7話 推理の沙汰も金次第?
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花御堂はしゃべり疲れたのか、少しぬるくなったコーヒーを一気に嚥下した。
「上原隆之さん、もうすぐこちらにあのときいた県警の内田刑事が到着します。あんたはそのあと身体検査を受けてもらうことになる」
そのとき隆之は前髪で右手をかきあげた。気障な仕草だと由佳は思った。
「その必要はありませんよ」
隆之は右手を花御堂に向かって差し向ける。花御堂がジャケットのポケットからハンカチを取り出してぬぐうと、隆之の右手には青黒い弧が描かれていた。どうやらファンデーションか何かを上から塗って隠していたらしい。
「正真正銘、羽菜に噛まれたものです。骨が折れるかと思いましたよ」
「まさかこうして歯形を見ることができるとは思っていませんでした。おそらくもっと大きな傷や火傷を付けるなどして歯形を隠しているのではないかとね。その隠すための傷が見つかれば御の字のつもりだったのですが」
「商売道具ですからね。神の右手。自ら進んで傷を付けるつもりはありませんでした。ただの商売道具でもない。僕はこの手で多くの人の命を救っていく義務があるんです」
そう言う彼の声には場違いなほどの使命感があった。
「叔父さんが、殺したんですか……」
由佳は呆然とする思いで、そう呟いた。
「ああ」
隆之は悄然とした顔つきで、だらりと腕を下ろすと、こちらを射抜くように見据えた。その瞳には鈍い光が宿っていた。
「俺が殺した。綾子は貞操観念の古い女でな。婚前の交渉は一切持たないつもりらしい。まあそれもかわいいところではあるが、俺はそういうわけにもいかない。だから羽菜とは火遊び程度の付き合いをしていたんだ。
あいつは俺の正式な恋人になりたがった。俺をスマホで撮った写真で脅迫してきたんだ。スマホを取り上げるだけのつもりだった。殺すつもりはなかった」
「それでお父さんに罪を着せたんですか」
「お前の父親から言い出したことだ」
「断るべきですよ、それは――」
「俺が捕まれば、お前の弟はこの病院で治療を受けられない。仮にほかの病院で治療を受けるとしても、お前の父親だけで治療費を払って生活が立ちいくか。いかないだろう。
――提案がある。俺を見逃せ。お前の父親は仮に殺人罪を免れたとしてもすでに犯人隠匿と死体損壊の罪を犯している。すぐには出所できない。再就職だって簡単じゃないはずだ」
「叔父さんのせいでしょ!」
「その通りだ。だから俺にはお前たちや義姉さんを養う義務がある。ここで俺が殺人罪で捕まれば共倒れだ。だからこそお前の父親は俺をかばってくれたんだ。この世は金なんだよ。金がなきゃ誰も助けられない。兄さんの思いを無駄にするな。大学にだって行きたいだろう」
今まで自分は父が人を殺していないことを証明しようとして、花御堂に頼ってきた。その第一義的目的を突如として揺るがされた由佳は、足元の地面がなくなるような感覚を覚えた。
「彼女を黙らせても、私が真相をしゃべるとは考えないんですか」と花御堂。
「あなたは金さえ積めば黙るんだろう」
花御堂はにこりと笑うだけだった。
「僕にはわかりませんよ。あなたなら生まれてから一度も働かずに一生遊んで暮らせるだけの金があるでしょうに。何か目的があってお金を貯めてるのかと思えば、まるでお金が憎くて手元に置いておけないかのようにそれを使う」
「ただ金が好きで、金遣いが荒いだけだよ。御託はいい。いくら支払える」
「二千万、いや三千万でどうですか」
花御堂は再びにこりと笑った。
「花御堂さん、本気なんですか? 犯罪ですよ!」と由佳。
「お前はどっちなんだ、上原由佳。叔父を見逃すのか、許さないのか。――決まっていないようだな。だから考えておけと言ったのだ。叔父が犯人だったときどうするかを」
――確かに言っていた。言っていたけども。
「上原由佳、お前がこの男を告発するなら私はお前に金銭的援助をしよう。ただしお前たち家族は一生馬車馬のように働いて私に金を返せ」
「取引成立だと思っていたんですけどね」
「勘違いするな。私は何も言っていない。はっきり言って2000万、3000万などというはした金と交換で、犯罪の片棒をかつぐというのは私にとってそれほど利のあるビジネスではない。やってやってもいいかな、という程度の話だ。
この世は金。大いに同感だが、それは君のような貧乏人には関係のない話だよ」
「花御堂さん、私、叔父さんを許せません。父がすでに犯罪を犯していたとしても、やってもいない殺人犯にはなってほしくありません」
「だ、そうだよ。上原隆之」
「やれやれ」
そう言ってとぼとぼと隆之が自分の机まで歩くと、デスクのなかから何かを取り出した。それは黒くL字型をしていた。
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銃口と隆之の血走った双眸が花御堂を睥睨している。
「君はもっと理知的な人物だと思っていたよ。――どこでそんなものを手に入れたんだい」
「ヤクザの組長を切ってやったときの付き合いでそういうツテがあるのさ。別に使う用事はなかったけど、ガンマニアなんだ、僕は。
――理知的な人間だからこそこんなところで捕まるのは馬鹿馬鹿しいと思うんだよ。どこか知らない国にでも亡命する。外科医としての僕の技量があればどこへでも生きていけるはずだ」
撃鉄を起こす音が部屋に響き渡った。
「隆之さん、もうやめて」
その声は先ほど会った隆之の婚約者、三角綾子の声だった。
隆之は綾子の姿を探し、銃口を下げる。次の瞬間、白瀬がメイド服の裾をはためかせながら一足飛びで、隆之との距離を詰める。そして隆之の側頭部目がけて鋭いキックを放つと、鈍い金属音と共に隆之はその場で崩れ落ちた。
「今の声は」と由佳は辺りに綾子がいないかを見回す。
「私だ」と花御堂「三角綾子の声で腹話術を使った」
「びっくり人間ですか、あなた」
「探偵だよ。金さえあれば何でもする探偵、花御堂律哉だ」
由佳にはわからなかった。金さえあればなんでもする、世の中は金と言い張る花御堂、かつて受けた恩を忘れずに無料で依頼を受け、由佳が自分で選択できるよう融資を申し出る花御堂。どちらが本当の彼なのか。
由佳はこの先、借金を返すために彼の探偵事務所で働くことになるのだが、それはまた別のお話。
あとがきのようなもの
この小説のキャラとトリックはそれぞれ別のところで使おうと思っていたもののミックスだったりします。そのせいか、少しいびつな構造になってしまっていますね。花御堂が由佳を捜査に連れ回す必然性が薄いし、捜査シーンでは由佳はほとんど空気になってしまっている。その辺の小説としての拙さが今回の反省点ですかね。あとは動きのあるシーンが少なくて全体的に描写が薄いのも反省。読者の想像力にかなり頼った小説だと思う。
お金にまつわる探偵なので、いつか花御堂を主人公にしてコンゲームものを書きたいな、なんて思っていたります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。気に入っていただければ、感想、評価、ブクマ等いただければ喜びます。僕が。