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怒り




野獣や魔獣と戦うとき、盗賊たちを討滅するとき、命を懸けた戦いの中でもこれほどの恐怖を感じたことはない。

しかしいま膝をつき頭をたれる相手は決して逆らってはならない、自らの仕える主人に他ならない。手を挙げることは許されない、例え何があっても。

外見からはうかがい知れなくとも、服の下は脂汗でじっとりと湿っている。

失敗したのだ、自分たちは。主人の命令を遂行できなかった。

無言でただ頭を低くする騎士たちを見据えて、トントンと人差し指が机を忙しなく小突く音だけが、しばらくのあいだ部屋に響いている。


「貴様らにはガッカリした、とでも言えばよいのか」


はっきりと苛立ちを含ませた調子の言葉に、騎士らの胃がキリキリと痛む。


「たかだか小僧1人小娘1人を捕えてくる簡単な『お使い』も満足にできない者が、我が騎士の中にいたとは情けない限りだ」


「も、申し訳ありません」


ぞっとするほどの低い声調子に騎士の冷汗は止まらない。そしてそんな騎士を見下だす瞳の冷たさには一切の温度がなかった。


「それも、門前で追い返されるだと?」


指先の叩く音が次第に速くなり、やがて拳が机を強く殴りつけられる。重く殴打された音に騎士らは心底怯えた。まるで罪人の首を切り落とす斧の振り下ろされた音のようだった。そしてそれを現実のものと出来る力を持っているのだ、目の前の主人は。


「貴様らはわざわざチェーク砦まで、このラザールの顔に泥を塗りに行ったのか!?」


「め、滅相もありません! そのようなことはッ」


「だったらなぜ手ぶらで帰ってきた! 簡単に言い負かされて、この無能どもがッ!」


悪鬼の形相でラザールが何度も机に拳を叩きつける、何度も何度も何度も。まるで痛みなど感じていないように――痛みを感じないほど興奮している、それほどの怒りを机にぶつけているのだ。今回の一件はラザールにとって屈辱以外の何物でもない。

ましてや帝国の中央にいた自分が、名家の出身にも関わらずこんな辺境で指揮を執っているような男の部下というだけでも業腹なのに。

これではいい面の皮だ。

それに問題はそれだけではない。


「封書も取り戻せなかったとは・・・・・・」


それが今一番の気がかりである。

ジオとマリオンに持たせた封書は、間違いなくリヒルトの手に渡っただろう。あの白紙の封書を見て、あのいけ好かない男はどう考えただろうか。

どうせ死ぬのだから、と偽物の封書を持たせたのがいけなかった。

まさかあの2人が3人もの騎士を倒してしまうとは、完全な誤算と言わざるを得ない。数の上でも勝っていたのに。それなのに!

虚言だろうと思っていたが本当に魔獣を倒したというあの小娘が――? そんなことを考えてラザールは馬鹿げていると自分自身で一蹴する。そんなわけがない。総勢20人の討伐隊を全滅させた魔獣をたった1人で倒せる剛の者が、この帝国にどれだけいるだろうか。そしてそれは断じてあのような小娘であるわけがない。

それともまさか小僧の方か? たしかにあれも生き残ったのだからあるいは、などと埒もなく考える。


――クソッ。


イスに背中を深く預け、ラザールは不愉快そうに舌打ちした。たった一つ、たった一つのイレギュラーが、新たに不測の事態を呼び込むその連鎖。策を弄する種の人間にとって、この嫌な流れは生理的に受け付けない事象だ。すべての出来事は、自らの意思と策略と智謀のなかで翻弄され決定されねばならないと固く信じている人間にとっては特に。

だと言うのにこれはなんだ? なぜこのような不安を感じねばならない。討伐隊が全滅したことがいけなかったのか。生き残りがいたことがよくなかったのか。旅人などと言う輩が現れたのがそもそものの問題か。どうして3人もの騎士が殺された。どうしてこいつらはおめおめと逃げ帰ってきた!

それらいくつもの出来事に対する思考は、次第に憎悪の色を塗りたくられてラザールの意識を硬くしていく。憎しみは憎しみに染まり、それ以外の感情と考えが排除されていく。すべてのイレギュラーが憎い。


「・・・・・・いらん」


その一言は小さかったが、確かに騎士たちには聞こえていた。聞こえてはいたが、どういう意味の言葉かまではわからない。

冷たく暗い水底のような瞳に熱が宿る。それは燃えるように熱いが、やはり暗い瞳だった。


「無能はいらん、貴様らは・・・・・・」


「ラザール、さま――」


騎士の声は震えていた。徐々に理解しつつある、その意味を。それを言われてはおしまいだと、嫌でも理解しつつある、認めたくはないが。

だがラザールは無情にも最後通牒を叩きつけてくる。


「剣を捨てろ」とラザールは静かに言った。静かに、しかし激しく、その言葉には力がある。


「騎士の身分をはく奪する。役立たずは不要だ。このラザールの騎士は優秀でなくてはならない。主命には絶対に応えねばならない。それが出来ない者は騎士ではない」


「お待ちください、我々は、私はッ」


「それともその首を刎ねてもいいのだぞ!? 死体は野に捨ててやる、獣に食い殺されたことにしてな! 私はそれでもいい、一向にいい!」


あたかも情けをかけてやっているのがわからんのか、とでも言うような響きに、騎士たちは浮かしかけた腰を力なく落とした。終わった――という気持ちだけが重くヘドロのように臓の腑に溜まっていく。

言葉もなくなった騎士たちは、他の騎士たちに引きずられるように、どこかへと連れていかれる。剣を捨てるか、首を捨てるか、それを選ぶことだけ許されている者たちがどうするのか、そんなことはラザールにはどうでもよかった。

どうするべきか。自分はどう動くべきか。それだけをラザールは考えていた。


「ラザール様・・・・・・」


兵士が一人、おずおずと怯えるように執務棟へ入ってくる。俯いたままラザールは顔を上げもしない。


「なんだ」


「チェーク砦から、査察団の方々が参られましたが」


――ささつ、だん?


その一言がじわじわと硬直していた思考に侵入してくる、まるで毒のように。俯けていた顔をゆっくりと上げる。査察団、その意味を咀嚼して、噛み砕いて、舌先で舐って、意味を考える。

査察団、調べる、チェーク砦、見られてはいけない、そんな話は聞いていない、白紙の封書、小僧と小娘、無能共、今朝の出来事、リヒルト――



リヒルト――・・・・・・



ザァアアッと血の気が滝のように流されていく。

リヒルトが、動いた。




  ◇  ◆  ◇  ◆




【査察団】が編成されてチェーク砦を出発したのは、ラザール旗下の騎士たちが扉前で騒動を起こしたまさにその当日のことだった。査察団団長、それを補佐する副団長、騎士が10人ばかり随行し、その下には兵士らが付く。団長はリヒルトが自ら担当し、補佐に前駐屯地司令官でもあったグイードが選ばれるのは当然のことである。

団長以下の騎士たちは馬上にあるが、珍しいことに護衛としてついていくことになった歩兵であるはずの一般兵でさえも、もれなく馬を与えられている。兵士らは伝令史の経験があるなど、乗馬技術を持っている者たちが選ばれた。その数ざっと20人。

それは傍目にも査察団などと言うより、純然たる騎兵隊のようである。


「うわっ、うわわっ」


そんな兵士たちの中に混ざるように、マリオンとジオの姿がある。正規の伝令史として訓練を受けたマリオンと違い、ジオには乗馬するに必要な技能が備わっていない。そのため手綱はマリオンが握り、その背にジオがしがみついている格好で、周囲の兵士たちからは笑いの的になってしまっている。しかも馬が揺れるたびにジオが慌てたり情けない声を上げたりするわ、しがみついている相手が自分より体格の小さい者だったりで、明らかに嘲笑されている。

それは仕方ない、事実だから仕方ないのだが。


「おい、黙って乗ってろ、さっきからうるさいな」


「だ、だって、これ、すげー怖いんだけど」


馬の背に初めて乗ったジオには、高くなった目線で流れていく景色と上下の揺れは、新鮮と言うよりもはやただただ怖いだけだ。自然マリオンの腹に回される腕にも力が入る。普段は情けない男だが、一応訓練で鍛えているし、もともとそれなりに筋力はある方だ。


「いたい、痛い、このバカッ! 力を緩めろ!」


「だってだって! うわっ、揺らさないで、もうちょっとゆっくり!」


「出来るか! 置いてかれるだろうがッ!」


ギャアギャアと言いあう若者2人。そうでもなくとも2人乗っているため、馬は余計に疲れやすい。いつ後れを取ってもおかしくはないのだ。

遅れるわけにはいかないのだ。先頭を走る騎士たち、その後ろにいるだろうリヒルト。彼についていくしかないのだ。

砦を出発する直前、牢屋から出されたマリオンに、軽装の鎧を身に着けたリヒルトが笑みを浮かべたまま言った。


『お前たちにもついてきてもらわねばな。生き証人として』


そうでなくては、馬を与えられて兵士らと共にこうして小街道を疾駆してはいない。リヒルトが何を考えているのかマリオンにはまったくわからないが、いまはただ、彼に従うべきだということだけわかっている。

それだけわかっていれば十分だという想いもある。リヒルトは敵にしたくなほど優秀な男なのだから。

しかし、と思う。なぜこうも急がねばならないのか。馬はすべて、歩くのではなく走っている。これでは駐屯地へ到着するころには馬は疲れ切ってしまうだろう。それだけ急ぎ足だ。

当然走っていると隊列などもないわけだが、兵士の中から一騎、器用にもマリオンたちの馬に横付けしてくる者がいた。

マリオンが横を見ると、面白そうに唇を曲げている男がいる。


「大変だなぁ、お嬢ちゃん」


そこまで歳をくった印象はない。せいぜい30代かそこらか。兵士としては年長の部類に入るだろうから、おそらく徴兵期間を過ぎてなお兵役について給金をいただいている職業兵だろう。そんな男がにやにやとこちらを見ている。

――面白くない。そんなにおかしいかよ、とマリオンは内心で毒づいた。


「・・・・・・どうも」


むすっとした顔でマリオンが応える。放っておいてくれという雰囲気を隠しもしない。


「兄ちゃん、馬のひとつも乗れなかったら恰好つかないぜぇ? せっかくこんなべっぴんのお嬢ちゃんつかまえたってのに」


男がマリオンの背中で震えているジオに標的を移す。からかうのがよほど楽しいのだろう。たしかに今のジオはからかいがいがあるだろう。

ジオはきつく閉じていた瞼をうっすらと開けて、男の顔を見た。


「だ、だれ、ですか?」


その返答はよほど虚をついたのか、男が目を丸くさせ、そして次の瞬間には口を大きく開けて笑っていた。


「ははははははッ! 誰ですかってか! そりゃ名乗ってねぇからなぁ! ははははッ!!」


ひとしきり笑った男が、腰に差した片手剣の柄を撫でる。


「グリフってんだ。ウルバレ村のグリフだ」


「あっ・・・・・・ジオです、バジー村のジオ」


「んだよ兄ちゃん、バジーの生まれかい。オレの親父がバジー村の生まれでよぉ」


そんなところから話しが盛り上がる。人懐っこいというか気さくなグリフは口が軽いのか、次から次へと言葉が出てくる。話すのが好きで、そして上手いのがわかる。

マリオンはこの男のことは知らないしジオだったころに出会った記憶もない。

――怪しいところはなさそうだが。

馬を寄せられた時はさすがに警戒したが、今のところおかしな挙動はない。ただのおしゃべり、お調子者、そんな雰囲気を持っている。

お人好しな気のあるジオは緊張もせずに打ち解けてしまっていて、耳の後がうるさくて仕方がない。仕方なく「黙れ」という意味を込めて肘で軽く小突く。

それを見たグリフが、相変わらずにやにやとした笑みを浮かべている。


「おっと、あんまり彼氏さんをとったらカノジョに悪いかな」


悪戯っぽそうにそう言ってグリフが少し距離を開ける。「じゃあな」と、そういうと今度こそグリフは離れていった。

馬脚の重なる音ばかりが戻ってくる。


「グリフさん、いい人だったね」


「・・・・・・うるさいだけだろう」


そんなことを言うジオに、マリオンはげんなりした。



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