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マリオンの剣




ラザールの不正を示す証拠を集め終わったのは、騒動から5日が経過したころだった。証拠集めをグイードに一任していたリヒルトはその一方で、疲弊している駐屯地内部の情報を精査する作業も行っていた。設備、備品、装備、何から何までラザールに搾取されたものを、健全な状態に戻さねばならないからだ。

全てを元通りにするには、相当な資金と物資が必要になるだろう。ある意味では駐屯地の状態の半分を新しいものにしなくてはならないほどだ。リヒルトにはこれだけでも頭の痛い問題である。

貴族騎士が罪を犯した場合、それを裁くのは直属の上官でない。騎士裁判と呼ばれる裁判が行われ、それを司る貴族家があり、その下で裁かれる。そのために必要となる証拠をリヒルトは提示するだけである。ラザールの騎士たちはその身分をはく奪され、どこぞへ追放されるのが大方の習わしだった。盗賊や野盗といった連中の類は、その半数がこうした元士族騎士たちである。

騎士たちがあくせく働く一方で、圧政から解放された兵士たちは、仕事こそ真面目に行いながら、夜には酒宴の毎日だった。もちろんハメを外し過ぎるとカミナリが落ちるため度を超すことはないが。酒の勢いが増すたびに、兵士たちはリヒルトを賛辞し、その騎士たちを褒め称えた。

リヒルトが帰還を命じる前日、マリオンは武具庫を訪れていた。マリオンの短剣はアグー村近くの森で魔獣と戦って以来、数度の戦闘を重ねて刃が脆くなってきている。もともと大量生産品の粗悪な剣である。刃こぼれしやすく長持ちはしない。歯が減るたびに磨ぎ、それを限界まで繰り返すと、こんどは鋳溶かして新しい剣に打ち直すのだが、もっと軽い剣が欲しいマリオンはここまで付き合ってくれた片手剣をあっさり見限って武器を物色しているところだった。あらかじめ許可はとっている。

建物自体はさほど大きくはない。窓もなく埃と鉄の臭いが充満する部屋には、十分とは言えない数の武器が疎らに飾られている。武器は補充されず、ひたすら直して使いまわす。その修繕にも金が回されずにすぐ限界をきたす。そんなことが当たり前のように行われていた最前線、兵士たちのストレスは相当なものだったはずだ。この駐屯地はラザールの手腕などではなく、兵士たちの根気と我慢強さと創意工夫によってギリギリ持ちこたえていただけにすぎないのだろう。

――大したものはないか。

マリオンはあたりを物色しながら、内心では落胆していた。正直に言ってこの重い片手剣には嫌気が差してきているところだ。これならまだ短剣を握った方が随分とマシなようにさえ思える。このままでは右腕だけ不釣り合いに筋肉がついてしまう。右腕だけムキムキになった自分の姿を想像して怖気がする。そんなマリオンは見たくない。

もういっそ矛でもいいかと諦めかけていると、もっとも奥まった一画に、壺に差し込まれた数本の柄が目についた。


「これは・・・・・・」

「シタールだな」


背後の気配にため息が出る。やかましい奴が来た。グリフだ。


「何しに来た」


つっけんどんに尋ねると、グリフはカラカラと愉快に笑ってみせる。


「いやぁ、お嬢さんが武具庫に入っていくのが見えたから、ちょっとね」

「まさか盗みにでもはいると思ったか?」

「そんなことはないさ。まぁ美人が盗みを働いても、おれは見逃すぜ?」


などと軽口を叩くグリフを尻目に、壺の中からマリオンがソレを抜きあげる。

『シタール』とグリフが呼んだその刀剣――ドクンっとマリオンの胸が高鳴った。鞘から抜き放ったその刃の長さは片手剣と同程度でありながら、特徴的な反り返り湾曲した刀身。鍔は拳を守るガードとなって柄尻へと繋がっている。

見覚えがあった。記憶がよみがえる。これはあの『マリオン』が使っていた剣だ。


「なんだいお嬢さん、シタール(湾曲刀)を見るのは初めてかい?」


マリオンは応えない、応える余裕がない。マリオンになった自分が、マリオンの振るっていた剣をいま握っている。それを運命の巡り会わせのように感じている自分がいる。それは感動に似た衝動だった。


「シタールは俺たちアネーの民族が古くから使ってる剣で――」

「知っている」


そんな説明は今さら不用だ。マリオン――ジオだってアネーの民だ。シタールは身近にある剣だった。猟師のほとんどは獣除けに佩いていたし、こればかりを鍛造する鍛冶師も村にはいた。シタールはもともとアネーにかつて存在した王国の戦士たちが愛用していた武器だ。いまでは王国も戦士団も失われてしまったが、その勇猛果敢な意思は今なおシタールとともにある。こんな記憶を忘れていたことにある種の衝撃を受ける。そうだ、これがマリオンの剣だ。素早く鋭く、風を切るように振るわれていた刃。

軽い。片手剣に比べれば数段軽い、まるでナイフのように。身こそ片手剣より薄いがしかしそれで正解の武器だ。少しの力で振り下ろしてみると、まさに風を切っている感触がする。握りこむと掌によく馴染んだ。

「へぇ」とグリフが感心する。騎士としての剣術を身につえているグリフから見ても、その振り下ろされた挙動ひとつだけで、剣筋の良さが見て取れた。


「なかなか様になった振り方じゃないの」


茶化すような言い方だったが、偽りはない。まだどこか使い慣れていないようなぎこちなさも感じはするけど、熟練の騎士を彷彿とさせる一閃である。何百何千と剣を振ってきた者の圧倒する威圧がある。

それもそうだろう、とマリオンは言葉にこそしないが、その感想は正しいと肯定する。


「これの使い手を知っている。その人の剣をよく見ていた――よく見ていたのに、今まで忘れていた」


時間と共にマリオンの姿が薄らいでいくような――そんな寂しさを感じる。記憶の風化を実感せずにはいられない。それを心から嫌だと叫ぶ想いがあった。全力で愛した少女の姿が輪郭を失っていく様子は、絶望にも似た悲しみを感じさせるに十分だ。

それをこの剣は思い出させてくれた。それだけでも愛おしさを感じる。この一振りがあるかぎり自分はマリオンを忘れずにいられる。そんな気さえしていた。

おれはもうジオではない。このシタールを振るう以上、その技は膂力に頼るのではなく速さと鋭さを極める他ない。マリオンの剣がそうであったように。


「気に入った。これをもらっていく」

「なんだい、本当に盗みにはいったのか?」

「そんなわけあるか!」

「まぁ正規兵はみんな片手剣を使うよう訓練されているし、別に持って行ってもいいだろ。本音を言うとオレも騎士剣じゃなくてそいつを使いたいくらいだぜ」


折角の余韻をぶち壊してくれるグリフが「あ、そうだ」となにかを思い出したかのように手を打った。


「そういえば、リヒルト様からお嬢さんを呼んでくるように言われてたんだった」

「先に言ってくれるかそういうことは!?」


マリオンの蹴りが見事グリフの脛を直撃する。蛙の断末魔のようにその悲鳴は聞くに堪えないものだった。

脛を押さえて蹲っりながらあうあうと涙を流す男を置き去りにしてマリオンは武具庫を背にする。こんな男には付き合っていられんと鼻を鳴らしてリヒルトのいる司令棟へ向かう。一体あの男がおれに何の用があるというのか。またぞろ面倒くさいことに巻き込まれるのではないだろうかと、少しだけ警戒心が起き上がる。思い返せば、リヒルトという男はよくわからない男だ。何を考えているのか、その腹の底がまず読めない。人を食ったような笑顔の裏で権謀術策を張り巡らせるような男だ。それもまるで息をするように謀りにかける。マリオンが恐ろしいと感じるのはそういうところだ。ただ腕っぷしの強いだけの者なら脅威ではあっても恐怖ではない。しかしこと頭脳を使ってくる相手は敵に回したくはないと思っている。

ジオだった頃、リヒルトは最後まで味方ではあった。しかしこのイレギュラーな世界ではそれすらわからない。不確定要素の多すぎるこの世界で、マリオンは軽い疑心暗鬼になっていた。

せめてこれ以上のごたごたには巻き込まれたくない。そう思いながら歩いていると、後ろからようやくグリフが追い付いてくる。


「脛は勘弁してくれ、マジで痛いから」

「お前がふざけているからだろうが。自業自得だ」


同情の余地も一切なく切り捨てる。どうやら黙っていると死んでしまう生き物らしく、文句をしばらく言っていたかと思うと、急にまったく関係ないことを語りだした。兵士たちの鍛錬を指導する騎士がいなくなってしまったので、数人の騎士が交代で面倒を見ているのだとか、グイードが寝ずに働いていて死にそうだとか。ときにはリヒルト様は人使いが荒いのだのと愚痴まで零し始めて、うんざりした気持ちで右から左へ聞き流す。

いっそやかましいと怒鳴りつけてやろうかと思いながら苛立ちのボルテージを上げていると、干野菜の詰まった木箱を荷車に乗せて引いているジオとすれ違った。今日はジオが炊事係であるらしい。

ジオもこちらに気づいたようで、汗の滲んだ額を拭う。


「マリオンさん・・・・・・に、グリフさん?」

「お、少年。今日は飯炊きか? 肉は入るのか?」

「今日は肉無しなんですよ・・・・・・」


献立をわかっているジオはそう言って萎れる。兵士にとって食事は唯一の楽しみと言っていい。とくに肉は最高のご馳走だ。ほとんどが保存のきく干し肉か塩漬け肉ではあるが、それでもそれが食卓に出ると出ないとでは兵士らのテンションもかなり差が出てくる。

肉がないと聞いてグリフもあからさまに顔色を暗くする。マリオンも内心ではがっかりした。今日は肉無しか――と。


「それで、二人は何してるんです?」


あまり見ない組み合わせにジオが不思議そうにする。意識してか無意識からか、四六時中うるさいグリフを避ける傾向のあるマリオンが、一緒にいることは実はかなり珍しいことだった。グリフもグリフで決して暇な人間ではないから、容易に絡みに行くこともなかった。なんとなくそうして疎遠なまま数日を過ごしていた。

ああ、とマリオンは頷いて、リヒルトに呼ばれたことを素直に答えると、驚いたようにジオが目を見開いた。


「マリオンさん何かしたの?」

「するわけないだろうが。・・・・・・何もしていないはずだ、おそらくきっと」

「おいおい歯切れが悪いな。何か思い当たる節でもあるのかよ」


そんなものはないが、なにせ相手はリヒルトだ。腹の底は真っ黒な人間だ。段々とマリオンも不安になっていく。


「マリオンさん・・・・・・」


ますます心配そうに眉を下げるジオに、ギョッとしたマリオンが慌てて手を振った。


「そ、そんな顔するなよ。なにもない、何もないって」

「だといいけどなぁ」

「お前さっきからうるさいぞ!?」


再び脛を蹴られたグリフの絶叫が空に響いた。




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