どうして?
パンナが出ていくと、いよいよ部屋にはイリス一人になった。
一人になるのはいつぶりだろうと考えを巡らせると、何てことない4日しか経っていなかった。随分、人と居ることに慣れてしまったようだ。
「……誰もいないな」
イリスはカーテンを閉めると、暗がりの部屋の中、ベッドの上で上着を脱いで包帯を外す。
これだけで随分と呼吸が楽になった。長い髪を胸の前に垂らし、肩に手を当てて背中にあるであろう傷を思い浮かべ、目を閉じる。
思い出すのは幼い頃の自分と、自分を斬りつけた相手。うろ覚えだが、金色の髪が光ったのを確かにこの目で見た。そして、それは恐らく………。
「何故、あんな事をした。……父さん」
会ったことはないが、恐らくは兄と同じ髪色であるだろう父を思い浮かべ、イリスは目を伏せた。
手にある手紙には、母が叔母へ宛てた最後の言葉が記されている。これを届けてあげることが、イリスが母にできる唯一の供養の気がしてならない。
それが終わって自由になれたのなら、イリスは世界中を探し回り、この命が消え去るまでに仇である父を捜し出すと決めている。
イリスは顔を上げベッドから降りると、立て掛けていた自分の大剣に手を伸ばして片手で持ち上げる。
昔は撒きを拾い集めるのにも苦労した細腕が、今では二十キロに近い大剣を片手で持ち上げることができる。
誇らしいことだ。弱いままでは何もできない。泣いてベッドの上で丸くなり、嵐が過ぎ去るのを待つ子供ではないのだから、自分の足で立たなければいけない。
大剣を振るい、型が崩れていないかを確かめる。
修業時代、何度も何度も練習した動きを反芻し、息に乱れが出ないか確かめる。
余計な力は入っていない。型も美しく問題はないはずだ。それなのにーーー。
「私に父を倒せるのだろうか」
英雄と呼ばれた男。
世界に広がる暗黒時代に終焉を迎えさせ、各国に平和をもたらした伝説の男に自分の剣術はどこまで通用するのだろうか。
不安はいつでも胸の中にある。
だが、考え過ぎてはいけない。
イリスが考えるべきことは一つだけだ。
「差し違えてでも、あんたを殺して母の前で土下座させる」
怒りを、悲しみを、己の中で燻っている感情全てを忘れぬように、イリスは上半身裸のまま素振りを続けた。
カーテン越しの光りが弱まり、そろそろ夜が訪れる頃、イリスは手の甲で汗を拭い、素振りを止めた。
そろそろパンナが帰ってくる頃だ。
再びシャワーを軽く浴び、身体を拭いて手早く包帯を巻き、袖や襟の部分以外は殆ど乾いている服に袖を通した。
この服を洗ったのはパンナだ。感傷に浸って叔母への手紙を見ていたイリスを心配して、率先して買い物へも行ってくれた。
イリスはふとリュウグの言葉を思い出す。
『何で獣族の子供を連れて行こうなんて考えたんだ?』
別に獣族や子供だから助けたわけではない。ただ何となく放っておけなかっただけで、身体が反射的に動いてしまったのだ。
「……復讐者である私が人助けなんてな」
元々、水先案内人は雇うつもりだった為、リュウグに承諾されたのは運が良かった。彼の人柄は盗賊退治後の夕飯の時に観察させて貰った。裏がありそうだが、根は優しい人だと思ったから彼に案内人を頼んだのだ。
「私だって裏はある。だから気にならない」
いい人に巡り会えた。それで良い。
イリスは窓辺の椅子に座り直し、パンナが帰ってくるのを待った。
日が落ち、宿の外の賑わいが少なくなってもパンナは帰ってこなかった。




