名前
馬の嘶きが遠ざかり、リュウグはホッと息を吐き出していた。
結局、彼の腰ベルトの財布の中には半銀貨が一枚入ったままになっている。
「上手く撒けたみたいだな」
「これからどうする?」
「取りあえず歩いて行くしかない。非常食は三日分、持ち歩いているから、それで次の村か町まで食い繋いでミディレア王国を目指す。シンプルな案だが、これ以上の案はない。意見は?」
「ない」
フードを被った子も深く頷いた。
二人とも、土地勘と常識をどこかに置いてきた連中だ。リュウグの言葉に反対することはなかった。
「そういえば、あんたの名前は? 名無しって訳でもないだろ?」
これから一緒に行動するのだ。名前くらいは知っておきたい。
フードの子供は頬を紅潮させながら顔を上げた。
「パンナコッタです! パンナって呼ばれてます」
「私はイリス」
「俺はリュウグ。……ってか、パンナコッタって食べ物の名前だよな?」
「はい! 獣族の間では、両親が一番なじみ深い食べ物の名前を子供に付けるんです。僕の名前のパンナコッタは、お父さんがお母さんに告白する時に食べていたものらしいです」
誇らしげに胸を反らすパンナに、リュウグは「種族間の感性の差か……」と小さく呟く。
「なあ」
「ん?」
「パンナコッタとは、どんな食べ物なんだ?」
真顔で聞いてくるイリスに、リュウグは言葉を失った。
「はい! とても甘くて白い食べ物だと聞いています。お父さんとお母さんは、僕に甘くて優しい子になって欲しいという意味も含めて付けてくれたんです」
意気揚々と答えるパンナに、イリスは興味津々で聞き返す。
「甘い……木イチゴ並みか?」
「分かりません。口に入れると溶けちゃうみたいです」
「溶ける? 氷菓子の類なのだろうか?」
真剣に考え込む二人の注目を集める為、リュウグは手を叩いた。
「はいはい。お菓子討論はそれくらいにして、取りあえず歩くぞ。今日は野宿でも1日でも早く次の町に行きたいからな」
「あなたは知っているのか? パンナコッタを」
面倒臭い問いがこっちに来た。
「……まあ、知ってるけど、あんまり美味しくないぞ。それならプリンとかパフェの方が女子供は好きだと思……」
「ぷりん? ぱふぇ? 聞いたことない名前だ」
「どんな食べ物なのか想像も付きませんね」
名前を名乗ったことで緊張の糸が解れてきたのか、パンナは軽快にイリスと言葉を交わしている。このまま二人に付き合っていては日が暮れてしまう。
リュウグは荷物の中からコンパスを取りだし、方角を確認しながら歩き出した。
(このまま南西に進めば、鉱山にぶち当たる。その手前にいくつか夏の出稼ぎ用の村か町があるはずだ。ひとまず、そこに辿り着けばいいだろう)
その鉱山は、隣国である竜族の国グリシアとの国境の山として活用されている。険しい山脈を越えて他国を攻め入ることなど人族にはできず、また人族の国など眼中にないグリシアとの利害一致で国境をそこにしたと聞いたことがある。
(隣国がどうあれ、いざという時にはグリシアに逃げ込むことも考えなくちゃな。次か次の町辺りで、俺たちがお尋ね者になっていた場合のことを考えて行動しなきゃダメだ)
警邏隊の関与で、イリスがお尋ね者になった恐れは非常に高い。そうなると、獣族の国ミディレアまでは順調に進めても、そこからアインヘル王国への行き方が問題だ。
正攻法では行けないとなると、裏ルートで行くしかない。リュウグはチラリと背後の様子を覗き見しては、お菓子雑談をしている二人を見て溜息を吐いた。




