐ろしくも思っている。リヒルトはいわゆる文武両道の騎士であり、剣の腕も確かで果断な決断力ももっている。名門貴族アデイラ侯爵家の五男として生まれ、部門の家柄に恥じぬ男と言えるだろう。そのうえ容姿端麗ときたものだから、まさに完璧超人だ。

才気あふれる騎士としてエリートの道を歩んでいるリヒルトは、部下から厚い人望を得る一方、敵となった者からは悪魔のように恐れられる。とにかく容赦がないからだ。

徹底的に攻めて、絡めて、叩き潰す。手がかかりそうだと読めば執拗にイジメて潰す。目的のためなら手段を択ばない冷酷な一面も持ち合わせている。

心底敵に回したくない男、それがリヒルト・アデイラという男だった。

そんな人間に呼び出される理由がマリオンにはよくわからない。あれこれ考えるうちに、ふとジオのころの記憶までも掘り起こしてしまった。笑っているのに笑っていない、あのときのリヒルトの横顔を見た瞬間、ゾっと全身が粟だったのを覚えている。

そういう一面も知っているから、信頼しつつも苦手な気持ちもある。それはある種の恐怖心でもある。

司令棟の前でマリオンを待たせ、グリフが先に中へ入る。ドアに遮られてはいるが、到着の報告をしているのが聞こえる。それじゃらひょこっと顔を出して手招きされる。

いつまでもああだこうだと考えていたって仕方ない。下腹に力をこめて、マリオンは覚悟を決めた。取って食われるわけじゃない、と自分に言い聞かせながらグリフの背に従う。

駐屯地司令官だけが座れる執務机には、ついこの間までラザールがふんぞり返っていた。いまはリヒルトの物となっているが、こちらの方がより司令官然としている。人の上に立つ者の気概というものがそう感じさせるのだろう。ラザールにはそれが決定的に欠けていた。

机にはいくつかの紙が散らばっているが、それが何かはわからない。興味もない。ただマリオンにはリヒルトの細い面を見つめることしかできない。


「グリフ、さがってくれ。2人で話がしたい」


静かに命令されたグリフが頷くと、無言で退出していく。こういうところは無駄のない優秀な騎士らしい所作である。

部屋にはマリオンとリヒルトだけが残される。重苦しいというほどでもない沈黙が数秒ほど続き、書類から視線を外したリヒルトが軽く背中を伸ばす。


「ラザールのやつめ、随分と使い込みやがって。証拠の整理をするだけで大仕事だ」


まさか愚痴の相手をさせるのにおれを呼んだのか?

そんな無駄なことをする男ではないと思いながら、そのような第一声に緊張していたマリオンは脱力してしまう。まるでなんていうことない世間話でもするような覇気のない声のトーン、実際に疲れているのだろう声だけはたしかに重い。リヒルトにしてみると今回の仕事は本来ならばやらなくていい仕事のはずだった。ラザールが不正などせず真面目に仕事をしていれば自分だってこんな目には会っていないという気持ちがどこかあるのだろう。

しかしだからと言ってそんなことに同情してやる義理もなければ、愚痴に付き合う道理もない。目で要件を早く言え、ないなら戻るぞと訴えると、その意思が届いたのか目頭を押さえたリヒルトが口を開く。


「たしか旅をしているんだったな」


その問いに思わず「は?」と生返事で返してしまった。なんだそれは、と言いかけてふと思い出す。

――そういえばそういうことにしていたんだった。

でっち上げの身の上だから自分自身忘れていたことだが、一応形の上のマリオンは旅人という体裁をとっている。旅人でありながら駐屯地で雇われの傭兵もどきをしている。改めて自分は何者なのだろうと考えさせられる立場だ。

詐称された経歴だがとりあえず頷いておく。


「出身はどこなんだ」


また言いにくいことを聞いてくる。当然のようにマリオンは言葉に詰まる。どこと言われてもそんなことマリオン本人が知りたいところだ。馬鹿正直にジオと同じ故郷ですとは言えないし、そもそもそれはマリオンの中身の出身地であってマリオン本人がどこで生まれたのか、思い返せばそれすら自分は知らないでいる。

しばし考えあぐねてはいたもののどうせ偽の身分だと開き直り、適当に「帝国の東部のドッピオから」と答える。するとリヒルトがこちらの内心を見透かそうとするかのようにやや瞳を細めた。あらゆる機微も見逃すまいとするような鋭い瞳だ。


「東のドッピオ地方か。旅の理由は?」

「理由は特にないけど・・・・・・あの、なんです?」


まるで尋問されているようで気分は良くない。いくら敵ではないとわかってはいても、ついつい声に棘が生える。

マリオンの機嫌が下がったのを感じ取ったのか安心させるようにリヒルトはかすかに微笑んだ。


「いや、東部はいま大変なことになっているからな。そこから来たと言うならば少しは関心も湧くだろう?」


だから許せというリヒルトは、それからうんうんと勝手に頷いて、何かを決心したように顔を上げた。


「それじゃあ本題なんだが――どうだろう、俺の騎士にならないか?」


存外にあっさりと尋問は終わり、切り出された本題にマリオンはまたしても「は?」と生返事が飛び出した。こいつは何を言った? 騎士?

その言葉を噛み砕き咀嚼し飲み込むまでにたっぷり十秒。その間リヒルトは笑顔を絶やさないで見つめてきている。

騎士にならないか、という問いをマリオンはどう受け止めるべきか迷った。ジオだった頃、リヒルトの騎士になった経緯はあった。ただそれはまだ先の出来事だったはずだ。チェーク砦へ向かったジオとマリオンは、その後に砦付きの兵士となり、そこでいくつかの任務をこなしたのちに騎士となった、はずだった。

それがこのようなタイミングでとは露ほどにも思っていなかった。あまりにも意外な展開に言葉が出ない。


「旅をしている特段の理由や目的がないのなら、ここで腰を落ち着けるのも悪くはないと思うぞ。騎士ともなればそれ相応の責任を伴うが、なんといっても士族身分になれるんだ。寝食の安定しない根無し草やただの平民で終わるよりは、その剣技を駆使して騎士になったほうがいいのではないか」


平民の中で士族身分に憧れないものはいないだろう。上手く出世していけば土地持ちの大氏族だって夢ではなくなる。それどころか爵位を与えられて貴族にだってなれるかもしれない。平民では無理でも士族になれればその可能性はどんなに低くても発生するのだ。富と名声が手に入る、一握りのエリートへの登竜門だ。

マリオンとしてはそんなことに大した興味はない。目的はあくまで宇宙を貪るものを倒すことそれだけなのだから。それにあの時はマリオンに誘われて騎士に――


「ああ、そういうことだったのか」


ふいに言葉が漏れる。そうか、と思った。これがジオが騎士となった流れの正体か。ジオが騎士となったのは、マリオンに誘われたことが理由だった。

もしかしたらあのときもマリオンも、こうしてリヒルトに呼び出されて騎士にならないかと勧誘されたのかもしれない。そしてマリオンは騎士となり、ジオを誘い。ジオもまた騎士の道を歩むことになった。

これはその瞬間の、ジオが知らなかったマリオンの再現なのかもしれない。だとするならばここで断ることは、宇宙を貪るものを倒す行程から外れることになるかもしれない。それにこれからのことを考えてみても、リヒルトと言う後ろ盾があることは大きな力となることは間違いないはずだ。

やはりリヒルトはおれたちの味方になる。多少のイレギュラーはありつつも、大筋は記憶通りに事が運んでいくのかもしれない。

そこまで思案して、マリオンもその場で即決した。


「わかりました、騎士となることはおれとしても否やはありません。ただ条件があります」


まさか騎士となるうえで条件を突きつけられると思っていなかったリヒルトは軽く驚いたが、こうも大胆に切り返してきたマリオンに興味がわいたのか笑みを深くさせる。


「なんだ?」

「もう1人騎士にしてほしい者がいます。おれと一緒に封書を届けた男、ジオです」

「ジオ? あの少年か?」


これこそリヒルトには意外な提案である。マリオンを登用しようと思ったのは、その剣技が非常にレベルの高いものだったからだ。ラザールが懐剣を抜いたとき、唯一反応できたのがマリオンだった。マリオンの剣士としての実力は自らの騎士たちに決して引けを取るものではないと確信したからこそ、優秀な人材として欲っしたのだ。

翻ってジオはどうだろうというと、決してリヒルトが求める水準に達した兵士だとは思えない。聞けばまだ徴兵されて半年の新兵だ。技量も経験もまだまだ未熟。今後の伸びしろはあるにしても、戦力としては物足りない。

そんな少年を一緒に騎士にしてほしいと頼まれれば、いくらか勘ぐってしまう。


「騎士とするには実力不足だろうに・・・・・・なんだ、あれはお前の男なのか?」


本日3度目の「は?」が飛び出す。


「何を言って・・・・・・」

「いくらなんでも私情を持ち込まれるのは困るな。私は優秀な人材がほしいのであって、そのためにお前の恋人まで抱え込むつもりはないぞ」

「こっ!?」


――何ってんだコイツ!?

まさかこの場で絶対に出てきようもないはずの単語が出てきてマリオンは思わず鼻白んだ。何をどう解釈したらそうなる!?


「あいつがおれの恋人なわけあるか! そういう意味で言ったんじゃない!!」

「ではどういう意味だ」


そう問われると今度は言葉が出にくい。一蓮托生、運命共同体、世界の希望、言い方はいくらでもあるがどれをとってもリヒルトを納得させられるものではない。しかしこのままでは自分はジオの恋人にされてしまいかねない。それだけはイヤだ!

必死に言葉を探して探して探しに探して、俯けた顔から小さく言葉がひねり出される。


「・・・・・・で、でし」


もうどうにでもなれ!


「弟子だ! あいつは弟子! おれの弟子ッ!!」


無論そんな事実はない。ないが、そういうことに出しておかねばならない。マリオンは必死だった。ジオと離れ離れにならないために。そのうえで恋人にされないために導きだした自分たちの新たな関係。


「弟子だから連れていく! そういうことです!!」

「・・・・・・そ、そうか」


あまりの勢いにさすがのリヒルトも引いてしまっている。マリオンは顔を真っ赤にさせながら、心の中でジオに謝った。




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