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元駐屯地司令官グイード



なんで指令がここに?

記憶の底から掘り起こしたその姿には、たしかに見覚えがある。小太りという程度に恰幅の良い中年男性、優しげな眼もとはとても騎士とは思えない。

グイードと呼ばれたその男は、駐屯地の指令だったはずだ。

違和感の正体がようやくわかったが、ではあのラザールという司令官はいったい何者なのか。

愕然とするマリオンの様子に、グイードがふむと顎を撫でる。


「君のような少女が駐屯地にいたかな? どうにも見覚えがないのだが」


とても不思議そうにグイードが言葉をもらす。


「なぜここに指令がいるのですか、駐屯地の指令であるはずのあなたが!」


「マリオンさん何言ってるの? 駐屯地指令はラザール様でしょ、マリオンさんも会ったことあるでしょ」


しかしそんなジオの言葉にも、マリオンは頭を振るばかりだ。


「そんなはずはない、たしかに、たしかにッ」


たしかにこの人が駐屯地指令だったんだ! 


「私が駐屯地の指令だったのは3年も前のことだよ。ラザール様は私の後任として駐屯地指令になられたのだ。知らなかったのかい?」


――・・・・・・・3年前?


思いもよらない答えに唖然とするマリオンは、もう何も言うことが出来なかった。

そんなバカな、という言葉だけが脳内を幾重にも塗りつぶして、信じられない気持ちでいっぱいになる。そんなはずはない、ありえない。この身体、この時間にまで遡ってきてから何度も叫び続けた否定を、またここでも繰り返している。

グイード指令は士族出身の騎士で、駐屯地の指令だった。ジオだったころは間違いなくそうだった。この顔この声は間違いない。優しい人だった。一介の兵士にも気をかけてくれて、みんなから信頼されて。討伐隊がほぼ全滅したときの沈痛な面持ちは今も忘れられない。マリオンを軟禁するようなことだってしなかった。冷酷なラザールとはまさに正反対の、温かみのある人物だ。

しかしそのグイードはまったく事情が見えないと言わんばかりだ。


「君は何か勘違いしているようだね」


気遣わし気なグイードの態度には、嘘をついている様子は欠片もない。それにマリオンの瞳が揺れた。

何がどうなっているんだ? マリオンはますますわけがわからなくなってしまうが、横からジオに封書を出すよう求められて、おぼつかない手つきで封書をグイードに差し出した。腕の震えを抑えることができない。ジオに言われるがまま動く人形と化し、そこにマリオンの意思は働いていない。

「たしかに」とグイードが封書を受け取る。2通の封書はこうして無事に届けられた。

マリオンはいまだグイードから視線を外さない。外せない。どうしても信じられない。

――ああ、気持ち悪い、吐き気がする。もうわからない、何もかもが。

時間を遡った。それはわかった。マリオンになった。それもわかった。なのにこの時間は、いやこの『世界』は、オレの知っている世界ではないのだと、そう如実に物語っている。それは今までの不可思議な現実よりもずっと大きなショックをマリオンに与えた。

なんなんだこの世界は、なんなのだ一体!

目覚めてからずっと考えて飲み込んできたのに。

世界は狂ってしまったのか、それともオレがおかしくなってしまったのか。ずっと心の奥底で重く沈んでいたものが、ますますその重みを増していく。

視界が歪む。石を投げ込まれた水面に広がる波紋のように。耐えられない、もう耐えられない。


「マリオンさんッ」


膝から力が抜ける。無意識の脱力は自らの意志でどうこう出来るものではなく、崩れ落ちる身体をあわやというところでジオに抱きとめられる。視界は相も変わらず揺れていて、意識がはっきりとしない。考える力がわいてこない。瞼が重い、どうしようもなく重い。

もうこれ以上わけのわからない現実を見たくない。ただその気持ちだけがあった。あれほど辛い冒険と戦いの果てに使命を果たしてなお、安らかなることを望むことが赦されない。女神ネスはオレに、まだ何か重荷を背負わせようというのだろうか。もう十分戦い、苦しんだろうに。


「マリオンさん、どうしたの!?」


薄っすらとジオの声が聞こえたが、そこでマリオンは意識を手放した。もう何も見たくない、聞きたくない。

身体を揺すられていることにももう気づくことも出来ず、静かに瞼を閉じる。反応しなくなったマリオンを、それでもジオは起こそうと懸命に試みる。眠ったままもう目覚めないのではないか。いつもどこか頼りがいのある強さはとてもなくて、それはジオにとって言い知れぬ恐怖を感じさせた。マリオンがこのまま目覚めない、それはとても許容できない、認めたくない。


「その子を休ませてあげなさい」


さすがにその様子をみかねたグイードが、落ち着かせるようにジオの肩に手を置いた。見上げるジオの瞳は今にも涙を流しそうなほどの不安を色濃くにじませていた。


「おそらく疲労か貧血か、そんなところだろう。もう夕暮れになる、駐屯地へ帰還するのは明日にしなさい。どの道その様子ではどうにもできないだろう」


それは事実だ。今から駐屯地へ戻るとなれば野営することになるのは間違いない。幸いにも来客用の部屋があるそうなので、今夜はそこを借りることになった。一刻も早くマリオンを休ませなくては。完全に脱力したマリオンの身体は抱きかかえるのも一苦労だが、そんなことを気にしていられない。

抱き上げたマリオンの身体は、見ているよりもずっと小さく、軽く、そして焚火にくべられる小枝のように頼りなかった。





預かった2通の封書をグイードは自らの主に差し出す。チェーク砦の最高司令官にしてグイードが所属する騎士団の団長でもある、アデイラ侯爵家の第4子リヒルト・アデイラに。

窓から差す明かりはすでに夕暮れの朱が混ざり始めており、もうする夜の帳が下りようとしている。


「ラザールの駐屯地から・・・・・・」


リヒルトが面白くもなさそうに封書を受け取ると、表と裏とを見回す。明るい栗色のくせ毛に似合う甘く端正な顔立ちをしているのに、いま浮かべる表情は忌々しくも歪んでいる。ラザールという名を聞いた瞬間から期限は斜め下へ急降下してしまっていた。


「どうせやつのことだ、自分の成績を『5割増し』くらいに水増しして送ってきたんだろう、出世欲の強いことだ」


侮蔑すら隠そうともしないリヒルトの言葉にグイードは首肯しつつ、「ですが」とその言葉の後をつなげる。


「定期通信の日取りはまだ先のはずですが」


定期的にやり取りされる事務的な報告書の類は、必ず決まった期間で行われる。今回の封書はその日程から大きく外れている。

かつて駐屯地指令だった身の上としてグイードはそれが不思議、というよりも不可解でならなかった。ましてや差出人は悪徳を愛するあのラザールだ。

そのことをグイードが申しあげると、得心がいったようにリヒルトは頷いた。

本来定期通信以外での封書を発行するのは、何かしら緊急事態が発生した場合に限られる。それはたとえば夜盗の大軍が現れた、魔獣が大量発生している、大災害が発生した、病気が蔓延しているなど、そういう場合だ。

もしもそうであるならば、ここチェーク砦としても対応に動かねばならない。さらに上位の機関であるカラカサへ使いを送らねばならないからだ。

ひとまずは封書の中身を確認しなければならない。封印が破られていないことを確認して、ペーパーナイフで封を切る。


「・・・・・・なんだこれは」


訝しく眉根を寄せたリヒルトが2通目を手に取る。中身を確認すると、今度はため息をついた。


「やつめ、ふざけているのかッ」


手紙を机の上に投げ捨てる。「失礼」と一言、グイードも手紙に目を通し、リヒルトと同じように顔をしかめた。

本来なら何かしら重大な内容が書かれているはずのその書面は、まったくの白紙だった。一文字も、これっぽっちも書かれていない。

まったく、何も、書かれてなどいなかったのだ。



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