表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

糾弾

――リヒルト!?


叫びかけた名を咄嗟に飲み込めたのは、ほとんど奇跡の御業に等しかった。口に出したからなんだ、という気持ちがないでもないが、仮にも相手は直属の上官である上に家格もこちらより上位にある。守らねばならない体面もある。

それでも予想外の事態に、上がった心拍数にかき消されそうになる思考力と、隠しきれない動揺がラザールによって良からぬ現状であることを明白に物語っている。だからこそ水際でリヒルトを駐屯地敷地内へ入れないように指図していたのだから。

ラザールの認識では、まだ柵の向こう、外堀の手前にいるはずの男だ。なぜここにいる? なぜここにいる?

硬直した身体から垂れ流される疑問の念は、はたしてリヒルトにも感じられるものであろうか。おやおや、とどこか小ばかにするような口ぶりだ。


「顔色が悪いな三男殿。職務疲れか?」


その言葉にハッとラザールが我に返る。


「あっ・・・・・・これは、これは」


次に発すべき言葉がなかなか見つけられない。落ち着け、と何度も自らに言い聞かせる。

小さく小さく息を吸い、なけなしのプライドで作った笑みを顔面に張り付ける。


「リヒルト卿、突然の訪問ですな。いささか驚きましたぞ」


「そうかい?」


――そうかいじゃないだろうこのたわけが!!

内心の怒りが爆発しそうになる。この男のせいでいま自分がなぜこうも追い込まれねばならない!?

そんな理不尽への癇癪もおくびに出さないよう努力しているというのに、飄々としたリヒルトの態度は腹に据えかねるものがある。

ぐっと握りこんだ手に怒りのすべてを移すのでラザールは正に忙しかった。引くつく頬の筋肉はもうどうにもならない。


「と、ところで、いかな用で? 何も連絡なしに来られましても、こちらにも準備というものが」

「準備? 何の準備が必要だというのだ? なに、私はただ視察を兼ねて尋ねただけだよ三男殿。準備など必要あるまい」


そう言いまくったリヒルトは、辺りをわざとらしく見回しながら、


「道中、穏やかなものだった」


などと言い出すものだから、思わずラザールも「はっ?」と生返事を返してしまう。


「いや、まさか激戦区と思っていたから、どれほど戦闘の臭いがしてくるものかと思ったが、存外にそうでもないのだな」

「はっ・・・・・・激戦区?」


何を言っているんだこの男は?

ラザールには最早リヒルトの言っている言葉の意味が分からない。激戦区? そんなわけはない。ここしばらく帝国は隣国と小競り合いもないのだから。もっぱらの脅威は魔獣ぐらいなものだ。それにしたってそう頻繁に起こる事案でもない。この地域は平和な方だ。

それをなぜリヒルトが激戦区などと形容するのか・・・・・・。


「三男殿。最近な、貴様の駐屯地からの支出が激しいようだからな」

「それは」


身に覚えがある、ラザールには。


「軍資金の消耗が激しいようなので、どれほどの事態になっているのかと思って、私は心配してここへ来たのだ。戦闘によるものか、あるいは天災によるものか、とね」

「あ、ああ、そういうことで」

「上がってくる使途報告の殆んどは、装備の修繕、補充、施設の修理などなどとなってはいた」

「そうです、この地では魔獣の脅威が多く」

「しかし魔獣出没の件数に対して、損害がいささか多すぎるのではないか、とも思った」


そこまで言って、ようやくリヒルトが正面にラザールを見据える。


「部下の失態は私の失態ともなる。貴様の手腕によってそれだけの損害を出しているのなら、私としても考えを持たねばなるまい。なぁ、そうだろう、三男殿?」

「つまり卿は、私が無駄に軍資金を使っていると仰るので?」

「そう判断するしかないなぁ」


軍資金の無駄遣い、そのためにリヒルトは抜き打ちの査察にきたということか。そのように解釈したラザールは、内心の冷汗の冷たさに身体まで震えそうだった。

しかし、だ。もしもリヒルトがただそれだけのことで動いたというのなら、まだ騙しようはある。ラザールが真に知られたくないことはそれではないからだ。己の評価に土がつくのは歯がゆいが、そんなものはこの際どうでもいい。晴れて軍の中央に戻れば関係のないことだ。帝都に返り咲いてしまえば、自分の地位はリヒルトよりも上になるのだから。たかだか地方の一司令官など指先一つでどうとでも始末できる。

そうだ、返り咲きさえすれば! こうして風下に立つ屈辱も、その何千倍にして叩き返すことが出来る。

いまはいくらでも詰るがいい。それは未来の貴様の首を絞めることになるのだ、とそう自分に言い聞かせる。そのためにはこの場をやり過ごさねばならない。


「つい先日にも魔獣の出没があり、それを討伐したばかりなのですよ」

「ほう、初耳だな」


事実その話をリヒルトは初めて聞いた。そのような報告は上がってきていない。


「それはいつのことだ?」

「そうですな・・・・・・3日は前でしょうか」


3日前の出来事であれば、まだリヒルトの耳に入っていなくてもおかしくはない日数だ。

しかしそれを聞いて驚いたのは、縮こまって二人のやり取りを眺めていたジオだった。疑問に思わざるを得ない展開に、マリオンにそっと声をかける。


「ねぇマリオンさん、あの司令官殿が言ってる魔獣を討伐したのって、おれたちが初めて会った時のことかな?」

「だと思うけど」

「・・・・・・3日前だっけ?」

「3日前はまだからチェーク砦へ向かう途上だったぞ」

「だよねぇ。・・・・・・ボケちゃったのかな、司令官殿」


一兵士としては不敬極まりない言葉だが、本当にそう思ってしまいそうだった。何しろ駐屯地を預かり、自分たちに伝令使の役目を与えた人物が、ここ最近の出来事の時系列を覚えていないのだから。それ以上の裏を止めないのが今のジオである。

とはいえ、詳しいことのわからないマリオンも、明らかにおかしいということは感じている。よくはわからないにしても、ラザールが何かを隠しているのはわかるのだ。

そんなことをコソコソ喋っている間にも、ラザールは必死に『弁明』を続けている。


「その際にも損害があり――」

「ふむ・・・・・・それで金がなくて、兵士たちには使い古しの装備で我慢させているというわけか、前線で命がけで戦う彼らに対して?」

「何分、入用で」

「よし決めた」


唐突にラザールの言葉を遮ったリヒルトが、大真面目な顔で、


「貴様を駐屯地指令から解任しよう」


と、清々しくきっぱりと言い放った。その言葉は綺麗に澄んで、周囲を囲んでいる兵士たち一人ひとりの耳にさえちゃんと届くほどだった。

ぽかんとしたラザールは、いきなりにすぎるその決定に、目を白黒とさせるばかりだ。


「はっ・・・・・・へ?」


そんな間抜けな声が出た。

リヒルトは空気を吸い込んだ。


「解任する、いまこの場で、貴様を、ここ駐屯地の司令官から」

「な・・・・・・なぁッ!?」


我に返ったラザールが大声を上げる。なんとか場をやり過ごそうと平静さを保っていたが、これはさすがに無理だった。

解任――そのカードをこうもあっさり着られるとは、考えもしていなかった。


「何をバカな!?」


そう立場の違いも忘れて食って掛かるラザールに、毅然とした態度でリヒルトが裁可を下す。


「バカなことなどあるか。これ以上貴様に任せていては、いくら軍資金があっても足りん。貴様は器ではない。ましてや、本当に任務によって浪費されえているならまだしも、それ以外に使われていたのでは溜まったものではない」

「なんのことを」

「どうやら貴様には、後ろ暗いものもあるようだしな。こうして生き証人も連れてきている」


そう言ってリヒルトがジオとマリオンに視線を向け、そして懐から出したのは、ラザールがジオたちに持たせた『白紙の報告書』である。ご丁寧にリヒルトは、ラザールが印を付けた封書と一緒に持ってきていた。それを突き付けて見せる。見覚えがあるだろう、と。

心臓を握りつぶさるほどの衝撃がラザールを襲った。それはラザールが絶対に見られたくなかったものだ。そして合点もいった。やはりそれが切っ掛けになったのかと。唇を噛みしめる。白紙の報告書を見たリヒルトが、どのようなことを考え、どのような動きに出るか、それを警戒していたラザールはだからこそジオたちの抹殺がしくじったと聞いた時大いに慌てたのだ。

だがふと、白紙の報告書を見て、それから初めてラザールの視界にいるジオとマリオンの存在を認識することが出来た。

それまで眼中になった忌々しい二人だが、ラザールは唾を飛ばして吠えた。


「ざ、罪人だッ!」


そう言ってジオとマリオンを指差す。


「私の騎士を殺した罪人を、なぜ差し出さなかったのか! いや、そもそもそのような下衆の持っていた紙切れがなんになると」

「封書は封印されていた。正式なものだった。それを発行出来るのは貴様だけで、それを彼らは持っていた」

「だからそれは、そいつらが私の騎士を殺して奪ったもので!」

「なぜだ?」

「奪った理由など私が知るわけない!」

「だとしてもなぜ貴様は、こんな意味もわからない白紙の紙を騎士に持たせて、私に届けさせようとしたのだ」


ジオとマリオンが騎士を殺して奪ったにせよ、この封書はあるべき所からあるべき所へ渡った事実は変わらない。騎士が届けるにせよ、ジオが届けるにせよ。


「この封書の意味は何だ? まさか私を揶揄うためだけに重要な形式をとったのか? だとしたらなおのこと貴様の能力、というより人格を疑わねばならんな」


封書の意味、そんなものはない。ないからラザールに言葉などない。あれはもともと、駐屯地の外でジオとマリオンを始末するための口実として用意したに過ぎないのだから。リヒルトの手に渡ることなど端から想定していなかったのだから。


「ラザール・・・・・・あまり私を侮ってくれるなよ」


リヒルトの馬が一歩前へ出る。気圧されるように、ラザールが一歩下がった。


「貴様が罪人と呼ぶそこの少年と少女から聞いた。魔獣討伐に、20人もの死者を出したらしいな。その生き残りが彼らだそうじゃないか。・・・・・・知られたくなかったのだろう、このことを、なぁ?」


ヒュッとラザールの吐息がか細くなる。見透かされている――全身が粟だった。


「知られれば己の功績に関わる。中央への復帰が遠のく。だから生き残りを処分して、なかったことにしようとしたんだろうが、結局は私の知るところとなったわけだ」


まったく馬鹿な奴だ。どうしようもなく、救いようのない屑だ。

その心の言葉を、ラザールは感じることができただろうか。次第に顔を青くさせている様子を見て、それはないかとリヒルトは思った。


「お前はこの駐屯地にわたしが来ることを恐れたのだろう? なにせ貴様は――軍資金の横領までしていたようだしな」


えっ!? と驚きの声が上がったのは、周囲の兵士たちからだった。そんなことは誰もが知らないことだった。

その糾弾に今度こそラザールは色を失った。まるで死罪を宣告されたように。

ガタガタと全身が震えだす。バレていた・・・・・・なぜ!? 腰の騎士剣がカチャカチャとびびり、いまのラザールを心境を物がっていた。


「横領って――盗んでたってこと!? 駐屯地のお金を!?」


とんでもない事実の暴露にジオの驚きも大きかった。


「そうみたいだな・・・・・・なんとまぁ」


マリオンも少なからず驚いていた。何かを隠しているとは思っていたが、まさか横領などと言うベタな不正だったとは。たしかに兵士たちの装備や施設のみすぼらしさなど、国境を警備する最前線基地とは思えない貧弱さではあったが、とどのつまり横領していたから本来の用途に回されなかったということらしい。

それを知って、ただでさえ嫌いなラザールへの印象がどん底をはるかに突き破って底なしに落ちていく。掛け値なしの屑だとさえ思ってしまうのも仕方がなかった。反吐が出る。

帝国の軍令において、軍資金の横領は立派な罪である。

しかしその暴露も、この段階ではリヒルトがそう言葉にして明かしただけのことだ。証拠が示されたわけではない。

それについてラザールは追い詰められながらも抵抗するが。


「お前が賄賂を送っていた伯爵殿な、失脚したんだよ」


などとリヒルトは言うのである。

開いた口がふさがらなかった。


「は・・・・・・しっ、きゃく?」

「そう、失脚だ。代々受け継いできた本拠を没収され、地方の所有地に落ちるそうだ。哀れなことだな」


僻地にいるラザールには寝耳に水のことだった。自分と賄賂を送っていた者との関係を知られていたこともそうだが、その相手が失脚していたなどと。

それがどういう意味をもっているのか、わからないほどラザールはばかではない。


「で、は・・・・・・わたしの、ちゅうおうへの、ふっきは・・・・・・」


もはや呂律も回らないラザールに、にこりと顔を愉快に染めたリヒルトのそれは、まさに悪魔の微笑みだった。


「無理だな。賄賂を贈って拾い上げてもらおうと思ったのだろうが、その相手がいなくなったのではな。それに貴様の不正を教えてくれたのも伯爵だよ。罪の減刑を見返りにな。――売られたんだよ、お前は」

「そんな・・・・・・ばかな、そんなッ」

「貴様の駐屯地での軍資金の減り方が異常だとは前々から思っていた。そのうち監査をしようと思っていたところで伯爵の事件があり、程なくしてそこの2人――ジオとマリオンがやってきて、貴様の腹に黒いものがあると確信できた」


ラザールの打った悪手が、リヒルトにとっては追い風となった。ラザールは策士策に溺れたのだ。


「黙って真面目に仕事して、コツコツ軍功を積み上げていけば中央にも戻れたかもしれないのにな。まぁ、それが出来ないやつだから、中央でしくじってこんなとこまで飛ばされてきたんだろうが」


だから所詮はその程度なんだ、と言外にリヒルトは物語る。


「貴様が横領などせず、きちんと兵士たちの装備を整えてやっていれば――件の20人の戦死者も出さずに済んだかもしれない」


ちらりとジオとマリオンに視線を向ける。生き残りだという彼らはラザールの被害者とも言える。

ジオの胸に、湧き上がるような怒りがあった。リヒルトの言葉が全身にしみ込んでいって、熱を帯びていく。

もっといい装備があれば。そうすれば、あんなことにはならなかったのか? その答えを知るすべはなくても、可能性はあったのだ。他にも生き残りのいた可能性は。

そしてその気持ちは、ジオだけのものではない。皆が、ここにいる兵士たち全員が、そう考えている。魔獣に仲間を殺された。それと同時に――いつも自分たちを下民と見下して罵ってくる、この男によっても殺されたのか、と。

怒りは徐々に大きくなっていく。もはや誰一人、ラザールを司令官であると認めるものはいなかった。

そんな状況で、っかり項垂れてしまったラザールが――ぽつりとつぶやく。


「ころせ・・・・・・」


それは小さすぎて誰にも聞こえなかった。何の反応もないのが気に入らなかったのか、勢いよく顔を上げたラザールの眼は、血走っていた。


「ころせ! ころせ! コロセッ!! この男を殺せ! 騎士どもを殺せ! 皆殺しにしろォッ!!」


金切り声で叫び散らかすラザールはまるで狂人のようで、髪を乱しながらなんども殺せ、殺せと繰り返す。

しかし誰も動かない。兵士たちは動かない。ラザールの騎士たちは戸惑うばかりで、オロオロするばかりだ。そのうちラザールがとうとう剣を抜いた。


「コイツッ!」


反射的にマリオンが剣に手をかける。同時にリヒルトの騎士たちも動き出し、ラザールの騎士たちがとうとう抜剣した。

その頃には、ラザール自らが騎士剣を振り上げて駆け出していた。


「コロセェッ!」


ラザールの狂った叫びが、鉄と鉄の衝突音に混ざった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ