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一夜の酒




「帳簿、受領証、領収証、それらの類はすべて運び出せ。一枚たりとも見落とすなよ」

「承知しました」


リヒルトの命を受けたグイードの仕事は、この2年の間にラザールが行ってきた不正を示す物的証拠の押収である。駐屯地に踏み込んだことで、ようやくそれらを押さえることが出来るようになった。

駐屯地の物資や軍資金、それらの大元を管理しているのはチェーク砦だ。駐屯地からの要請を受けるたびに、砦くぉあずかるリヒルトは必要物資と資金を送っていた。

つまり、駐屯地には発注した証拠があり、砦にはそれを受理した証拠と必要なものをまとめた帳簿があり、また駐屯地にも送られてきたものをまとめた帳簿があり、そして何をどのように消費したかという記録が必ず残ることになっている。

そこに使途不明金の空白を見つけだすのが、これからリヒルトが行う仕事である。それによってラザールの詳しい量刑が決まることとなる。

今回その捜査を任せる任についたグイードはもとはラザールの先任としてこの駐屯地で指揮を執っていた人物だ。無論のこと駐屯地に詰めているほとんどの兵士たちとは顔見知りであるし、横暴なラザールと違い人柄温厚な彼は兵士たちからも慕われていた。兵士たちは大が付くほど嫌いだったラザールを罰せる機会に喜ばないわけがなく、積極的に協力してくれるだろうとリヒルトはふんでいる。それは事実そうなるであろう。

捜査は進めば進むほどにラザールの埃をまき散らしてくれる。駐屯地の有様を見れば一目瞭然であったが、基地としての機能が大きく損なわれていたことは明白だった。建物もそうであったが、武具の修繕や新調、兵士らの食事まで切り詰めていたらしい。質素な食事で過酷な兵役に就いていた者たちのことを思うと、グイードとしてはやるせない気持ちとなる。

もしもきちんとした装備がなされていれば、魔獣討伐も大きな被害を出さずに済んだのでは――という気持ちが強い分、グイードの仕事にも熱が入る。

現在この駐屯地で指揮を執っているのはリヒルト本人である。証拠が集まり次第、後任に再びグイードを就けようと考えている。

そもそも今回の騒動の発端となったラザールが左遷させられてきたとき、さすがに他家の貴族子弟を自らの騎士にするわけにもいかなかったため、グイードを砦に引き上げて駐屯地をラザールに任せたという経緯がある。結果としてリヒルトはグイードという優秀な人材を得ることが出来たのだが、そういう意味ではリヒルトにも多少の責任がないでもない。とはいえそもそもラザールが中央の権力争いに敗れて流されてこなければ、こんなことにはならなかったのだが。

リヒルトにしても駐屯地の兵士らにしてみても、ラザールはただいい迷惑なだけの存在でしかなかったのだ。まさに膿と呼ばれても仕方のないことだ。

比較的丈夫な土づくりの牢屋にラザールとその騎士たちは押し込められている。一応貴族であるから本来はそれなりの扱いを受けるものだが、なにしろ往生際も悪くリヒルトを害そうとしたために、念のためと牢屋にいれられているのだ。兵士らが普段から使っている布だけの粗末な寝具をのみ与えられ、排せつするための便所が室内にむき出しで設けられている。衛生的にも決して良い場所ではない。食事は朝と晩の2食のみだ。

決してラザールらと口をきいてはならないとリヒルトから言明された彼の騎士2人が見張りについており、もはやラザールは逃げることも出来ないまま、牢の中で大人しくするしかなかった。初めこそあーだこうだと喚いていたが、なしのつぶての見張りに疲れ果てて、今ではぼそぼそと愚痴をこぼし自らの騎士に当たり散らすばかりである。

こうして駐屯地での騒動は終息していったのだった。




リヒルトの滞在中、マリオンは変わらず駐屯地にその身を置いていた。世界の命運を握っているかつての自分であるジオがいる限り、マリオンはなんとしてもその傍を離れるわけにはいかない。ジオのいるところがマリオンのいるべき場所なのだ。

駐屯地におけるマリオンの立場は、駐屯地で雇われた傭兵のようなものだ。名目は伝令使となったジオの護衛であり、いまもそれは変更されていない。ジオは変わらず兵士としての任務に就いており、いまは柵の門番をしている。伝令使とはいえ常時は普通の兵士とおなじ業務についている。

マリオンにとってはこの駐屯地に来てから、まさに踏んだり蹴ったりの日々だった。駐屯地を訪れてすぐテントに数日ほど幽閉され、街道では騎士たちに襲われ、チェーク砦に到着して早々あろうことかジオの前で卒倒までしている。駐屯地に戻ってきたら戻ってきたで騎士たちの戦いに巻き込まれるは、本当にいいことが何もない。

ようやくほっと息をつけるようになると、どっと疲労が押し寄せてくる。本当に疲れた。目まぐるしい出来事の連続だった。ジオだったころの旅もそれそれは過酷なものであったが、慣れないマリオンとしての日々に、今回の出来事は堪えるものがあった。

とりあえず今は幽閉されることなく自由に出歩けるようになり、それはマリオンにとって嬉しいことである。寝床は変わらずテントの中だが、もう見張りもついていないから気は楽だ。昼食もいただけるようになったし、食事はジオたちと一緒に食堂でとれるようになった。

ラザールがいなくなったことで、食事が幾ばくか豪華になった。兵士らにしてみるとそれは『元の食事に戻った』だけなのだが、喜ばない者はいなかった。何より驚いた、というか感動しているのは、兵役に就いてまだ半年のジオである。

スープから匙を掬い上げて「肉がはいってる!」とアホの子のように瞳を輝かせていたのを、きっとマリオンは一生忘れないかもしれない。それだけ嬉しそうだったのだ。

必然毎日の食事は賑やかになった。駐屯地は軽いお祭り状態になっている。みんな浮かれている、それだけ抑圧されていたということだ。ここでは小さな恐怖政治が行われていたのだ。

いつしか兵士たちは、酒を飲むときに合唱するようになっていた。


「リヒルト様に乾杯!」


幾人もの声が重なり、木杯が掲げられる。ラザールが来てから振舞われなくなった酒は格段に美味い。ラザールがいなくなって解禁された酒はなお美味い。

そうした兵士らに混ざって、マリオンも酒を煽る。が、その量は極めて少ない。


――まさかこの身体が、あんなに酒に弱いなんて思わなかった。


マリオンになって初めての飲酒は2日前のことだった。初めて食事が元通りとなり、酒の貯蔵庫が兵士らに開放されたその夜は、まさに騒動があった当日のことだった。興奮した兵士たちに酒を与えるのは危険であるはずだが、あえてリヒルトは酒を与えた。ここは制するより発散させてやったほうが良いと判断したためだった。

酒に飛びついた兵士たちは、自然な流れのようにリヒルトの危機を間一髪のところで救ったマリオンに杯を半ば無理やり持たせ酒を注いだ。最初はマリオンも戸惑っていたが、もともと酒は嫌いではない。嫌いなラザールがいなくなったことでマリオン自身、どこか浮かれていたのかもしれない。「それじゃあ」と、『ジオ』の時と同じようにグイッと杯を空けた。

記憶があるのはそこまでだった。後から聞いた話では、一気に飲み干してそのまま気絶したらしく、場はたちまち混乱に陥り、あろうことか騒ぎはグイードの耳にも入り、後日激しい二日酔いに苦しみながら説教されたのは記憶にも新しい。

いまはリヒルト様万歳と喝さいを上げる兵士たちの中で、ちびちびと飲んでいる。情けない、ああ情けない。相変わらず酒は美味しいのに、どうだ、わずかな量でもうほろ酔い状態だ。

こういうところでも、もう自分は『ジオではない』のだと痛感させられる。そういえば記憶にあるマリオンも、少しの酒で顔を赤くしていたなと振り返る。やはり自分は『マリオン』なのだ。


「マリオンさん顔赤いよ、大丈夫?」


どこかハラハラした様子でジオが気遣ってくるのがまた情けない。そのジオはすでに2杯目にはいっている。駐屯地には依然グイードが定めた『酒は3杯まで』のルールがあり、それはこの場でも守られている。

ジロリと恨めしそうな視線で睨むと「なんともない」と悔し気に呟く。こんな心配をされるのが情けないを通り越していっそ恥ずかしい。なんで酒に弱いんだこの身体は。

別に張り合うつもりはないが、ジオが簡単に杯を空けるのが羨ましい。畜生と心の中で毒づいても、それを一気に酒で流せないのがまた切ない。


「お前はいいよな、そんなに酒をカパカパカパカパ空けれて」

「酒は好きなんだ。村の祭りでもよく飲んでたよ」

「知ってるよ」


知っている、そんなことは、嫌と言うくらい知っている。

村と聞いてよみがえるのはまたもやジオだったころの思い出だ。当たり前だがジオには両親がいて、友人がいて、村人たちとの付き合いがあった。彼らはどうなったのだろう、あの戦いの後に。いや、そもそも世界はどうなった。それを知るすべが今のジオ――マリオンにはない。ただ、無性に会いたいな、と思ってしまった。

郷里への想いが膨らみ、マリオンは顔を俯けた。ダメだ酔っている。こんなことで泣きそうになるなんて。


「どうしたの?」


俯いたマリオンに、能天気な声がかかる。いまのジオにはわからないだろう、マリオンの気持ち――孤独は。


「なんでもない。すこし、故郷のことを思い出しただけだ」

「故郷・・・・・・」


ジオは少し意外に思った。そうだよな、と思い改める。マリオンだって人間だ。生まれた場所があり、生んだ親がいるはずだ。しかしそのような人間の生々しさを感じさせない何かがマリオンにはあった。

知りたいという想いが強くなっていく。考えてみると、自分はマリオンについて何も知らない。それはお互い様のことであったが、とにかく知りたいと思った。


「ねぇ、どんなところなの、マリオンさんの故郷って」

「どんなって」


どうもこうも、マリオンの故郷はジオの故郷だ。山も川もすべてがジオの記憶にある通りの場所だ。ただ思い起こされるその風景の懐かしさに、マリオンはぽつぽつと言葉をもらした。


「のどかな・・・・・・場所だったな。よく川で釣りをした。野山で木の実なんかも採った。旅立ってからは、一度も帰らなかったけど」

「会いたくないの?」

「会いたくないわけじゃないが、会いに行く機会がなかった。暇もなかった。それどころじゃなかったからな。ただ、そうだな」


旅はどんどん過酷になり、世界はますます危機にさらされていく。いつしか故郷に想いを馳せることもなくなり、世界の行く末のことと――マリオンを失った悲しみの復讐だけが戦う原動力となっていった。

そういう意味では――


「おれは、故郷を捨てていたのかもしれないな」


自嘲気に嗤うマリオンの表情には、うっすらと悔いるような色があった。それがどのような過去からくる自責の念なのか、それはジオに推し量れるものではない。

かける言葉もなくジオは次をどう尋ねればよいかわからなくなった。質問したことを後悔していた。自分はもしかしたら聞いてはいけないことを聞いたのかもしれない。人生経験の浅いジオには、人の踏み込んではいけない領域を思いやる能力がまだ小さい。

言葉に窮していると、ふとマリオンと視線が絡んだ。なんとも言えない表情のジオのことを、おかしそうに笑った。


「なんでお前がそんな顔してんだよ」

「いやだって」

「言っとくけど、他人事じゃないんだからな」


そう言ってマリオンは目の前にある額を軽く小突いた。困惑するジオにまた笑って、残りの少ない酒を飲みほした。

故郷の祭りで飲んだ酒もこんな味だったっけな、と思った。





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