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8 明日と過去

闇無の過去

署に戻って、会議室にいた坂東チーフに一通り報告する。穴井捜査課長も署長も姿は見えない。

同僚に聞いたら「帰った」とのこと。時間はまだ七時半だ。確かに居たところでどうなるものでもない人たちだけど、部下が帰ってくるまでは待っててほしい、と思うのは私が甘えているんだろうか。


「チーフは今までのところ、どう思いますか?」


報告を終えて間もなく、闇無さんが坂東チーフにせっついた。


「どうもこうも、材料が少なすぎる」


チーフはその涼やかな目元を崩すことなく答えた。


「そうですか?初日にしてはまあまあだと思いますけど」

「何がまあまあだ。まだ断片がいくつか集まったに過ぎん」


言うと、その鋭い視線を私に向ける。

思わず背筋を伸ばす私に、チーフは言った。


「今朝崑野さんが後ろ姿を見たという少年は、吹奏楽部でピアノを弾いていた生徒と同一人物か?」

「ほんの一瞬見ただけなので、はっきりとは言えません」

「そうか。どちらにせよ、その深津という少年には当たってみないとな」


言って、ちらりと闇無さんの方を見た。

闇無さんは不敵な笑みを浮かべ、言った。


「チーフ、私を甘く見てもらっちゃ困ります。ちゃんと考えがあるんですよ」




「ほう。聞かせてくれ」


そう言ったのは、坂東チーフではなかった。会議室の後方から、別の男性の声。

振り返った闇無さんが目を大きく見開いた。


「灰川さん!何でいるんですか?」


灰川さん。下の名前は何だっけ。

特別捜査チームマギステルの一員で、闇無さんの相棒。確か別件で手が離せなくて、明日から合流するっていう話だったはずだけど。


濃いグレーのスーツに白いシャツ。ブルーのネクタイと同じ色のハンカチが胸に差してある。ちゃんと身なりに気をつかう人だ。ショートにした黒髪をざっくりと流していて、目にかかる前髪の下に優しい眼が見えている。色白で、薄目だけど割と整っている顔立ちと相まって、あの安藤さんという鑑識の方が片思いする気持ちも分かる気がした。


「ただの前乗りだ。宿が取れたから、夕飯ついでにこっちの責任者にあいさつしとこうと思ったんだけど」


言うと、灰川さんは私に目を止めた。


「君が崑野さん?」

「は、はい!崑野百合巡査です。先ほどは電話で失礼しました」


つい敬礼までしてしまった。うわあ、すごくドキドキしてる。


「マギステルの灰川です。電話ではどうも。闇無が一日お世話になったね」

「いえ、こちらこそ勉強になることばかりで」

「だといいけど。引き続き頼むよ」


軽い感じで言うと、チーフの前に行った。闇無さんは口をとがらせている。


「お疲れ様です。こっちの課長はどこですか?あいさつしたいんですけど」

「もう帰ったぞ。ここには我々だけだ」

「帰ったんですか?」


無理して来なきゃよかった、と灰川さんがつぶやきながら近くのパイプ椅子に腰かける。


「宿は、どこに取ったんですか?」


私が聞くと、灰川さんは人差し指を立てて答えた。


「ほら、あの駅からちょっと歩いたところのビジネスホテル」

「ああ、あそこですか。去年オープンなんで、綺麗だと思います」

「うん。チェックインだけしてきたけど、かなり良かったよ。そんなに高くないし……ん?」


灰川さんの視線が、闇無さんに注がれている。彼女は手を口元にあてて、固まっていた。


「どうした、闇無。この世の終わりみたいな顔して」

「宿……」

「宿がどうした。お前もどっか取ったんだろ?」


チーフが言った。


「ここに来る前に、緊急ゆえ宿は各自手配しろとメールしたはずだが」

「……そうでしたっけ?」


闇無さんが慌ててスマホを取り出す。

これは多分、宿を取り忘れた感じだ。チーフと灰川さんが顔を見合わせ、うなずきあう。いつものことって感じだ。


しばらくしてスマホをしまい、彼女は灰川さんに言った。


「灰川さん、そのホテル、まだ部屋空いてましたか?」

「俺がネットで見た時、すでにあと一部屋だった。見てみるか?」


灰川さんからスマホを借りて、確認する。分かりやすく両肩が落ちた。


「あー、念のため言っとくけど、そこが一杯だと隣の駅まで行かないとホテルないぞ」

「えっ!」


闇無さんに視線で問われ、私は黙ってうなずいた。ここ五十里浜は、夏のサーファーや海水浴客向けの民宿はたくさんあるけれど、いわゆるビジネスホテルは灰川さんが部屋を取った一つしかない。なのですぐに出張客で満室になってしまうのだ。


「隣の駅だと何か都合が悪いのか?電車は本数あるだろう」


チーフがしごくもっともなことを言った。


「……実はさっき言ったピアノ少年なんですけど。明日の早朝から何か動きがあるんじゃないかと踏んで、早起きして学校に張ろうと思ってたんです」

「ふむ。お前にしてはいい考えだ。何か問題でも?」

「それがですね」


闇無さんが両手をチーフの前のテーブルに乗せ、真顔で言った。


「私、朝が極端に弱いので、隣の駅から明智高校まで早朝にたどり着く自信がありません」


チーフはスッと視線を切り、立ち上がった。


「明日の予定だ。闇無と崑野さんは、明日の早朝明智高校でその少年を張り込め。もし本当に来たら、揺さぶって何か見たり聞いたりしてないか聞き出してこい。私と灰川は例の雑貨屋に行ってもう一度あの店長に話を聞くつもりだ。午後からは安藤が鑑識の結果を持ってこちらに合流予定。以上、解散」

「チーフ、話を聞いてないじゃないですか!そんなの起きられるわけないでしょう?どうやって高校まで行けって言うんですか!」

「アラームを五時にセットして、最寄り駅で始発に乗って、着いたら駅から走ればいいだろう」

「ゴ、ゴ、五時?正気ですか?五時はまだ深夜ですよ」

「五時は早朝だ」


ぷうとふくれてしまった闇無さんを置いて、男性陣は話しながら会議室を出て行った。


私はこの署で、女の子なんだから無理するなと変に気をつかわれる方だけど、闇無さんはだいぶ雑に扱われている気がする。

宿を取り忘れた本人のせいと言ってしまえばそれまでだけど。


でも。


私はさっきから思いついていた考えを、闇無さんに話すことにした。


「闇無さん。もし良かったら、うちに泊まりませんか?どうせ早朝同じところに行くんですから」


彼女の顔がパッと輝き、そして急に申し訳なさそうな顔になった。


「それは、すごく嬉しいですけど、その」

「独身で一人暮らしですし、男もいません。せまいですけど、明智高校まで直行ならむしろ近いですよ」

「いいんですかー!?よろしくお願いしますう」


私の手を両手で握り、上下にブンブン振り回す。さっきほんの一瞬気を使ったのは、一体何だったんだろう。







「それじゃおやすみなさーい」

「はい、おやすみなさい」


明日は早いということで、ガールズトークもそこそこにして十時に消灯。私はベッド、闇無さんには床に予備の布団を敷いている。

別に私が冷たいわけじゃなくて、ベッドを譲ろうとしたら頑なに断られたからだ。うちに泊めると言った時もそうだったけど、変なところでいつものノリじゃなくなるところがある。


彼女は下着や靴下の替えだけはバッグに詰めてきたようで、逆に言えばそれ以外は何も持って来ていなかった。

今夜の部屋着も、明日の白シャツも貸す予定だ。サイズがだいたい同じで良かった。


「ねえねえ、崑野さん」

「はい?」


部屋を暗くした後、闇無さんが嬉しそうな声で言った。


「私、女の子の部屋にお泊りするの初めてなんです」

「えー……そうなんですか」


珍しい……かな。いや、そういう人もいるだろう。


「FBIアカデミーに研修に行ってた時は、ルームメイトがいたんですけどね」

「へえ、お友達になれたんですか?」

「努力はしたんですが」

「ダメだったんですか?」

「その子は黒人の女の子で、陰で他のアカデミー生から色々嫌がらせされてたみたいで」

「うわあ……そういうの、本当にあるんですね」

「彼女はそのストレスを今度は日本人の私にぶつけてきて、結局友達にはなれませんでした」

「……何とも言いようがないですね」

「仕方ないですよ、人間ですから」


妙に達観したようなことを言う闇無さんに、私はずっと聞きたかったことを抑えきれなくなっていた。


「あの、闇無さん」

「はい」

「一つ、聞きたいことがあるんですけど」

「何ですか?」

「闇無さんて、どうして刑事になろうと思ったんですか?」

「えー、そういうノリの話ですかー?恥ずかしいですねー」


しばらくモジモジした後、彼女は「崑野さんが言ったら言う」と返した。


「私は……ずっと陸上部で短距離やってたんです。て言っても、県大会に一度出たくらいで全然でしたけど」

「えー、すごいじゃないですか。足の速い人は憧れます」

「でも、勝ちたいレースには一つも勝てなくて、いつも背中ばっかり見て走って。だから、今度はその背中を捕まえられる仕事に就こうって思ったんです」

「なかなか個性的な動機ですね。初めて聞きましたよ」

「自分でも変だと思います。浅いというか、考えなしと言うか。はい、闇無さんの番ですよ」


しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。


「私、母の記憶がないんです。物心ついた時にはもう、お父さんと二人暮らしで」

「あ……すみません、何か」

「いいんです。ただの事実ですから。すごく優しい父で、私は母がいないことも特に不満に思ってなかったんですけど」

「……」

「それで、来月から小学校に上がるっていう、六歳のある日にですね」

「は、はい」

「警察がうちに来たんです」

「何があったんですか?」

「父を逮捕しに」


どうしよう。ふざけているようには聞こえない。これ以上聞いちゃいけない気がする。

でも聞きたいと言ったのは私だ。


「その……罪状は?」

「誘拐、拉致、そして、殺人です」


部屋を暗くしておいてよかった。明るかったら、どんな顔で聞けばいいのかわからなかった。


「つまり、どういうことなんですか?」

「つまりですね、その人は私の父じゃなかったんです」

「え」

「私の両親を殺して、死体を隠して行方不明扱いにして、そして私と暮らしていた犯人だったんです」

「……」


沈黙。


「ごめんなさい、私、何て言ったらいいか」

「大丈夫です、まだ続きがありますから」

「全然大丈夫じゃないです。もう無理しなくていいですって」

「ここで止めたら眠れなくなりますよ」


どうしてそんな、普通の調子で話せるの?


「でも私、そんな事件聞いたことないです。当時は私も小さかったにしても、その後一度くらいは」

「その後引き取ってくれた伯父が、警察のエリートコースまっしぐらな人だったので、あまり詳しい報道はされなかったみたいです」

「そうなんですか……」

「でもその後、別の事実が出てきたんです」

「まだあるんですか?」

「私の体を検査したお医者さんが、少なくとも一年以上前の古い傷がたくさんあるって」


私は思わず起き上がった。


「犯人に虐待されてたんですか!?」

「いえ。だって、私がその犯人と暮らしていた期間は、大体一年くらいでしたから。それより前です」

「前って……」

「虐待していたのは、私の実の両親。犯人はそれを見て、二人を殺して私を連れて行ったって」


言葉が無い。軽々しく聞くんじゃなかった。


「それは……裏は取れたんですか?それに伯父さんがいるなら一年間も見つからないのは、変ですよ」

「私は何も覚えていませんから、犯人が死人に口なしで嘘を言った可能性もあります。見つからなかったのは、両親が駆け落ち同然で田舎から出て来て実家と音信不通だった上に、近所づきあいも避けてたからだって。伯父とも折り合いが悪くて疎遠だったようです」

「……事件についてはわかりました。でも、そんなひどい経験をして、どうして」


刑事になろうなんて。


「お父さんを、愛しているんです、私。今でもちょくちょく面会に行ってますし」

「……」

「彼がやったことは悪ですよね?人殺しなんですから。でも実の両親がやったことは?子供を虐待して喜ぶ親って、完全に悪じゃないですか。それなのに殺されたら被害者になって哀れみを受ける。彼らを殺して私を助けてくれた優しい父は、殺人犯として服役中です。私、この辺でよくわからなくなったんです。人間にとって、何が悪で、何が善か。それを知りたくて心理学の勉強をして、犯罪心理学に特化して、プロファイラーになりたいって、そんな感じです」


話し終わると、闇無さんは大きなあくびをした。


「ごめんなさい。もう寝ますね」

「あ、はい。おやすみなさい」


私が答えるか答えないかのうちに、小さな寝息が聞こえてきた。


あんな話をして、この寝つきの良さ。信じられない。

それにどうしてこんなに明るくいられるんだろう。



それから数時間、闇無さんの寝息を聞きながら、私はなかなか寝付けなかった。







つづく

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