交渉成立
ガヤガヤと広がる喧騒の中、リュウグとイリスは向かい合って座り。店内は宿兼酒場のようで、酒屋は泊まり客から通い客で賑わっていた。運良く席が空いたのは幸運としか言えないような盛況っぷりだ。リュウグは店員を捕まえると、さっさと注文をしていく。
店員も慣れたもので、騒がしい中でもリュウグの言葉を漏らさぬように聞いてはメモを取り、厨房へと繋いだ。
料理はあまり待たない内に運ばれてきた。丸い木製のテーブルには、山菜の盛られた丸皿に、夕飯になりそうな肉料理やスープ、酒のつまみも乗せられていく。リュウグは運んでいた店員にチップ代わりに半銅貨を一枚に、普通のお会計として半銅貨七枚を渡した。
何か言い足そうにするイリスに、リュウグは「俺の奢り」と答えて沈黙させる。
最後に並べられた樽型のジョッキには、リュウグの方には泡立った酒が、イリスの方には山ブドウのジュースが注がれている。二人はジョッキを手にして軽く掲げた。
「カンパーーイ!」
リュウグの音頭と共にジョッキを打ち合い、喉を潤す。
苦みの強い酒が疲れた身体に一気に染み渡る。これぞ至福の味。
リュウグは半分程、一気に酒を飲むとジョッキをテーブルに置いた。
「やっぱ、酒は良いな。生きてるって感じがする」
「? 生きてるだろ?」
「そうじゃなくて、言葉の綾だ。生きていく為には働かなくちゃいけない、けど働くのは死ぬほど大変なことだ。仕事をする度に神経がすり減っている気がしてなぁ、これじゃあ死んでいるも同然だ」
「・・・よく分からん」
「そりゃあ、酒を飲んでないんだから知るわけないだろ? 一口飲んでみるか?」
ジョッキをイリスに傾けると、イリスは顔を顰めた。
「・・・苦いのは嫌いだ」
「甘党なら果実酒ってのもあるけど?」
「酒は全般的に飲まない。己を弱くしそうで怖いんだ」
グッと両手を握るイリスに、リュウグは気がないフリをして話しを流した。
「あっそ。・・・そう言えば、あんたは東の大陸から来たんだよな? 何か目的があるんだろ?」
「あぁ、目的はある。けど、何で分かったんだ?」
「東の大陸から来たって事はあんたの二つ名が有名だからで、目的があるって分かったのはこんな長期鎖国大陸に来るなんて物遊山でも珍しい。見るとこなんて全くないからな」
ケタケタと笑いながら、リュウグは酒を仰ぐ。
西の大陸ーーファルス大陸は、約六百年に亘り鎖国状態にあった。鎖国のきっかけは西の大陸に伝わる古き呪術が外に漏れないようにと言うことだったらしいが、今から二十年程前の内乱にて呪術の効果はなくなったとされ、鎖国を解除。だが、周辺大陸と比べると、鎖国状態が長かったファルス大陸の文明は十も二十も遅れているという。
外の大陸では当たり前のように使うと言われている“魔術道具”も、王城から少しずつ一般家庭へ知れ渡る程度しか発達していない。
目を閉じたイリスが、再び目を開けるまでの時間はとても長く感じられた。
琥珀色の双眸がリュウグを捉える。
「母の敵討ちと叔母さんに会いに来たんだ」
物騒な言葉を聞いた。
「敵討ちって・・・」
「私の母は十年前に殺された。その時、私自身も深い傷を負った、その仇討ちをする為に旅をしている」
「敵がファルス大陸にいるのか?」
「いいや、分からない。ただ、父方の妹がファルス大陸にいることを、遺品整理をしていて知ったんだ。だから会いに来た」
真っ直ぐな瞳に見つめられ、リュウグは酒をゴクリと飲み込んだ。
イリスが嘘を吐いているようには見えない。物乞いや詐欺を企んでいる様子もない。
(何を考えてるんだ、こいつ)
会いに来たと簡単に言うが、どんなに東の大陸の技術が上であっても、海を渡ることは容易ではない。ファルス大陸と東の大陸の間には、魔術道具の効果を打ち消す不思議な海域があり、そこは常に渦が巻いている。生半可な船で渡るなど不可能で、安全に渡れる船の乗船金は通常の約十倍はするという。
そこまで大金を叩いてやって来たとしても、遅れに遅れた技術しかない大陸王都をみて何が楽しいだろうか。
(逆はあっても、そのまた逆は皆無に等しい)
黙々と肉料理を食するイリスをチラ見して、リュウグは口端を上げた。
「なあ、あんたの言う叔母さんって、どの辺に住んでるわけ?」
尋ねると、イリスは食べる手を止めて、自身の荷物から一通の手紙を取り出した。
「・・・アミリティ聖堂院。そこに叔母さんが居る」
「アミリティ聖堂院・・・・っていうと、アインヘル王国の北西にある大聖堂だな。ファルス大陸一を誇る信者を集めているって聞いたことがある。つまり、あんたの叔母さんもその信者の一人って訳なんだな」
確認の意味で尋ねたが、イリスは目を輝かせてこちらを見ていた。
「アインヘルって国の北西に叔母さんがいるのか。ありがとう、教えてくれて」
「は? ・・・まさか、あんた場所を知らなかったのか?」
「ああ、こっちの大陸の地図はまだ持っていないし、店がどこにあるのかも分からない。通過は同じで言葉も昔、母に教わっていたから分かるが、文字が読めないのは不便だ」
深刻そうに俯くイリスに、リュウグは納得とばかりに肩を竦めた。
どことなく浮世離れしている気がしていたが、それは当然のことだったらしい。東の大陸がどんな文化を築いているのかは知らないが、ファルス大陸とは全く別の文化を進んでいるのは確かだ。それはつまり、言葉や習性についても同じ事と言えるだろう。
「大変だな、異国者は」
しみじみと口にすると、ふいに殺気を当てられ、リュウグはブーツに隠している武器に手を触れた。
酒場にいたはずが、まるで戦場に放り出されたような緊迫感に襲われる。気を抜くと、今にも矢が降り注ぎ、剣を持った輩に襲われるような、そんな感覚だ。冷や汗が流れ、酒が一気に抜けてしまった。
「私の父はファルスの血を引いている。生まれ育ちがカルストだとしても、他人を排出的に扱うのは好かん」
カルストーーそれが東の大陸の名前か。
リュウグの臨機体勢に、イリスは目を閉じて殺気を打ち消し、テーブルに半銀貨を一枚置いた。
「は?」
「情報提供にそれ相応の報酬を渡すのは当然だ。あなたにしては世間話だったかもしれないが、久しぶりに人と食べたご飯は美味しかったのと、叔母さんの居場所を教えてくれたことを本当に感謝している。・・・本当は銀貨を渡したい所だが、今は手持ちにないんだ、すまない」
本当に申し訳なさそうに眉を下げるイリスに、リュウグは立ち上がって否定した。
「いやいやいやいやいや! いくら情報提供だからって、こんな大金は受け取れねえよ! アインヘル大聖堂なんて、ファルス大陸じゃあ有名処だし、飯だってあんたが盗賊の半分以上やっつけてくれたから手に入った金だ。これじゃあ、フェアじゃない」
半銀貨をイリスに押し返すと、イリスは困り顔をリュウグに向けた。
言葉数は少ないが、よくよく表情に出やすいヤツだ。これではいつ人に騙されるのか分かったものではない。リュウグは目を閉じ、思案した。
何が最善で、どうすればいいのか考える。
「・・・よし、じゃあ半銀貨は貰っておくことにする」
イリスがホッと息を吐くのを視界の隅で見ながら言葉を重ねる。
「ただし、これは仕事の前金だ。俺はあんたの旅に同行して、あんたをアインヘル大聖堂まで連れて行く。所謂、道案内だ」
「―――っ、それは」
「勿論、この半銀貨は前金なだけで、もしも、あんたが望むなら目的地に到着したらもう一枚半銀貨を要求する。これで、あんたの旅の道案内料金は半銀貨二枚分になる。更に、あんたは道案内人である俺の旅費も払わなければならない。この条件が飲めるなら、あんたから、この半銀貨を受け取るぜ?」
リュウグの言葉に、イリスは完全に固まってしまった。
一気に捲し立てたこともあり、キャパオーバーだっただろうか。
(ま、道案内って言っても、かなりぼったくりになるけどな)
普通の道案内は、道案内者の旅費等は全て実費だ。依頼主が払うなどありえない。
それに、アインヘル大聖堂までの道程は、上手く馬車等を使えば銅貨四十枚あれば事足りる。完全なぼったくりだが、それに気付くのだろうか。
しばらく経ち、イリスはゆっくりと口を開く。
「分かった、よろしく頼む」
二つ返事でOKした。
(なるほど、こいつは相当の馬鹿なだけだな)
リュウグの中でイリスの位置づけを再確認した所で、リュウグは手を差し出す。
「しばらくの間、よろしく頼むぜ」
「こっちこそ、よろしく」
手の平を叩かれ交渉成立だ。
後にリュウグは、この時の己の曇り眼を呪うこととなった。