第1話
「遺書とは、死を意味付ける為に遺す書き物のことだ。」
数年前、どこかで読んだ小説の一節を、僕は呟いた。高層ビルの屋上で、転落しないよう設置してある柵の向こう側、一歩踏み出せば落ちるという状況で。自殺を止めるという意味合いならば、腰ほどの高さの柵は正直心許ない、と思った。もっとも、10メートルと高さがあったとして、死を拒むほど僕のタナトスは飲み込めるほど弱い勢いではなかった。
生唾を飲み込んだ。高さに怯んだのだ。やはり、自殺というのはもっと情動的になるべきだ。かの伊藤計劃も「他に選択肢が無いから自殺する」と言ってる位だ。だから、遺書を書いたり、屋上に続く扉を開けられないよう封鎖したり、下に誰も居なく通報の心配もない朝方に結構したり、たかが人が死ぬのに用意周到だな、と僕は思う。社会的に生き、社会的に死ぬ、肉体的な命であっても変わりない。社会に飼われたソルジャーの為すべきことだ。
ふと、何もかもどうでも良くなった。ポケットからライターを取り出し煙草と遺書を入れた封筒の先端を燃やした。煙草の方は2、3度吸って捨てた。封筒は風で見えないところまで飛んで行った。何とも寂しいことが書いてあった遺書だった。大学に通う学費が無いからバイトをして、週52時間も働き、人間の屑どもから叱られる日々。何のために生きるのか、その問いに関する答えは出ない。唯一言えるのは、この世は金と知恵と見た目、それらも全て環境が決定する、という事実のみ。その事実を知っておきながら、国は技術革新を急ぎ、資本主義社会の格差を拡大させようとする。絶望した僕は、命を絶って、SNSやネットニュースを通じてセカイに訴えるのだ、と。矛盾が多いが、心はさながらゴッホの様だった。銃があれば、彼のようにすぐ死ねただろうか。
決心はついた。日の出まで時間がかかってしまったが。昔読んだ漫画でヒロインが言ってたような、ものすごく赤い朝焼けだった。
おかしい。コンタクト型の小型端末が視界の端で「午前3時」と伝えている。日の出は午前5時前のはずだ。僕は命を今しがた捨てようとしたことも忘れて、その朝焼けを凝視していた。傍から見れば、その光景の方がおかしい筈だろうが、今の僕に客観性を持てるほどの余裕はなかった。僕はズーム機能を最大に設定して「それ」を覗き込む。10数年前なら失明レベルだろうが、端末は網膜に投射される光量を自動調節してくれる。その為、今の世界でお洒落以外の理由で眼鏡を掛ける人はまず存在しない。
「朝焼け」は隕石とかではなく、かといって恐ろしいほどの爆発でもなく、原因は一切分からなかった。少なくともズーム機能の最大値である10キロメートルの範囲では何も判別できない。好奇心が死の衝動を上回った。
その瞬間、大きな揺れが生じた。まるで、地球が心臓のように「ドクン」と拍動をしたみたいだった。
僕は何10センチか浮いた。着地の瞬間、右足が無限に沈む感覚があった。そのまま、急転直下するような姿勢になり、バランスを崩したことを認識した。何か掴むものを、と伸ばした手は、そのまま空を切った。柵が低すぎたのだ。
僕はそのままビルから放り出され、真っ逆さまに落ちていった。
2032年。19歳の春の出来事だった。